「シン! 急げ!」
「マユ! ちゃんと付いて来てる!?」
絶叫にも近い両親の声に、必死で走る兄妹。
『シェルターはこちらです! 急いで下さい!』
程近い場所から、旧式の拡声機を使った兵士が絶叫のように言う声と、雑踏が聞こえる。
シンと呼ばれた少年は、走りながら空を見た。
ビュッっと、一瞬の轟音と供に視界を通り過ぎたのは、青と白と赤の色合いが眩しい大きなモビルスーツ。
シンは思わずそれを目で追う。
…モビルスーツって、あんなに大きかったんだ…。
そんなことを思った瞬間。 見ていた『それ』から、光りが放たれた。
「あ!」
時同じく発せられた妹の声に思わず振り向くと、妹が手していた携帯が崖下へと落ちていくのが見え、
「いいから、走るのよ! マユ!」
母に手を引かれ口惜しそうな妹の姿に、シンは自然と崖下へと足を向ける。
「シン! よせ!」
「大丈夫、すぐ拾えるー」
父の声にそう応えようとした瞬間、
視界は暗転した。
先ほど発せられていた光りが、こちらを向いて放たれたことに気付いたのは、猛風に吹き飛ばされている時だった。
パチパチと、音が聞こえ、シンは目を覚ました。
今ひとつ、何が起こったのか認識できない。
できないまま、とりあえず身体を起こし、目を開いた。
そして、飛び込んできたのは、あまりにも想像から離れた現実だった。
眼下に広がる風景は、信じたくは無いもの。
見えているのに、認められない、受け入れられないもの。
手元に見えるのは、小さな手。 ついさっきまで、それは必死で携帯を握り締めていたはずだ。
だが、今は、その携帯を握っているのは自分で、
対して何も握れず固まるその手は、薄汚れ、血にまみれ、そして、あるべきものへと繋がっていない。
周囲からは、異様な匂いが立ち込めていた。
くすぶる炎の下では、数瞬前まで供に走っていたとは思えない、ばらばらの四肢が転がっている。
信じる事など、出来なかった。
それが、…それらが、
つい先ほどまで言葉を交わしていた、自分の家族の姿だとは。
「おい大丈夫か!!?」
崖のさらに下から声が響いた。
だが、シンは動かない。
駆け寄ってきた兵士が、ほどなくシンを発見し、供に来た数名の兵士は、シンの家族…だったモノを確認する。
「君、ここは危険だ、早くシェルターへ! 君!!」
手を引かれ、肩を揺すられても、シンは動かなかった。
虚ろに開かれた赤い瞳は、空を飛びゆく、巨大なその機体を、ただ、見つめ続けている。
+ + + + + + +
どうやってシェルターまで来たかは、憶えていない。
ただ、気が付いたらシェルターに居て、回りには誰も居ない。
家族や親類の無事を確かめ合う声が響く。
…確かめる相手が、自分には何故居ないのか、それが分からない。
すると、ふと目の前に人影が立つ。
顔を上げると、そこにあったのは、先程くすぶる炎の中で、自分の手を引いてくれた将校の姿。
「君だけでも、助かって良かった、…君のご家族は、そう思っているはずだ」
静かに諭された言葉を口火に、頬に涙が伝い始めた。
心のどこかが、ようやく、理解を始める。
そして同時に、嗚咽のように声があふれ出ると、涙腺が壊れたように涙が溢れた。
自分は、もう、一人なんだと、
あの、
昨日まで当たり前にあった、暖かい家族は、家は、
もう、どこにもないのだと。
そんな現実は、やはりまだ、容易く信じられるものではなかった。
「…今は、こんな状況だ、…身寄りがないのなら、プラントへ行ってはどうかな」
数日後、再びシェルターに来た将校の言葉に、シンは顔を上げる。
「いくらオーブとは言え、コーディネーターの君には不利が多い」
どこか諦めたようなその顔を見て、シンは小さく頷いた。
プラントには正直、興味はなかったけど、
ただ、
逃げたかったのかもしれない。 この場所から。
プラント行きの手はずを整えられたのは、それからしばらく経ってから。
ヤキンドゥーエ戦と呼ばれる戦いを最後に、戦争は終結し、
やっと一般シャトルも宇宙へ飛べるようになったそうだ。
久々にシェルターを出ると、何事も無かったかのように、波音が響いている。
何も変わっていない海。
変わり果てた地上。
そのふたつの姿が、なんだかとても、不条理に思えた。
プラントへ付いて、シンはそのままぼんやりと街頭を歩いた。
用意された寄宿学校の地図は、鞄のポケットに詰め込んだまま。
ふと顔を上げると、街頭モニターではニュース映像が流れていた。
どこかの議員達が、平和条約を結ぶ姿に続いて、先の戦争の詳細が淡々とした口調で語られる。
シンは思わずそれに見入り、そして硬く拳を握り締めた。
何も、何も知らない。
世界がどうなったとか、戦争がどうなってるとか、
あの時の自分は、何もしらなかった。
避難勧告が出て、言われるままに逃げて。
そしてー。
シンは顔を上げたまま、食い入るようにニュース映像に見入る。
どうして、自分は何も知らなかったのだろう。
どうして、自分は、何も出来なかったのだろう。
そんなことが、何故かひどく胸を苛んだ。
『Zodiac Alliance Freedom Treaty』
仰々しい入口には、そう書かれていた。
ザフト。 そう呼ばれる、プラントの、コーディネーターの軍隊。
気が付くと、来ていたのは一番近くにあった軍の駐留所。
物々しい警備に囲まれた門の前でぼんやりと立っていると、ふと後ろから風が吹いた。
「待て、止まれ」
偉そうな声が響くと、門の手前で風を立てて走っていた車がふいに止まる。
そして、声の主である、おそらくそれなりの地位であろうザフトの兵士は、
シンの姿をじろりと見た後、
「…民間人か、こんなところに何をしている」
不機嫌そうにそう呟いた。
すると、部下らしい運転主が、
「もしかして、新兵募集に志願しに来たんじゃないですか」
何気なく呟いた言葉に、シンは一瞬目を見開いた。
新兵の募集。 志願。
頭の中で、何かが渦巻き、そして固まる。
兵士達は訝しげに言葉を交わした後、そのまま立ち去ろうとする。
「あの…!」
シンはそれをすんでで止めた。
「志願って、…どこに行けばいいんですか?」
あまりにあまりな質問に、兵士達は思わず顔を見合わせる。
最初に話しかけてきた偉そうな人物は、少し面白そうに顔を歪めた。
にやりと笑ったその顔には、コーディネーターには珍しく大きな傷があり、風になびく銀髪はとても印象的にも見えた。
+ + + + + + +
「シン、どうしたんだよ、また罰則?」
「うるさいなー、関係ないだろ」
「ったく、どうしてお前はいっつもそう、教官につっかかるかねー」
同期で、整備見習いとして入ったヴィーノとヨウランにからかわれながら、シンはむくれっ面で床を磨く。
「ったく、なにやってんだかー」
通りすがりの同じく同期で、同じパイロット講習仲間である少女ルナマリアは苦笑交じりに呟く、
その後ろを恐る恐る付いて歩いているのは、妹のメイリン。
そして、それに続くように全くの無言、無表情で通り過ぎる、これまたパイロット講習生のレイの姿を横目に、
シンはやはりむくれっ面で床を磨いていた。
今ではこれが、当たり前の風景。
「さすがに君は優秀だね、レイ君」
「いえ」
訓練用のモビルスーツによるマシンとの模擬戦。
つつがないレイの成績に感嘆の声を上げる教官を、つまらなそうに横目で見ながら、続いてルナマリアが乗り込む。
教官は再び始めさせた模擬戦を見入る。
「…うん、君も中々だよ」
満足そうに言う教官だったが、ルナマリアはやはり少し悔しそうにちらりとレイに目をやっていた。
「いいか、くれぐれもトラブルを起こすなよ、訓練機とは言え安全性は絶対ではない」
シンが乗った途端にそんなことを言う教官に、シンは思わずがっくり肩をおとす。
ルナマリアがクスクスと笑いを堪えている姿が、モニターの端に映っていた。
その時、
唐突に響いたアラートに、シンは思わず目を見張った。
「なんだよあれ!?」
思わず叫ぶ。
模擬敵であるマシンが、実弾を、しかも明かに照準を定めて撃ってくる。
こんなこと、先にやったレイやルナの訓練ではなかった。
「ちょっと、どうなってるの、あれ!」
ルナマリアは思わず叫ぶ、
「おい、一体何が!」
既に教官は、持っている端末で何かに交信を取っていた。
その時、
シンは違和感を感じた。 マシンはこちらを向いていない。 その視線を追うと、
教官やルナマリアがいる場所に、瞬時にマシンに照準が合う。
シンは無我夢中でその一瞬のうちに、片手でコントロールパネルに手を滑らせ、片手でレバーを引く。
そして、
「……」
レイは思わずシンの操作する訓練用のモビルスーツを見上げた。
それは、恐ろしいまでの早さで、まさに間一髪、ルナマリアと教官に降りかかるはずだったビームを霧散させ、
同時に暴走したマシンを吹き飛ばしていた。
薄ぐらい部屋で、ウェーブのきいた長い黒髪をかき上げながら、男は静かに口の端に笑みを称えていた。
部屋にはもう一人、先程の教官の姿がある。
「ですから、彼は…確かに性格上の問題は少々ありますが、…類稀な才が見られまして」
「そうか」
言いながら男が手に持っているのは、シン・アスカの履歴資料。
「彼はまもなく、アカデミーを卒業するのだったね」
男は静かに言った。 教官は頷く。
「……ZGFX-56S。 やっとあれのパイロットが決まったよ」
そう呟く男は、とても満足そうな笑みを浮かべていた。
「もう進水式かー、なーんか、あっけなかったわね」
乗組員と挨拶を交わした後、駆け寄ってきたルナマリアは苦笑交じりに呟いた。
シンは同じく苦笑を返す。
「ねぇ、あれじゃない、シンの機体」
「え?」
戦艦ミネルバ。
くしくも、アカデミー同期が揃いも揃って配属となった新造戦艦。
そこに下見に来た一向は、数機の整備中のモビルスーツを指差しながら歩いていた。
「でも、あれって、戦闘機?」
シンは訝しげに呟いた。
ルナやレイのザクはあるのに、もうひとつのそれは、どうみても小ぶりの戦闘機だ。
モビルスーツだと聞いていたのに。
シンが首をかしげていると、ふと気づいた整備班長が歩み寄る。
「君がパイロットか、丁度良い、ちょっと試乗してみてくれないか」
そう言われるままに、シンはとりもあえずにその戦闘機に乗る。
「何なんだよ、話が違う…」
不機嫌そうな顔で、シンは呟きながら、戦闘機の操作パネルに目をやる。
すると、それはどう見てもモビルスーツの操作パネルだった。
そして、思わずキーボードを打ち、機体データを称号すると。
ZGFX-56Sインパルス。 その名前と、モビルスーツの概要、そして、
「じゃあ、コアスプレンダー、続いてレッグフライヤー、射出用意!」
整備班長は上機嫌に呟いた。
「どうしてもアイツはパイロットが居ないと具合が掴めないんでね」
そう言いながら上を見る視線に、ルナマリアとレイを初め、一同は目を見張る。
「なるほど、これが、コアスプレンダー。 で、あれがレッグフライヤー…」
シンはキーボードを叩く。
「ったく、だったら最初から教えとけよなー」
思いっきり悪態つきながら、しかし手は的確な処理をこなし、
射出口から続けざまに出た二つの機体は、互いにレーザー光線を放ち、そのまま距離を狭めると、
徐々に形を変え、そして、
「モビルスーツに、なった…?」
メイリンは思わず呟いていた。
「あいつが、ザフトの最新機。 ZGFX-56Sインパルスだよ」
整備班長は、満足そうにそう呟いていた。
プラント議場のデュランダルがシャトルから降り立つと、すぐさま駆け寄る人間が後を立たない。
遠目にそれを見、そして静かに議長と視線を交わしたレイは、満足げにその場を去る。
「こちらはオーブ代表の、カガリ・ユラ・アスハ氏だ」
「これはようこそ」
促されシャトルから降りた年若い金髪の少女は、どこか訝しげな顔を浮かべている。
隣に控える護衛らしきサングラス姿の青年は、それを心配そうに見つめながら、彼女に進路を促していた。
「おつかれー。 そういえばシン、これから、何か予定あるの?」
インパルスから降りてきたシンにルナマリアはにっこりと言った。
「え?」
「明日から宇宙だし、貴重な地上での非番だよー」
「ヨウランが一緒に街を見物しようって」
何気なく応えると、ルナマリアはやれやれと首を振る。
「ったく、相変わらず色気がないわねー」
「ほっとけ」
呟きながら、シンはスタスタとその場を去った。
ショーウィンドウを鏡代わりに自らを眺め、少女はぼんやり立ち止まっていた。
そして、服の袖や裾がたなびくことを発見すると、珍しそうにスカートを回転させた。
「ステラ、何やってる?」
水色の短い巻毛が特徴的な少年が声をかけると、少女は動きを止める。
振り向いた先には、さらに短髪の薄緑の髪をした少年が待っていた。
「アウル、スティング、今行く」
言うと、ステラと呼ばれた少女は唐突に走る。 その時。
「うわ!?」
角から飛び出たシンは、避ける間もなく少女と激突した。
「ご、ごめん…」
言いながら立ち上がるシンから、逃げるように少女は無言でその場を去る。
思わずその姿をシンが目で追うと、少し先で合流した、仲の良さそうな3人連れが見えた。
「…悪い、こいつちょっと世間知らずでさ」
水色の髪の少年に抱き付き身を潜める少女を横目に、緑の髪の少年はやれやれとシンに歩み寄った。
「い、いや、こっちこそ不注意だった」
「ところで、このプラントってこのへんに大きな軍港があるって聞いたんだけど?」
少し含みのある顔で、緑の髪の少年は言う。
シンは思わず不思議そうに目をぱちくりとさせ、ヨウランと顔を見合わせた。
「もしかして、進水式の来賓?」ヨウランは呟いた。そして慌ててシンの耳をたぐりよせる。
「やっべー、きっとどっかの開発会社の御曹司とかだよ」
「えぇ!?」
「進水式はあっちの港で、あ、あと来賓のパーティーは…」
ヨウランは慌てて丁寧に説明をする。
それを横に、シンはぼんやりと、未だ連れの少年の影に身を潜める少女にぼんやりと目をやっていた。
軍港内の格納庫では、モビルスーツの点検が行われていた。
そして、そこに忍び寄る影に気付く者はいなかった。
突如現れた武装した人影に、瞬間的に撃たれるまで。
銃撃とともに起こったパニックのなかで、次々とザフトの兵は倒されていった。
無機質なまでに変化の無い顔や、かたや笑みさえも浮かべた刺客の姿は、
金色と青と緑の髪が鮮やかな、まだ少年少女にしか見えない3人だった。
そしてその頃、シンが街から帰り、ミネルバの中へと入ると、
「なんだっ!?」
シンは思わず声を上げる。
唐突に響いたアラーム。
照らされる非常灯。
そして何より、響いた爆音と衝撃。
「オイ、すぐ発進出来るか!!?」
叫ぶように言われ、
「何があったんです!?」
シンは思わず聞き返すと、整備班長は苦い顔で、
「……分からん、だがこの港は今、攻撃を受けている」
攻撃?
その言葉が頭をかけまわる。
「何だよ…戦争は、終わったんじゃなかったのか!?」
あの平和条約は、一体なんだったんだ?
ぐるぐると思考が回り、
そして思い出されるのは、『あの時』の光景。
燻る炎、散らばった四肢。
シンはレバーを引くと、レーザーに吸い寄せられたレッグフレイヤー、シルエットフレイヤーと供に、機体は見る間にモビルスーツへと変形して行く。
眼下に広がるのは、爆発と炎。
いつかの、あの光景と、変わりない。
シンは思わず歯を噛み締めた。
怒りが胸に沸き起こる。
こみ上げた怒りを叫びながら、シンは降りて行った。
戦場へと。