◇2005年2月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

大改造劇的ビフォーアフター?

「とりかえしがつかない」(続)

詩のボクシング

「うずのしゅげ通信」バックナンバー



2005.2.1
大改造劇的ビフォーアフター?

ホームページを改造しました。「劇的ビフォーアフター」とはいきませんでしたが、 いくらかは見やすくなったかと思います。いろんなホームページを訪問して感じるのは、 いくらしゃれた装いのものであっても、一見して構造がどうなっているのか 分からないとすぐにも出ていきたくなるものだということです。 中身の優劣以前のとっかかりの問題です。内容はシンプル、見取り図はわかりやすく、 これにこしたことはありません。
で、今回の改造、ブックマークを頭につけて脚本が並んでいるという構造を 分かりやすくしました。色を変えてお勧めのコメントも添えました。
あたらしいデザインをどうするかで苦しんでいて、いつも思い知らされることは、 自分には色彩感覚、デザインのセンスがまったく欠けているということです。 もうすこしあかぬけたものにしたいのですが、どうにもなりません。 結局わかりやすさという点に限定したわずかの手直しということになりました。
ブックマークが並んだメニュー画面を眺めてあらためて思ったのは、 ここ十年くらいで十六編もの脚本を書いてきたのかという発見です。 書きにも書いたり、といった感慨もあります。毎月の「うずのしゅげ通信」を含めて、 十年ばかりの間に考えたすべてのことが、ほぼここにある、ということです。 わずかなものですが、人に伝えたいメッセージもあります。
今後ともご愛読ください。


2005.2.1
「とりかえしがつかない」(続)

朝日新聞2005年1月27日夕刊に、「小中学生の15%「死人生き返る」」という見出しの 記事が載っていました。
佐世保事件に関連して、長崎県の教育委員会が調査した結果です。
「昨年6月に長崎県佐世保市の小学校で起きた6年女児殺害事件を受け、同県教委は、 県内の小中学生を対象に実施した「生と死」のイメージに関するアンケートの結果を発表した。 全体の15.4%が「死んだ人は生き返る」と回答しており、死に対する認識の一端が 浮かび上がった。」
というものです。
「死んだ人は生き返る」というのですから、信じられない結果ですが、 私自身はそんなに驚きませんでした。ゲームでは「死んだ」というのは 日常的につかわれているし、リセットすれば「生き返」ってくるというのが 彼らには現実なのですから。日常的には「死んで、生き返る」という 言葉が平気でつかわれている現実が一方にあり、また他方、「人の死」という 現実がほとんど日常から排除されているとすれば、言葉が先行しつつ 「死んで、生き返る」という方向に認識を導いていくのは当然ではないか、と思うからです。
バトルゲームによって、「人間を殴る」ということもまた現実から遊離したものになっていて、 実生活でのケンカにおいて、相手を撲殺したという事件があったりするのも似たような 仕組みのように思います。
そういった現実の中では、「とりかえしがつかない」という感覚が死語化してしまいかねませんね。 「とりかえしがつかない」という感覚は、われわれが生きていく上でとても大切な感覚だと 思うのです。それがないと、人の一生の大切さがそこなわれてしまいそうです。 自分と同じように他人もまた大切なのだということもわからなくなってしまう、 そんなことでいいのか、とつい思ってしまうのです。
「死」ねば、ふたたび「生き返る」ことはないというのは、 一度経験させれば分かることです。死の教育がいかに大切かということを感じました。 総合教育で、そういった取り組みをされている学校もあると聞いています。 「百マス計算」とやらをやって基礎学力を付けることも大切かも知れませんが、 自分のかけがえのなさ、人のかけがえのなさを認識する方がもっと 大切なのではないでしょうか。
追伸
このホームページにも「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」という脚本があります。 賢治の妹トシの死を中心にすえて、死の問題を扱ったものです。 この劇の中でも妹トシは死んだのち起きあがって銀河鉄道に乗って旅だっていくのですが、 それを見た生徒は、「死んで生き返る」例として考えるのでしょうか。


2005.2.1
詩のボクシング

先日詩のボクシングをやっていました。見ましたか?  実は、わたしはこの詩のボクシングの大ファンなのです。 見られたことがない方のために説明しておきます。戦う二人が赤白のコーナーに分かれて、 持ち時間2分で交互に自作の詩を朗読します。二人の朗読が終わった時点で判定、 レフリーに手を取られてリングに並びます。ジャッジが7人いて、赤白どちらかの看板を上げて、 多い方が判定勝ち、ということになります。
自分でも詩の内容、朗読そのものを引き比べてどちらが勝ちかを判定してみる、それも一興。
詩のテーマは自由で、読み方も千差万別、その味わいもまた楽しいものです。 長丁場のトーナメントで、とりわけ決勝戦が圧巻でした。決勝戦は、 これまで通りの自作の詩の朗読と、さらに引き当てたテーマで即興詩を朗読するという 2段階の戦いがあって、判定ということになります。即興詩もまたいやおうなく 作者があらわになって興味深いものでした。
ここ何年間か見続けてきたのですが、今年の優勝者の朗読は一番の収穫だと思いました。
ということで感想。学校でもやれないかと考えてしまいました。養護学校ではどうなのか。 国語の授業で詩を作ったり、川柳を詠んだりしているのですが、そこで詩のボクシングをやって 勝ち負けをきめる。どんなものでしょうか。やはり判定はなかなかむずかしいとは思いますが。
追伸
1月30日にBS11で「詩のボクシング・小・中学生大会」が放映されていました。

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