◇2003年12月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

棟方志功展

視線

命の授業

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


ことし1年間、ご愛顧ありがとうございました。読者がいてくださるということを励みに、 この「うずのしゅげ通信」を続けております。 感謝あるのみです。
よいお年をお迎えください。

2003.12.1
棟方志功展

先日、奈良県立美術館の棟方志功生誕百年記念展−わだばゴッホになる−を見てきました。 期待していたとおりやはりすばらしいものでした。
そのなかに「不来方板画柵(こずかたはんがさく)」がありました。 賢治の「雨ニモマケズ」を彫り込んだ板画です。「不来方」というのは、 「賢治ゆかりの岩手県森岡城付近の古い地名」と解説にあります。
宮沢賢治棟方志功、この二人は、わたしにとって特別な存在なのです。 変に聞こえるかもしれませんが、彼らがこの世にいたというだけで、 この世界は生きるに値すると、生きる勇気をもらえる存在なのです。 だから、同時代を生きた賢治と志功の関係がどうなっていたのかは、 興味のあるところです。交流はあったのか、何らかのニアミスは考えられるのか、 「不来方板画柵」の解説が、そのことにふれているので引用させてもらいます。
「直接の交流は無かったが、棟方は同じ東北人ということもあり、 宮沢賢治の文学作品やその根底に流れる仏教的世界観に対して早くから 特別な感情をもっていた。未完成のまま終わってしまったが、 昭和11(1936)年には賢治の童話『なめとこ山の熊』をもとにした 《なめとこ山の熊版画》を手がけているし、昭和19年には、詩『雨ニモマケズ』を 題材にした《雨ニモ負ケズ板画巻》を制作している。」
これまで気になっていたので、なるほどそういった関係だったのかと納得がいったのでした。 賢治の鉱脈の一つが深いところで、たしかに棟方志功の板画につながっているような気がします。 それはどう表現すればいいのでしょうか。たとえば、東北の民俗につながりながら、 世界的な普遍性をもった個性といったようなもの、そうとでもいうしかないようなものです。
ところで、展示されていた「不来方板画柵」、仏様やら、山、森、鳥、魚、竹などが 散りばめられた画面に、『雨ニモマケズ』を彫ってあるのですが、「ソシテワスレズ」の一行が 抜け落ちているのです。
そのことについて、志功はつぎのように嘆いています。
「この詩を彫ると、どこかを間違えるか、忘れるか、字が一ツ欠けたりするので、不思議です。 なんべん彫ってもそうなるので困ってしまいました。それが、今でもそうなんですが、 ますますもって不思議千万なのです。これは永遠の間違いとでもいうのでしょうか。 いまだに完全無欠にされていない仕事だと思ってあきらめています。」
実際、彫られている詩句をたどると、「ソシテワスレズ」が抜け落ちているのです。 まるで、賢治が「お前の『雨ニモマケズ』はまだまだ完全無欠じゃない」と、 志功の尻をたたいているようでおかしくなってしまいます。 志功自身もふしぎがっているのですが。


2003.12.1
視線

ろう学校に勤めていたときのことです。ろう学校では毎年高等部の生徒がスキーに行くのです。 わたしはスキーはほとんどできなくて、生徒といっしょに練習している程度なのですが、 そのこともあって、スキー場での二日目、重度重複の女生徒をみながら食堂で過ごすことに なったのです。
彼女は、一見して障害を持っているとわかる風貌でした。ことばはありませんでした。 ろう学校ですから、耳が聞こえないはずなのですが、聞こえているのではないかという噂も ありました。知的障害が重くて、検査の確認ができないのです。それでも機嫌がよければ 声をたてて笑うこともありました。
そんな彼女といっしょに食堂ですごしていました。はじめはなんのかのと 話しかけたりしていたので、気がつかなかったのですが、そのうちにふと気になりだしたのです。
まわりの視線がいつもとちがうのです。私はそんな視線を向けられた経験がなかったから、 はじめてのふしぎな感覚でした。
その視線は、私と女生徒とを親子と見ていました。そして、視線には何か意味が こめられているようなのです。しばらくして、そうかと思い当たりました。 憐れみを含んだ視線なのです。ひらめくように同情がわたしを刺してくるのです。
「お子さん、たいへんでしょうね。」と。
そういった視線がちろちろと揺らいでとおりすぎていくのです。
わたしは、気になってしかたがなかったのですが、しばらくして慣れてきました。 そして、開き直りもしていたのです。
「そうです。娘です。でも、そんなに同情してもらうことはありませんよ。」と。 そんなふうに無言のバリアーを作っていたのですね。

それだけの話なのですが、いまだにわたしの中に強い印象を残しているので、 短編風に書いてみました。


2003.12.1
命の授業

今年の日本賞「こども 輝けいのち 第3集『涙と笑いのハッピークラス』 〜4年1組 命の授業〜」(日本放送協会)が受賞しました。 日本賞2001は、「音のない世界で」というアメリカの聴覚障害者の社会に 密着したドキュメンタリーでした。たいへんすばらしい番組で 教えられることが多かったのです。以来、日本賞には注目するようになったのです。
それで、日本賞の特集番組を録画しておいたのですが、勤労感謝の日の連休に見ました。
ハッピークラスの命の授業は期待を裏切らない感動をあたえてくれました。
それは、金沢市の校外にある南小立野小学校4年1組35人の1年間を取材した番組です。 担任の先生は金森俊朗さん、57歳です。3年生のときから引き続いての担任で、 クラスの目標は、人生は一度しかないのだから、お互いのこころが繋がることで、 みんながハッピーになること。
金森先生はみんなに宛てた手紙のノートに書かせています。曰く「手紙ノート」。 「一番は共感だろうと思います。ぼくなんか大好きなことばに、こころに人を住まわせる。 こころに定員はないから、みんなに語ってみんなに共感してもらって、 ほんとうに聞く相手がいると自分のこころの中に人が住み着く。 それが手紙ノートのものすごく大きな意味かなと……」
ハッピー哲学も手紙ノートも生徒たちに定着しているのがわかります。
わたしが、もっとも興味深く見たのは、死の問題です。生徒の中には、 3歳で父親を亡くしていて、そのことを言い出せないでいたものもいます。 彼女は、友だちがおじいちゃんを亡くして悲しかったという感想に触発されて、 自分の父親を亡くした体験を話し出します。また、この1年間の途中で、 父親を亡くす子も出てきます。金森先生は、そのことから目をそらせないように 生徒を導いていきます。生徒たちは手紙ノートに自分の感想を書きます。 手紙ノートに書くという経験が、生徒たちが自分なりの考えをもつことを 助けているように思います。みんな自分の意見を持っているのです。
詳細は見ていただくしかありませんが、いろんなことを考えさせてくれる番組であることは 確かです。また、再放送があるにちがいありません。ぜひ見ていただけたらと思います。

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