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 瀬戸内の風景


またまた旗印の変更 ;「静漁荒耕雨読」
      脳のメモリ節約の為「静漁荒耕雨に改めました



方丈庵トップ > 田舎の生活のこと >大航海 帰路(12月7日)
航海軌跡とマイシップ
    帰路
 

 
 2〜3日間は自分だけの時間が欲しい所であったが、天気予報によるとこの後4日間くらいが絶好の航行日和のようなので、早朝からの出港とした、初めての瀬戸内海の走行なので友人のアドバイスを思い出しながの航行であった。
 
 瀬戸内本州側の浅い海は全てが「ノリ」「牡蠣」のイカダ等で海洋牧場と言う風景であった、帰路は気ままな航海と決めていいたので、瀬戸の潮流や通行方法などは有る程度の知識は持っていたが、イカダなどについては事前の調査もせずに、本州側を航行したのは間違いだったのだろうと今更ながら思っている所である。

 帰港後に発症した「ヘルペス」は極度の疲労やストレスにより、子供の頃に患った水疱瘡のウイルスが体内に残っていて、体力の消耗時に発症するとのことである、呉の港に停泊時に右の胸の皮膚をさすっただけで痛かったのが前兆だそうです、この度の様な
愚行をする場合には、歳に相応
した.医学の知識も必要であることを経験できた。



 帰路1日目

  明日朝には、四国への横断できるように朝5時起床、5時半ごろに航海灯をつけての出港、友人2人は漁に出ているので、沖合いでTEL連絡し船の明かりの点滅での挨拶、曇りで北西の風3m波0.5mと絶好のコンデション 
 夜明けに鵜戸神宮前通過、日向港前までは往路の航跡を辿っての走航、九州山脈のお陰で順調な航海、しかし、日向からはリヤス海岸の為2〜3マイル沖合いの航行となり風波が強くなり再度沿岸航行を余儀なくされる

鵜戸神宮を会場から拝む 青島前通過
日向港前通過 大分鶴御埼到着大きく廻ると佐伯港
大きな商業港 佐伯港 点在する島々への足 連絡船
 帰路2日目
 
 今日もべた凪の海、佐伯港からもう一つ半島を廻り、佐賀関から四国の佐多岬へ横断に予定、潮流がどのような状態かは現場まで行かなくてはわからない、

佐伯港出航 沖合いに岩礁がいたるところにある 
佐賀関到着 有名な関サバつりの船の群れ
四国佐多岬を望む 速吸瀬戸(最狭部)の海の沸きあがり
伊方原発前 テロに備え警備の自衛艦 瀬戸内の島々を抜けて呉港へ
有名な音戸の瀬戸 呉の港 自衛艦の停泊が多い
 
 
 豊予海峡(速吸瀬戸)は風波も無く、潮流も遅く無事通過できた、しかし、船を止めると瞬時に方向が変わる、海底の凸凹のために沸きあがって来る海流のためである。
 
 伊方原発を過ぎた所で呉市にいる友達に会ってみようと、方向を変え瀬戸内海の島々の間を抜け音戸の瀬戸を通り呉港に到着、昔の軍港だけあり、自衛艦が数多く停泊していた。

 
 
自衛艦生活で定年まで勤めた幼な友達と、入隊時から通っていると言う小さな飲み屋で再会、この店は広さ1.5坪程の店であるが、先の戦争当時からで親子3代目らしい、数ヶ月間の遠洋航海から帰って来ると家に帰る前にこの店に立ち寄っていたとの事、店主のおばさんも自分の子供が帰ってきたように接してくれたらしい、現在のおばさんは歳が80歳くらいで、友達が入隊したときには怖いお姉さんだったらしが、今では母親と言う感じの会話であった、店も50年来改装せずに当時のままにしているのも、誰が何時帰ってきても定位置に腰掛けれるように改装はしない事にしているそうである。
 
 帰路3日目


 朝の呉港は油を流したような状態で、引き波を立てて走るのさえ気の毒の様な静かさであった、自衛艦の間を抜けて昨日の音戸の瀬戸へ、自衛艦は早朝からランチの昇降訓練などを行っていた。
 

 
さすがは瀬戸内海、呉港から牛窓港まで終日べた凪の海であつた、紀伊水道や紀南の海とは全く違い快適な航行であった、島々の瀬戸の潮流も3〜5ノットくらいで案外楽に通過することができた。
 
 牛窓港の手前数十マイルの間の浅い所は「ノリ」「牡蠣」等の養殖イカダで、海洋牧場の様であった、牛窓港への進入ルートが判らず、作業船の通りそうなブイ間を抜けて入港した、やはり時事前調査は絶対しておくべきである
新造船2隻の有る所が戦艦大和を作ったドック 自衛艦の間を抜けて音戸の瀬戸へ
音戸の瀬戸 連絡船で通学する学生 清盛塚 (平清盛により作られた音戸の瀬戸)
女猫瀬戸と言うそうです 静かな海の為か造船所が多い
3番目の本四架橋しまなみ街道 瀬戸大橋(因島)電車が小さく見えます
独特の島影(四国出身には懐かしい島影) 宇野港に停泊中のスーパーライナー
島全体が工場 日本のナポリと言われる牛窓港
  帰路最終日

 牛窓港は波一つ無い静けさであるが、「瀬戸内海は北北西の風5m、波は1.0m 小雨のち曇り」鳴門海峡までは問題なさそうなので出航する事にした、小豆島の東側を通過中、視界1Km、突如底引き漁船が出現する目を凝らしての航行が続き、小豆島を過ぎると本船航路を横断し鳴門海峡に一直線である、船のスピードを17ノットに上げ大型船を睨みながらの航行で無事、本船航路を横断完了し鳴門大橋を確認して一息いれる。


 鳴門海峡は潮止まりの前後らしく少しの流れはあったが楽に通過出来た、東側の橋脚の近くを通過したため突然浅場が現れヒヤリして通過。

 
鳴門を過ぎる頃から雨は止んだが、風は収まらず紀伊水道の荒れ具合が気になり、淡路島と沼島の間を通り、友が島水道に出ると大阪湾を吹き抜けてきた風であろう、7〜8mの風、友が島水道の横断を諦め真っ直ぐ日御碕へ追い風、追い波で舵が利かず船が真横を向いてしまう、波の大きさ、速さを体で感じながら舵とスピードのコントロールに緊張の連続であった、日御碕を過ぎて沿岸沿いも同じ状況である、見慣れた風景の中には釣り船は全く見当たらず大型船のみが2〜3隻見えるだけ、日頃からの経験によると午前中は相当の荒れ模様だったようだ
 
牛窓港の夜明け 小雨に煙る小豆島
鳴門大橋手前2マイル 最後の難関 日御埼
無事帰港
走航ルート詳しくは右をクリック  http://map.murablo.jp/preview/?m_map_route_id=28>>
走航ルートの精査
走航距離等の集計
  
  1ケ月が過ぎてようやく航行ルートの精査が出来た、本来なら走航当日に記録する所だが一人旅の為、陸に上がれば、酒を飲むか、寝るかなので今日まで延び延びになっていた。

 現在は「ヘルペス」は完治したが、「ヘルニア」からであろう右足の痛みと、痺れで苦労している、PCに向かっても1時間が限界の為、この更新も3日がかりである、11日に「MRI」にて検査の後処置の確定するであろう。

 ワサビと、釣りと、小さなドライブなどの平々凡々な生活の中、何か強烈な刺激が欲しくて計画、実行した旅であった、初日の紀伊水道の横断、2日目の足摺岬を回ってからのシケ、3日目の夕暮れとの競争、それに帰路最終日の追い風、追い波での航行、生まれて始めての事ばかりで、緊張の連続の日々であった、特に帰路最終日は極限の緊張の維持で、恐怖感、不安感を抱く事も無く
ただ操船に熱中するだけだった。

 今1ケ月が過ぎて思うには、「実行してよかった」が実感である、今でもあの緊張感が懐かしく、また機会があれば再度実行してみたいと思っている。
 
 家の奥さんや多くの人に心配かけたが、陸にいて常日頃味わえない緊張した数日間を過させた事は、それはそれで良い事をしたのではないかと思っているが、此れは手前勝手な解釈であろうか。

  
 

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