◇2003年3月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

年々歳々、花相似たり

賢治先生にまなぶ

斉藤道雄「悩む力」−べてるの家の人びと−

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


2003.3.1
年々歳々、花相似たり

1月下旬から2月にかけては、もっとも寒いころかもしれませんが、 ぼくには花の期待があって一番すきな季節でもあるのです。

年年歳歳花相似  年々歳々、花は相似たり。
歳歳年年人不同  歳々年々、人同じからず。

有名な唐詩選の詩、劉廷芝の作です。
3月になると一度は思い浮かべてしまうのです。
毎年毎年花は同じように咲きますが、人は同じではない。人のうつろい、 身にしみるような実感があります。
ぼく場合、散歩の楽しみの一つは花を見ることにあります。
「ことしもまたあの斜面にやぶみょうがの花はさくだろうか。」
「うわみずざくらの樹は、去年どこに見つけたのかな。」
楽しみはつきないのです。
近つ飛鳥博物館のある風土記の丘、古墳公園を歩いているといろんな花に めぐりあいます。
今年はぜひ花のイラストマップでもつくってみようなどと考えているのです。
ぼくの育ったあたりでは、東大寺のお水取りがすむまでは、まだまだ寒いというふうにいいます。
もうすこしするとお水取り。温かくなってしまうと、おもしろくないのです。
寒い中ではると待ちこがれているいまがいちばんいい季節のような気がします。

手話人形劇「手話のなみだはつちにふる」を上梓しました。
ろう学校の教育の中で手話が禁止されてきた、という歴史を踏まえた劇です。 また、興味のある方はお読みいただきたいと思います。
年々歳々ホームページ相似たり、では見てもらえませんから、毎年少しずつあたらしい作品を 加えていって、現在に至っています。
ご意見を聞かせていただけたらと思います。

2003.3.1
賢治先生にまなぶ

養護学校の教師であるわたしとしては、花巻農学校の賢治がどのような教師で あったかにもっとも興味があるのです。それについて、芥川賞受賞作である 「いつか汽笛を鳴らして」以来共感を持って読んできた作家畑山博が 次のように書いています。(畑山博さんはすでに故人で、彼が亡くなられたとき、 この「うずのしゅげ通信」でも触れたことがあります。)
畑山博さんは、花巻農学校で賢治の授業を受けた数少ない教え子に聞きまわったのです。 そして、結論はつぎのようなものです。(「『宮沢賢治』の生き方に学ぶ」 (サンマーク出版)の畑山博の文章より引用)
「まず、賢治の授業がどのように構成されていたかについて説明します。その要点は
・記憶のチップを詰め込むのではなく、生徒一人ひとりが自分の想像力で人生を 開拓していけるような魂の鍬を持たせる教育。
・観念ではなく、イメージで教える。
・どんなときでも、生徒一人ひとりの、その今ある人格、能力よりも高いレベルを 想定して話しかける。つまり、相手の能力の先取り。
・授業の一つ一つが、あたかも一編の長編ポエムででもあるかのような言葉で、 ミステリアスなストーリーをもって行われる。
というものです。」
教師としては、なかなかむずかしいですね。
わたしとしてはポイントは想定のレベルというところにあるように思うのです。
「どんなときでも、生徒一人ひとりの、その今ある人格、能力よりも高いレベルを想定して 話しかける。つまり、相手の能力の先取り。」
養護学校の場合、この想定されるレベルの取り方がなかなかむずかしいのです。
自分の授業がほんとうに適当なレベルにあるのかどうか、いつも反省してしまうのです。


2003.3.1
斉藤道雄「悩む力」−べてるの家の人びと−

かつて幻聴に悩む生徒がいたことがあります。理解力の高い生徒でした。 電車の中で「死んでしまえ」といった声が聞こえるといって、訴えるのです。 ひどく怯えているのです。それが、かれにとってどれだけリアルな恐怖なのか、 まざまざと感じられるのです。
「だれも君のことを知っている人がいなかったでしょう。」と説得しても、 理屈などなんの足しにもならないのです。聞こえるものは聞こえる、 聞こえたときは死ぬほどの恐怖だというのです。学校でも聞こえたことがあって、 そのときは突然走り出して、学校から逃走したのです。通学途上にも逃げて、 なんども捜索したことがあります。
自我が弱くて、分裂した片割れがもう一方の自分を攻めていると、 精神科の医者は分かったような分からないような説明をされるのですが、 そんな分析は彼の幻聴には何の効果もありません。
彼は卒業後も社会生活になじめなくて、苦しんでいます。

斉藤道雄「悩む力」−べてるの家の人びと−には、 そのような幻聴に苦しむ分裂病患者も多く登場します。たとえば、 こんな例が最初に紹介されています。
「分裂病患者にとって幻聴は、なにしろリアルでとても空想の産物とは思えない。 いつも頭のなかで不意に声がして、いきなり『なにしてんだ!』とか、 『だめじゃないか!』と”責めて”くる。人によって聞こえ方はさまざまだが、 大坂君の場合、幻聴は三人の声が入れかわり立ちかわり聞こえてくるのだという。 まるでそこにほんとうに人がいて、話しかけてくるようなのだ。だから思わずびくっとしたり、 とっさに口答えしたりしてしまう。おまけに彼の幻聴は意地が悪く、 自分がやろうとしていることをいつも先まわりしていってくる。薬飲めよ、とか、 風呂に入れよ、とか、そうしようと思っていることを先にいわれると、 もういらいらして怒ったり笑いだしたりしてしまう。いちばんかなわないのは、 それが幻聴でどれが現実の声かわからないときがあることだ。」
そんな精神病患者が共同生活しているのが、べてるの家なのです。
べてるの家がどんないきさつでべてるの家になり、日々の生活がどのように営まれているのか、 それは読んでもらうしかありません。彼らが語ったことばをそのままに読んで もらうしかないのです。真理は細部に宿るということばそのままです。 まとめて紹介などとてもできないのです。
養護学校の教師として考えさせられるところも多くありました。
著者の斉藤道雄さんは、「あとがき」でつぎのように書いておられます。
「三十二年間報道現場にいて、取材しながらこれほどまでに自分の生き方を考えさせられた こともない。やがて私はそこでジャーナリストとしての倫理だとか力量だとか、 そんなものが意味をなさないほどに自分自身が問われていることに気づくのであった。 精神障害を知り、理解しようとしてはじまった取材はいつしか当初のテーマからはなれ、 人間とはなにか、生きるとはどういうことかを考える日々におきかわっていた。」

ぜひ読んでいただきたいとお勧めします。

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