◇2004年4月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘周辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

春はビシャコに乗って

俳句はなんと寛容な

ショートショート「中村選手の絵」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

2004.4.1
春はビシャコに乗って

近つ飛鳥風土記の丘によく行きます。先日(3月10日)、 ひさしぶりに周遊の道を歩いてきたのですが、すでにヒサカキが臭い はじめていました。何とも強烈な臭いなのです。なんともセクシャルで、 花というものが生殖器官であることをいやが上にも思い出させるようなみだらと 言ってもいいような鼻をつくような臭いなのです。ヒサカキの臭いに春を感じるという のは、どのくらいの地方で言えることなのでしょうか。

岡本省吾著「標準原色図鑑 樹木」(保育社)でヒサカキを引いてみました。
まずヒサカキ属という属があることがわかりました。
ヒサカキ属
主として東南アジアに産する常緑低木。少数は中央アメリカに産する。 葉はふつうきょ歯があり、雌雄異株。花は小形、葉腋に生ず。果実は球形、液果、 世界に約100種ある。」
たしかに葉っぱの付け根の脇(葉脇)に 細かい白花がついて、それが臭いのもとなのです。
そして、ヒサカキの説明には次のようにあります。
ヒサカキ
本州、四国、九州の丘陵地に多い常緑低木。(中略)葉はだ円形または長だ円形の広皮針形、 長さ3〜8cm、幅1〜3cm、鈍きょ歯縁。雌雄異株、果実は球形、紫黒色に熟す。 京都ではビシャコと称し、神事にも仏花としても使っている。」

そういえば、わたしの育った河内でもビシャコと言っていました。勤務している奈良でも そう呼んでいるようです。 解説では、本州、四国、九州にみられる、とありますから、その地方の人たちは春の山の 臭いとしてビシャコの臭いを思い浮かべると考えてもいいように思います。 それほど強烈な臭いだからです。
それで、「春はビシャコに乗って」というコピーを考えました。 (ビシャコはバタコ(三輪車のこと)のパロディなのですが、 解説しても何もおもしろくありませんね。)


2004.4.1
俳句はなんと寛容な

尾崎放哉に次の句をみつけました。

すばらしい乳房だ蚊が居る

なぜこの句が目に止まったか、それには理由があります。 わたしの父、素由に次の句があります。

秋の蚊の妻の乳房につまずける

父の俳句の中ではまだしも採れる句かと考えているが、 これにはどこかに元になった句があるような気がしていたのです。 だから、放哉の句を見つけたとき、やはりそうかと納得がいったのです。 父はかなり放哉を好んで読んでいたからです。

そんなことを考えていたところに、ふとつぎのような新聞記事をみつけたのです。 (2004年3月11日朝日新聞夕刊)
「俳句の『類句』をめぐって」といった記事です。
作家の車谷長吉さんの作品集成「業柱抱き」。 この本はぼくも持っているのでさっそく探し出してきました。 その中の八章は「因業集」と名づけられていて、句集の体裁になっているのです。 1ページに3句が並んで、全部で90句ばかりが集められています。 ことばに弛みのない力作ぞろいです。その中の次の俳句が問題になっているらしいのです。

青芒(あおすすき)女の一生透き通る
ふところに乳房ある憂さ秋暑し

これらの句が、つぎに掲げる句の盗作だと指摘されたらしいのです。

青蘆原をんなの一生透きとおる=橋本多佳子
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき=桂信子

それで、「車谷氏は『新潮』2月号に『ぼんくら−おわびと訂正』を書き、 自作の俳句2句が『盗作』と指摘されたこと、2句を作りかえることを表明し」 たというのです。
「車谷氏は、20代にこの2人を含むあまたの句集を読み、大半は忘れているが、 『「あっ。」と思うた句は、無意識の記憶に残るものらしい』と書いている。 そう、俳句のような短い文芸にはよくあることで、『盗作』問題はこれで決着する」かに 見えたのですが、まだ続きがあって、それにたいして「俳句界」という雑誌で、 「俳人の秋山巳之流氏が『私は盗作と思わない』と擁護し、また筑紫磐井氏が 『俳句に類句があっていけないのか』と本質にかかわる疑問を呈したのだ。」とあります。
筑紫氏の根拠は
降る雪や明治は遠くなりにけり=中村草田男
に先行して
獺祭忌(だっさいき)明治は遠くなりにけり=志賀芥子
がある、というのです。
その類似性に対して、虚子は「(類句の続出は)今に始まった珍しいことではない」と 頓着しなかったというのです。
これらの経緯を辿ってみるだけでも、いろいろ考えさせられますね。

もう少し厳密に考えるとこんなふうになると思います。 短歌に、歌人永田和宏氏の「合わせ鏡構造」という考え方があります。短歌は、 二つのイメージが合わせ鏡のようにお互いを写し合って比喩が生まれる、 という構造になっている、というのです。以前に 「火食鳥」(1992春夏 10号)という同人誌に書いたこともありますが、 その「合わせ鏡構造」は、短歌よりも、むしろ俳句にあてはまるのではないでしょうか。

ふところに乳房ある憂さ秋暑し

この俳句では、「ふところにある乳房」と「秋の暑さ」という2つのイメージが 「憂さ」という表現によってお互いに影響しあい、そこにある意味を生み出しているわけです。
そんなふうに考えると俳句の構造は、2つのイメージとその関係の表現 (この俳句では「憂さ」)という3つのもので なりたっていると考えていいのではないでしょうか。
そこで、車谷氏と桂信子氏の俳句を並べてみるとつぎのようになります。

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
ふところに乳房ある憂さ秋暑し

「ふところにある乳房」は同じ、それに対して車谷氏は「梅雨」を、桂氏は「秋の暑さ」を 対比したということになります。関係の表現は「憂さ」で同じ表現ということになります。 ということで、「ふところにある乳房」という一方のイメージと関係の表現「憂さ」 が同じとなると類句としてもかなり危ういところにあるのは確かなような気がします。
では、父、素由の俳句と放哉の句の類似はどうでしょうか?

すばらしい乳房だ蚊が居る
秋の蚊の妻の乳房につまずける

「蚊」と「乳房」という2つのイメージは同じ、表現(「居る」と「つまずく」) が違うということになります。 2つのイメージが同じということで、これも類句であることは確かだと思いますが、 表現がことなる分、 まだしも許容範囲ということになりそうです。
それにしても、俳句の世界は、いやはや寛容、寛大、鷹揚なものだと思いました。 そういう意味では作者にこだわらない明治以前の美風を残しているのかもしれませんね。 しかし、だからこそ第二芸術だとおとしめられたりするのかもしれない、とも思うのです。


2004.4.1
ショートショート「中村選手の絵」

鬱屈を抱えていました。医者に呼ばれて、父が肺ガンだと宣告されたのが4月。 余命1年というのです。厳しい宣告に続いて、主治医は、 打って変わったように目を伏せて、これまでに何度か肺のレントゲン写真を撮っていたのに わからなかった理由を申し訳なさそうに説明しました。 医者の声を上の空で聞きながら、私はやはり本人には言わないことにしようと考えていました。 言わないことについて、妻や子どもは賛成してくれたのですが、それは当然のこと 家族に心理的な鬱屈をもたらしました。ほんのちょっとトイレに立っただけで、 息切れしてしんどがる父を見ているしかない、という状況は家族の上にのしかかっていたのです。
「どうして、こんなにしんどいんやろ……。」とつぶやく父のことばも 聞き流すしかありませんでした。
夏の間、あんなにしんどがっていたのに、秋になってすこし体が楽になったと 聞かされたときは幾分ほっとしました。
晩秋になっても体調は崩れませんでした。
11月はじめの文化祭のころは平安な生活がもどっていたのです。
私も心に少し余裕が生まれて、文化祭で何かやってみたい、 という意欲もきざしているといったふしぎな時期でした。
私は模擬店の係りでした。二教室分はゆうにあるという広さの軽作業室を使って、 喫茶店をするのです。30席以上はあろうかという大きな店です。 文化祭で唯一生徒がかかわる飲食関係の模擬店でした。メニューは、 ジュース、紅茶などと、それらの飲物とケーキを組み合わせたケーキセットに 限定されています。
部屋が大きいだけ飾り付けが大変なのです。いつも一点豪華主義ということで部屋の 真ん中にメインの飾りを一つ作っています。一昨年は生徒から出されたのんびりできる 空間をつくりたいということで、木陰でゆっくりと飲物を楽しめる「幸せの樹」というのを 作りました。床から天井に太い樹の幹が立てられて、枝が伸びて、 果実もたくさんぶら下がっていました。
喫茶班の生徒たちで今年はどうするかという話し合いをしました。 ほんの少し前に遠足ででかけたUSJにちなんでジェラシックパークをテーマにするという 案が採用されました。部屋の真ん中にどでかい恐竜を飾ろうというのです。
巨大な恐竜の体をどうして作るかをみんなで考えましたが、 なかなかいいアイデアが浮かびません。
家に帰って父と話をしながらも、 恐竜のことを考えていました。
父は夏の終わり頃から酸素吸入を始めていました。病院から紹介された 医療器具屋さんからレンタルで大きな酸素吸入の機械が持ち込まれて、 調子の悪いときはそれで吸入していたのです。機械に繋がった細いビニールホースを 鼻に差し込むと息切れが幾分楽になると言っていました。かなりの大きさの機械で、 その威圧感が、病気のうっとうしさの象徴のように居間にどんと置かれていました。
私もためしに酸素をビニール袋にためて吸ってみたことがあります。 思いなしか気分がやすらぐような気がしました。父の部屋にいて、 酸素吸入の機械を見ていて、ふとビニール袋をつかったらどうかという 考えがひらめいたのです。
ビニール袋を膨らませたものを積み重ねて土台にできないか。 私はいくつかのビニール袋を膨らませてセロテープで貼り付けてみました。 うまくいきそうでした。次の日、さっそく喫茶店班のもう一人の生徒を助手にして、 ゴミ袋を膨らませる作業にとりかかりました。二人でもくもくとビニールを膨らませました。 恐竜の脚は、丸太を手に入れて色を塗り、紙を巻いて指をつけました。 4本の脚の上にダンボールをのせて、その上にビニール袋を膨らませたものを 幾つも幾つも積み上げました。それで結構ボリウムが出たのです。 つぎに皮膚はどうするか、数枚繋いだ模造紙にそれらしい色を塗って、 そこへ巻き付けることにしました。そんなふうにして、胴体ができあがったのです。 けっこうどでかいものになりました。胴体に首、頭を付けると、 全長6、7メートルはあろうかという首長竜の子どもができあがりました。文化祭の前日です。

恐竜が中央にあって、天井から飾りがぶらさがっているのですが、 壁の辺りが少しさびしいので、何か好きな絵を描いてきて貼ろうということになりました。
その日、下校まぎわに喫茶店班のS君が、私のところにやってきました。
「先生、近鉄バッファローズの中村紀洋の絵を描きます。」
「ああ、いいよ。」
私は気楽に答えました。彼は中村選手が好きなのです。下敷きも中村選手の写真だし、 バットも中村選手のバットを買ってもらったと嬉しそうに報告してくれこともあります。
そして、次の日の朝、大看板をくぐって玄関を入るとS君が絵を持って待ち受けていました。
「先生、中村選手の絵を描いてきました。」
「ふーん、どれどれ……」と、私は彼が手にした絵をのぞき込みました。
なかなか上手に描けていました。
「喫茶店に貼る?」
貼りたいらしいのです。
「いいよ。好きなところに貼っていいよ。」
「好きなところに貼ります。」
彼は自閉的なところがあるのでオーム返しぎみに答えました。
文化祭は、まず体育館で開祭式、その後各学年の劇の発表があって、 それからお昼過ぎに模擬店がはじまるのです。
私は、職員の打ち合わせが終わった後、軽作業室に行ってみました。 まずは室内が、昨日つくったままで飾り付けがはずれたりしていないかどうか ざっと見回してみました。窓に貼り付けた紙の花がいくつか落ちていたので貼り付けました。 恐竜はだいじょうぶかなと、周りを一周してみました。昨日一度はずれかけた尻尾の付け根も 無事でした。やれやれと胴体に視線を移したとき、ふと何かが目にとまりました。 信じられないことに、しかし、まぎれもなく、中村選手の絵がそこにありました。 まさに恐竜の胴体の真ん中に貼られていたのです。

私は、思わず笑ってしまいました。恐竜の背中に太り気味の中村選手がバットを持っていたのです。 一人で笑い転げてしまいました。ふと見回すと軽作業室に一人でした。 見られなかったかなとちょっと不安になりながら、 しかし、こんなふうに心から笑ったのはいつのことだろうかといぶかしくも感じていたのです。
もちろん、喫茶店が開店してからも、中村選手の絵は、 そのまま恐竜の背中に張り付いたままでした。
目が回るような大忙しの時間が過ぎたとき、私は、ふとその絵のことを思い出したのです。 お客さんのうち、一人か二人、中村選手の絵に気がついてくれたかしら、と。
そして、同時に父の顔も思い浮かびました。余命半年、それはそれとして、 そこに奇跡のように訪れる平安の時がもしあるとしたら、その時を、それこそ 大事にしていくしかないと、そんなふうな想いがふいにひらめいたのでした。 その瞬間、いままでの鬱屈から幾分か解消されている自分に気がついたのです。
私は、何かこみ上げるものがあって、不意にS君に何か言いたくなったのです。 つま先立つようにして店内を見回してみたのですが、どこへいったのか、あいにく 彼の姿は見あたりませんでした。

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