◇2003年7月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

大阪芸大映画村

本との出会いはふしぎ

障害者の「性生活」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


2003.7.1
大阪芸大映画村

先日の朝日新聞夕刊(2003.6.27)に次のような記事が載っていました。
「学内撮影所で才能を育成
熊切和嘉(28)、山下敦弘(27)……。大阪芸術大学を卒業した若手映画監督が今、 続々とメジャーに進出している。背景には、同害学教授中島貞夫監督『大学を撮影所に』 計画がある。卒業制作の季節には、60年代の撮影所のように、 並行して何本もの映画が撮られる。活気に満ちた切磋琢磨が新しい才能を育てている。」 (阿久沢悦子)
はじめて知ったのですが、何人もの若手映画監督が育っているのですね。 驚くとともにすこし誇らしい気持ちにもなったのです。何しろ私は、いま大阪芸大のある村に 住んでいるのです。
それだけではありません。私の両親は、今から二十五年くらい前まで芸大前で喫茶店を開いて いたのです。(店名を喫茶びんと言って、実は、私も脱サラして、教師になるまでの数年間、 喫茶店を手伝っていたことがあるのです。)また、当時からつい最近まで下宿もやっていた (もちろん父が。)のですから、因縁は浅くはないのです。お世話になっているのです。 その古い下宿も2カ月程前に壊しました。解体しているとき、 下宿生の友人だという写真学科の学生さんが、写真を撮りたいと半分こぼたれた 建物の二階をうろうろしていました。
村中を散歩していると、映画の撮影をしている現場などにもよくでくわします。 白昼村中で演技しているのなどしらけた風景ですが、そんな中から着実に映画人が 育っていたのですね。
朝日の夕刊の記事に山下敦弘監督がこんな話を寄せています。
「大学の場所が奈良との県境でしょ?周りにブドウ畑しかない。 梅田に映画味に行くのも一仕事。寮で寝るか、ビデオを見るか、映画作るか、 しかないんですよ。で、ひたすら映画作った」
まさにその通りなのです。「奈良との県境」で「周りにブドウ畑しかない」田舎なのです。
「映画作るか、しかない」と言っているが、いい映画を作りたいという 強い意志がなにとものにはならないのですね。 父がやっていた寮にも映画を志している学生がいて、卒業してから、 夏休みに、寮をスタッフの宿舎にして映画を撮るからと何日か借り切っていたこともありました。 彼はどうしたのでしょうか。そういえば、寮には漫画家志望の学生も多くいたのです。 その希望をかなえるために上京していったものも何人か知っています。 マンガの参考にするというので、 父に軍隊の経験を聞きにきた下宿生もいました。和服が似合う変わり者でしたが、 いまどうしているのでしょうか。芸大が発行しているマンガ同人誌に載せてもらったものも いたのです。なつかしいですね。すべてがなつかしい。


2003.7.1
本との出会いはふしぎ

目が悪くなってから本を読む量が極端に減ってしまいました。 本を選ぶハードルが高くなったともいえそうです。 家にある本をなんとか減量しようと虎視眈々とねらっている家内などは 買ってくる本が減ったのでひそかに喜んでいるようです。 最近では一冊の本さえ読まない月さえあるほどです。本屋に立ち寄る回数も減ってきています。
先日久しぶりに行きつけの中規模の書店に行ってみました。 表ががらっと改装されていて驚いたのです。その日は暇でじっくり本を見て回っていました。 吉本隆明さんの「詩歌」という本を書棚に見つけました。買おうか、やめるか、 迷いがあったので、他の書棚に移っていきました。そして、やっぱり買おうと決めて、 そこに戻るとその本がないのです。すこしの間に売れてしまったのか。 これまで古本屋などでは、ほしい本を見つけたら即買うと決めていました。 用事を済ませて帰りに買おうと思って、帰りによったらすでに売れていたということも あったからです。しかし、いまはたったの10分。そういえば、ぼくがその書棚を見ていたとき、 隣のあたりを店主がうろうろしていたのを思い出したのです。もしかしたら、 店主が返品しようと持ち去ったかもしれない、そう考えて、レジの近くのワゴンを調べたのです。 ありました。返品か、移動かはわかりませんが、その本はそこに積まれていました。
さっそくレジに持っていきました。
で、本の感想はというと、大変おもしろかったのです。
吉本隆明さんといえば、「言語にとって美とはなにか」など、詩歌を論じる基礎に言語論があり、 その片鱗がうかがえて興味深く読ませていただいたのです。単に解釈だけを並べたアンソロジーと そんなところがおおいに違うところだと思います。お勧めの本です。

本についての話題をもう一つ。以前から読みたいと思っていた 最首悟「星子がい居る」(世識書房)を手に入れました。 インターネットでYAHOOの本屋さんに注文したのです。
まだ読了したわけではないのですが、なにしろ450ページもある大部な本なので、 それに内容が難解なのでいつになったら読み切れるかわからないというわけで、 とりあえずは読み始めたということを記録しておこうというわけです。 最首悟さんと言えば、水俣病への取り組みが思い浮かびます。 以前に「生あるものは皆この海に染まり」という著書を読んでもいます。 その最首悟さんが、ダウン症のお子さんである星子さんのことを中心に 考察したのがこの本なのです。 なにしろ最首さんは、「障害児を普通学校へ」という運動をしているかたです。 どのような理論をもっておられるのか、養護学校の教師としてその考え方を学びたいという 思いがあったのです。
星子さんは、言葉がありません。
「言葉がないということは、ふつう自他の区別がまだできていない赤ん坊の状態を意味します。 星子が赤ん坊なのかどうかはすぐにはいえませんが、星子に付き合っていると、 おのずから、自他未分離のものが発している『信頼素』みたいなものが充ちているような 場に気づくといいうようなことがあるのかもしれません。『信頼素』というのはおかしな 言い方ですが、それにふれると疲れが取れるみたいな、ゆったりできるような何かです。」
「七歳までは神のうちという言い方がありますが、星子はその状態がずっと続いていて 、年寄りから『まんまんさん』と呼ばれることがあります。 ただ、そういう感覚が『あの世』と結びついているとなると、 どうしても、星子は敬して遠ざけられることになります。
といっても『この世』に星子の居場所はなさそうです。もう一つの世界が必要です。 おかしな言い方になりますが、『その世』というもう一つの世界が『この世』に張りついていて、 星子はそこで生きているんだけれども、私たちには『この世』で生きているようにしか 見えない。」
大江健三郎『信仰をもたない者の祈り』という言い方は、星子と暮らしていると よくわかるのですが、やっぱり宗教へ到ろうとする『無数のいのちのざわめき』という 石牟礼道子のほうに惹かれます。彼女の世界では、幼子や気のふれたお婆さんや口をきかない 女の人が『その世』への案内人になるのですが、私には、どうしても、 それを文学上という枠内で読むことができないところがあります。」
「星子の居場所」という文章から引用しました。このような感性と論理をこれからたっぷりと 楽しませてもらおうと思っています。


2003.7.1
障害者の「性生活」

学校での性教育の時間に、卒業してからの「性生活」の話をしました。
以前にも取り上げたことがありますが、「一人のセックス、二人のセックス」と 二つを対等にならべることによって、「一人のセックス」を肯定しようというものです。 (もちろん生徒の中にも「二人のセックス」が本物で、「一人のセックス」がまがいものという 思い込みは厳然とありました。)
賢治先生の「イーハトーボへ、ようこそ」は、賢治先生が、「一人のセックス」も 含めて性というものを大肯定するという劇でした。生徒たちに一人のセックスしか 許されていないとしても、それならそれで、その一人の性を大肯定しようという試みでした。 高等養護の卒業生が結婚する可能性はまだまだ低いのです。誰かが一人のセックスを 大肯定しなければ、彼らの「性生活」はそれこそ貧弱なものとならざるをえません。 家族からさえ彼らの「性生活」はありえないものとして、潰されてしまいかねません。
性教育の時間はじめて「卒業後の性生活」ということばを使ってみて、あらためて、 そういう観点の重大性を思い知ったのでした。生徒たちに直接教える必要はないかもしれませんが、 教師としてその内容を考えるとき、卒業生の生活の一部としての、 それも大切な一部としての「性生活」という観点を持つか持たないかで、 大変な違いがあると思いました。そういったことばを掲げることで、 「性生活」が何かとても大切なもののような気がしてくるから不思議ですね。
「一人のセックス」ということばも同じですが、やはりちゃんとしたことばをあたえることに よってはじめてそれを肯定することになるのだなあとつくづく考えてしまいました。

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