◇2003年6月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

ニアミスはあったのか?

河内弁「日本国憲法」

ショートショート「賢治先生との『虔十公園林』をめぐる対話」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


2003.6.1
ニアミスはあったのか?

その人がいたから、この世に生きている価値がある。その人の人生を見ていると、 何とも楽しくて、自分も生まれてきてよかった、この人生も生きるに値するかもしれないと 信じることができる。そういった人物が、私には何人かいる。宮沢賢治であり、 チャップリンであり、また棟方志功などです。
そして、ふと気づいたのですが、彼らは、歴史空間において、かなりニアミスをしている かもしれないのです。歴史ゲームとして、ここでは、あったかもしれない彼らのニアミスに ついて想像してみます。
そのあったかもしれないニアミスをあったこととして劇化したこともあります。
先日、NHKの「その時歴史が動いた」で、5.15事件のことをやっていました。 1932年(昭和7年)5月15日のテロ。その日たまたま首相官邸を訪問予定だった チャップリンも暗殺のリストにあがっていたという歴史秘話を特集していたのです。 もっとも、その事実は目新しいものではありません。「チャップリン自伝」にも、 その事実に言及した個所があるのです。そこでは、クーデタの首謀者、古賀清志の取調の 様子が引用されています。

「判事 チャップリンを殺すことに、どのような意味があったのか?
コガ(首謀者古賀清志) チャップリンは合衆国の有名人であり、資本家どものお気に入りである。 われわれは彼を殺すことによって、アメリカとの戦争を惹き起こせると信じた。つまり、 一石二鳥を狙ったのだ。」

この事件の前、昭和7年に入って血盟団が次々に暗殺事件を起こしていました。血盟団というのは、 日蓮宗僧侶井上日召が率いる一人一殺のテロ集団でした。彼らは事件直前につぎつぎに 逮捕されていました。5.15事件を起こした青年将校たちは、井上日召の影響を受けて、 テロによって当時の日本が陥っていたどん詰まりを打開しようとしたのです。 彼らは「日本の更生」のために「我々は立つ」いう決意のもとに事件を起こしたのです。 当時社会を動かす思想として日蓮主義の果たした役割は計り知れないものがあるように おもわれます。そして、実は宮沢賢治もまた日蓮宗に深く関わっていたのです。
賢治は宗教上の理由によって父と諍い、大正10年に上京した折、田中智学の 「国柱会」に入会しています。街頭布教もしていたようです。 しかし「生業をもって大衆の教えをひろめるのが純正日蓮主義の信仰であると説かれ、 文筆による布教を決意して猛然と創作に励む。」(「文芸読本 宮澤賢治」年譜)。 法華経への打ち込みが、童話を生み出す活力のもとでした。
チャップリンが来日した昭和7年といえば、賢治が亡くなる前年ですが、もし上京していれば、 国柱会の街頭布教という絆が二人を引き寄せて、どういう風にかは想像できませんがニアミスの 可能性もあったように思うのです。
それが、賢治とチャップリンのニアミス。
もう一つのニアミスは次のようなところに顔をのぞかせています。
文芸読本「宮沢賢治」年譜の昭和7年の欄に、「『児童文学』第2冊に『グスコーブドリの伝記』発表。」 とあるのです。
その冒頭に、棟方志功が挿絵を描いています。どういう経緯で挿絵が棟方に依頼されたのでしょうか。 お互いに親交があったというふうな記述を読んだことはないのですが、実際はどうなのでしょうか。 棟方志功「わだばゴッホになる」(日本図書センター)の後ろの年譜にも賢治への 言及はありません。
昭和7年の欄には、入賞の紹介があり、その後に「郷里より上京した家族とともに 中野区大和町180番地に住む。」と、それだけです。
挿絵の経緯も知りたいものですが、ともかく、ここに賢治と志功のニアミスが ほの見えています。
歴史に強い方、このあたりのニアミスの可能性について詳しく 教えていたできたいのですが……。


2003.6.1
河内弁「日本国憲法」

先日近くの本屋さんでまたあの本を見かけたのです。
南河内ことば辞典「やい われ!」(富田林河内弁研究会編)という本。 それも私が以前購入したときは初版本だったのですが、こんど見つけたのは改訂版なのです。
「やっぱり売れているのか」というのが、うれしいような恥ずかしいような驚きでした。

河内弁といえば、日本国憲法を河内弁に翻訳したことがあるのです。憲法の文章というのは、 むずかしすぎて生徒は読んでも意味が分かりません。 というより、読むこと自体が難しすぎるのです。社会の授業で、 (私は理科の教師なのですが、以前社会を教えたこともあるのです。) 憲法を教えるのに困ってしまいました。読めなければ読めるように、 ということで河内弁に訳してみたのです。
すると、ちゃんと読めるのです。説明するのではなく、まずは、 読むことからはじめたいものです。
で、その「河内弁『日本国憲法』」とやらは、どんな風かって?
それは、こんな風なものになったのです。
日本国憲法
昭和21年11月3日公布
昭和22年5月3日施行
《前文》
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……ここに主権が 国民に存することを宣言し……日本国民は、恒久の平和を念願し、……日本国民は、 ……全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
なるほど、これでは生徒が読んでも分かりませんね。それより字句が難しすぎて読めません。 で、河内弁ではどうなるか。
河内弁 日本国憲法
憲法いうのは、まあ法律の親分でんな。日本が戦争にまけて、まあ、国の出直しというんで、 新しい憲法をつくったんですな。これが親分になったのが、昭和22年5月3日、 だから5月3日が憲法記念日になった。
(生徒が「憲法記念日いうのは、まるで親分の襲名披露の日みたいやな」とツッコミを 入れてくれればしめたものです。ツッコミが入らなければ、自分で入れるしかありませんが。)
《前文》
これからは「民主主義」や。国会議員を選んで、何でも決めていくんや。 せやからなんというても国民が一番えらいんやで。日本国民はずーと平和が続くように 祈ってるねん。……一生懸命にそうなるようにがんばることを誓うで。」
つぎに、第1章第1条。
「第1章 天皇
第1条【天皇の地位・国民主権】
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、 主権の存する日本国民の総意に基づく。」
これは、つぎのように訳しました。
「第1章 天皇
第1条【天皇の地位・国民主権】
天皇は、日本の顔や、日本人の顔や。それはだれが決めたんでもない、 一番えらい国民がみんなで顔になってもらうようにまかせたんやな。」
さらに第2章第9条。
「第2章 戦争の放棄
第9条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】
@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」
これはつぎのようになります。
「第2章 戦争の放棄
第9条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】
@ 日本国民は、世界の平和を願っているので、戦争をしたり、おどしたりすることを、 これからずっとせえへんでということやな。
A だから、陸軍、海軍、空軍などの軍隊や武器はもたへん。戦争することは認めへんで。」
天皇が「日本国の象徴であ」る、ということを「天皇は、日本の顔や」と訳してみたが、 はたしてそれでよかったのか、まだまだ検討の余地はあります。
それにしても、第9条など、最近の自衛隊をみていると、「あってなし」に見えてくるのですが、 どうでしょうか。
「やい われ!」には、「あってなし」の解説にこうあります。
「あってなし ないも同然。あってないようなもの。『それやったら法律もアッテナシやないけ』 (それだったら法律もないのも同然じゃないか)」と。
そんな世の中になってきているのでしょうか。
もうひとつ、今の世を表すのにうってつけのことば「あっぱっぱする」。 「あってなし」のつぎに載っていました。
「あっぱっぱする @溺れかける。A倒産寸前『あそこの店あっぱっぱらしいで』 (倒産寸前らしいよ)」
会社が資金繰りが苦しくて、あっぷあっぷしている、よく感じが出ていると思いませんか。
「やい われ!」は、このように読んでいて楽しい辞典なのです。


2003.6.1
ショートショート「賢治先生との『虔十公園林』をめぐる対話」

賢治先生 また一つ脚本を書いたらしいな。
作者 はい、「手話の涙はつちにふる」という人形劇を……。
賢治先生 しかし、そこに私は登場していないようだ。
作者 賢治先生は登場しませんが、その代わりといっては、何ですが、 「よだかの星」のストーリーを盗用させていただきました。
賢治先生 飽きもせず、書きも書いたり……これで十一作になるかな。 どうして、そんなに宮沢賢治にこだわるのだ?
作者 それはどこかでも書きましたが、教師としての立場から言えば、 賢治先生が、養護学校の教師としての理想だと信じているからですが……。もう一つ、 生徒にとっては、賢治先生のような先生がいれば学校も楽しいだろうと……、不登校で、 学校の楽しさをしらないままに、退学していく生徒を見ていると切ないものがありますから……
賢治先生 そんな生徒に対しては誰だって何もできないだろう。そんなふうに、 私を理想化する風潮にはこりごりなのだが……。
作者 立派な人間としてあがめているわけでもないのです。宮沢賢治という人間は、 当時の村社会ではどこか疎外されていたように思います。時代を先取りしたあんな風変わりな 行いが村社会にすんなりと受け入れられるわけはないですよね。
賢治先生 たしかに、私の一生は、まわりに受け入れられない孤立のなかでの 押し問答のようなところがあったが……。
作者 宮沢賢治は、ほんとうは人間嫌いだったと主張する人までいるほどですね。 しかし、それもひっくるめて、養護学校の教師になった賢治先生を見てみたいという気持ちを 抑えることができないのです。
賢治先生 そう言ってくれるのはありがたいが……。
作者 ところで、この際ですから一つお聞きしたいのですが……。
賢治先生 何のことかな?
作者 ぼくは、以前から賢治先生の「虔十公園林」という作品がずーと 気になっていたんです。主人公の虔十は知的障害をもった子どもとして描かれていますね。 たとえば、「虔十は、いつも縄の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいて ゐるのでした。」とあります。養護学校には、こんなふうにいつも笑っている生徒がいますよね。 それに素直なんです。「おっかさんに云いつけられると虔十は水を五百杯でも汲みました。 一日一杯畑の草もとりました。」。まるで、自分の意思がないみたいですね。
そして、最後のあたりに、「その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。 いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。」という、今では差別と見なされかねないような 表現があります。
こんな風に読んでいると、僕には、虔十が高等養護学校の生徒に重なって見えてくるのです。
賢治先生 なるほど。で、それがどうしたのかな?
作者 「今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがった」虔十が、「家のうしろの野原さ」 植えるから「おらさ杉苗七百本、買って呉(け)ろ」と云いますね。 この発想がどこから出てくるのか分からないのです。虔十のことばとして、ここだけが、 リアルでないというか、浮いているように思うのです。
賢治先生 そうかもしれんな。しかし、わたしは養護学校の生徒の口から、 まれに聖書のような深いひとばがでてくることがあると信じている。聞く耳をもっていれば、 その深いことばを聞き取ることができるにちがいないのだ。あとにも、書いているように、 それこそ「十力の作用は不思議」とでもいうしかないようなことばを吐くことがあるが、 聞く耳がなけらば、それはただのバカげた話として笑いとばされるだけだ。虔十の場合、 父親には、その深いことばが聞こえたのだろう。だから、杉苗を「買ってやれ、買ってやれ。 虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と 虔十の願いを入れたんだな。
作者 ふーん、賢治先生は生徒をそんなふうに見ておられたんですか。
賢治先生 だから、それがあるから、「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかは わかりません。」という結論になるわけだ。彼らのことばはとてつもなく 深いことがあるものだよ。
作者 なるほど……、しかし、よく分からなくなってきました。もう一度考えてみます。 「虔十公園林」については、またあらためて取り上げることにします。
とりあえず今日はお付き合いいただき、ありがとうございました。

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