◇2004年1月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

賢治劇もおおぐま座

2003年、感銘本ランキング

文学の力、演劇の力

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


新年あけましておめでとうございます。

例によって、今年の年賀状です。

近つ飛鳥夕べの瀬戸を丘に見しこころは茜をふふみて帰る

「ふふむ」は含むで、花がつぼみのままでふくらんでいるようす。 だから歌の意味としては、近つ飛鳥風土記の丘から瀬戸の海を見た夕べは、 その夕茜がつぼみのようにこころに残って、幸せな気分で帰る、というのです。
わたしの家の近くにある近つ飛鳥風土記の丘の展望台からは条件が よければ瀬戸の海が望まれます。条件というのは、空気が澄んでいること、 そして夕方であること。海面が夕空を全反射するとき、遠く淡路島を背景に、 きらきらと海が輝きます。おそらくいにしえの人もまた、堺の港に上陸し、 遠つ飛鳥をめざして竹ノ内街道を来て、ここらあたり、近つ飛鳥の高台に登って 振り返ったとき、海が見えたはずです。どんな感慨をもったのでしょうか?  そんな想像を巡らせていると、風土記の丘から海を望むことができた夕べは、 まるでそれが僥倖ででもあるかのように幸せな気分になってしまうのです。
今年はどんな年になるのでしょうか。
好き勝手に書かせていただいているこの「うずのしゅげ通信」ですが、 今年もご愛読をいただきますようお願いいたします。

2004.1.1
賢治劇もおおぐま座

「賢治先生がやってきた」も開店して4周年を迎えました。 おかげさまで、思いがけずたくさんの人に来ていただいて感謝しております。
このホームページ「賢治先生がやってきた」は、開店当初は脚本が5つで、 星座にたとえるとWの形をしたカシオペアのようなものだったのです。 それがいつのまにか星が増えて、ついにおおぐま座になってしまいました。
河合隼雄さんは、「コンステレーションを読む」というふうなことを言われています。 コンステレーションというのは、星座ですね。人のこころを星座のイメージで 考えておられるのです。いろんなこころの発露がありますが、 それらを一つの星のようにクローズアップして考えるのではなく、 こころ全体の中で捉える必要がある、つまり一つの星を考えるとき、 常に星座を念頭に、その中の一つの星であるというふうに読みとらないといけない、 ということでしょうか。
これは納得できる考えだと思います。
たとえば、養護学校の教師に一番向いているのはだれだろうかと考えて宮沢賢治という 結論をえました。その考えをもとに「賢治先生がやってきた」という劇を書きました。 これが一つの星です。つぎにざしきわらしの話をもとに環境問題について考えて 「ぼくたちはざしきぼっこ」という劇を書きました。これも一つの星。 また高等養護学校の性教育について考えたことを「イーハトーブへ、ようこそ」という 劇にしました。これも一つの星。そんなふうにして、 「養護学校生とのための宮沢賢治」という劇群ができました。 星が6つなのでカシオペア座。ところがそれではすまなくて、 おなじように賢治先生が登場するのですが、養護学校では上演できないような劇、 さらに手話劇まで書いてしまったのです。……そんなふうに書き継いでいるうちに、 何と星は14ばかりになって、おおぐま座ができてしまったのです。
それぞれの劇は、一つのテーマにそって考えたもので、それなりのメッセージを 込めたつもりです。しかし、わたしとしては、 賢治劇の「コンステレーションを読み」とってほしいという気持ちもあるのです。 現実問題としてはむり難題ですね。それはわかっているのです。 上演する脚本探しのためばかりではなく、脚本を読むという楽しみ方もありますよ、 ということを言いたいのです。(一度舞台を想像しながら読んでみてください。 脚本もけっこうおもしろいものですよ。)
それはともかく、賢治先生ものの脚本はこれで完結ということにします。 自分なりに星座ができあがり、もうこれ以上は書くことがない、という思いがあるからです。 昨年末、北の空のおおぐま座を眺めながら、そんなふうに決意しました。
では、これからこのホームページをどうするか、どのように進化させていくか、 それはまた考えていきます。何かアイデアがあればメールをください。お待ちしています。


2004.1.1
2003年、感銘本ランキング

昨年、わたしが読んだ本のランキングを考えてみました。
@「言葉の力、生きる力」 柳田邦男 (新潮社)
人生の転機にはかならず言葉の力が働いているということをあらためて考えさせられた本です。 著者が継続して取材してきたホスピスや緩和医療、あるいは脳低温療法に言及した文章もあり、 さすがに教えられるところが多くありました。
A「忘れられる過去」 荒川洋治 (みすず書房)
詩人荒川洋治の「文学は実学である」という心強い宣言に目を開かれました。
B「親鸞とその時代」 平雅行 (法蔵館)
仏教関係の本は1年の何冊かは読みます。この本からは親鸞の悪人正機説について、 あたらしい考え方を教えられました。
C「親鸞と暗闇をやぶる力」 上田紀行、高史明、芹沢俊介 (講談社α新書)
親鸞の思想で現在のさまざまな社会問題を考えるとどうなるか、を論じています。
D「当事者主権」 中西正司、上野千鶴子 (岩波新書)
養護学校教師という職業柄必要な実利的な知識だけではなく、障害をもって 主体的に生きるということの意味を考えさせられました。
E「自分の木の下で」 大江健三郎 (朝日新聞社)
F「「新しい人」の方へ」 大江健三郎 (朝日新聞社)
若い人たちに向けに書かれた大江健三郎の最近のエッセーはすばらしいと思います。 小説「二百年の子供」 (中央公論社)も読みましたが、小説よりエッセーから、 より新鮮な感銘を受けました。
G「老いの空白」 鷲田清一 (弘文堂)
老いが障害に行き着くということ、そして彼らの視線の持つ意味、べてるの家のことなど、 教えられることが多かったのです。
H「悩む力」−べてるの家の人びと− 斉藤道雄 (みすず書房)
いわゆる「精神障害者」といわれる人たちが、べてるの家でどのように共同生活を しているのかが詳しく描写されていて、新鮮な驚きでした。
I「会社はこれからどうなるのか」 岩井克人 (平凡社)
もともと経済はぼくにとって一番弱い分野であり、本を読むことも少ないのですが、 岩井克人氏の本だけは例外で、これまでにも 2、3冊読んだことがあるのです。この本も「基本のき」から応用問題まで 懇切丁寧に論じられていて、 啓発されるところが多かったのです。

とりあえず、選んでみました。順番にあまり意味はありません。 考えに考えてやっとベスト10にたどり着いたといったところです。 目が悪くなったこともあって、やむをえず読む冊数を減らしているのです。 それでも、ここにあげた本以外にもいくらかは読んでいるのですが、 こころに残った本を選ぶとなるとこんなところでしょうか。


2004.1.1
文学の力、演劇の力

文学の力、芸術の力について連続して書いてきました。
「演劇の力」を鼓舞する「声」を見つけたので、報告しておきます。
昨年12月5日の朝日新聞の「声」欄につぎのような投書が載っていました。
「俳優 石井六助(京都市 45歳)」さんの投書です。
「言葉の上達に演劇の力知る」と表題があります。
「先日、長男が通う小学校で、学芸会がありました。 学級、学年ごとにお芝居や演奏をする中で、 知的障害がある子どもたち4人のクラスも発表しました。
そのけいこ期間中から、教頭先生も応援出演すると聞き、 仕事柄ボクも何か手伝えないかと参加しました。ハンディはありますが、 皆一生懸命に今年言えるようになった言葉やせりふを練習していました。
ある女の子は、さ行まで言えますが、『たちつてと』が『たちすせそ』になってしまいます。 ボクも一緒になって、何回も何回も声を出し、けいこを重ねました。 詩の朗読をする男の子がうまく言えると、相手役の教頭先生はすぐさま、 『でかしたぞ』というせりふを返していました。
いよいよ本番。男の子はこれまでで一番大きな声で詩を読みました。 教頭先生のせりふの間が、空きました。見ると、目が一瞬光った後、 『でかしたぞ!』と言いました。
女の子は『たちつてと』が言え、発表後に握手をしに来てくれました。 思わずこちらの方が『ありがとう』と言いました。演劇の力を教えてもらいました。」

演劇の力については、前々月号にも書きました。授業に取り込んでいけば、 新鮮な驚きが経験できるだろうと思うのです。ことばを引き出す力、声を相手に届かせる力、 役割を演じる力、演じた役割を立場を変えて観客席から見る力、観客を喜ばせる喜び、 観客の視線に耐える力、視線に耐えて言葉を発する経験…… こんなふうにあげていくときりがないくらい演劇の効能はいっぱいあって、 まるで温泉の効能書きみたいになってしまいます。 そして、できればみんなの前で発表したいものです。 そこでは舞台と客席が一体になるという他では味わえない共感をえることができて、 深い印象を残さずにはおかないだろうということです。こころの障害に対して 治療効果も期待できそうです。障害児教育においてもっと見直されてもいいと思うのですが……。

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