◇2002年10月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

手話劇「ホームレス、賢治先生」について(続)

「アートママ」賛歌

ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」(続)

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

2002.10.1
手話劇「ホームレス、賢治先生」について(続)

「ホームレス、賢治先生」は、「賢治先生」シリーズのおそらく 最後の作品になるだろうと思います。
「ホームレス、賢治先生」は、劇の骨格としては、 これまでも何度か繰り返してきた民話の「見るなの座敷」型「鶴の恩返し」型 を足して2で割ったような型と「往相還相」型を基本にしています。
「見るなの座敷」型というのは、見てはいけないと禁止されていた座敷を のぞいたために大切なものを失うというもの、「鶴の恩返し」は、有名な「夕鶴」の パターン。
「往相還相」型というのは、往って還ってくるというもの。 浄土真宗の往相還相をもじって名づけたものです。賢治先生は、 一度は銀河鉄道で出発したのですが、ふたたび地球に帰還してくるのです。 その理由はいろいろ考えられますが、戻ってきて、結局は、生徒たちが「見るな」の禁を 犯したためにふたたび銀河鉄道で去っていくという筋になっています。
だから「ホームレス、賢治先生」は、これまでの劇を集約したようなストーリー展開に なっています。
そんな筋書きで手話劇を作ってみようと考えたのです。 それはむずかしいことではありませんでした。しかし、劇のむずかしさのレベルをどうするか、 これは一筋縄ではいかない、いつも頭を悩ませる問題です。
分かってほしいということで、あまりにもやさしいレベルに設定すると高校生である生徒に ふさわしくないものになってしまいます。むずかし過ぎると意味がわからないままに 演じるということになってしまいます。すこしむずかしい箇所があって、 そこだけは、「えーい、まあいいか」と無理遣り突破するといったところが一番いいのではないかと 考えています。それでも、わたしの劇はむずかしすぎるという評が多いように思います。
言い訳をするわけではありませんが、わたしとしては、演じるものにも観客にも、 すべてをわかってもらおうとは考えていません。劇のような作品は、そのときは意味不明でも、 イメージがのこっていればいつかそこから芽吹くことがあると思うのです。それを信じているのです 。だから、ついついむずかしくしてしまうということもあります。わからなくてもいい、 ということに寄り掛かってしまうのです。自分でもそのことに気がついています。 寄り掛かりすぎじゃないかという不安がいつもあります。もうすこし現時点で分かってもらう レベルで努力すべきではないか、というふうにも思うのです。
できれば、生徒たちが演じて、すこしむずかしい程度の水準、そう考えて書き始めるのですが、 書いているうちに、すこしむずかしくても、ええい、いいか、というのが積み重なって、 結局は、断定はできませんが、ボランティアの参加で支えないと演じられないような レベルになってしまう、そんなふうな危うさを感じています。
考えれば考えるほどむずかしいな、と感じてしまいます。
最初の「賢治先生がやってきた」「ぼくたちはざしきぼっこ」は、 まさに上演するために書き下ろしたものでした。文化祭で、学年劇の担当になり、 11月はじめにある文化祭に向けて夏休みに書きます。どういうふうに演出するかを考えながら 書いていくことになります。生徒たちに分かってもらえるようにという限界も設定しています。 そういうふうに状況が見えていても、劇のレベルの設定となるとほんとうにむずかしいのです。 脚本ができあがってみるとむずかしすぎたのではないか、と不安が先にたちます。 それは実際に劇の練習にとりかかってからも続いています。そして、練習の困難を乗り切って やっと本番に漕ぎ着けたとしても、観客にとってどうだったのかなという気持ちが残ります。 劇のむずかしさの上限レベルを決めるというのは、それくらい困難で微妙な問題だと考えています。 それを、実際の生徒たちの顔を思い浮かべることで、どうにか乗り越えてこれたというのが 実状だったような気がします。
演じるものが決まっていて、上演が目の前に控えていてさえそうなのですから、 とりあえずは上演の見込みがないとなると、さらに困難が増すのは想像できると思います。 劇のむずかしさのレベルは、知らず知らずのうちに上昇しています。一定レベルの上限を 超えてしまうのです。生徒たちが演じるというレベルから、先ほど述べたようにボランティアの 劇団があって、生徒たちに見せるために劇をやってくれる、 そんなレベルにまでなってしまうのです。「チャップリンでも流される」「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」などは、最初は生徒たちの上演を想定しながら、 一段階アップした例かもしれません。だから、上演に際しては大々的な書き直しが 必要になります。「口上」にも書いたように、「座付き作者」として、 生徒たちの顔を思い浮かべられる教師が、生徒名を入れてセリフを割り振り、 内容がむずかしすぎれば削るという作業が欠かせないように思います。
原作者としては、無責任な発言かもしれませんが、すべては演じる生徒の表情や癖を思い浮かべる ことができるもののみが、養護学校の脚本を書く資格があるのではないか、 というあたりまえのことの確認になります。
手話劇「ホームレス、賢治先生」もそんな面を持っていると思います。 たとえば、むずかしくなりすぎた場面をあげれば、ホームレスが賢治先生であることを 証するために、電信柱を伝わる電気の速さは「世界に類なし」といった 「月夜のでんしんばしら」の歌や、「有機交流電流」の詩とかは、 かなりむずかしい部類でしょうか。また、ひかりの化石、 氷砂糖の説明なども分かりにくいかもしれません。もっとやさしく、 言い換える必要があります。「むかしのひかりが凍ってできた氷砂糖が埋まっている海岸」 とでもすればいいのでしょうか。また、賢治先生が理科の先生の証明など、 プランターに育てたミニトマトと話ができるとか、 そんなことで表した方がいいかもしれません。
とにかく、もし実際の上演となればやさしく説明し直す必要があると思います。
いい案があればご教示のほどを。

【追伸1】
また「人間ゆうゆう」(2002、9、4)で 、「知的障害がある若者がミュージカルに挑戦」という番組を見ました。 東京都立青鳥養護学校の生徒たちが、「葉っぱのフレディ」を脚色した ミュージカルにした挑戦する半年を描いた「虹をつかむステージ」を紹介するものでした。 劇を指導した教師や出演した生徒たちが登場していました。すばらしいミュージカルでした。 「生と死」の物語としての「葉っぱのフレディ」のテーマをよく理解して、参加していました。
生徒が「人に見せられる劇ができてよかった」と感想を述べていましたが、 まさに見せるにあたいする舞台ができていたと思いました。
ここにも一生懸命さ、切実さがありました。
レベルということで言えば、かなりのハイレベルに設定されていたと思います。
「賢治先生がやってきた」、「ぼくたちはざしきぼっこ」よりも上、 「イーハトーブへ、ようこそ」と同じくらいに照準されていたのではないでしょうか。
もちろん、「チャップリンでも流される」や「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」よりは 下といったところです。

【追伸2】
例えば、「ホームレス、賢治先生」の筋にそってみんなで脚本を作るという 授業を考えてみます。
筋の展開に必要なセリフはすでに書き込まれていて、一郎「   」といった枠を設けた 脚本を生徒たちにしめしてもいいと思います。
一場で、賢治先生がホームレスのようなかっこうで倒れています。それを見つけた 生徒たちのセリフは空けてあります。自分たちで考えさせるのです。
賢治先生のことを家で話題にする。その場面のセリフも考えてもらいます。
また、たとえば大切な設定を考える場面もあります。例えば、最後のあたり、 賢治先生はどうして、地球に還ってきたのか、その理由をみんなで考えて、 セリフを埋めていきます。そのようにして、完成したシナリオで劇を上演する、 そんな授業も可能なのではないでしょうか。


2002.10.1
「アートママ」賛歌

9月24日NHKのBS放送「老いて輝く」、さらに引き続いて26日にNHKの 人間ドキュメント「アートで人生に輝きを」において、現代美術作家折元立身さんの 一連の写真「アートママ」が紹介されていました。見られましたか?
折元さんの八十三歳の母は軽度のアルツハイマーなのです。その母をテーマに 写真を写しているのです。ダンボールの大きい靴を履いた母の写真は「アートママ」の 代表作なのでしょうか(「母の大きな靴」1997)。母を被写体に写真を撮る、 というだけではなかく母を介護する折元さん自身もまた写真に写されるのです。 16本のドラム缶の一つに入ったアートママ。そのまわりのドラム缶にも折元さんや その他いろんなひとが入った写真(「16人と16のドラム缶」)
また、折元さんは、軽いアルツハイマーの老人達のグループホームを訪ねてアートによって 活性化しようという試みもされています。ここでも靴が大きな役目を果たしています。
イギリスの老人ホームでも大きい靴を履いて歩き回り、みんなの注目を引きつけていました。
すばらしい芸術と言えると思います。感動しました。
しかし、芸術的に感動した、それだけではなかったのです。
感動は、痛みを伴ってもいたのです。ぼくの場合は、母をそのようにはみることができなかった、 という痛切な思いがその感動には重なっていました。
折元さんは、番組の中でつぎのように気持ちを表現しています。
「美術なんて大切なもんかなー、なんて思うときあるよ。美術なんかやめちゃっても いいんじゃないかなってさ、それより、いっしょに何年いられるかわかんないけど、 もしかしたら1年かもしんないし、もしかしたら10年いられるかもしんないよ、ね、 そのときにいっしょにいたほうが、ね、なんか自分にとって、ぼくも……歳取って 自分がよぼよぼになったときに、あー、ばあさんにこんだけやってあげたなっていう…… 美術なんかある程度やめるっていうか。でもそれじゃあ、おふくろも喜ばないんじゃあないかなと 思うんだよ、オレがガンガンやってる、世界でどんどん動いてる、かえってそれのほうが 幸せになるんじゃないかなと思うところもある。」
アルツハイマーの老人のグループホームを訪ねたときの感想として、
「なんか作品以上に、なんか前に(それ以前にということか?)、なんていうかな、 人間性のいいものを感じたよね。やっぱりすごいよ、人間は、あの、 アルツハイマーになってもひかり輝いているよね。ほんとう、その人は、その人なりのね。」
胸に落ちることばでした。
この十年ばかりの間に、母を看取り、父を看取り……いや、看取ったというのはおこがましい 言い方だと思います。母を見送り、父を見送った経験からいうと、その介護はやはり せっぱ詰まって余裕のないものだったように、いまから振り返って思うのです。 なぜ、もっと余裕をもって看護することができなかったのか、「アートママ」できなかったのか? 自分にこころの遊びがないためにつらく当たることもあったにちがいないのです。もちろん 、奇妙な振る舞いに思わず笑いこけるということもないではなかったのですが、 その笑いはやはり苦い笑いだったように思うのです。
しかし、折元さんは違います。母親をありのままの姿で「アートママ」になしとげたのです。 あるいは、軽いアルツハイマーの母親を、「アートママ」と見ることができるこころの余裕を 育てることができたのです。
こんなふうな温かい目で母親を、あるいは父親を看取ることができる人もいるのだ、 というのがぼくの感動の底流をなしていたのです。
人間としておよびがたいという感じを受けました。
そして、この視点は障害をもった人たちを見る目にも繋がっているように思います。 自分の両親をこんなふうに看取ることができなくて、なんで障害をもった人たちを……。
反省しきりです。


2002.10.1
ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」(続)

HA「この『うずのしゅげ通信』の内容をどうするか考えあぐねていたら、 28日の朝日の夕刊に『2880年 日本《沈没》 小惑星が太平洋衝突』という 見出しで特集記事が載っていましたね。」
賢治先生「まわ惑星の衝突ですか?よほどおそれているのか、暇なのか……。」
HA「いや、惑星衝突だけなら、取り上げなかったんですが、惑星のエネルギーを TNT火薬に換算した表が載っていたので、つい……。」
賢治先生「それはかまわないが、で、その表というのは?」
HA「小惑星の直径が数十mならそのエネルギーは最新の核爆弾くらいで、 数十メガトンというところらしいですね。そんな惑星は数百年に一度くらいの確率で 地球に衝突してくるらしいです。」
賢治先生「ふーん、恐いもんだな。もっと大きくなるとどうかな?」
HA「直径が1kmくらい、この前に言ったように金剛山をまるく削ったような 小惑星の場合、エネルギーはおよそ十万メガトンで、世界の核爆弾の総量に匹敵するらしい。 この衝突は数十万年に一度。充分人類を滅ぼせるくらいでしょうね。」
賢治先生「おそろしいもんじゃな。小惑星もおそろしいが、人類がそれだけの核爆弾を 所有しているということもおそろしい。」
HA「そうですね。しかし、これまでが、われわれ人類の近づける 範囲じゃないでしょうか?」
賢治先生「もっと大きくなると人間の力を超えてしまうということかな?」
HA「そうらしいですね。直径が10kmとなると、これは、約6500万年前に メキシコ湾に衝突したやつで、恐竜を絶滅させたといわれていますね。」
賢治先生「そんなやつがきたらたいへんじゃな。」
HA「たいへんですよ。……でも、1億年に一度くらいらしいから、 ちょっと安心ですが……。」
賢治先生「それで、さっき言っていた2880年に地球に衝突するという小惑星の 大きさはどのくらいかな?」
HA「1kmくらいらしいですよ。『1950DA』という名前までついているらしい ですが……。」
賢治先生「ふーん、たいしたやつじゃな。しかし、ほんとうに衝突するのかな。 この前にジェット推進研究所が発表したやつも計算し直したら、 衝突の可能性はないとなったからな。」
HA「この小惑星の場合は、何度か観測した結果衝突の確率は0.3%ということで、 これはかなり確からしいですよ。」
賢治先生「そりゃあ、たいへんじゃ。確率がかなり高いな。」
HA「でも、日本スペースガード協会(この前にも紹介したように、 こんなのがあるんですね。)、ここの理事長さんの話では、 小惑星にものをぶつけてコースを変えることもできるようですね。」
賢治先生「現代文明ができる範囲かな?」
HA「直径1kmだったら、100年前なら275トン、 50年前なら542トンのものをぶつけたらコースを変えられるらしいですよ。」
賢治先生「ふーん、275トンね。」
HA「賢治先生は、いまグスコーブドリのことを考えましたね。」
賢治先生「よくわかったな。」
HA「わかりますよ。グスコーブドリが火山で犠牲になったように、 銀河鉄道でその小惑星にぶつかっていけば、すこしはコースを変えることができるかも しれないって……。」
賢治先生「ワシにできることはそれくらいじゃからな。」
HA「まあ、もし、ほんとうにぶつかりそうなら、ロケットでそのくらいのものを 衝突させることくらいは、2880年ならできるようになっているでしょう。」
賢治先生「そうじゃな。それで、きみはすこしは安心したのかな?」
HA「そうですね。でも、あらためて人類の核爆弾の保有量のおそろしさを 実感しました。」
賢治先生「そうじゃな。小惑星の衝突で絶滅の危機に瀕する確率より、 核戦争の結果、核の冬で人類が絶滅する確率の方が、残念ながら高いようじゃな。」
HA「それで、賢治先生は、そのときは人類とともに滅びるために 銀河鉄道で還ってこられたんでしたね。」
賢治先生「どうじゃろう。そんなことを言ったこともあったかな……。」
HA「ともかく、賢治先生が銀河鉄道終点の南十字星駅まで往って、 そこからまた還ってこられたことはすばらしいことだと思っています。 たとえ滅びるとしても、賢治先生といっしょなら……。」

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