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紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 田植え(手植え)と田舎の暮らしについて タイトル
「田植え(手植え)と田舎の暮らしについて」
  6月8日 方丈庵の北の川向うNさん宅の、昔ながらの人の手による田植え風景を昔を懐かしんで見る事が出来ました、5月中頃に田んぼに水を張り、苗代は見えていたので苗の育つのを待っていたのだろう、Nさん宅も方丈庵の裏の谷(宮の谷)の水を、パイプで引いているので水温が低く苗の育ちが遅いのだろうか、植えつける米は古代米らしいので現代の米作りの要領では通用しないのかもしれない。
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Nさん宅の田んぼ 奥さん一人の田植え 主人が苗束作り
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  田辺市や上富田町などの平地では、田植えに関する作業は、田んぼ作りは外注、苗はJAから購入、田植えも、機材とオペレーター込みの外注作業で出来るようだが、ここ石船地区など中山間地では、川を挟んだ棚田が多い上に、住人も高齢者であるため、小さな機材で、老夫婦の作業で自分たちが一年間食べるだけと、都会にいる子供たちに送る為の米作りである、また、比較的若い世代の住人では有るが、昔の旧家で、田畑、山林併せて数ヘクタールが有る家などでも、90歳位のおばあさんと、パートで働いている奥さんの二人で、家の周りの畑で自家用の野菜を作っているだけで、主人は現金収入の日雇作業が本職になり、田畑、山林は荒れ放題である。

  また周囲には離農したり、後継者の無い荒れた田畑が多く、イノシシ、鹿、サルなどの出没が容易なため、折角の自家用の作物の被害に土地の人たちは諦め顔である。行政も営利農家については害獣の被害については色々腐心している様であるが、高齢者のみ残った中山間地の人たちの、自家用畑の被害にも目を向けて貰えれば、おじいさん、おばあさん達の楽しみも増し、健康の維持も出来て、医療費の節減にも成るのではないかと考えることがある。

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荒れ果てた田畑 1 荒れ果てた田畑 2 自家用の畑
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  先に述べた、「手作り田んぼ」のNさんは50歳代と比較的若く都会からのIターンの方で、方丈庵の向かい側の住宅の付いた田畑約2〜30アールを、3年程前に離農者から買い受けて住んでいる人である、現在は龍神村に備長炭の炭焼きの修業に行っている、ここ石船の自宅の土地に炭焼き釜を作り少しでも土地の活性化になればと話を持ち出したところ、ただ一人だけの昔からの住人の利己的な反対のために釜の造作を諦めたそうです。

  県単位の行政では、団塊の世代の退職者の中山間地への積極的な受け入れを打ち出している様だが、前述のような事さえ地区単位では、まだまだ前向きに進めない状況であることを行政も熟知して、受け入れ問題に取り組むべきであろう。

  Iターン、Uターン者は、単なる田舎暮らしのみに憧れて移住して来る人も有るが、一部の地元の住人の排他的な言動に対応出来ずに去っていく人も有る、しかし10人の内2〜3人はその土地に愛着を持ち始め、地域に対しての何らかの活性化などを考えるようになる、この様な考えをすなおに受け入れ、検討出来る様なシステムを作り、地域行政の協力が得られれば少しでも定住者が増えていくのではないだろうか。

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Uターン者の孫の遊び場作り 庭のササユリ 自家用の畑と田んぼ
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