◇2003年1月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

年賀状

初夢

なぜ賢治先生なのか?

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


2003.1.1
年賀状

謹賀新年
家の近くの叡福寺には聖徳太子の御廟があり、一遍や親鸞が詣でたという記録も残されています。 勤めからの帰り、叡福寺を通り抜けることを楽しみにしています。

一遍がのぼりし 石の
親鸞ものぼりし 段(きだ)か
今をのぼるは


本年もよろしくお願いします。2003.1.1」
これがわたしの今年の年賀状です。
この短歌、最初は「くだる」となっていたのです。

一遍がくだりし 石の
親鸞もくだりし 段(きだ)か
今をくだるは


二つ並べるということも考えたのですが、結局、年賀状ということで、 「のぼる」を採用しました。
一遍絵伝に聖徳太子御廟の絵があって、それが今に面影を残しているということは 、「うずのしゅげ通信」2002年8月号に書いたとおりです。
その御廟の石段のことを歌に詠んだものです。短歌を詠むというのはひさしぶりのことで、 そもそも拙いなりにでも歌になっているのかどうか、 それさえ心許ないのです。何とか意味は読みとっていただけるでしょうか。 自分が今踏みしめてのぼっているこの石段は、一遍も親鸞ものぼった石段なのか、 それを今わたしは祖師たちに導かれるようにのぼっている。 先行きのはっきりしないこれからの世に自分を導いてくださいという祈りににも似た思い、 その思いを込めたものです。
この「うずのしゅげ通信」、本年もまたかわりませずご愛顧のほど よろしくお願いいたします。
[追伸]
この3年間のバックナンバーからテーマにそうものを拾い集め、 「うずのしゅげ通信」アンソロジー「劇」および「性教育」を編んでみました。 それぞれのテーマに関して首尾一貫しているか、一歩一歩の積み上げができているのかどうか、 それらの判断は読んでくださる方に委ねるしかありません。 わたしとしてはただこれからも精一杯書いていくだけです。反論、異論、どんなことでも結構です、 一つ一つの記事に拘って、不備なところ、見えていないところなどご教示いただければ幸いです。

2003.1.1
初夢

『賢治先生がやってきた』のホームページはなぜあんなにダサイの?」
「手をいれれば、いれるほどひどくなっていくような気がする。」
「そんなこと言ったって、おれのセンスだもの……、どうしようもないよ。」
ということで、どこかに「賢治先生がやってきた」のホームページをもっとスマートにする 勝手連ができたようなのです。それははっきりしたことではなく 、漠然とした気配なのですが……。
「あんなダサイホームページを存在させておくことはできない。」
「おれたちの恥だ。」
「おれたち?おれたちとはだれのことだ?」
おれたちがだれのことか分かりませんでした。おれたちが家族のことなのか、 それとも職場のだれかのことなのか。
しかし、よく考えてみると、現実にそんな声が聞こえたわけではないのです。 ただ、そんな気配があっただけなのでし。そとから騒然とした雰囲気が伝わってきます。 いつのまにやらどこかに「勝手連」ができたという情報がひしひしと伝わってくるのです。 しかし、ひしひしといっても夢特有のあいまいなもので、 噂の気配といったものでしかないのですが。第一、誰がそのメンバーなのかもまったく わかりません。
「ほんとうに勝手なことだ。」と憤りとも不満ともしれない思いを持て余していると 、いつのまにかその連中が家に踏み込んできたのです。顔は見分けられません。
「出て行け。人の家に勝手に土足であがってくるなんて、非常識な……。」
わたしは叫ぶのですが、声が出ないのです。誰かが後ろから口をふさぎ、 羽交い締めにしているようで、声も出ないし、彼らの前に立ちはだかることもできないのです。 いつのまにか誰かがパソコンの前に座っています。そしてホームページはどんどん 書き換えられて、なるほどすばらしく瀟洒でモダンなものに仕上げられていったのです。 それには、ぼくもおどろいてしまいました。ぼくは、後ろの手を振りほどいて、 パソコンの前の人物を押しのけました。
「くやしいけれど、これなら恥ずかしくないな。リピーターもどんどん増えるかもしれない。」 と思わず感心のつぶやきももらしていました。
「そうだろう。しかし、このホームページは、3分で自動的に消滅する。」
黒い男はわけのわからないことを叫んで逃げるように部屋から出て行ったのです。 「スパイ大作戦」のせき立てるような音楽が鳴っています。
「えー、たった3分で……」
ぼくは、思わずそう叫んで、その声で目が覚めたのです。
はじめから薄々察していたようにすべてが夢でした。
「すごいホームページだったな。」とそんな記憶がうっすらと残っていました。
しかし、どうだったかなと先ほど暗闇の中で見たすばらしいホームページの 画面を具体的に思い出そうとするのですが、まったく浮かんでこないのです。 焦れば焦るほどそれはむだな努力なのでした。とっかかりがまったくないのでした。
夢にはそんなことってありますよね。ある種の夢は消えた後にとっかかりをまったく 残さないのです。
ということで、いまも「賢治先生がやってきた」のホームページはダサイままなのです。 だれか「勝手連」になってくれないかな。


2003.1.1
なぜ賢治先生なのか?

なぜ賢治先生なのか? 賢治劇を読まれた方は、そんなふうに思われるかもしれません。
まして、養護学校の教師ならば、宮沢賢治が、たとえすばらしい童話作家、 またとない農業学校の教師だとしても、そもそも宮沢賢治が生徒たちになんの関係があるのかと、 不審をもたれるかかもしれない。その不審がこだわりの核となって賢治劇への 共感を妨げるとすれば、何とかその障害を取り除きたいと思うのです。 「賢治先生がやってきた」で初登場する宮沢賢治は、すばらしい教師でした。 わたしは何としてでも彼に学びたかったと思うのです。すでに亡くなられた畑山博さんも おなじようなことを書いておられました。だれの思いも同じなのです。 まして、養護学校の教師として、すばらしい資質をもった人格として 思い浮かぶのはまず宮沢賢治なのです。このことに異議をもたれると、 以下の話がなかなか理解していただけないことになります。 だから、宮沢賢治を養護学校の教師としてまれにみるすばらしい可能性を秘めた人だと、 とりあえずはそのことを認めて先に進みたいと思います。
その人物がなぜか養護学校に教師として赴任してくるのです。転勤かもしれないし、 非常勤の講師としてかもしれない。そんなことは問題じゃないのです。 昭和の初期に亡くなっているはずの宮沢賢治が、どうしてか養護学校にやってくる。 そのことからして、奇跡なのです。生徒たちはすぐに理解するのです。 「賢治先生はふしぎな先生」だということを。 賢治先生は「月夜のでんしんばしら」のようなふしぎな絵を描くし、 「ほしめぐりの歌」のようなこころに響く音楽を作曲します。 「なんでも教えるふしぎな先生」なのです。また「賢治先生はなんだか宇宙人」なのです。 なぜなら賢治先生は、一度死んで、銀河鉄道で旅立ったはずなのに、 宇宙から帰還して養護学校に現れたのですから。「ふしぎを教えるなんだか宇宙人」なのです。
そんな「賢治先生がやってきた」のですから、そもそも生徒となんの関係があるのかと、 そんなことを言わないでそこに少々の無理があっても、 そこはドラマの仕掛けと寛容に目をつむっていただきたいのです。
ベケット「ゴドーを待ちながら」という劇など、 得体のしれないゴドーという人物を待ちながら二人の人物が会話するという仕掛けで 一つの劇ができあがっているのですから。
賢治先生が生徒には分かりにくいとしても、ゴドーよりは分かりやすいし、 ゴドーは結局現れないのですが、賢治先生はちゃんとやってくるのですから、 不条理性はよほど緩和されているはずなのです。
それでもやっぱり賢治先生は生徒に何の関係があるのだとこだわりをもたれる 向きには、吉本風狂言「ぼくたちはざしきぼっこ」をお勧めしたいと思います。 この劇は「ざしきぼっこ」の話を踏まえていて、それを現代風にアレンジしたもので、 賢治先生も登場しますが、「ざしきぼっこ」の筋がメインなので、 賢治登場の不条理は幾分か緩和されているからです。
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」なども、賢治先生ではなく、 宮沢賢治が登場するのでそう違和感はないと思うのですが、まあ一度覗いてみてください。

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