◇2003年2月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

ふしぎな石−古代の文字?−

賢治は『もっともだ』と肯定した

麦朝夫詩集「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの?」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


2003.2.1
ふしぎな石−古代の文字?−

うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたがみやま)を  弟(いろせ)と我(あ)が見む

大伯皇女(おおくのひめみこ)が弟の大津皇子を哀傷して詠んだ歌。

最近、万葉集を読むことが多いのです。行き当たりばったりで、 開いたところのページを拾い読みするのです。意味がわからなくても調べたりはしません。 そのまま読み流していきます。だから分からない歌も多いのですが、 中にはこころを打たれる歌もあるのです。先の大伯皇女の歌などは、弟を悼む気持ちが、 時を超えて迫ってくるような気がします。
先日、NHKラジオ深夜便で作家の竹西寛子さんとフランス文学者の杉本秀太郎さんが 「古今集を読む」というテーマで対談されていて、その中で杉本さんが、 つぎのように話しておられたのです。
「古今集って、万葉集と仮にくらべますと、万葉集ってのはなるほどいい歌ももちろんあります。 ですけど、古今集と全然違う。万葉集ってのは、たとえば鴬でいいますと篠鳴きしている、 という感じ。日本語が篠鳴きを覚えた段階が万葉集。鴬が初めてホーホケキョと鳴くのが 古今集じゃないかと思っています。」
確かにそんな感じだなあと、万葉集、篠鳴き説には、深く納得するところがあったのです。 万葉集を拾い読みしていて感じるのは、未熟な歌が多く含まれているということだったからです。 それは、たしかにそうなのですが、しかし、私としてはやはり日本語として熟した 古今集より篠鳴きの万葉集の方が好きなのです。

うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたがみやま)を 弟(いろせ)と 我(あ)が見む

ことばの装飾なしに哀傷の思いが伝わってくるように思うのです。
さて、ここにある二上山、大阪と奈良の県境にあるこの山は、 私の家から数キロのところにあるのです。昔、堺のあたりに上陸した古代人が 奈良に入るのに二上山を迂回する竹内峠を越えていったのです。私も車で通勤していたときは、 毎日この竹内峠を通っていました。峠の上からは、堺の海が状況によってはわずかに 見えることがあるのです。空気が澄んでいる夕方、海面が夕日を反射しているときなど、 海が見えるのです。自家用車で通勤していたときなど、海が見えた日はなぜか幸せな気持ちで 帰っていったのです。

その二上山から拾ってきた石があるのです。一抱えもある角張った重い石です。 拾ってきたのは亡くなった父で、中学時代ということなので、今から八十年くらい前です。 父は伯父といっしょに二上山に行って、その石を見つけたらしいのです。家までとって返して、 自転車を持っていって二人して積んで帰ったと話してくれたことがあります。
その石は、堅い石質で、歪んだ立方体のような形なのですが、その回りにぐるっと不思議な模様が 「線刻されて」いるのです。風化の痕とは明らかにことなった線が「刻まれている」というのです。
生前から父はそれが人為的に刻まれたものなのではないか、と考えていて、 歴史学者に調べてもらったこともあるようなのです。何かの文様なのか、 それとも古代の文字なのか、そんなふうなことも考えていたようです。
ふしぎな調査を依頼された学者も困惑されたことと思います。 そのときに調査をお願いした方が撮られた写真を 掲げておきます。
結論としては、人為的に彫られたものではなくて、自然にできたものではないかというような ことだったのですが、実物を見た人の中には「いや、そんなことはない」と未だに夢を持つ人がいて、 すべて決着したわけではないのです。まだ疑いは晴れてはいないのです。
ということで、いまだに、その石はふしぎな夢想を秘めてわが家に鎮座しているのです。 何かでんと「おれの秘密がお前らには分かるまい」といった大きな顔で……。

2003.2.1
賢治は『もっともだ』と肯定した

宮沢賢治に拘っている手前、賢治を論じた文章には過敏に反応しているようなところが あります。書評などでも、宮沢賢治の名前があるとつい目がいってしまうのです。
中沢新一著「緑の資本論」(集英社)も、そんなふうにしてめぐり会った本です。
で、この本は、宮沢賢治についてどのような新しい知見をもたらしてくれたのか、 そのことをここで書きたいのです。
「緑の資本論」所収の「圧倒的な非対称」という文章の引用から始めます。
短いものですが、「テロと狂牛病について」という副題を持つ、 同時多発テロからの出発を模索する論考です。
「『貧困な世界』は自分に対して圧倒的に非対称な関係に立つ『富んだ世界』から脅かされ、 誇りや価値をおかされているように感じている。」
「このような圧倒的に非対称な状況はテロを招き寄せることになるだろう。 圧倒的な非対称が、両者の間につくりだされるべき理解を生み出すいっさいの 交通を阻んでしまっているために、愛であれ憎しみであれ、そこに交通の風穴を開けるためには、 交易や結婚や交流や対話によるのではなく、テロによる死の接吻ないし破壊だけが残された 手段となってしまうのである。」
「二十一世紀はじめに世界規模で現実のものとなった、この圧倒的な非対称が生み出す 絶望とそれからの脱却について、時代にはるかに先駆けて思考して作家がここにいる。 宮沢賢治である。宮沢賢治は人間の世界につくられてきたこのような非対称関係には、 さらに根源的な原型があると考えていた。それは近代における人間と 野生動物の関係である。(中略)このような圧倒的な非対称が生み出す暴力に さらされた野生動物が、人間に対して企てるテロを、宮沢賢治は『もっともだ』と言って 肯定したのである。(中略)山猫が都会から鉄砲片手に森にやってきた紳士たちに、 じつに手の込んだ洗練された報復テロを加える『注文の多い料理店』のような作品のことばかりを 考えているのではない。いま私の考えているのは『氷河鼠の毛皮』のことだ。」
こんなふうに論じているのです。「氷河鼠の毛皮」という作品を読んだことがありますか。 「白熊とも雪狐ともおぼしき北極地方の偉大な野生動物」たちがテロリストとなって、 毛皮をしこたま着込んだ大富豪の乗った高級急行に乗り込んでくるのです。 結局このテロは、一人の青年の機転によって失敗するのですが、 彼はテロリストを憎むのではなく、作者を代弁するようにつぎのような言葉を吐くのです。
「おい、熊ども。きさまらのしたことは尤もだ。けれどもなおれたちだって仕方ない。 生きているにはきものも着なけゃあいけないんだ。おまえたちが魚をとるようなもんだぜ。 けれどもあんまりな無法なことはこれから気を付けるように云うから今度はゆるしてくれ。」
中沢新一のこの切り口は斬新なものでした。それまでに読んでいたにもかかわららず、 こんなふうに今回の同時多発テロと関係づけて考えなかったからです。 一度こういうふうに読んでしまうと、かえってそれから逃れられなくなるような気がします。 そういえば、「なめとこ山の熊」の話も中沢氏のいうように銃器を持ったために 圧倒的な優位にたった人間と熊との勝ち目のない闘いの話であり、 それが資本主義というものとも関係していることを暗示しているような作品だったと、 あらためて読み直したくなったのでした。


2003.2.1
麦朝夫詩集「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの?」

同人誌「火食鳥」の仲間である麦朝夫さんが詩集を出版されました。
麦朝夫詩集「世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの?」(鳥語社)が それです。
どんな詩かというと、こんな詩なのです。題名の由来となっている詩です。

手のひら

土から顔を出している小さな箱を 開けようとしただけ
地雷だった と突き出している
アフガンの子供の シンとない 両の手のひら

世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしてるの?
また砲撃から走るパレスチナの子供が 母親に聞いた
とコラムで読む そんな 朝の水をすくう
手のひらみたいにおんなじ世界
じゃなくて またおばあちゃんと夜更けに走った病院は
過保護と来た子供たちでいっぱい
赤ん坊が泣き続け 点滴をくくりつけられた女の子が
だだをこねて 自由な方の手のひらで
人の深く切れた指で

狭い世界の すぐ横でうつむいていたぼくの背中を
敵みたいに つかむ


「アフガンの子供の シンとない 両の手のひら」と日本の過保護の女の子の 「深く切れた指」の対比。そして「ぼくの背中を 敵みたいに つかむ」のは、 「深く切れた指」だけではなく、じつは「アフガンの子供の シンとない 両の手のひら」 もまた「ぼくの背中を 敵みたいに つかむ」のだ。「敵みたいに」、 それは地雷を埋めた人たちと同類として。
一筋縄ではいかないイメージの重奏。
これまでの詩集にくらべて今回の詩集「世界中どこでも……」は、難解なようです。 そのわけは「あとがき」にありました。
「身近な死などを書いていたら、すさまじい死が現れて、書き方もわからなくなりました。」 と書き出されています。「すさまじい死」というのは、同時多発テロやアフガン 攻撃のことです。
「侵略し空爆された国で、物事を感じ始め、詩などを書いて生きてきたのです。 たわいないうたの底から、国民学校と呼ばれた小学校でまいにち殴り倒された恐ろしさも、 また目をさまします。
今も銃撃されている子供の問いの前で、死を考える年齢が来た、この暮らし。 せっぱつまった、おかしな言葉で、書いてしまうよりありません。」
(現代のすさまじい死に曝される)「子供の問いの前で、(自分の)死を考える」となれば、 難解でない詩など考えられるでしょうか。そんな現代に詩によって肉薄しようとすれば 「せっぱつまった、おかしな言葉」と知りつつ、投げ出さざるをえなかったということ、 そのことだけは何よりも十分に納得される詩集なのです。
そういえば麦朝夫さんの紹介を忘れていました。
その道ではなかなか有名なのですが、「あとがき」でも分かるように少国民世代ですから もうかなりのお歳で、インターネット界隈には近づかないという主義をお持ちで、 この方面ではあまり知名度はないようなのです。でも、詩集は10冊ばかり出されているし、 食わず嫌いのインターネットでも、Googleで検索すると36件ものあたりがあるのです。 知る人ぞ知る詩人なのです。
で、ぼくの好きな詩を一つ。麦朝夫詩集「あるいてますねん」(編集工房ノア) 所収のものです。

馬糞

わが生まれて暮らす土地に 昔
一路という坊さんがいたらしい
一休さんともさわやかな
問答を交わしたことのある人物だが
いつも松にふごを垂らしておいて
人々に食べ物を入れてもらった
ある日 悪童たちがそのふごに
馬糞をいたずらで投げ込んだら
その日から食を絶って果てたという
この話を祖父から聞かされたとき
馬糞は人を殺すんだなあと思った

そんな話を聞いた子どもの頃は戦争で
運動場の畑にまく馬糞拾いも
なんと授業のうちだった バケツを提げて
かつて一路さんも住んだ辺りの一筋のみちを
みんなといっしんに拾って歩いた
爆弾などが殺す世界で
馬糞によって生きるために


書き写していたら一路という坊さんのことがもっと知りたくなってきました。
調べてみましょう。もし何か分かったらまたここで、「うずのしゅげ通信」で報告します。

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