手話劇
「ホームレス、賢治先生」
一幕七場
              2002.8.14

【あらすじ】
賢治先生が、ホームレスの姿で、ろう学校にやってきます。でも、賢治先生は、 かつて花巻農学校に勤務したことはありますが、ろう学校ははじめて。手話はできません。 生徒たちとこころが通じ合えるのでしょうか。でもそこは賢治先生のこと、すぐに生徒たちにもなじみ、 ふしぎな授業がはじまります。
賢治先生が、銀河鉄道の白鳥駅付近で掘り出してきたという光の化石。それは氷砂糖そっくりで、 融けだすと、生徒たちに赤ちゃんの頃のふしぎな光景を垣間見せるのです。 文化祭でその氷砂糖を売り出そうということになります。もっと掘ってきてほしいという 生徒たちの願いは高まりますが、当の賢治先生はやつれるばかり。
決して覗いてはいけないと言いおいて、理科室にある暗室に籠もります。
覗いてはいけない賢治先生の秘密とは何か?
賢治先生は、なぜ現代にもどってきたのか?
それは、見てのお楽しみ……。

【では、はじまりはじまり。】


《登場人物》
賢治先生 ホームレス(帽子、マント)
太郎 ろう学校の生徒(高校三年生)
花子 太郎の同級生
  太郎の同級生
遊一 太郎の同級生
  太郎の同級生
冴子 太郎の同級生
太郎の両親
ろう学校の校長
ろう学校の教頭
月夜のでんしんばしら 三、四人
【第一場】
(幕が開くと、街並みの風景)
(太郎、花子、勇、研、遊一、冴子登場。以下、会話はすべて手話でなされる。 もちろん、観客としては、手話の分かるものだけを想定しているわけではないので、 手話とともに発語は欠かせない。)
花子 それで、またお父さんと衝突したの?
太郎 いつもの考え方。日本語をマスターしなさい。世の中の人はみんな日本語をしゃべっているぞ。 手話なんか通じないんだから、社会では役に立たないって、そんなことばっか……。
花子 これまでそんな話、何回聞かされてきたか……。
冴子 すこし前まで先生までそんなことを言ってたでしょう。
遊一 頭がかたいよ。おとなは……。太郎のおやじも石頭だな。(と、「石」の手話の右手の 代わりに、頭を左掌に打ち付ける。)
太郎 おまけに、最近は人工内耳の手術をしたらどうかって……。金はだしてやるから、 思い切ってやってみたら、ようく聞こえるようになるかも知れないって……。
 おまえんとこは金持ちだな。そんなことまで言ってもらえるなんてありがたいと思わなくちゃ。
花子 でも、太郎くんが人工内耳の手術をしてようく聞こえるようになったら、 私たちとは違う世界にいってしまうような気がする。
太郎 そんなわけないだろ。ぼくの母国はろう学校しかないんだから。
 おとなはそんなことは認めないよ。
太郎 手話がぼくらの母国語だということが分からないんだな。 第一、手話をれっきとしたことばとは認めていない。
 そんなことを親と話したことがあるのか?
太郎 ない。おやじの手話の力ではそんな話は通じないからな。
(勇が行こうとして、賢治先生が倒れているのに気がつく。)
 おい、へんなおっさんが道路で寝込んでる。
 寝てるのか、倒れているのか……。(こわごわのぞき込む)
 寝息たててるから、死んではおらへんようやけど……。
 なんか、空から降ってきたような倒れ方やな。
 どうしてそんなことがわかる。
 べちゃーと寝てるから、そんな気がしたんやけど……。
 宇宙人には見えないけどね。
花子 あまり近づかないほうがいいかも……
太郎 でも、なんだかぐったりしているし、このままにはできないよ。
花子 ホームレスの人かもしれないし……お巡りさんに連絡したほうがいいんじゃない……。
冴子 何、このかっこうは……、黒の山高帽子に、これマントとちゃうの?こんなの見るのははじめて。
 りっぱなマントやけど、なんかみすぼらしいな。どこにも怪我はないようやけど……(と、見て回る。)
太郎 (こわごわのぞきこんで声をかける。)おじさん、おじさん……、 こんなところで寝ていたら風邪ひきますよ。(反応がないので、肩に手をかけて揺さぶる。) おじさん、おじさん、だいじょうぶですか?……
賢治先生 ……(ようやく気がついたようで体を起こす。)
 あっ、動いた、気がついたんかな。
太郎 どうしたんですか?どこか体の調子でも悪いんですか?
賢治先生 ……(弱々しく首をふって否定する。)
太郎 南ニ死ニサウナ人アレバ
   行ッテ
   コハガラナクテモイゝトイヒ
花子 何よ、それ。
太郎 えっ、オレ、いま何か言ったかな。
花子 手話をつけないと分からないじゃない。こんなときにふざけないでよ。
賢治先生 ……(ふしぎそうな表情で太郎の顔をまじまじとみつめる。)
太郎 名前はなんていうのですか?(声と手話で。)
賢治先生 ……(何かつぶやくが聞き取れない。)
太郎 わたしは耳が聞こえません。(と、手話で。)
賢治先生 ……(頷いて、太郎の掌を取り、指で書く。)
 みやざわ けんじ……。
 みやざわ けんじ?
 どうしたの?
太郎 どっかで聞いたことがあるような……、み、や、ざ、わ、け、ん、じ……?
冴子 『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治?
太郎 そうか、そうか、あの人と同姓同名か……。でもとてもそんな立派な作家にはみえないね。 まあいいか。一応、このホームレスさん、あの宮沢賢治ということにしておこう。 銀河鉄道からおっこちてきたということにしておけばいいじゃんか……な。(と、だれにともなく声をかける。)
賢治先生 ……(太郎の声に思わずうなずいてしまう。)
 銀河鉄道に乗って帰ってきて、着地に失敗した?へまな宮沢賢治やなー。
太郎 まあ、とりあえず、そんなところにしておこうや。
 それはいいとして、大丈夫かな?
遊一 落ちてきたんなら、どこか、頭でも打っているかも知れないね。
花子 とにかく、学校に来てもらいましょう。養護の先生に診てもらえばいいし……
冴子 今日は、内科検診でお医者さんもこられるから、頼めばみてもらえるかもしれないし、 それがいいかもね。
 じゃあ、みんなで、かついでいこう。オレは頭を持つから、太郎は足、花子は腕、 みんな持って、……いいかい、ではよいしょっと……、それ、わっしょい、わっしょい、 わっしょい(と、みんなで賢治先生をさげて、舞台袖に入る。遊一は、最後に帽子を拾ってついていく。)

【第二場】
(理科室。薄明るくなると、校長と教頭が話をしている。)
教頭 校長先生、生徒たちがつれてきたホームレスの先生、ほんとうにわたしどもが 頼んでいた臨時の講師先生なんですか?どうも、あやしげな気がするんですよ。 ほんとうはただのホームレスだったりして……。
校長 そうですか。教頭先生は疑っておられるんですね。
教頭 いや、疑うとかいうことじゃなくて、つまり、あのかっこうがさえなくて、 どうも信じきれんのです。
校長 では、それとなくテストしてみてはいかがでしょうか?ほんとうの先生かどうかはすぐに分かりますよ。
(そこで明るくなって、賢治先生や生徒たちががやがやと集まってくる。)
校長 さあ、さあ、しずかに……みなさんに理科室に集まってもらったのは、ほかでもありません。 こんど赤ちゃんが産まれるのでおやすみになられる、本田先生のかわりの先生を紹介させていただきます。 宮沢賢治先生です。途中で倒れておられたのを助けて連れてきたということで、 もうお互いに顔は知っていると思いますが……賢治先生は、むかし花巻ろう学校で先生をしておられました。
賢治先生 (いつのまにか手話を添えて話をする。)花巻ろう学校ではありません。花巻農学校です。
校長 ああ、そうですか。花巻ろう学校じゃなくて、農学校ですか。 では、よろしくお願いします。先生、どうぞ。
賢治先生 宮沢賢治です。よろすく。
(帽子に外套のいでたち、賢治は最後まで帽子を被っている。)
(礼をして舞台の生徒の前を歩いていく。「ホーホー」と叫び跳び上がりざま空中で足を打ち合わせ、 すこし走って立ち止まるやメモをとる。ふと顔をあげて、足ばやに教卓の前に座る。)
教頭 賢治先生は、農学校で先生をしておられたそうですが、何を教えておられたんですか?
賢治先生 まず代数ですな。
教頭 すると数学の先生ですか?
賢治先生 英作文ですな。
教頭 すると英語の先生ですか?
賢治先生 農業に土壌学ですな。
教頭 すると農業の先生ですか?
賢治先生 化学に植物学ですな。
教頭 すると理科の先生ですか?
産休の本田先生は理科の先生なんですよ。大丈夫ですか?
ちょっとお答えください。
大きな望遠鏡で、銀河、天の川をよっくしらべると銀河は大体何でしょう?
(舞台が暗くなり、理科室の背景がさらっとめくれて星空にかわる。星空には銀河も見える。 これは、理科室と星空、二枚の背景が背中合わせに留められていて、さらっとめくれる仕掛けになっている。)
校長 簡易型のプラネタリウムの操作も手慣れたもんですな。(と、教頭につぶやく。 教頭は賢治先生の答えに気をとられている。)
賢治先生 夜空のぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、 もうたくさんの小さな星に見えるのです。教頭先生、そうでしょう。
教頭 ほう、まさにそのとおりです。
では、つぎにうかがいます。電気の速さはどうでしょうか?
賢治先生 (とつぜん「月夜のでんしんばしら」の歌を歌い出す。 と、同時に月夜の電信柱が三、四人登場して、合唱しながら行進する。)
ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐひなし
ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし
教頭 なるほど、そのとおりです。でんしんばしらを伝わってくる電気は速さ世界にたぐいなしです。
教頭 では、電気の直流と交流のちがいはどうですか?
賢治先生 (叫ぶように朗読する。)
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
校長 これは、また、むずかしいですな。
教頭 いや、むずかしいどころじゃない。めっちゃ、むずかしいです。 手話で表現するのはもっとむずかしい。
賢治先生 でも、わたしというのは直流ではなくて、ついたり消えたりを 繰り返してともりつづける交流電燈みたいなものだっていうのは分かってもらえますか?
教頭 あたまがぴかぴかということではなくって……(と、校長のはげ頭に気がついて) これは失礼。そうではなくって、あたまの外ではなくて、あたまの中がぴかぴかしているっていうことですな?
賢治先生 ぴかーってつきっぱなしじゃあなくて、ぴかぴかだってこと (手話で、頭の横で、すぼめた指を開いたりすぼめたりする。)
それは分かっていただけますか?
(突然、人間電球が登場して、頭の電球部分をぴかぴかと点滅させる。)
教頭 あれあれ、人間電球まで出てきましたな。しかし、これでは、 中がぴかぴかなのか、外がぴかぴかなのか分かりませんな。
太郎 自分がついたり、消えたりするってことなのかな?それだったら、分かるような気がします。
 生きているのがぴかぴかで、死んだら消えてしまうのかな。
賢治先生 まあ、そんなことで……。
教頭 賢治先生、それでは、もう一つ。ブラックホールというのは、どんなものですかな?
賢治先生 いよいよ、むずかしいですね。ブラックホールというのは……。
教頭 ブラックホールというのは?
賢治先生 ブラックホールというのは、「銀河鉄道の夜」にも書きましたように、 宇宙にある石炭袋の孔のようなものです。
(生徒たち、その一節を朗読する。)
花子 「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」(と、大声で叫ぶ。 一同びっくりするが、気を取り直して朗読を続ける。)
 カンパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
 ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。
冴子 天の川のひととこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。 その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずたゞ 眼がしんしんと痛むのでした。
(この間、舞台は暗くなり、背景の星空の上を大きな石炭袋に描かれたブラックホールが移動していく。)
校長 いやー、ブラボー、すばらしい。昭和のはじめにブラックホールを予言しておられた。 すばらしいことです。いやあ、失礼しました。教頭先生、これは本物ですよ。 賢治先生、産休の講師をおまかせします。よろしくおねがいします。

【第三場】
(幕前、太郎の家庭、テーブルが置いてあって、母親と話しているようす。)
太郎 きょう学校にいく途中で、ホームレスみたいなおじさんが倒れていてね、 みんなで助けて学校までつれていったんだよ。
 なに、そのホームレスっていうのは?
太郎 ようく聞いてみると、名前は「みやざわけんじ」っていうんだって……
 どこかで、聞いた名前ね。
太郎 花巻農学校の先生をしていたことがあるって……
 ふーん、ふしぎなことね。花巻農学校の先生をしていた宮沢賢治って、 あの有名な宮沢賢治以外にいるのかしら……。そっくりさんね。そちらのほうの宮沢賢治は、 もうとっくに亡くなってる人だと思うけど……。
太郎 それでね、賢治先生だっていうそのホームレスの人ね、学校の農園のトマトと話ができるんだよ。
 トマトと話ができる? それどういうこと?
太郎 トマトに、もいで食べてもいいかって?
 まあ、なんてことを……、それで、トマトさんは何て応えたの?
太郎 いっせいにそよいでね、いいよって返事したんだよ。
 あきれた。それって、ただそのとき偶然に風が吹いてきたってことじゃないの。 風でトマトの木がそよいだって……
太郎 ぼくたちもそう思ったんだよ。でも、もう一度やってみると風もないのにまた トマトがそよいで返事をしたんだよ。
 またまた偶然風が吹いたのよ。
太郎 風なんかこれっぽっちもなかったよ。それで、ぼくたちは賢治先生がトマトと 話ができるって信じるようになったんだ。賢治先生はぼくたちならすぐにトマトとも話ができるようになるって 保証してくれたよ。
 手話が通じるって?
太郎 そうかな、なんかこころが通じるような話だったけど……
 ふーん、そんなことを話したのね。それじゃあ、あなたと賢治先生とはどうして、 話を交わしたの?賢治先生ははじめっから手話ができたの?そして、手話で話をしたの?
太郎 えー、どうかな。
 どうかなって、お話をしたんでしょう?
太郎 ああ、そうなんだけどね。手話で「宮」はこうだろう、「沢」はこう、 賢治先生がそんな手話をしているのを見た覚えがないから……、あれっ、はじめて会ったときどうして 賢治先生と話ができたんだろう。
 なんだか、夢みたいな話ね。
太郎 あれー、どうだったかな。賢治先生は動物や植物とも話ができるから、 その能力を使って、むこうからわからしてくれたのかもしれないな。
 ふしぎな人ね。
太郎 人工内耳をつけたら、こんなふうにどうして話ができたのかを意識しないで会話できるのかな……、 だったら、すばらしいんだけど……。
 また、その話……、まだ迷っているのね。
太郎 お父さんがうるさいしね。
 このごろあまり話をしてないでしょう。
太郎 話ができないんだよ。お父さんはどうして手話を覚えようとしないんだ。家族なのに話しも通じない。 お母さんの手話だって、もうひとつだけど……。
 はい、はい、もっと手話を練習するわ。……ところでね、そのホームレスさんと同姓同名の宮沢賢治の話、 お母さんね、学生時代は童話研究会っていう同好会に入っていてね、宮沢賢治って大好きだった。 「銀河鉄道の夜」とか、「注文の多い料理店」とか……、でもたしか宮沢賢治って、 昭和の七、八年に亡くなっているはずだから、もし本人が宮沢賢治を名乗っているんなら、 足のない幽霊か、ホームレスの詐欺師か、ともかく気をつけないと、あんたたち騙されているのかもしれないわよ。 いったいどんなかっこうをしていらっしゃるの?
太郎 黒い円い帽子を被っていてね、白い口ひげ、顎ひげをはやしてて……
 そうそう宮沢賢治にも黒い帽子を被ったそんな写真があったわね。だれかに似てる……。 でも、白い髭はお目にかかったことがないけど……。
太郎 マントっていうのかな、黒い布を背中につけていて、頭は丸狩りみたいに短くて、 ちょっとなまりがあるよ。
 どんな、なまりなのかしら……。
太郎 東北弁かな?
 でも、ふしぎね、どうして、そんな訛があるってあなたに分かるの、きこえたわけじゃないんでしょう。
太郎 わかったんだよ。手話に方言があったのかな、いや、でも、手話が違ったような気がしないしね。 でも、「みやざわけんず」ですって、自己紹介したんだよ。
そして、ときどき、何かメモしているよ。こんなふうに飛び上がって、 (と、飛び上がって空中で両足を打ち合わせる。)「ほー」って叫ぶんだ。
 あなたに、賢治先生の声が聞こえるの?
太郎 聞こえるのかな……、聞こえるっていうか、分かるんだよ。
(暗転)
(緞帳の上に賢治先生の影法師が浮かび上がり、「ほー」という叫び声をあげながら、 跳びあがって、空中で両足を打ち合わせる。)

【第四場】
(理科室、明るくなると授業風景)
賢治先生 (手話で授業を進めていく)前に、電気はとっても速いという話をしたことがありますね。
(賢治先生は、とつぜん「月夜のでんしんばしら」の歌を歌い出す。 と、同時に月夜の電信柱の一群、三、四人が登場して、行進する。)
ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐひなし
ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし

電気と光は仲間なんだ。だから電気も速いけど、光もおなじくらい速いんだよ。
 どのくらい速いんですか?
賢治先生 一秒間に地球を七回半も回る。
 すげえな。ロケットよりも速い。
遊一 宇宙戦艦ヤマトよりも速い。
賢治先生 なによりも速いよ。人の噂よりも速い。
そんな光が、君たちの生まれた頃の様子を写して、宇宙に飛び出して行ったんだよ。君らは、今何歳かな?
太郎 十七歳です。
賢治先生 そして、宇宙を十七年かかって飛んできた光が……、 君らの赤ちゃんの頃が写っている光だよ。その光が、飛んでいくのに疲れて、 透明にかたまってしまう。そんな化石が堆積しているところがある。
花子 光の化石ですか?
賢治先生 そうだよ。その海岸では、むかしからの光が、地層みたいにつもって化石になっているんだよ。 だからそこらあたりを掘ったら出て来るんだよ。きょうは、その化石を見てもらいます。
(賢治先生は、冷蔵庫からビーカーを取り出してくる。ビーカーには氷砂糖がいくつか入っている。)
賢治先生 さあ、一つずつあげるから、掌で受け取ってください。
花子 うわー、つめたい。氷みたい。
冴子 きれいだわね。
遊一 融けてくるけれど、融けた水はころころしていて、すぐに消えていきますね。
 先生、なめてもいいですか?
賢治先生 いや、ちょっとまてよ、その前に覗いてみよう。こうして、 蛍をつかまえたときのように両手で囲って中をのぞいてごらん。
賢治先生 掌で囲って、暗ーくしないと見えないよ。少しずつ融かしながら、 ころころした水玉をのぞくんだよ。
 うーん、あれ、見えた、見えた。(氷砂糖を囲っているので手話が使いにくい。 囲った手の指を一本立てて、見えたという手話をする。)
(舞台背景に研が赤ちゃんの頃の写真がスライド映写機で円く映し出される。以下同様。)
賢治先生 両手だとしゃべれないから、片手で囲ったら…… (と、左手を握って親指と人差し指の間だから中を覗く。)
太郎 (左手だけで、氷砂糖を握って覗いていたが)見える、 見える。氷砂糖が融けた水玉がころころすると、蛍みたいな弱い光だけどゆらゆらして、 その中に何か見える。望遠鏡を逆さに覗いたみたいに……。だんだんはっきりしてきた、 お母さんが赤ちゃんを風呂に入れてるんだ。(赤ちゃんの太郎が風呂に入っている写真)
賢治先生 じゃあ、抱かれている赤ちゃんは、君かな?
太郎 そうか……。あの赤ちゃんはぼくか……。
花子 もう死んじゃったけど、おばあちゃんがいるわ。お宮参りみたい。
 おれは、兄貴といっしょに遊んでるよ。
遊一 鼻、垂れてるか?
 ほっといてくれ。かわいい赤ちゃんだから、花垂れ小僧だ。(と、「花」の 手話を鼻のあたりでする。)
 おれは何も見えないよ。
花子 どうやってるの?それってかたく握り過ぎじゃないの。 もっとやわらかくそうーと蛍を囲うようににぎるの、するとじわーと氷砂糖が融けて、 昔のようすが見えてくるわ。
 おれって、そういうデリケートなことは苦手なんだよ。こうして、 やんわりとかい。あー、何か見えてきた、見えてきた。おやじだよ。魚を売ってるよ、 とするとあの乳母車の中にいるのがオレかな。かわいい寝顔だぜ。
太郎 先生、もうだいぶん融けました。
賢治先生 そうだな。じゃあ、すこし味わってみようか。
覗くのはそのくらいにして、なめてごらん。ゆっくり味わってのむんだよ。
 これは、おいしいね。いままで食べたことがない味わいだな。
冴子 夢の中で食べたような気がする。
遊一 おいしくて、甘くて(と、「甘い」の手話、口の前で手をくるくるとまわして)、 目がまわりそうや。
太郎 こんな光の化石が採れる場所が宇宙のどこかにあるのですか?
賢治先生 そう、銀河鉄道の白鳥駅から歩いてすこしのプリオシン海岸というところ。
 行ってみたいな。
賢治先生 また、機会があったら連れていってあげよう。
太郎 ほんとうですか?でまかせじゃないでしょうね。
賢治先生 ぼくはそんなでまかせは言わない。 また、条件がととのったら連れていってあげられると思うよ。
では、最後にぼくが書いた「注文の多い料理店」のはじめの文章を読んで今日の 理科の授業を終わることにしよう。花子さん、読んでください。
花子 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、 桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」
賢治先生 はい、ありがとう。これはぼくがはじめて出版した本に書いたこと。 ……思い出という手話はこうするだろう。これは夢という手話と同じ根っこ。思い出は夢とおなじものなんだよ。 君たちは昔の光景を見ただろう。それを君たちのこころは夢と勘違いしているんだよ。だって 、昔のようすが見られるのは夢しかないもの。だから、君たちは夢気分になっている。それが、 その氷砂糖がそんなにおいしい理由だよ。(終わりのチャイムが鳴る。)
さて、楽しい時間もこれで終わりだ。ぼくは、これから暗室でちょっと危ない実験をするから、 絶対に覗いちゃだめだよ。
 危ない実験って何ですか?
賢治先生 それは……君らは知らない方がいいだろう。ただ、爆発とかじゃなくて、 暗室には簡易型のプラネタリウムがあって、いつでも星空が見られるからね。……
 星空に関係あるんですか?
賢治先生 まあ、知って危ないこともある。知らない方がいいから、 ともかく覗かないで欲しいんだ。どうかな、約束できるかな。
太郎 はい、分かりました。
賢治先生 よかった。約束したよ。じゃあ、これで終わります。
 起立、例 (賢治先生は退場する。)
 この氷砂糖、すごいね。これを売ったらすごく売れると思うよ。文化祭の模擬店で…… きっとめっちゃ売れて、すぐに売り切れる。そうだな、思い出氷砂糖にするか?手話では思い出と夢が 似ているからな。夢氷?、夢砂糖?にするかな?
遊一 いい考え、グッドアイデア、じつはおれも、そんなことを考えていたんだ。
太郎 でも、それはできないよ。これは賢治先生が特別にぼくたちにくれたものだからね。 それに冷蔵庫にもそんなにたくさんはなかった。
 調べてみようか?
 見てみろや。
(研が冷蔵庫を開けて、氷砂糖の入れ物をとりだすが、ほとんど残っていない。)
 もう、おしまい。
(そのとき、ゴーというすさまじい音響が響きわたり、教室全体を揺るがせる。)
遊一 ひゃー、おい、こりゃあ、何だい。地鳴りだよ。
(生徒たちは、耳を押さえてうずくまる。)
太郎 何か聞こえてくる。ゴーという音が聞こえる。何が起こったんだ。
冴子 何か賢治先生と関係があるのかしら。
 ちょっと暗室を覗いてみよう。
太郎 ダメだよ、約束したじゃないか。
 大地震かもしれないぞ。賢治先生が暗室の中にいて閉じこめられたらどうする。
太郎 でも、やっぱり約束だから、やめよう。
(みんな、不安な表情で暗室の扉を眺める。暗室からは、光の点滅が洩れ出てくる。 ゴーという轟音の中で、幕がしまる。)

【第五場】
(幕前、太郎の家庭、三人で朝食を食べている。)
 太郎は、このまえ賢治先生の話をしてたよね。
太郎 何?……(と、母を見つめる。)
 賢治先生って、何のことだ?(「けんじ」とひらがなで空書して、「何?」と手話を付け加える。)
 太郎たちが、登校途中で知り合いになったホームレスの人……、 宮沢賢治って名乗っているんだって、それがじつは理科の先生だったのよね……
 ホームレスが先生かい。おい、おい、そんなことでいいのかい? (「おい、おい」は、セリフだけで、「かまわないのか?」と手話で聞く。)
太郎 お父さんもいいかげんに手話を覚えてよ。家族なのにまともに 話ができないというのはどう考えてもおかしいよ。
 手話なんか、この世の中にでたら、できる人は少ないよ。 (「手話」、「できる」「人」「すくない」とたどたどしい手話。)
太郎 またその話かよ。
 何度でもいうぞ。(指をおって繰り返しを表し、 「言う」は人差し指を口から前に突き出して表し、それを何度かやってみる。)
世の中の人はみんな日本語を喋ってるんだよ。(「人々」は人を空書して、「みんな」は右手を体の前で回す。 「日本語」は口を大きく開けて、大声で言う。)手話サークルが増えたっていっても、ほんの微々たるもんだ。 (「手話」は両手の人差し指をくるくると回して表し、「サークル」は集まりの手話、「微々たる」は、 右手の親指を人差し指からちょっと突き出して表す。)だから、手話なんかじゃなくて、 日本語を学びなさい、(手話で「日本語」、「勉強」、「大事」)
太郎 もういいよ。耳にタコができてます。お父さんは何にも分かっちゃいないよ。 たとえ日本語で話ができたとしても、ぼくのほんとうの気持ちは表せないってこと……
 ほんとうの気持ちが日本語じゃ伝わらないって……それは、おまえが日本語がまだま下手だからだよ。 (「下手」は手話で強調する。)
太郎 上手、下手とは関係ないと思うんだけど……。
 もう、言い争いはそのくらいにして……。
太郎 これ以上は話し合いはできないことになっています。
 これ以上はなしが混み合うようなら母さんの通訳なしではむりだ。
太郎 内では通訳がいないと親子げんかもできないってことかよ。
 しかたないじゃないか。それが現実なんだから。 お母さん、太郎に伝えなさい。そんなホームレスにかかわるのはやめるんだ。 これはお父さんの命令だって言いなさい。
太郎 賢治先生はホームレスの人なんかじゃなかったんだ。ちゃんとした宮沢賢治先生だよ。
 ホームレスが宮沢賢治なものか?
太郎 何を言ってるのか分からない?お父さんより賢治先生のほうが話が通じるんだよ。 ……さっきお父さんがいった、日本語を身につけるのが一番だって考え方、賢治先生に言ってみたよ。 そうしたら、君のお父さんの言ってることを広げていくと、トマトも日本語を理解しないのはなさけないって ことになるって……。
 トマトがどうしたって……(と、母に通訳を求める。)
 なによりも日本語を身につけないといけないというお父さんの考え方だと、 トマトにも日本語を理解しなさいって言うようなものだって……。
 なにをばかな……、それにトマトと同じに扱われて失礼なって、お前たちこそ怒らないのかね。
太郎 手話なしで叫んだって分からないよ。
 トマトといっしょにされて、怒らないのかって……。
太郎 賢治先生はトマトを差別してないもの……。
 まあ、だんだん話が込み入ってきたわね……でも、そんな話が、 そのホームレスの賢治先生とどうしてできるの?手話なんか知らなかったんでしょう。 だからみんなで教えてあげた手話でしょう、その先生が来られてから……。
太郎 それが、宮沢賢治先生とはできるんだよ。ぼくにもなぜかわからないけれど…… ふしぎな手話も使うけれど、目とか表情で伝えるんだ……。
 ほんとうの宮沢賢治って、とっくのむかしに亡くなっているのよ。生きていたら百十何歳か、よ。
太郎 その賢治先生がもどってきたんだよ。はじめは同姓同名のホームレスかって思ったけど、 賢治先生がもどってきたんだよ。
 どこから?あの世からもどってきたとでもいうの?
太郎 そんなことは、わからないよ。でも、「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治だって証拠があるんだ。
 証拠って何?
太郎 それは、いまは言えないよ。
 証拠なんて(手を振って)ない、ない。あるはずがないじゃないか。ばからしい。
太郎 文化祭に来たら見られるかもしれないよ。文化祭に来るんだろう。
 多分な。会社で緊急の用事が入ってこないかぎりいけるだろう。
(母親、通訳)
太郎 文化祭で何もかもはっきりするよ。
(暗転)

【第六場】
(理科室で、文化祭の準備、教室のあちこちで、模造紙に説明を書いたり、 箱で何かを作っていたりする作業が繰り広げられている。)
 エスペラント語の説明はこれでできあがりかな?
冴子 そんなもんでしょう。
 でも、エスペラント手話っていったいどんなものなのかな?
太郎 エスペラント語って知ってた?
 知らん。
花子 日本語とか、英語とかじゃなくて、世界のことばを一つにしようっていう 考えから作られたことばなんですって……。
太郎 その一つ一つの単語に手話をつけていけば、いまみたいにその国、 その国でちがった手話じゃなくて、世界で一つの手話みたいなのができるだろう。それがエスペラント手話、 賢治先生が考えているらしい。
 ふーん、……、よう分からん。
太郎 そうですよね。賢治先生。
(教卓の影で作業していたらしい、賢治先生が顔を覗かせる。すこしやつれた感じで、 顔色がさえない。ときどき、あくびをかみ殺して、睡眠不足の様子。)
賢治先生 そうなんだが……、エスペラントというのは、希望ということで、 世界は一つという希望が込められたことばなんだよ。わたしはね、手話で同じものができないかと考えたんだ。 ふだんの生活で使うことば、例えば食べるはエスペラントではマンジャス、日本の手話ではこうだろう。 (と、「食べる」の手話をする。)これは、分かりやすい。見るはヴィディス、手話はこうで、 これも分かりやすい。こんなふうにエスペラント語に手話を付けていくと世界共通の手話ができる。 いま、行きづまっているのは、形のないものの手話。これは世界の人に分かってもらう表現はむずかしいね。
冴子 それができたら、アメリカにいっても手話で話ができますね。
花子 すごいわ。
 あー、疲れた。肩が凝った。ちょっと休憩しようや。
遊一 肩が凝るというのは日本人だけらしい、ということ知ってるか?
 そんなん知らん。けど、疲れた。
花子 勇は文句が多すぎるわ。
冴子 休憩ばっかりしてる……。
 そんなこと言わんといて。遊一もさぼってるで。
遊一 ぼくは手話の構図を考えてるんや。さぼってるんと違う。
 そうかあ?あやしいぞ。
太郎 いっぷくしよう。
 疲れたな。喉も渇いた。賢治先生、また、あの氷砂糖、少しもらってもいいですか?
賢治先生 そりゃあ、いいが……、夕べ、少し掘って補給しておいたから……、 でも食べ過ぎちゃあだめだよ。なかなか掘り出すのも苦労でね、こたえる。(賢治先生は立ち上がって、 腰が痛くつらいといった様子で、ふらふらと暗室に消える。研は、冷蔵庫から氷皿のようなものを持ち出して、 みんなに一かけらずつ配る。)
花子 ちょっとずつ融かして、あっ、きょうは一人で寝ている姿が見える。
 オレのは、はいはいかな……。
冴子 なめてもとってもおいしい。赤ちゃんのころの気持ちが返ってくるみたいな気がする。
(そこに、教頭に案内されて太郎の両親が入ってくる。)
教頭 お子さんの教室はここです。いま、何か展示の準備をしているようですね。
 ありがとうございます。お忙しいのにわざわざここまで……
太郎 何しに来たんだよ?
教頭 これこれ、そんな言い方はないでしょうが、わざわざ、来ていただいているのに……、 じゃあ、ごゆっくり。(と、教頭、去る。)
 お父さんは、明日の文化祭に来れなくなったのよ。会社の用事で……、 それで、きょう少しでも見たいって来たわけ。
 担任の先生と人工内耳のことで相談することもあってな。(母が通訳する。)
太郎 かってに話を進めないでよ。
 そんなことはしないよ。(母が通訳する。)
 みなさん、休憩しておられるのに、おじゃましてすみません。……何食べてるの?さぼって、 そんなの食べてていいの?
 これはないしょの話ですが……。
 何?……
 氷砂糖です。
 まあ、氷砂糖。
 天の川のプリオシン海岸で掘り出した氷砂糖です。
 何?そのプリオシン海岸って?
花子 おばさんに言ってもいいかしら?
冴子 もう言っちゃったんだから、しかたないわよ。
 何のこと?
 この氷砂糖は、天の川の岸辺から掘り出したものなんです。ということは、宇宙からのみやげもの……。
 宇宙のおみやげ……。
冴子 賢治先生が、銀河鉄道で持って帰ってくれたものなんです。
太郎 これが前に言っていた、賢治先生がほんものだという証拠だよ。
 じゃあ、プリオシン海岸って、あの銀河鉄道の?
太郎 そうだよ。「銀河鉄道の夜」に出てくるだろう。白鳥駅から歩いてすぐの天の川の岸辺。 いろんな時代の光の化石が出てくるって書いてある。そこで掘り出したものなんだって……。
 どうして、これがそれだってわかるの?
太郎 この氷砂糖は何年も前の地球からの光が凍ってしまったものなんだって。 両掌につつみこむと、すこしずつ融けてきて、こうして、覗いていると、昔の地球の光景が見えて来るんだ。
 まあ、ほんとう。ちょっとやらせて……。
 ばからしい。(手話で)
 まあ、ほんとうに……、太郎が子どものころの光景が、ほら、氷砂糖の融けた水玉に映っているわ。
(舞台背景のスライドで写真が映る。)
 おまえまで……。
 見て、見て……。
(父親も氷砂糖をもらって、両掌で囲って不承不承覗く。)
 う……、何かが見えるような、そんな気もするが……。
 お父さんの頭の髪の毛もまだふさふさしていて、太郎を風呂に入れている様子……。
 たしかに……もし、これがほんとうなら、売れるかもしれないな。それもすごい値段でね。
(「もし」「本当」「売る」「できる」、「お金が高い」)
太郎 今、何て言ったの?よく見えなかった。本当を売るのかい?高い値段で。
 この氷砂糖が売れるんですか?……お父さんの商社であつかえるの?
太郎 また、そんなばからしいことを言う。
 冗談じゃないぞ。たくさん手にはいるんなら商売ができるってことだよ。
(お母さんが、父のことばを手話で太郎に通訳する。)
太郎 いいよ、無理に手話通訳しなくったって、お母さんに通訳してもらっても何をいっているのか、 まったく分からないよ。何かがおかしくなったような気がする。お父さんの顔までぼやけてきたような……。
 太郎くんのお父さんの言うとおり、この氷砂糖を文化祭で売ったら、高く売れるかもしれないよ。
冴子 それで売れ行きを見て、太郎くんのお父さんの会社で大々的に売り出してもらったら……。
 賢治先生に頼んで、もっと氷砂糖を掘り出してきてもらえばいいんだ。
(賢治先生がふらふらと暗室から出てくる。)
賢治先生 何の話をしているんだい?ぼくには、何をいっているのか、何にも分からない。 どうしたんだろう。えっ、太郎くん、ぼくの話は分かりますか?
太郎 はい、ちゃんと分かりますよ。
賢治先生 分かっているんだね。じゃあ、いいかい、きょうもこれから暗室で危険な実験をするから 、けっして覗いてはだめだよ。約束できるね。
太郎 約束します。
 賢治先生、またできたら氷砂糖を少し掘り出してきてもらえませんか? 文化祭で売ってみようと思うんです。
賢治先生 研くんは、何を言っているのかな。ちょっと分からなかった。
(と、太郎の方を見る。)
太郎 また、氷砂糖を掘り出してくれって。そうしたら文化祭で売ってみますって……。
賢治先生 それは、いかん。この氷砂糖は売り物なんかじゃない。まあ、 しかし、掘り出せる分は掘ってみよう。では、覗かないように、約束だ。
(賢治先生は、暗室に消える。)
花子 賢治先生、顔色が少し悪いんじゃない。
太郎 痩せてきたようにも見えるしな。はじめのホームレスの頃よりもっと痩せてきたような気がする。
 いま書いているエスペラント手話の展示よりも、オレは、氷砂糖の模擬店の方がおもしろいな。 お金も儲かるように思うよ。
遊一 えー、オセンにキャラメル、むかしなつかし思い出が見られる氷砂糖はいかがですか? なつかしいですよ、おいしいですよ。
 君は商売のセンスがあるようだね。もっと賢治先生に掘り出してきてもらえば、 大々的に売り出せる。(母、通訳)
(そのとき、暗室から「ゴー、ゴー、シュー」というSLの排気音が響き、教室が振動する。 みんな、思わず、手近のものにつかまる。)
生徒たち (口々に)何だ?、何だ?何事がおこったんだ。
 きょうのは、またいっとうすごい。
 また、暗室の中だ。暗室が汽車のボイラー室になったような……、ちょっと暗室を覗いてみよう。
太郎 賢治先生と、のぞかないって約束したじゃないか。
 じゃあ、太郎は見たくないのか?
太郎 それは……、見たいけども……
花子 みんな、約束を破るつもり。
 暗室の中で、賢治先生がどうかなっていたら、どうするんだ。ちょっとたしかめるだけ。
 じゃあ、いくぞ。
 (二人で、暗室の扉に近寄って、すっと開ける。と、そこに賢治先生がいる。)
賢治先生 (車掌の格好をしている。疲れた口調で)十二時ちょうど発、銀河鉄道南十字星行き、 ただいま発車いたします。銀河鉄道、白鳥座駅まわり南十字星行き、ただいま発車いたします。
(賢治先生がピーと笛を鳴らすと、「ゴー、シュー」という排気音がさらに大きくなる。)
 びっくりしたなー、もー。賢治先生が車掌さんに変身している。銀河鉄道の車掌さんだ。
 ひゃー、機関車の黒い影が、こっちへ出てきたぞ。銀河鉄道の発車だ。
(「シュー、シュー」という大音響とともに、映写機で黒々とした列車の影が舞台全体に映され、 それが移動していく。生徒たち、その影と音におびえて我勝ちに逃げ出していく。 「ゴー、シュー」という轟音の中で幕。)

【第七場】
(文化祭当日の理科室。教室の壁面にエスペラント手話の展示が張られていて、 一隅に「夢氷、夢砂糖」と書かれた模擬店の屋台が置かれている。)
 えー、いらっしゃい、いらっしゃい、思いでの氷砂糖、なめればたちまち思い出いっぱい、 なつかしいおいしさだよ。えー、いらっしゃい、いらっしゃい。
冴子 研くん、もう、一つでおしまいだよ。
生徒 思い出の氷砂糖をください。
冴子 はい、ありがとうございます。あなたで最後。売り切れでーす。
太郎 売り切れの張り紙をださないと……、噂を聞いてどんどん来そうな感じだよ。
 なんだ、もう、売り切れかよ。賢治先生、きのうも銀河鉄道で出かけていったけれど、 夜っぴて働いても、掘り出せたのがこれだけで、もともとが少なかったんだ。
太郎 あの歳で、鶴嘴をつかって氷砂糖を掘り出すのはしんどいらしいよ。
花子 だんだんやつれてきて、もうふらふらみたい。賢治先生、大丈夫かしら。
(賢治先生、銀河鉄道の車掌さんの制服でふらふらと登場。)
 賢治先生、きのう夜掘り出しておいてくれたんでしょう。でも、 あの分の氷砂糖はもう売り切れましたよ。
賢治先生 あれ以上は、わたしの体力では無理だった。でも、それでこの学校の生徒さんが、 すこしでもなつかしい思いをしたのなら、それでよかった。……君ら、とうとう見てしまったね。 あれほど暗室を覗いちゃいけないって注意しておいたのに……約束したのに……あれで分かったように、 暗室は銀河鉄道の地球ステーションの入口なんだ。
太郎 あの、ゴーという音で、ぼくたちは、先生に何かあったのかと……。
賢治先生 もうすこし、この学校にいたかった。せめてエスペラント手話の見通しがつくまでは……、 でも、いかなければならない。君らを銀河鉄道の乗客に引きずり込むことはできない。さようなら、 また、いつか、会えるかもしれない。そのときまで。
太郎 では、賢治先生、先生は、銀河鉄道の旅から、どうしてこの地球に帰ってきたんですか?
賢治先生 わたしは、地球から六十光年離れた白鳥の駅で一休みしていた。そこに百円いれたら 見える望遠鏡があってな、地球をさがしていた。地球はみえない。地球は惑星で自分では光をだしていないんだから。 しかし、太陽は恒星だから見える。太陽をさがしていたんじゃ。すると、地球がピカッとひかったん。それは、 何だと思う?
太郎 わかりません。
 何か、雷でも光ったのかな。
冴子 雷は宇宙からは見えないでしょうが……。
賢治先生 クーボー大博士に調べてもらったら、なんと、ああ、むざんなことじゃ、 広島に原爆が落とされて、そのピカドンのピカだったんじゃ。そのピカの光が六十年かかって 白鳥駅まで飛んできたというわけだ。……そして、地球はもう一度光った。長崎のピカ……それを知って、 わたしはもう居ても立ってもおれなくなって、銀河鉄道の地球にもどる特急にとびのった。途中で聞けば、 広島や長崎に落とされたような原爆どころか、地球は、それの何百倍と大きい水爆を、 人類を何回も滅ぼせるくらい抱え込んでいるというではないか。たとえ、わしにそれをどうにかする力はないとしても、 何としても地球に戻りたかった。地球といっしょに滅びようと思った。
花子 そんな……、悲しいことを……。
賢治先生 それで、もう分かっていると思うが、銀河鉄道の地球ステーションが、 ここの暗室。慌てて降りようとしたら、急にプラットホームが消えてしまってな、学校の外の道路に落ちてしまったんじゃ。ホームが消えて、ホームレスみたいになって倒れ込んでいたところを君たちに助けてもらったというわけだ。
花子 それで、いっしょに滅びるんじゃなくって、何かできることは見つかりました?
賢治先生 わたしにできることは、エスペラント手話を考えて、せめて君たちが一つになるように祈る、 それだけだということがわかった。
 エスペラント手話のことが、いまはじめてわかりました。
(外から「暗くなってきたから、後夜祭がはじまるよ。グランドに集まってください。」と呼びかける声が聞こえ、 舞台背景がめくれて星空にかわる。)
賢治先生 暗くなってきたようだ。発車時刻が迫っている。いまは、もう行かないといけない。 さようなら、君らと過ごせたこの二ヶ月間はわたしにどんなに楽しかったか。わたしは毎日を鳥のように 教室で手話を使いながら踊ってくらした。誓って言うがわたしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない。 疲れはただ銀河鉄道の車掌業務から来ていた。また、プリオシン海岸での氷砂糖の掘り出し作業から来ていた。 しかし、そんなことをくどくどいってもしかたがないこと。わたしの正体をしられたからには、 わたしは去っていかなければならない。では、なごりおしいが、みなさん、さようなら……。
(賢治先生は、敬礼をしながら暗室に消える。)
太郎 賢治先生、約束をまもらなくってすいませーん。
花子 できれば、帰ってきてー。
 おれが、約束を破って、覗いたばっかりに。(と、泣き出す。)
 あっ、ほら、理科室の窓から何か列車の影のようなものが出てゆく。あれが銀河鉄道か……。
 SLの影のようなものが空に上っていくにつれてだんだんはっきりしてきた。
(いつのまにかしっかりした手話になっている。)
太郎 お父さん、いつから手話ができるようになったの?
 ほんと……。
花子 列車の窓に賢治先生みたいな影が……。
 賢治先生、さようなら。また、来てください。
 オレも、いつか、いつかきっと銀河鉄道に乗せてくださーい。
一同 口々に「さようなら」をいって、手を振る。
(銀河鉄道の列車は、遠く汽笛を鳴らし煙を吐きながら、舞台前面に張られた針金を伝って上っていく。)

全員で歌う(もちろん手話で)
   (「賢治先生はふしぎな先生」の歌
賢治先生はふしぎな先生
賢治先生はなんだか宇宙人
なんでも教えるふしぎな先生
ふしぎを教えるなんだか宇宙人
手話で話せば手話でこたえる
天の川にも銀河鉄道フリーパス
賢治先生はふしぎな先生
こころにのこるあの叫び

賢治先生はふしぎな先生
賢治先生はなんだか宇宙人
なんでも教えるふしぎな先生
ふしぎを教えるなんだか宇宙人
畑で叫べばトマトがこたえる
よだかの星も銀河鉄道フリーパス
賢治先生はふしぎな先生
こころにのこるあのジャンプ

わたしたちの劇を見ていただいて、ありがとうございました。
                            (幕)

「賢治先生はふしぎな先生」はオリジナルで、池田洋子さんに作曲していただいた譜面もあります。
「楽譜のページ」には、こちらからどうぞ。



追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。



トップに戻る。