和歌山県 紀南 中辺路 世界遺産 熊野古道 方丈記 の情報を紹介しています。 |
体調も脳調も芳しくなく、何事にも集中できない日々のため、この更新も延び延びになってしまった。
梅雨明けごろから、何とか考える力がついて来たので一気に全ての項目を更新した。
旗印の変更 「晴漁雨読」が現況に合わなくなったので
「静漁荒耕雨読」に改めました。
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清姫堂焼失 世界遺産 熊野古道のもう一つの顔と言われる、清姫のお堂が放火と思われる事故がありました、6月には牛馬童子が壊される事件が有ったばかりなのです。 秋葉原の事件以来、これから先どの様な世の中になって行くのだろうかと、ふと思ってしまう事件の連続です、この陸の孤島と言われる紀南地方にも、同じ様な空気が流れて来ているのではないかと思われるこの頃です。 清姫は実在の人物で誕生の地も判ってます、当日は毎年催される「清姫祭り」の為に、安珍の出身地と言われる福島県白河市からの参加もあったらしく残念なことである、お祭りは執り行なわれたとの事である。 |
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清姫淵(夏には子供達の飛び込み台になる) |
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この地方では最大級のお祭り(2006) |
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清姫伝説のうち有名な「娘道成寺」について・・・・・・ ここ清姫の里から北へ車で1時間余りの御坊市に道成寺がある、清姫が安珍を追い駆けて行ったと言われる道筋からいうと、龍神村まで5〜6日、龍神村から御坊市まで川沿いに10日以上は要したであろう、火を吐く大蛇となり釣鐘ともども安珍を焼き殺してしまうような情念を持った女性に、生きているうちに一度はめぐり合いたいものだ。 道成寺においては、絵巻説法(紙芝居を巻物にしたもの)を通年行なっているので、機会があれば一度聞かれる事をお勧めします、説法で人生観がかわるかも・・・ 安珍ともども焼かれた釣鐘は秀吉軍に持ち去られ、今は京都市内の??寺にある、一度、釣鐘の里帰りの時に見に行ったが、あまり大きくなく、安珍は一人で何とか逃げ出す事が出来ただろうに・・・・・。 |
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