●99年11月16日(火)
日月潭めざして、路線バスが出るはずのバスターミナルを朝からうろつくが、昨日の項で書いたとおり、地震で訪れる観光客がいなくなったせいか、バスは運休していた。タクシーで行くか、と腹をくくっていると、そういう私を観察していたのかどうか、マイカーの運ちゃんが割安(いくらだったか記憶が戻り次第書き換えます)で往復してくれるという。ガイドブックによれば、日月潭はここから62キロ。バスでも146元、1時間30分かかるというから、随分<割安>である。地震でそれだけ客足も途絶えてしまっているということであろう。
車に乗って街を進んでいくと、一角では、集合住宅のビルが丸ごと倒れたまま、まだ放置されているようなところもあったりして、地震の傷跡をまざまざと見せ付けている。こちらも一応阪神大震災の体験者であるから、この被害の陰にどれだけの死やけが、失われた財産があったかと思うと他人事ではない。車は郊外からやがて山岳地へとたどっていく。日月潭の入り口へと着いたのは1時間ちょっとぐらいだったろうか。
湖の北から時計回りに、まわっていく。まず、文武廟。入り口に立派な一対の狛犬があるが、地震でところどころ壊れてしまっている。絢爛な朱屋根の建物のところどころも。傍らの小さな建物は崩れてしまったり柱が折れていたりして、もっぱら修理の真っ最中。向かいにある商店も閉まってしまっていて、とても観光客を迎えられるという雰囲気ではない。展望台から湖の全景が見渡せるのだが、地震によって水かさが随分減ってしまって、岸では、これまで水の中にあった地肌がむき出しになっていて、いまさらながら地震のすごさを感じさせられた。
そのあとは湖畔をそのまま半周して、あるみやげ物屋に。運ちゃんは、私をここに連れてくることを目的に格安の値段でわざわざ日月潭まで乗せてきてくれたものと思われた。お茶をよばれてここの若主人としばし談笑。私よりちょっと年上らしく、名古屋といっただろうか、日本に留学していたといい、日本語もちょっと怪しいところがあるがまずまず。どこに行ってもそうだと思うが、こういうところに引っかかると「日本には友達がいて」…とか何とかいわれて写真や手紙を見せられて…決して怪しく押し売りをしようとしているのではないということが理解されたころを見計らって、土産はあれがいいだのこれがお勧めだの…パターンは分かっていたが、私ももともと湖畔で何か買って帰ろうという気持ちがあったから、実家に持って帰るロイヤルゼリーとお菓子だったかを少々。それほどぼられたという気持ちもなかったが、やはりロイヤルゼリーって結構値が張るものなんですねえ。食事に混ぜるなり、あかぎれができたりするなど最近肌のつやがなくなってきたのでちょっと塗るなり(決して化粧をするような男ではないので心配しないで下さい)しようかな、と思っていたのだが、これを書いている3年後にも1瓶まだ冷蔵庫に残ってますから、結果的にはやはり無駄でしたね(塗ってもちょっとぺたぺたするのがかなわんのですわ)。
再び車に乗せてもらって、途中、村落で止まった時に、お年寄りが「日本から来られたのかい」と、濁りのない発音で流暢に話し掛けられたのにはびっくり。李総統(当時)よろしく、その世代の人は植民地政策のなごりで日本語が達者な人が多いことは聞いてはいたが、まさかこれほどとは思わなかった。留学や商売、旅行で自ら異国の言葉を習うのは個人の勝手だが、兵役などで日本に赴き半ば強制的に言葉を覚えなければならなかった気持ちとは果たしてどんなだったろうか。
日月潭は、地震被害でほとんどの店や施設が休業状態で、まず、生活をもとに戻すことが先決で、とても観光地としての復興はまだまだという感じ。今はだれも日月潭などに行かないというのがよく分かった。午後、再び台中のバスターミナルまで送ってもらう。駅前で土産というか自分が食べるために月餅を買う。かぼちゃ色の餡(木の実などらしい)を最中というかかるかんというかあんな薄い皮で焼いたもの。まずくはないが、口の中の唾液が少なくなるばかりであ、あまりたくさん食べられるものではない。
再び自強号で台北に戻り、駅前の華華大飯店泊。夕食はすぐ近くの新光三越百貨店の地下で。何かよく分からんが屋台風の形の店が並んでいる一角で。食事の後は、このビルにある摩天楼展望台へ。高速エレベーターで46階に上がり、高さ200メートルから見渡す台北の夜景はなかなか。入場料120元。
まだそれほど夜が更けたわけではなく、市街東南部の龍山寺界隈にも行ってみたかったのだが、ゲストブックによると昼間でも治安が悪いと書いてあったので断念し、おとなしく寝ることにした。