「カク地蔵尊」
方丈庵の下、「カク地蔵尊」のお祭りで国道を封鎖(?)しての盛大な「餅まき」が行われました。 |
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「カク」とは胃がんの事で昔は「隔の病」と言われていたようです、3月24日が本来の祭日なのですが今では学校及び会社勤めの人たちために、4月の第一日曜日に行われる様になったそうです。現在の石碑で明治3年の文字が読み取れるところから、相当古くから信仰されていたようです。 |
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大変ご利益があったようで、花と線香の絶える事がなく、毎日5組前後の参拝者があり石碑の前には果物、お菓子、酒が供えられるが、カラス、サルの餌となるため、参拝者にお供えの自粛を求めているようです。
この「カク地蔵尊」は石船のほぼ中心部に在りながら、なぜか参拝者をはじめ、管理、清掃等は、他の村の人たちが行い、石船地区の人は数人しか係わっていないようにみうけられる、その理由は過疎化のため高齢者が多くなり管理が出来なく、他の村の熱心な信者たちによって維持管理されているのが現状の様子である、しかし、参拝者には高齢な信者にせがまれて、若い人たちが車で連れてきている様子もあり、次の世代にまで花と線香が絶えずに続いて行くかは疑問である。 |
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「分領山」(ぶんりょうざん)
また4月15日(4月第二日曜日)には、方丈庵の裏山「分領山(標高680m)」の頂上近くにある弘法大師が修行したお社の祭りです、昔は頂上近くのお社でお祈りの後に「餅まき」を行い、石船の村のお寺まで下りてくる途中で、村内のお旅所で休憩、ここでも「餅まき」をしてから、お寺まで行き、最後にまた「餅まき」を行ったそうです。 昔は出店が沢山並んだお祭りだったそうだが、過疎化が進み高齢者ばかりのため、祭りの運営も困難な状況になり、今では毎年、4月の第3日曜日にお寺にて3箇所分を一度に済ませるようになったとのことです。 |
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分領山(山の向う側が方丈庵) |
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終戦後には引揚者等が開拓者として入植していて、一時は村には「80戸」くらいあったそうですが、今は昔からの住人は「10戸前後」、都会から移住した人が「10戸くらい」、空き家が「3戸くらい」の状況である。 |
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分領山の大師堂 |
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昔の畑、田んぼ、住居跡には杉、ヒノキ、が植林されていて、山の中を歩いていると水路の跡、崩れかけた石垣など、人の手で作られたられた構築物が、たかだか4〜50年なのに古代の遺跡を見るような気持ちになる、また現在も畑も田んぼも休耕地が数多く有り、「いのしし、鹿、サル」たちの楽園となっている、これら害獣の被害が多発しているのは、杉、ヒノキの植林のせいだと言っている者も居るが、離村した屋敷跡に放置された、柿ノ木、栗の木、畑など、また高齢者のみの生活ため、手入れの出来ない畑、果樹等々、害獣たちのエサ場になっているとしか思われない。 |
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村中心部の遠景 |
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児童数も一時は「100人くらい」が居たそうですが、今は「中学生を入れても10人弱」しか見かけることが有りません、通学には市が運行している通学用バスで栗栖川の小、中学校まで通っている。 |
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小学校跡 (集会所に利用) |
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「餅まき」
この地方(広く紀南一帯)では、お祭りには必ず「餅まき」が行われます、私の老妻も友人に連れられて、一日のうちに2〜3の地域の「餅まき」を、はしごしていることもあります、いまでは餅と一緒にお菓子、ラーメンまで、まかれています。この「餅まき」風景は当地方の風習だろうと思っていますが、どなたかこの「餅まき」の由来、発生などをご存知の方が居られましたら教えていただければ幸いに思います。 |
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