◇2004年8月号◇

【近つ飛鳥近辺で撮影】

[見出し]
今月号の特集

賢治の原稿

「怒り」のすすめ

探偵ナイトスクープ

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

2004.8.1
賢治の原稿

先日、テレビのチャンネルを切り替えていたら、突然、賢治の写真が目に飛び込んできたのです。 例のちょっとぼんやりしたような賢治の顔が映し出されていました。なにごとかと見てみると、 視聴者から寄せられた家宝を鑑定するといった番組で、今回持ち込まれてきたのは、 「グスコーブドリの伝記」の原稿の一枚らしいのです。 鑑定者の一人によると賢治の原稿のほとんどは弟の宮澤清六氏に引き継がれ、 後に賢治記念館に寄贈されたため、ほとんど古本業界などに出回ることはないということでした。 ほんまれに原稿の一部が、個人的な関わりから人手にわたったこともあるにはあるようですが、 ほとんどないといっていいようです。「注文の多い料理店」の本が古書店でいくらくらいだから、 とかいう前置きがあって、鑑定がはじまりました。原稿は書き込みで埋め尽くされています。 賢治は、原稿はもちろん、活字になったあとも飽くことなく推敲を繰り返していたらしいのです。 永遠の未完成稿といったところでしょうか。
結局その原稿は本物と鑑定され、二百何万円とかの値段がつきました。
そういえば、もちこまれたのは原稿の他にもう一つ、晩年、砕石工場に勤めていたときの名刺もあって、 それにも二十万円とかの値段がついていました。

賢治の原稿はほとんど記念館に残されているというのですが、実はわたしは行ったことがありません。 わたしが賢治の劇を書いているのを知っている友人、知人が、 ときどき「今度、賢治記念館に行って来る」とか、電話をくださったりすると、 自分も一度訪ねたいとは思うのですが、なかなか機会がありません。 賢治劇を同人誌「火食鳥」に掲載したときなどは、記念館にその雑誌を贈ったりもしてきたのです。
いつか賢治記念館にいって、賢治の原稿を間近に見てみたいものです。


2004.8.1
「怒り」のすすめ

辛淑玉「怒りの方法」(岩波新書)を一気に読んでしまいました。 最近は根を詰めて読書するということが少なくなっているのでめずらしいことです。 それくらいおもしろかったということでしょうか。
怒りをどのようにあらわすか? 著者の基本的スタンスはこうなります。
「「怒る」は、人間関係を築き、つなぐためにするもの。 「キレル」は、人間関係を完全に切るためにするもの。」
「他者に対して怒れるためには、正しいこと、良いこと、美しいこと、公平なこと、 合理的なことなどについて、価値観や基準が自分の中になければならない。」
「個人で生き抜いている者はぶれない。どんなことがあってもだ。」
「人間は何のために怒るのか。
『私が私として生きるため。』この言葉が私には一番ピンと来る。」
そういった基本的な考え方が具体例に即して披露されていて、 さらには「効果的に怒る方法・その1−技術編、その2−スタイル・パフォーマンス編」といった 具体的な怒り方の指南までがあるのです。
例として出されている著者の怒り、在日朝鮮人としての、あるいはまた女性としての、 人間としての怒りの真摯さは十分伝わってきます。 その怒りはまた日本人社会に向けられてもいるのです。
「日本社会のキーワードは、『仲間外れ』『村八分』だ。
それが怖くて、人々は同調していく。強い者に。(中略)日本社会は『判官びいき』とも言われる。 たしかに弱者が物言わず耐えている間は、同情を寄せる。だが、その弱者が声を上げて主張しだすと、 今度は強烈な嫌悪感と憎悪で攻撃し、そして排除する。『権利ばかり主張する奴だ』 『世間を騒がせる迷惑な奴だ』などと。
声を上げた弱者や『普通』とは違う行動をとった個人を、自分たちの怒りのはけ口にしては、 そのことで世界中から顰蹙を買う。日本社会はこれを繰り返している。
イラクでの日本人人質事件などは、まさにその典型例だろう。」

社会的弱者の中に障害者も含まれていることはいうまでもない。 そして、彼らが主張し出したときの反応も、その通りだろうな、と思ってしまう。
とくに、最近のインターネット社会がそれを助長しているようにも思うのです。 インターネットはまさに巨大で無責任な匿名投書があふれる社会をつくってしまいました。
日本人よ。もっと「個人で生き抜く」力をつけて、ぶれないで 怒れと励ましてもらったような気がします。
メチャクチャな発言を挑発的に繰り返す石原都知事にも、 また教育方針がぶれっぱなしの文部省にももっと怒ってもいいのかもしれないとも思ったのです。


2004.8.1
探偵ナイトスクープ

関西には「探偵ナイトスクープ」というもうかなり長く続いている人気番組があります。 視聴者からの投書に、お笑い探偵が派遣されて問題解決にあたるという内容です。 わたしもその番組のファンなのですが、探偵さんに依頼したいとかねてからあたためている 話題が二つあって、西田局長さんへの依頼状を書いてみました。
依頼状1
西田局長さま。わたしの家内の車酔いは極端なのです。最初にわたしの家を訪ねてきたとき、 車で駅まで迎えに行ったのです。で、家内を乗せて、3分くらい走ったところで、 気分が悪くなった、車酔いしたというのです。車でも、電車でも酔うのです。 飛行機にも乗ろうとしません。あまりに不便です。そこで一念発起、子どもが生まれたころ、 自動車免許を取りました。自分で運転していると酔わないのです。だから、家内と出かけるとき 私はいつも助手席。
車酔いについて、以前、運転している人と同じように、右に曲がるときは体を右に傾け、 左に曲がるときは体を左に傾ければ酔わないという話を聞きました。
で、探偵さんにお願いです。自動車の助手席に回すだけのハンドルを付けてもらって、 運転しているつもりで回せるようにしてもらいます。右に曲がるときはハンドルを右に切る。 だから、体も自然に右に傾きます。左に曲がるときは、ハンドルを左に切る。 だから、体も自然に左に傾きます。そんなふうに模擬のハンドルを回していると、 いかな酔いやすい家内でも助手席にいても車酔いをしないものかどうか、 それを調べていただきたいのです。よろしくお願いします。

依頼状2
西田局長さま。私の家には家宝として、ふしぎな石が伝わっています。 その石は実は、亡くなった父が、80年くらい前に近くの二上山の麓から拾ってきたものなのです。 ただの石ではありません。角張った石の周りに巻き付けたような模様があるのです。 それが実に文字のようにも見えるのです。その写真を添えておきます。 で、探偵さんにお願いです。石に刻まれた不思議な模様が人工のものか、つまり古代の文様か文字か、 それともたんなる自然のいたずらでそうなったものなのかを調べていただきたいのです。お願いします。
注、このふしぎな石については以前、「うずのしゅげ通信」(2003.2月号) で写真つきでとりあげたことがあります。

「うずのしゅげ通信」にもどる

メニューにもどる