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紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 のタイトル
 熊野信仰による熊野参詣のルートは、時代の移り変わりとともに、「大辺路」「中辺路」「小辺路」(読みの辺路はへちと澄んだ発音だそうです)等々、幾多のルートが在ったようであるが、中辺路においても古くは富田川(昔は岩田川と呼ばれていた)を2〜3回渡河してのルートから、潮見峠越え、射森峠越えと利便性を追求しながら、時代とともに変り、現在は富田川沿いに本宮大社までは自家用車を利用すれば田辺市街から約2時間で行けるようになっている。 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
ここ石船(いしぶり)は、阪和自動車道「みなべIC」から国道42号線を海沿いに、田辺市街を抜け、国道371号線を経て約1時間余りのところにある。 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
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現在の熊野古道の入り口である滝尻王子社のところで富田川と合流している川が「石船川」と言い、この川沿いに3q程さかのぼった山あいにある集落で、道路もある程度整備されているが、普通車同士のすれ違いが無理なところが所々ある。 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
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江戸時代の始めに「石舟村」との記録があるようで、これが漢字での一番古い記録とある。「いしぶりがは」という言葉は鎌倉時代後期、正治2年(西暦1200年)に後鳥羽上皇が滝尻で開いた歌会において随行者の歌にある。 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
正治2年(1200年)12月6日 滝尻王子 「山河水鳥、旅宿埋火」
藤原長房(1168〜1243)の歌
 詠二首和哥/右中弁藤原長房
 山川水鳥
すみなれぬあちのむらとりさはぐなり いしぶりがはのなにやおどろく
住み慣れないあち(?)の群がる鳥が騒いでいる。石船川の何に驚いたのか。
紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 石船 の写真
 「石船」を「いしぶり」と呼ぶのに今は慣れたが、この近辺には、他にも難解な地名があり、最近発行された「紀南の地名」において書かれている地名を紹介しておきます。
中辺路沿いでは
真砂(まなご) 北郡(ほくそぎ) 温川(ぬるみがわ)
馬我野(ばがの) 熊野(ゆや)  

大辺路沿いでは
朝来(あっそ) 鉛山(かなやま) 安居(あご)

等がある。
現在はすべて田辺市と白浜町に属しているが、市町村合併の前であればこの呼び方にも、又ちがった風情があったであろうと思われる。
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紀南 世界遺産 熊野古道 中辺路 地名
参考図書「紀南の地名」は紀南唯一の新聞社『紀伊民報』に問い合わせて入手することが出来ます。
      
紀南の地名
発行日 平成十八年十月十五日
発 行 紀南地名と風土研究会
発行所 株式会社 紀伊民報
  〒646-0005
  和歌山県田辺市秋津100
  電話 0739−22−7171


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