◇2004年6月号◇

【近つ飛鳥近辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

にんげんの壊れるとき

リアルな劇とは何か?

綾の鼓

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

2004.6.1
にんげんの壊れるとき

賢治「小岩井農場」という詩にこんなフレーズがあります。

春と修羅・第一集「小岩井農場」パート八
(前略)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
…………はさっき横へ外れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
(幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ)
わたくしははっきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル おれの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにおれはきみたちの昔の足あとを
白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
(あんまりひどい幻想だ)

心象スケッチ「春と修羅」の長編詩「小岩井農場」は難解です。
このパート八もまずあらわれるユリアとペムペルに躓いてしまいます。 彼らはいったい誰なのか、日本の詩歌「宮沢賢治」(中央公論社)の脚注には 「ユリア、ペムペルはともに賢治の幻想中の童児。」とあります。そう解釈すると、 二人の童児が賢治に寄り添うイメージは鮮明になります。 しかし、そのイメージの中に括弧書きされたつぶやき、 (幻想が向ふから迫つてくるときは/もうにんげんの壊れるときだ)が挟み込まれているように、 賢治はそのイメージが幻想であることを知っているのです。 そして、その幻想によって己の存在が危機にたたされていることも。 でも、ほんとうのところこれらの詩句の意味はぼくにはわかりません。 ただ、(幻想が向ふから迫つてくるときは/もうにんげんの壊れるときだ) というフレーズはつよい印象を残しました。

このフレーズを読んだとき、思い当たることがあったのです。
一人の生徒の顔が浮かびました。彼は、入学したてのころは、 あまり目立たない線の細い生徒といった印象でした。これといった問題もなく一年がすぎて、 二年生になって間もなくのころから、幻聴を訴えはじめたのです。
電車に乗っていると、誰か乗客が自分の悪口を言っている声が聞こえるというのです。 そんなはずはないだろうと説得しても、理屈は受けつけません。
そのうちに幻聴は学校でも聞こえるようになり、逃走を繰り返すようになりました。 「死んでしまえ」といった声がほんとうに聞こえると、おびえた様子で言い募るのです。 典型的ないわゆる統合失調症の症状であり、精神科の医者もそれを認めた上で、 「知的な遅れをもった生徒さんの場合、自我が弱いということもあって、 こういった症状が見られることもある」という一般論を述べただけでした。 引き続き治療がなされましたが、はかばかしい効果もないままいたずらに高校の三年間が過ぎて、 卒業していきました。

それ以来、賢治のこのフレーズは、その生徒の思い出とともに 鮮烈にぼくのこころに残りました。
いったい賢治は、「にんげんの壊れるときだ」といったせっぱ詰まった危機に 襲われたことがあったのでしょうか。
そして、最近、またその幻想について考えさせられる記述にであったのです。
先月号でも紹介した鷲田清一著「〈弱さ〉のちから」には、 精神障害者のひとたちのグループホーム、共同作業所「べてるの家」について、 つぎのような報告がなされています。
「妄想や幻聴も『特技』としてとらえる。『幻覚妄想大会』といって、 ひとりひとりがじぶんの幻想や幻聴を披露するパーティがあるが、 みんな和気あいあい、じぶんの『幻聴さん』について、語る。」
幻想と何とか共存しようとしているのですね。
(幻想が向ふから迫つてくるときは/もうにんげんの壊れるときだ)
と、悲観的に自分を追い込むのではなく、幻想の存在を容認し、 むりやり追い出そうとするのではなく、親しいものとしていくなじんでいく、 そんな考え方もあるのかなとあらためて認識させられてしまいました。


2004.6.1
リアルな劇とは何か?

平田オリザ「『リアル』だけが生き延びる」(ウェイツ)を読みました。
平田オリザさんは「静かな演劇」ということを提唱されています。
「従来の日本で演劇と思われてきたものと比べると、客観的に見て静かだとは思います。 演劇というものに一般的な人がもつ「臭さ」や「わざとらしさ」などが比較的少ない。 それは観る人によって意見は違いますが、ものすごくびっくりする人もいますし、 すごく普通という人もいれば、思ったよりも「演劇だった」と言う人もいます。」
「特徴として、基本的にほとんどの作品が一幕物で、照明はほとんど変わらない、 スピーカーから出るような音響効果はまずない、というのがあります。」
「どこから劇が始まっているのかも観客に決めてもらいたいというのがあって 、自由参加型というか、ある程度まで観客の裁量に任せたいんですね。」
「うちの事務所はパブリックスペースなので、 よく俳優が台詞合わせをすることがあるのですが、ほかの劇団の人もよく来るんですね。 ちょうど「冒険王」という、イスタンブールを舞台にした作品の台詞合わせを、 知り合いの若手の劇団の人の背後でしていたんです。彼はそのとき 「いいな、青年団くらいの役者になると、海外旅行に行けるんだ」と思ったそうなんです。 ずっと、旅行の話をしていると思っていたんですね。 だけど、ふと気づくと「この話、さっきもしてたんじゃないの」と思って、 はじめて台詞合わせをしているんだとわかったんですね。 そういうことがときどきあるんです。」

平田オリザ氏のいうリアルな劇とはこういった劇を意味しているようです。 テレビ中継のみで、実際の舞台を見たことがないので、 演劇理論といったものに異論を差し挟む気は毛頭ありません。
しかし、平田氏は、いったい舞台というものをどのようなものととらえておられるのでしょうか?、 と聞いてみたい気はあります。
生徒たちと劇をやっていてもっとも強く意識するのは、舞台空間の力、 治癒力とでもいえばいいのでしょうか、その威力といったものです。 観客の視線をあびながら舞台に立つ、それだけでもたいへんなことです。 観客の視線をあびながら立つだけではなく、さらには自分の台詞を観客に届くように投げ返す。 それは、一部の生徒にとっては渾身の力技なわけです。 暗い中に照明で照らされた舞台はそのような力を出させる空間なのではないでしょうか。 それは日常生活では経験できない力を奮い立たせます。
だからこそ、以前にも「うずのしゅげ通信」で書いたことがありますが、 ひごろ立ち上がるのも困難な生徒が立ち上がったり、 大きな声がでなかったものがおどろくような叫びをあげたりも するようになるのではないでしょうか。
そんな舞台を作り上げることが自分たちの役割だと思っています。
学校で劇の演出をしていて、劇の中で生徒が日常では出せない力を発揮するのに 出くわすことがあって、あらためて舞台の威力を感じさせられることがあるのです。 まさに演劇の空間だからこそそんな力が湧いてくると思うのです。
日常の空間とは異質な演劇空間の威力というものを目の当たりにしてきたものとしては、 平田オリザさんの舞台というのは、ではどうなのかなと聞いてみたい気がするのです。
観客の視線をあびて舞台に立つ、視線をはねかえして自分の台詞を言う、 だからこそ舞台は異質なものとなる、平田オリザさんの舞台も その本質は変わりないと思うのですが、どうなのでしょうか。


2004.6.1
綾の鼓

「綾の鼓」という曲があります。
許されぬ恋の典型的なもので、三島由紀夫近代能楽集にも翻案されています。
謡曲の「綾の鼓」は、老人が身分の高い女官をみそめることから悲劇がはじまります。 あまりの身分違いのためにまみえることもかないません。女官は想いを断ち切らせるために、 綾の鼓をつくらせて、音がなったら姿を見せることを約束します。綾の鼓がなるはずもなく、 老人は鼓を打ち続けたあげく、絶望して池に身を投げて死んでしまいます。 三島の戯曲においては、老人は、弁護士事務所につとめる老小使、 女官は、事務所の窓に面した洋裁店のマダムという設定になっています。 近代の設定であるがためにいやがうえにも老人の哀れさが際だつようです。 卑しい身分の老人にはまみえることさえ許されないのです。

ここから養護学校の話になります。中学部、高等部ともなると思春期、 男子の生徒が若い女教師を好きになることなどざらにあります。 女生徒が男の教師をすきになることもあるはずです。それがありふれた片思いで終わるのなら あまり問題はないのですが、たまに片思いがある一線を越えるときがあるのです。 ストーカーまがいの行為になったり、暴力ざた、あるいは死んでしまうと脅したりといった ところまでつきすすむこともないとはいえません。
客観的に考えれば、その想いが成就できないのはほぼあきらかなのです。 もちろん可能性がゼロとは言えないと思いますが、 かぎりなくゼロに近いと考えた方がよさそうです。 しかし、それを覚ることが出来ない場合があるのです。自分の思いに一所懸命で 相手の迷惑が見えていないこともあるし、 拒否のサインを読みとることができない場合もあるかもしれません。 また、コミュニケーションがとりにくくて拒絶を受け付けないこともありえます。
そういった場合、彼らの感じる絶望、ジレンマはどのようなものなのでしょうか? そんなことを考えていて、 わたしは「綾の鼓」の「老人」のことに思い至るのです。 これは何とか悲劇に至らないように思いとどまらせるしかありません。
しかし、考えなければならないのは、もう一方の教師の対応についてです。 生徒の一方的な片思いに巻き込まれた当の教師は、うんざりすると同時に、 後ろめたさも感じざるをえない立場に追い込まれています。 無碍にはつれなくもできないし、誤解は避けたいしと、 これまたジレンマに悩まされるわけです。困ったものです。 なかなかに簡単な解決法などないのです。
片思いの問題だけではなく、心理的な負担の問題は、養護学校では日常的なことのようです。 わたしなど、 生徒との応対で日々後ろめたさを感じることも多いのです。 たとえば、自閉的な生徒が、そうすることで安心するのか、 毎日おなじような問いかけをしてくるものがいます。その話しかけに、 ついつれないそぶりで応じることがあります。 それは、あまりに場違いで思わずぶ然としてしまったということであったり、 また、こちらが忙しかったりと、いろんな状況があるのですが、あとでそのような自分に 「強い後ろめたさを感じて、こんどはそういうじぶんを責める」(「〈弱さ〉のちから」)、 そんな羽目に陥ってしまうのです。
帰りの電車で会った卒業生になぜもっと話をしなかったのか、 自責の念を感じることもあります。
こういった問題をどう考えればいいのでしょうか。これらは感情がからんでいるだけに なかなかやっかいな問題をはらんでいるように思います。
そんなことで悩んでいたのですが、先日一つのヒントに出会いました。 「感情労働」という考え方です。
鷲田清一氏は著書「〈弱さ〉のちから」の中で、「感情労働」といった 観点から教師やカウンセラーといった職業につきもののこういった問題に 照明を当てておられます。
「職務内容に沿ってそれにふさわしい感情の状態や表情をつくりだす、 そんな感情の自己管理が要求されるような仕事のことである。言いかえると、 作業じたいはあきらかに労働なのだが、じぶんの労働がさし向けられている相手に対して、 まるで家族か友人か恋人のような親密なつきあい方をしなければならないような仕事のことだ。」
「あるいは相手の感情を考え、それを無視してはなりたたない仕事というのは、 このほかに典型的なものとして、幼稚園や小学校の先生とかカウンセラーとか」があるとされる。
そういった見方をすれば、養護学校の教師というのは「感情労働」の 最たるもののような気がする。
そうすると、ケアにかかわる労働とおなじように 「こうした職務には燃えつきや共感疲労など」がともなうという。
では、そんなときどうするか?
「そういうケアの日常に疲弊しはじめたときは、 『使命』といった精神的な意味でじぶんを励ますよりも、 『感情労働』としてそれに労働という面から光を当てることで 心の負担をすくなくできるということもある。そのことで感情的な関係にのめり込まないで、 患者との距離をもういちど意識しなおすことができるようになるからだ。」

教師という仕事を「感情労働」と考えて、のめりこみを防ぐようにすること、しかし、 同時に人間としての感情やこころの在り方を大切にして接していくしかないのか というのが感想です。

先月号の「うずのしゅげ通信」では、「〈弱さ〉のちから」を引用しながら、 「より強いとされる者がより弱いとされる者に、かぎりなく弱いとおもわれざるをえない者に、 深くケアされるという」反転がおこる、そんな機微について書きました。
今回は養護学校の教師というものを「感情労働」としてとらえる、 という観点を教えてもらいました。
わたしにとってはとても貴重な本となりました。

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