◇2005年1月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

文化祭の劇「モモ」

「知的障害者」という呼称について

新マーフィーの法則

「うずのしゅげ通信」バックナンバー


頌春
 、、
水とりや柿に古木のぬくみかな

庭には甘と渋、日本の柿の木があります。渋柿は苔むしており、 優に百五十歳を越えているはずです。お水取りの頃の寒い朝触れてみると、 この柿の肌、ほのかにあたたかいのです。やはり生きているのですね。
本年もよろしくご指導のほど、お願い申しあげます。元旦」

今年の年賀状です。
芭蕉につぎの句があります。

水とりや氷の僧の沓の音

とても好きな句で、「初句」をいただきました。酉年ということで 「水とり」を詠むことにしました。推敲の過程で、いくつかのバリエーションを考えました。

水とりや柿の古木のぬくみかな
水とりや柿の肌えのぬくみかな
水とりや樟千年のぬくみかな

最初にできたのが、上の「柿の古木の」というものだったのですが、 「の」が重なるということで「柿に」と変えたのです。 「樟千年」は近くの壷井八幡にある千年の樟のこと。
結局賀状に載せる句ということで、拙宅の柿の木を選びました。

2005.1.1
文化祭の劇「モモ」

「モモ」を新しくラインアップに加えました。
昨年の文化祭で上演したものです。
毎年自ずと歳を取って、生徒との年齢差はひろがるばかりです。 感性的にもかなりへだたった世界に生きているにちがいない生徒のために 脚本を書くとなるとそのあたりの障壁をなんとか乗り越えなくてはなりません。
それで生徒たちを集めて、どんな劇がしたいのかを聞いてみたのです。 いろんな意見が出てきました。
ハリーポッター、桃太郎(トリビアバージョン)、アリババ、7つの海のティコ、 ヘンデルとグレーテル、踊る大捜査線、フランダースの犬、トリビアの泉、 ファイナルファンタジー、サンダーバード、笑っていいとも、冬のソナタ、 アルプスの少女ハイジ、ドラエモン、お笑い……等々

劇にならないものもありますが、想像以上によく知っていたのです。
私としては、オリジナルの脚本にしたかったので、どれを採用するか迷ったあげく、 トリビアの泉、桃太郎、そしてお笑いなどの案を一部採用することにしました。
桃太郎は「モモ」にしようと、これは最初に決めました。
「モモ」は、ミヒャエル・エンデ童話「モモ」にはじめのヒントを もらっています。「モモ」を読み返してみました。
「モモ」が桃太郎になって時間泥棒の親分、時間の大魔王を退治に行くのですが、 モモと養護学校の友だちだけではちょっと変化がないので三年寝太郎を登場させることにしました。 三年寝太郎には、以前から思い入れがあるのです。彼は、少なくとも三年寝ていたわけですから、 三年遅れているわけで、養護学校の生徒を象徴しているようだからかもしれません。 筋は、トリビアの泉の趣向を取り入れて、謎解きのパターンにしました。 「奈良の地下鉄には踏切がある」という投書の謎を解いていくという筋になっています。 時間の大魔王の宮殿にたどり着いてからのドタバタは、 「ぼくたちはざしきぼっこ」のパターンを踏襲しています。 吉本の笑いの普遍性をあらためて感じました。ここで使われている吉本のギャグはふしぎなことに 古びていないなというのが感想です。芸人さんが現役でがんばっているからでしょうか。 また、お笑いのワンパターンなのが、とくに自閉傾向をもった 生徒たちに合っているのかもしれないというあらたな発見もありました。 「あたりまえだのクラッカー」というギャグが出てきますが、これは、指導する教師でも、 ほんものを見たことがないというものが多かったのです。 でも、それなりに生徒にも受けていたのは、やはりゴロがいいからでしょうか。
みなさんに協力していただいて、たのしく終えることができたのですが、 やはり、「モモ」の脚本には不満が残りました。賢治ものにはあった最期にすーと 救われる感じがないのです。エンデの理屈は筋として劇化できていたとしても、 それだけではだめなのかもしれません。モモがほんとうのモモになっていなかった からだろうと反省しています。
歌は戸上千里さんに作曲していただきました。奇妙な注文だったのに、 こころよく引き受けてくださったのです。「スローなハンバーグにしてくれ!」 「三年寝太郎の子守歌」、ともにとてもおもしろい曲になっています。

一度お読みください。ご意見をいただければ幸いです。


2005.1.1
「知的障害者」という呼称について

以前にも書いたことがありますが、ふたたび「知的障害者」という 呼び方について考えてみます。私は、以前ろう学校に勤務していたことがあるのですが、 「聴覚障害者」という手話は、本人を前にして使うことがあったのです。 少々は抵抗感もなくはなかったのですが、まだしも使えたのです。しかし、 「知的障害者」とうことばは生徒の前では言うことができません。中西正司、 上野千鶴子著「当事者主権」(岩波新書)の「当事者」でもいいのかもしれないとか、 そんなことも考えていたのです。
呼び方に関連して、生徒の障害認知、障害受容という難問も浮上してきます。 生徒たちは、どのように自分の「障害」を受容するのでしょうか。 そんなことを問題にしない生徒の場合は、まだしも救われていると言えなくもないと思います。 むずかしいのは、社会性が高くて、本人がそのことを理解し、こだわっている場合です。 本人にどのように「知的障害者」であるということを受容してもらえばいいのでしょうか。 なかなかむずかしいですね。
(このホームページのどこかに、「受容」という短編もあります。)
そのことについて、最近、つぎのように考えています。
「知的障害者」という呼び方を、本人が受容する必要性など何もないのではないでしょうか。 本人が認めなければならないのは、自分がどこかの場面で援助を必要とする、ということです。 ハンディがあるのだから、援助を受けるのは当然です。グループホームで生活するのに、 給料の管理で援助がいる、あるいは調理や栄養管理に助けが必要だ、 そういったことを認める。援助はなにも恥ずかしいことではありません。 援助が必要だからといって主体性が侵されるということもないし、 卑屈になる必要などないのです。それは、例えば渡辺一史著「こんな夜更けにバナナかよ」 (北海道新聞社)を読んで考えたことです。この本に登場する鹿野靖明さんは、 24時間介護を必要とする「障害者」ですが、何の卑屈なこともありません。 介護は堂々と受ければいいのです。
自分が、助けを必要とするということは、まだしも認めやすいのではないでしょうか。 そのことを障害受容と考えてもいいのではないでしょうか。
そして、この考え方は介護保険や支援費制度の方向とも一致していると思います。
日頃この問題を考えている方にとっては、あたりまえのことで、 何をいまさらという内容かもしれません。しかし、私としては自分なりの納得を 得るために牛歩の一歩をやっと進めたという感じです。
追伸
年末になってクリエイティブハウス「パンジー」から「KSKRパンジーだより」が 届きました。「入所施設を出て、地域で自分らしく生きる」という特集が組まれています。 読んでみて、二つのことがこころに残りました。一つは上掲の話題にもかかわることですが、 紙面では「知的障害を持つ人たち」という表現は最小限にとどめられていて、 ほとんどが「当事者」という表現で代用されていることです。「当事者主権」で 取り上げられている考え方がそんなふうに浸透しているということなのでしょうか。
しかし、学校では、面と向かって「当事者」という表現が適当だとも思えないので、 やはり上で触れたように「助けが必要」という面のみを言う方がいいのではないかと 考えています。
もう一つ、こころに残ったのは、つぎのような訴えです。
「当事者の『能力』を職員が手前勝手に判断せず、 『どんなに重い障害を持つ人も地域で暮らすことを支援する』という意識の 変革が必要ではないでしょうか。」 (巻頭言より)
「入所施設はもういらない。できる、できないに関係なく、支援してもらいながら、 地域でくらすことが目的だとぼくは思います。」(インタビュー記事から)
こういった訴えを受けとめて、学校でもどう取り組んでいくのかを考える時期にきているのかと、 あらためて思いました。このあたりのことはよくわからないことばかりなので、 また近いうちに「うずのしゅげ通信」に続編を書く、ということにしておきます。


2005.1.1
新マーフィーの法則

悪貨は善貨を駆逐する
悪書は善書を駆逐する
悪意は善意を駆逐する


「悪貨は善貨を駆逐する」
これは江戸時代の小判の改鋳によって歴史的に証明されていること。
「悪書は善書を駆逐する」
大きい道路沿いに本屋さんができます。最初はちらほらといい本が混じっているのですが、 そのうちにくだらない本ばかりになってしまいます。
「悪意は善意を駆逐する」
最近の世を騒がせている事件、悪意に満ちたものが多いと思いませんか。 一人の犯罪者の大いなる悪意がどれだけ社会に害悪を及ぼしているか、 考えると恐ろしくなってきます。庶民がかいま見せるささやかな善意がそれこそ 駆逐されかかっていると思いませんか。賢治のような人物の大いなる善意が、 必要なのではないでしょうか。賢治イズムがもうすこし蔓延しないことには、 世の中、悪意に満ち満ちたものになってしまいそうです。社会意識の雪だるまがそれこそ 悪意の方にころがりはじめているような、悪意が世の中を席巻していくような 危険性を感じてしまうのです。世の中がどちらに転がっていくのか、 今年あたりがそのターニングポイントのような気がしているのですが、いかがでしょうか?

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