ボストンの想い出

 もう二十年も前になってしまいましたので、本当にインパクトの強かったことしか残っていませんが、私にとって潮田益子先生から指導を受けられたことが何よりでした。私費留学でプライベートレッスンだったため、お金もたくさん持っていないことを話しましたら、しばらく考えられてから「失礼でなかったら、レッスンを週1回するのに、うちの子のベビーシッターに週1回来て下さらないかしら」とおっしゃって下さったのです。信じられない親切なお話で、それから週に2回先生のお宅に伺うことになりました。先生はニューイングランド・コンサーバトリーで教授をなさっていらしたので、マスタークラスがある時には、それにも参加させて下さいました。得難い経験をたくさんしました。

 ボストンマラソンで、瀬古選手が1位でゴールに入るのも見ることが出来まして、伴奏をお願いしていました杉野和世さん(旧姓鳥居さん)のお母さまが彼女の卒演のためいらしていたのですが、一緒に観戦して大声で応援したのを今でもはっきり覚えています。

 ボストン交響楽団の定期会員になって1年間聴きましたら、どうしてもタングルウッド音楽祭にも参加したくなりましたので、二人の音楽家の推薦状が必要ということで、潮田先生と小澤さんにお願いしまして、オーディションを受けました。良いフェローシップを取ることができて参加費、寮費は払わなくて済みましたので大変助かりました。

 それまで日本人の先生のプライベートレッスンだったので、ほとんど英語を必要としていませんでしたから全然上達しなかったのですが、この二ヶ月でむりやり話さなくてはならなくなったため、少しはわかるようになりました。今外国人の指揮者がいらした時に何となくですが ついていけるのは(あくまでも何となくです)、それが多少とも残っているからかと思います。

タングルウッドでは音楽三昧の毎日でした。オーケストラと室内楽、ボストン交響楽団の演奏会と、遊ぶ暇もありません。まわりには何もないのでかえって良かったのかもしれません。ベルクがコンチェルトを捧げたクラスナー氏のレッスンも受けることができました。

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