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それから客待ちしていたタクシーに乗る。
「モーテル・コルへお願いします」
「予約はある?」 「いいえ」
「あそこは高級ホテルだよ」
    ──実際は3ツ星くらいだ
今度はタクシー運転手が心配してくれ始めちゃった!
彼はフロントまで付き添い、空き部屋があることと、我々が宿代をカードで払えることを見届けると、安心したようにニコニコ引き返していった。

あぁ、みんなホントにホントに、
  なんて、あったかい人たちなんだ!
 予期せぬ事態 
1991年、2度目のトルコ旅行も中盤を過ぎたころのこと。
私たち3人は踊る宗教・メブラーナ教で有名な古都、コンヤから長距離バスに乗った。行き先はパムッカレの拠点となるデニズリだ。できれば夜中までに到着したかったが、お誂え向きの便がなくて夜行バスになった。
とはいえこのルートなら一日数本だろうと覚悟していたし、予定が狂ったというほどのことでもない。距離からして6〜7時間かな〜、ってことは明け方前に到着か?・・・と想像するだけだが、それで何の支障もないはずだった。

JとK、彼女たちは1時間もしないうちに眠りについたように見えた。ふたりとも移動中はウトウトしていることが多い。いっぽう私は現在どの辺りを走っているのかが分かっていないと不安になるタチで、長距離移動でも眠れない。
ただし、夜行となると話は別。暗い車内でみんな寝静まってしまうと、さすがに睡魔のほうが不安感に勝つのだ。
"2〜3時間なら大丈夫だろう。じゃあ2時間でゼッタイ起きよう!" そう自分に言い聞かせたが最後、スーッと引きずり込まれるように意識を失っていた。

軽く肩を叩かれて目が覚める。見上げると不安げにこちらを覗き込んでいる車掌がいた。どうみても15歳くらいの幼い顔だ。トルコではそんな少年車掌も珍しくない。目が合って一瞬ホッとした表情を見せたかとおもうと、彼は必死になにかを訴え始めた。もちろんトルコ語だから理解できるわけもないが、デニズリと言いながら後方を指さしたとき、私もようやくコトの重大さを知った。マネして「デニズリ?」と後ろを指す。うんうん!大きく頷く車掌クン。
すわ一大事っ!
隣のふたりを揺り起こして寝過ごしたことを伝え、車掌クンの指示を聞く・・・というより彼の身振り手振りに注目する。
「次のバス停で、降りて、逆から来る、バスに、乗れ」
夕食もホテルのレストランでとる。
近所のおばちゃんたちがパートで働いていた。目の前でトルコ・パンを焼いてくれるという、ホテルのサービスだ。料理もトルコの伝統的なメニューで美味しかった。

長い一日だったので、早めに就寝。
翌日はミニバスでデニズリまで降りて、長距離バスでさらに先、イズミールへと向かうのだ。
ここは浅いよ、そっちは浸かれそうだね‥‥と幾つもの棚に足を踏み入れてみる。現在では湯量も入場も制限されているそうだが、当時は好き勝手に行動できた。
ひとしきりお湯遊びを楽しんだ後は、宿泊しているモーテル・コルのほうのプールサイドで過ごす。
一泳ぎして、日光浴して、プール・バーでドリンクを飲んで、と夕方までリゾート気分を満喫。
 "綿の城"という名の奇観 
食後はいよいよパムッカレそのものである石灰棚へ
繰り出す。
昼食はプールサイドのレストランで。
でもここの食事はトルコで食べた全ての料理のなかで、唯一まずかったという記憶が・・・
石灰棚とともにユネスコ世界遺産指定を受けたこの遺跡。起源はBC2世紀に栄えたベルガモン王国の保養地で、その後ローマの手に落ちたという。
まず博物館を見学してから外へ。野外劇場はエフェソスほど大きくないが、正面の凝った装飾が残っていて素晴らしい。
20分くらい待ったろうか。逆行するバスがやってきた!・・・が、スピードをゆるめる様子もなく目の前をサーッと通過。どうやら手を挙げてアピールしなくちゃいけなかったんだね。
もうバスなんて来ないんじゃないかと心配になったが、たぶん最終目的地が違うのだろう、また同じくらい待つと別のバスが来た。3人そろって車道に身を乗り出し、思いっきり手を振った。

 熱いハートのトルコ人たち 
今度はちゃんと停まってくれた。車掌がドアをあけて顔を出す。
「どこまで?」 「デニズリ」 「OK!」
荷物をバスの腹に入れ、前方の補助席に座らせられたが、車掌も運転手も不思議そうだ。そりゃそうだろう。どう考えたって外国人の女3人が乗ってくる場所じゃあない。理由を尋ねられているふうなので、身振り手振りをまじえた英単語の羅列(?)で説明するも、いまいち理解してもらえなかった。
「どこから (来たのか←これは推測) 」 「コンヤ・ダン」── なぜか 「** dan= from **」 というのは知っていた私
この一言が決め手となって万事合点がいったようだ。すでに走り出している車内で、運転手と車掌が相談し始めた。
「じゃ、3人で○○リラ」
え?そんなに安くていいの?ひとり10円くらいだよ? 
                ── 実際いくらと言われたか今となっては記憶がないが、円換算額は忘れもしない
きっと同情してくれたのね。もちろん素直に言われた額をお支払いする。

10分ほどでデニズリに到着した。知らずに乗ったがこのバスはそこが終点だった。バスを降り、荷物を出し終える。
  さて、どうしよう‥‥相談しようとしているところに車掌が話しかけてくる。
「まだパムッカレ行きのミニバス (ドルムシュ) はない。タクシーならあるからタクシーで行けばいいよ」
運転手が異議を唱えた。「夜が明けてミニバスが動き出すまで向こうのターミナル・ビルで待った方がいい」 というのが彼の意見らしいのだが、さあ、そこからがタイヘンだった。
  ---そんなにお金は持ってないだろうから、タクシーなんて勧めちゃいけない。
                       あと2時間もしないうちにミニバスが動き出すじゃないか。
  ---いや、彼女たちをこんな時刻にここに残すのはまずい。一刻も早く宿に行かせるべきだ。
とうとうふたりは口論を始めてしまったのだ。我々を学生くらいに思っているのだろう。もちろん内容は想像の域を出ないが、どちらも時折こちらを指し示しながら大声を上げている姿から、親身になってくれているのは痛いほど伝わってきた。ありがたいと思うより先に、圧倒されてしまうほどの親切だ。こちらは大慌てでどちらに従うかを相談し、
「タクシーにします。お金なら大丈夫」 と、まだ平行線らしきふたりに分け入った。
あとはただ単純なお礼のことばを繰り返すしかないのがもどかしかったが・・・。
パムッカレとはトルコ語で『綿の城』
パムッカレ・モーテルを出てまっすぐ進むと、すぐに石灰棚のなかでも最も眺めの良い中心部に出た。
 遺跡が沈む温泉 
ホテルで水着に着がえ、次に向かったのはパムッカレ・モーテル。ここはモーテル・コルの斜め裏、遺跡の中にある超人気ホテルだった。なにしろ、お湯が湧いたところをそのまま利用しているという珍しい温泉プールがあり、水中には遺跡の列柱がゴロゴロ転がっているのだ! そのため宿泊料金も少々お高め。私たちはビジター料金で遊びに行くことにしたというわけだ。この温泉は今でも利用できるらしい。
夜が明けきっても部屋の二人に起き出す気配はない。そこで石灰棚に沿ったホテル内を散策することにした。ウナギの寝床のような敷地にいくつものプールが点在している。その一番端まで行くと、なんとまだ朝8時だというのにプールの中にいる一団が! たぶん40〜50代であろう恰幅のいい男女数名。きゃっきゃとハイ・テンションで話している言葉はドイツ語のようだ。思わずプールに手を浸けて確かめてしまった。
                 げっ! つ、冷たい!
                       恐るべし欧州人の皮下脂肪パワー !!!

 ヒエラポリス遺跡 
その後、ふたりを起こして朝食。涼しいうちに石灰棚の反対側、高台にあるヒエラポリス遺跡へ行ってみることにする。
イスタンブールは行くたびに整備され変貌していたが、ここパムッカレは別の意味で当時とは違っているかもしれない。

         石灰棚の温泉は、枯渇が深刻な問題と聞いている。
               実は1991年当時もすでに危機が取り沙汰されていたのだが、
                                あれからさらに悪化しているようだ‥‥
            また、棚上にあったホテルはもう営業していないという話も耳にした。
                        モーテル・コルも棚上のホテルのひとつだったのだが‥‥


 朝の散策 
さて、眠れなくなった私はドアの外にあったチェアーで本を読む。しばらくすると空が白みかけてきたので、目の前の広々としたテラスへ出てみた。ちょうど隣の部屋から出てきた中年のご夫婦と夜明けを待つことになった。ふたりはイギリス人。ヨットで地中海沿岸を旅行しているという。
「日本にも行ってみたいわ〜、でも何年かかるのかしらね」 「おいおい、日本までもヨットで行く気か?」
気さくで楽しいご夫妻だった。
ようやく部屋にたどり着いたときは既に
6時近かったはずだ。JとKはさっそくベッドに潜り込む。私はというと、もうすっかり眠気が吹っ飛んでしまっていた。
かくして我々3人だけが次のバス停に放り出された。時刻は午前4時半。朝の気配はまだ微塵もない。営業時間外のガソリン・スタンドがポツンとあるほかは街灯だけが暗闇に並ぶ殺風景な幹線道路だった。

  "結局、4時間も寝ちゃったんだ・・・
   でも車掌クンはどうして到着前に起こしてくれなかったの?"

さっきから頭に浮かんでいた疑問だが、バス待ちのおしゃべりで答えが出た。彼は起こしてくれていたのだ。最初にK、続いてJを。
ふたりは 「そういえば肩を叩かれたような気がする」 という。一番奥にいた私が最後になり、間に合わなかったということみたいだ。
旅行記番外編 トルコ
パムッカレへの道

  トルコが大好きになった。

 なんといっても最大の理由は
     "人々の温かさ" だろう

 これは
  そんな彼らと触れあった
   数々の想い出のなかでも
 印象深いエピソードのひとつだ 
モーテル・コル、部屋の前
昔日のパムッカレ

ホテルのテラスにて (※撮影は夕刻) 右手に石灰棚、左手にホテルの部屋が並ぶ











見事な彫刻を施された石が無造作に置かれていた →
         橋の下あたりは炭酸ガスの気泡が
          出ている "サイダー泉"だった
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