◇2002年11月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

NHKドラマ「抱きしめたい」賛

祭りのあと

チャップリンは手話を使うの?

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

2002.11.1
NHKドラマ「抱きしめたい」賛

NHKの芸術祭参加ドラマ「抱きしめたい」(2002.10.26)を見ました。 自閉症の弟(道朗)をもつ未来子は、祐治という青年からプロポーズされているのですが、 弟のことを打ち明けられないでいます。旅行代理店に勤務している彼女は、 両親と施設に通う弟をみずから計画した家族旅行に連れ出します。石原裕次郎が好きな道朗を 小樽の裕次郎記念館に連れていき、祐治にも来てもらって、家族を紹介しようというのです。 なぜ裕次郎記念館かはわかりませんが、彼女は、旅行の成功に自分の結婚の可能性を かけたのかもしれません。東京から北海道まで道朗を連れていくことはそうたやすいことでは ないのです。トンネルを恐れ、むりやり連れ込もうとするとパニックを起こす道朗を、 トンネルを避けた道筋をたどって自動車で北海道まで行こうというのです。
自閉症の道朗を演じる加瀬亮の好演がすばらしかったのです。ひごろ自閉症児に接しているものでも 不自然さを感じないほどの出来でした。視線があわないもの言い、歩き方、 旅館で無神経な酔っぱらいにからまれてパニックをおこす自傷の場面、すべてが迫真の演技でした。
自動車旅行は、途中祖母の家に立ち寄ったりしながらも青森に近づいていきます。 そこで泊まった旅館でのことです。大浴場から一人で出て、部屋に帰る途中酔っぱらいにからまれて パニックを 起こしてしまいます。非常灯に突進してケースを壊し、そんな自分を罰するのに自分の顔を叩きまわし、 それを止めようとした父親を突き飛ばして骨折させてしまいます。
父が治療を受けている病院に祐治も駆けつけて、思いがけないところで未来子の 家族との対面ということになります。彼は道朗のことを受け入れるに違いないと 信じさせるような誠実さを見せます。祐治が帰った後、未来子は、両親を病院に残して、 弟と二人で北海道に渡っていくところでドラマは終わります。
原作(島田律子)、脚本(吉田紀子)共にいいできでしたが、それ以上に 道朗を演じた加瀬亮、未来子役の和久井映見の好演が印象的でした。 また、母親役の石田あゆみのやつれた姿がいかにも苦労していますという感じの リアルさでとてもよかったのです。 見終えたあとさわやかな印象に満たされました。「おもしろかった。」ということで、 打ち切ってもいいのですが、いい出来であっただけに、もう一歩踏み込んでほしかったといった 何かもの足りなさを感じたのも事実です。そんな感じはなかったですか。 ぼくはそう感じたのです。で、その正体を考えてみました 蛇足だと考えてください。
ここからは、自問自答
「ドラマはこれでいいかもしれないけれど、家族にとっては救いがないような気がする。 ドラマはこれで終わりだけど、生活は続くんだから……」
「救い……?、たしかに救いということでは、そうかもしれない。」
「祐治が、道朗のことを受け入れるだけで、いいのかしら……。」
「でも、救いはそう簡単にはえられないよ。ただ、救いの芽があるとしたら、 竜雷太演じるところのお父さん、彼は、道朗のことを大きく受け入れているような気がしたな。 もっとお父さんの話が聞きたい、という心残りがある。」
「受け入れるっていっても、会社人間で、ほとんどの世話をお母さんにまかせっきりにしていて、 娘から非難されているくらいだから、たいしたことないのかもしれないわよ。」
「それじゃあ、ほんとうに救いがないことになってしまうよ。 やっぱり別の視点が必要なのかな?」
「別の視点って、何?」
「どういえばいいのかな。とても、それこそビミョウなんだよ。 こんなふうにでも言えばいいのかな、たとえば、 道朗くんをこの家の『ざしきぼっこ』だって見るような……」
「何、それ?ざしきぼっこって、『ぼくたちはざしきぼっこ』のざしきぼっこ?」
「そうだよ。そう思わないかい。実は彼は未来子の家のざしきぼっこ なんじゃないのかなって……。」
「うーん、どうだろう?たしかにそんな見方もわかるけれど……。」
「『ぼくたちはざしきぼっこ』は、それどころじゃなくて、 彼らを地球のざしきぼっこだって見ようっていうメッセージなんだよ。 家庭を超越して、彼らがいなくなると地球が破滅してしまうかもしれないっていうふうな ところまで感じ取らないといけないって……。」
「どうして、彼らがいないと地球が破滅するの?」
「うまく説明できないけれど、出産前検診とかで障害のおそれのある胎児が処理されている、 これっておかしいんじゃないかな。こんなことをしていたら人類は破滅するかもしれないよって いうおそれ、そこにつながっていく感覚がほしい……。」
「でも、それって、無責任は話じゃないの?障害児をもった家族の苦しさ、 切実さに無神経で……、何か、話を弄んでいるような気配がする。」
「そうかな。この話はそんなに無神経かな?」
「そりゃあ、家族なら、人からいわれなくても、世話なんかがたいへんだっていう感じと、 あなたのいう『ざしきぼっこ』っていうのと両方の感じを持っているんじゃないかしら?」
「そう、そうなんだ。それがあのドラマでは十分に出ていなかった。そこが不満だったんだ。 分かったようなことは言えないけれど……でも、彼らの対するおそれっていうか、 かけがえのなさというか、そんなふうな感覚がどこかにあって、 雲の上から光がさしてくるようなドラマがあってもいいんじゃないかな。」
「表だってはないけれど、どこかにそんな感覚も潜んでいるようにも思ったけれど……。たとえば、 未来子っていう名前の付け方。未来子は、やっぱり障害者の家族の未来のあり方を 先取りしているっていう意味で、名付けられているって思うの……。」
「それにしては、メッセージが弱いよね。『ぼくたちはざしきぼっこ』は、筋はもっと単純だけど、 彼らを『ざしきぼっこ』だっていう主張があって……そんな考えがもとにあって できたものなんだよ。」
「あれは、吉本新喜劇風。とても芸術祭参加ドラマとはくらべられないけどね。」
「でも、志は高いよ、道朗さんのような人は地球のざしきぼっこだから みんなで養っていかないといけないという……。」
「現実的じゃないわね。家族以外のだれも養ってくれるわけじゃないんだから……。」
「だからね、このドラマをリアリズムだけで見れば、未来子は、 理解のある彼氏と結婚したとしても弟の後見はしていかなければならない。場合のよっては、 将来も負担を背負わなければならないこともあるかもしれない、ということになる。 それがリアリズム。リアリズムは、自力では糞リアリズムから抜け出ることはできない。 そこに何か崇高なひかりが射してこないと救いがないんだ。」
「だからって、道朗くんを『ざしきぼっこ』って考えるのもどうかしら?」
「そういう視点をもっているだけで、何かが変わってくるかもしれないじゃないか?」
「そうかしら……?道朗くんを『ざしきぼっこ』と見るようなところが、 このドラマにはないっていうのね。」
「ないとは言っていない。弱いといってるわけで……。たとえば、家族旅行は、 道朗が裕次郎の歌が好きだってだけで、道朗に導かれるように裕次郎記念館に 向かっていくだろう。 だから、道朗は家族をみちびいていくざしきぼっこ、 そういう意味では導きのざしきぼっこだとも言えるわけで……、 最後に姉と弟が二人だけで、北海道に向けて出発するのも未来子が、 道朗の力に気がついたからかもしれない。そんな気がしないでもないよ。」
「そういわれてみればたしかに、道朗さんを家族の『ざしきぼっこ』って 見ることもできるかもしれないわね。 でも、どうかしら?あなたに、それを言う資格はないかも……。」
「うーん、それは障害児をもたなかったから?」
「……」
「そうかな?でも、ぼくは障害の子どもを教え子にもったよ。親と違って期限つきだけどね。 それに、これは、先月号のアートママに関係するんだけど、障害者というに近い親を、 というより障害者そのものの親を亡くなる前に持ったよ。自分より先に逝く人という 大きな違いはあるけどね。でもね、そんなとき、悲観するばかりじゃなくて、 現代美術作家折元立身さんのようにアルツハイマーの母親を芸術の力を借りて自分の家の 『ざしきぼっこ』にすることもできたんじゃないかという悔いがあって、 そのことにこだわっているんだ。」
「『ぼくたちはざしきぼっこ』は、そんなふうな考えをもとに書いたっていうことなの? でも、親にはそういうふうにはいかなかったということ?」
「そういうことなんだけど……、ただ、そんなふうに視線を上に転じて親の介護という問題を 視野にいれたとき、障害者を家族に持つ、ということがもっと身近に感じられないか ということなんだよ。」
「そういわれれば、やっとすこしは分かったような気もするけれど……。」
「でも、自分自身うまく説明できていないと思うよ。まだ、もどかしい気持ちがあるからね。 ただ、『アートママ』と繋がったのは一歩を進めたって感じだけど、まだまだ先が見えないな。 もっと考えて見ないと……十分に考え切っていないようにも思うから……。 ただこれだけは最後に……、いろいろ無理な注文をつけたけれど、 それはこのドラマが出色の出来だったから一言いいたくなっただけで、くだらない作品だったら、 こんなことは言わないよ。ぼくが芸術祭の審査員なら確実にこの作品を推すと思う。それだけは、 言っておきたかった。」


2002.11.1
祭りのあと

秋祭りが終わりました。わたしの住まいする大阪の南河内では、 10月の第3土日に秋祭りが行われます。むかしは10月17、 18日と決まっていたのですが、いつからか土日に変更されたようです。
祭りには各地区からだんじりが繰り出します。だんじりといえば、 全国的には岸和田のだんじりが有名ですが、南河内のだんじりは、 岸和田のように綱で引いてやりまわしを競うというやり方ではなく、 だんじりの前後にも横にも枠があってそこに青年団入って、村から村を引き回すのです。 氏神の宮入り、あるいはときによっては辻々で、前に後ろに走ったり、揺らしたり、 回したり持ち上げたりして暴れるのです。
かけ声の基本形は、「よういこーりゃ、どっこいこーりゃ」といってものですが、 あばれるときなど、「えっさいこーりゃ」というものもあります。「ちょうさーじゃ、 ちょうさんじゃ」というのもあって、これは「逃散じゃ、逃散じゃ」と気勢を あげたなごりでしょうか。わたしの村は江戸時代は天領だった地域で、 そんなふうに気勢をあげて、祭りに言寄せて、お上を牽制したのでしょうか。 そんなふうに考えると江戸時代がいまに息づいているようでなかなかのもののような 気がしてきます。
祭りの日には、その神社を氏神にする各地区のだんじりが集まって来て、宮入をします。 だんじりは、まずはしずしずと境内に入り神前に前枠を下げる形で礼をし、お祓いをうけます。 それから暴れるのです。はじめはゆっくりと歌いながら前後に行き来し、機が熟したと見るや、 前後に走り、左右に揺さぶられ、回され、持ち上げられ、ふたたび走り出します。 引き手が消耗するまで続くのです。もっとも3トンくらいもある だんじりを引き回すのですから、10分もしたら引き手は疲れはてて、 やがて太鼓がそれまでのはやいテンポから穏やかなリズムを打ちはじめると 「よういこーりゃあ、どっこいこーりゃあ」とかけ声ものんびりしたものになり、 決められた場所にしずしずと入っていきます。各地区のだんじりが宮入りを終えて、 そろったところで、 神社の境内は、人々で埋め尽くされます。これから境内の周りにならんだだんじりの前の 狭い張り出しを舞台にして、だいたいは青年団二人による「にわか(俄)」が奉納されるのです。
まずは、口上が述べられます。それは、こんなふうです。
(カチカチと拍子木を打ちならして)「とざい、とーざい、とざいとーざいと、 鳴りものをば打ちしずめおきまして、不肖私、不弁舌なる口上、まずもって 御断り申し上げます。さて夜空に輝く金の星、野辺の一輪野菊の花が、河原でしょんぼり月見草、 耳を澄ませば聞こえくるこおろぎの音にさえまでも秋風しみますきょうこのごろ、 金剛山は麓、金波銀波の波打ちよせますここ河内平野の一角……」
そして、これから演じるにわか(俄)は、まずいものだが、「悪いところは袖たもとに」 隠すようにして見てくれと「一重二重はまだおろか、七重の膝をば八重におり、 きょうここのえのみなみなさま方に、伏して懇願たーてまつる。これもや一須賀神社へのご献上」 (カチカチと拍子木を打ち鳴らす。)
こういった大時代的な口調で口上が述べられるのです。「不弁舌なる口上」という この物言いはなんなのでしょうか。弁舌さわやかとはいかない、ということでしょうか。 やたら漢文を用いた虚仮威し、はったり、それともお上への揶揄、 どちらともとれますね。さて、そのはったり口上に引き続いて「にわか仕立ての芝居」、 寸劇が演じられます。内容はエロチックなものが多く、もともとは豊饒を願って、 性の生み出す力を讃えるといった内容だったのだろうと想像されますが、 いまでは見るにたえないようなえげつないものもめずらしくありません。 まあ、それはそれで時代の風潮なのでしょう。最後には、かならずオチがあって、 「はてなはてな?はーてわかった。みんなでやったらこわくないということやわーい」 と声をそろえて、小道具の風船か何かを投げ出して、その拍子に太鼓がドンドンと 打ちならされて終わるといったパターンが概ね踏襲されています。
この「にわか(俄)」の伝統が、ボケとツッコミを基本にした大阪漫才にも 流れ込んでいるように思います。
祭りのかけ声に逃散の叫びをまぎれこませ、また、口上の大時代的なもの言いではったりをきかせ、 あるいは漢文脈を愚弄し、また神社へ奉納するにわか芝居でボケとツッコミの構造を育てていく、 いかにも関西らしいやり方に感心してしまいますね。
権力の側からいえば、憤懣のはけ口にしていた節もみられますね。江戸時代の社会は、 鬱憤が蓄積しないようにうまく考えられていたと感心してしまいます。
でも、こういった祭りのかけごえとか、口上、にわか(俄)など掘り起こせばおもしろいことが いろいろ出てくると思うのですが、どうでしょうか。


2002.11.1
チャップリンは手話を使うの?

10月11日のNHK教育「きらっと生きる」 「いつも心にチャップリン 〜聴覚障害のパントマイム名人 芳本光司さん〜」は とてもよかった。
奈良県桜井市在住で、大阪パントマイムグループ代表の芳本光司さんは、 チャップリンの姿で出演していました。それほど、チャップリンに打ち込んでいて、 家はチャップリングッズであふれています。パントマイムもチャップリンの影響を 受けているらしいのです。一番印象に残っているのは、1990年にイギリスで 開催されたろうあ者大会で、ダイアナ妃の前でパントマイムを披露したときのことだと言います。 テーマは「シャワー」。芳本さんは、女性になって、衣服を脱いでシャワーをあびます。 これは二人のパントマイムで、もう一人がシャワーを演じます。女性の裸を見て興奮する シャワーの気持ちをあらわすのです。いやらしいシャワー。アンコールまであったという舞台、 それは放映されていませんでしたが、芳本さんの説明を聞いただけで、 本物を見てみたいものだと思わされました。芳本さんは、聴覚障害者なので、 彼のパントマイムは手話と連続したところもあるように思いました。
彼がアメリカ村でチャップリングッズを買っている場面があったりして、 同じようにチャップリンに心酔しているわたしもポスターがほしくなってしまいました。 あまりものにこだわりはないほうなのですが、チャップリンのポスター、欲しくなってきました。 で、いちどアメ村をぶらついてみようっと……。

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