◇2005年3月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

俳句

千年の視線

養護学校廃止?

「うずのしゅげ通信」バックナンバー



2005.3.1
俳句

詩人のねじめ・正一氏が朝日新聞にこんなことを書いておられました。(2005.2.2)
「老後が待てない 俳句の功徳
私の父親が俳句で家族に迷惑をかけていたせいで、若い頃から俳句だけはやるまいと思ってきた。 ところがここ数年、俳句がどんどん私の生活に入り込んできて、気がつくと 月1回の句会のためにああでもないこうでもないと言葉をひねくり回している。」
まず、ここまで読んでどこかで、自分の将来を予言されているようで、 思わず引き込まれてしまったのです。
ねじめさんの話を聞いてみよう。句会の効用は、まず、「すてきな人たちと出会える」こと、 さらに「句会では俳句も大事だが、面白いことを言うのも大事だ。」というのです。
後の見方がおもしろいですね。
「句会という座の中で自分がどんなポジションなのか。そこをきちっと計算して 笑いを取らなければならない。」のだといいます。
「父親が俳句で家族に迷惑をかけたのは、俳句に遊びを持ち込まなかったからである。 俳句を文学だと思って、真面目に、真剣に、命がけで取り組んでいたからである。 ものごとには遊びの要素が必要だよなあとつくづく思う。子供時代、 クラスのみんなに笑ってもらうのが生き甲斐だった私が、 50を過ぎて同じことが生き甲斐になっている。」
同感だなあと、思わす唸ってしまいました。
私の父もまた俳句をやっていました。それで家族に迷惑をかけたかどうかは ちょっと判断しかねます。しかし、遊びの要素が足りなかったのは確かなようです。 もともと俳句は俳諧ですから、諧謔がなくてはつまりません。以前にも引用したことがありますが、 父の俳句で私がもっともおもしろいと思うのがつぎの句なのです。

秋の蚊の妻の乳房につまずける

ちょっとエロチックでもあるのですが、こんな俳句が句会に飛び出してくると、 みんなでわいわいと座が盛り上がるような気がするのですが、いかがでしょうか。 まさに俳諧ですよね。しかし、父の俳句にはやはり諧謔があまりにも少なかったように思います。 だからといって俳句で家族に迷惑をかけたということはあまりありません。 あえていえば、息子に句集一冊を作らせたこと、そんなふうに気を使わせた ことくらいでしょうか。
そして、定年をあと三年に控えて、私もまたもうすこし本気で俳句をやってみようかと 考えているのです。ねじめさんのように決して俳句なんぞは作るまいと決心していたのに。 ふしぎなものですね。


2005.3.1
千年の視線

西岡常一著「木に学べ−法隆寺・薬師寺の美」(小学館文庫)を読みました。
第一章「千三百年のヒノキ」につぎのような文章があります。
「ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長いということです。 法隆寺の伽藍の材料がだいたい千年か千三百年ぐらいで伐採されて材料になってるんですわ。 (中略)すごいのはヒノキのそうしたよさに千三百年前の人が気がついていたってことです。 とにかくね、法隆寺を解体しましてね。屋根瓦をはずすと、 今まで重荷がかかっていた垂木がはねかえっていくんです。そこで、われわれ大工の間ではね、 樹齢千年の木は堂塔として千年はもつと言われてるんです。それが実証されたわけです。」
「法隆寺がでけてから千二百八十年たって解体しました。そしたら四隅の隅木がね、 五重やから五つありますけど、それが下から一直線にスーッと立ってます。 千三百年前に作ったままでんがな。ということは「木のクセ」をちゃんと知っておったんです。 ところが、鎌倉時代はそんなこそ知らんもんやから修理をケヤキでやった。 だからこんなふうにそっくりかえるんです。木をクセで組んでないということや。 自然から離れてしまっていったんや。建築物は構造が主体です。 何百年、何千年の風雪に耐えなならん。それが構造をだんだん忘れて、 装飾的になってきた。一番悪いのは日光の東照宮です。装飾のかたまりで、 あんなんは建築やあらしまへん。工芸品です。」

おそろしい目だと思います。
こういった千年を見据えた目で建築を見ると風景が違って見えてきます。 法隆寺のすごさがあらためて分かったのです。
建築しかり、仏像しかり、むかしの人は理論的ではないかもしれませんが、 自然を見る目と自らの腕に根ざしたすばらしい技術を持っていたのですね。

かつて法隆寺を訪れたときつぎのような歌を詠んだことがあります。(「火食鳥」4号、1990年)

斑鳩の五百枝(いおえ)の河に黄花あふれ救世観音のくらきに溺る
 (斑鳩の里は、大和川の支流がたくさん木の枝のように編み目をなして流れています。 春になるとその河原に黄花があふれるのです。黄花は河が汚れている証拠。 その黄花の明るさと対照的な救世観音のくらさ。その魅惑。)

朱の唇(くち)に秘仏のおそれほの見えて救世観音はただものでなし
 (暗い夢殿で救世観音を拝していると、 やはりただものではないと感じさせる威圧があります。)

いしずえに嘆きの塑像ひそむゆえ五重の塔に風鳴りやまず
 (五重の塔の基壇には釈迦寂滅に嘆き集う弟子の像が彫られています。 まるで、彼らの嘆きのように風が鳴る。)

法隆寺自体が「ただものではない」のですね。建物のすごさ、 仏像のすごさがいよいよ際だってきますね。
ますます奈良が好きになってしまいました。


2005.3.1
養護学校廃止?

2005.2.8朝日新聞
「重い障害の子も近くの学校へ通えるよ
養護学校廃止し「サポート教室」大阪・高槻」
「大阪府高槻市が、市立養護学校を3月末に廃校するのに合わせて、 4月から市内に「重度障害児サポート教室」(仮称)を新設し、 養護学校に通っている子どもたちが最寄りの小中学校の養護学級(障害児学級)に在籍しながら 必要に応じて通うことができるようにする。国は重度の障害のある子に対しては、 養護学校と盲・ろう学校をまとめた学校をつくり、支援する方針を打ち出しているが、 重度の子をそのまま地区の小中学校に受け入れて支援する方法は、 国の一歩先を行く取り組みともいえ、全国的に注目を集めている。(小林正典)」

この記事を読んで、やはりいくぶんかの危惧を感じてしまいました。
それは理想論ではないのですか? 養護学校をなくしてしまって大丈夫なんですか?  取り返しがつかないことをしていませんか? といった危惧。
さらに踏み込んで言えば、普通校に通学する彼らにほんとうに対等の人間関係 が保障されるのか、 あるいは、 個別の指導計画などと息苦しいほどの指導、支援を与えるばかりではなく、生徒個々人の成長力を信じて、 生徒によっては対等の集団の中に放り込んで成長を待つという方法も あるのではないのか、といったことです。
対等の人間関係というのはなかなかむずかしいものです。たとえば、親友になれるか、 あるいは、ボーイフレンドやガールフレンドとして好きになったりなられたりできるか、 ということです。そのような対等の人間関係は、年齢によってその必要性の強弱はあるものの、 母なる集団として絶対に不可欠なものだと思うのです。 それがほんとうに保障されているのでしょうか。対等な集団の教育力はすごいものだと、 これは経験でそう思っているのです。(対等というのは、 そんなにたやすいことではないと考えています。これは、 いろんな問題をはらんでいると思います。)
地元の学校で行くか、養護学校を選ぶか、その機会は何度かあると思うのです。 小学校入学時が1度目の選択の機会(聴覚障害の生徒の場合はもっと早い判断が必要です)、 3・4年までは地元の小学校に通って、 周りの生徒との関係を見て、そのころに2度目の選択をします(いわゆる9歳の壁を越えられるかが、その判断の基準になります)。 さらに、中学校への進学の時期に3度目の、高校への進学時に4度目の選択をする。 一概に決めつけるのではなく、常に二つの選択肢を確保していく、 そのほうがいいのではないかと考えています。そして、その選択にあたっては、 発達のようすを見極めると同時に、どのくらい集団を必要としているかもまた 考慮されるべきだと思うのです。
こういった議論をする場合いつも気になるのは、その論者がどういった障害をもった、 どの程度重度な生徒をイメージしているのかということです。論者のイメージには合っていても、 他の障害、程度の生徒には当てはまらない場合もあるのではないでしょうか。 障害種別、程度を無視して、障害を持っているというだけで、 十把一絡げに論じられてはたまったものではないと思うのです。
たとえば、さきに、私は軽度の知的障害をもった生徒を想定して対等な 集団から切り離すことの危惧を述べました。 以前この「うずのしゅげ通信」に書いたことがありますが、 聴覚に障害をもった生徒の成長にもろう者の集団がぜったいに必要なのではないでしょうか。
障害や程度に応じてきめ細かに考えていかなければならないように思うのですが、 いかがでしょうか。
ご意見をお聞かせください。

〈追伸1〉
2005.2.20付け朝日新聞につぎのような記事が載っていました。
「知的障害者の中3「地元高校への進学を」
支援者が「はげます会」」
知的障害があって、中学校の養護学級に在籍しているH君、
「小中学校で地元の子どもに囲まれて生き生きと過ごすHさんの姿を見て、 両親は養護学校でなく、地元の高校への進学を以前から希望していた。 (中略)府の特別枠は01年度から試験導入され、面接などで入学できる。 調査研究期間は05年度までの5年間。研究校以外への導入はまだ決まっておらず、 (彼が希望する)高校に進学するには学力試験で合格点をとらなければならない。」
といった内容でした。
本人も希望し、両親もそれを望んでおられるとすれば、 高校への進学を目指すことに異存はありません。 H君の場合は「地元の子どもに囲まれて生き生きと」やってこられたという実績があり、 友人ともいい関係でこられたに違いないからです。
私が心配するのは、一見うまくいっているように見えても、 その内実は保護・被保護の関係になっている、そういった場合のことです。 小学校入学時にはいっしょにやれていたとしても、 3・4年生ともなると心身の能力差が顕著になり、と同時に周りの生徒はそれなりに対応の仕方が身についてきて、 友人とは言っても、保護・被保護の関係でなんとなく安定しているといったことはないのかということです。
ほんとうの意味での対等の関係と対等でない 関係を区別するのは、友情、あるいは恋愛が可能かどうかをみればよくわかると思います。 頼ったり、頼られたりといったほんとうの友情の可能性はあるのか、 好きになったり、なられたりする恋愛の可能性はあるのか、 というふうに内省すればいいのです。
私が勤務する高等養護学校へ進学してくるのは、中学校の養護学級に在籍していた 生徒たちがほとんどです。彼らは、高等養護に来て、 はじめて4、50人規模の対等の集団の中に入ります。 そこでは、卒業後も続く友情も芽生えるし、恋愛の可能性に 胸をときめかすこともできるのです。
そういった場がこれからどうなっていくのか予想もつきませんが、 もしなくなるとしたら、とても残念に思うのです。

〈追伸2〉
対等な人間関係が生徒の成長にとってなくてはならない人的な環境だということ、 そのことは否定しようがありません。しかし、上に書いたように中学校の障害児学級から 来た生徒たちの友人関係は以外と狭いように思います。 交流学級でみんなと一緒に授業を受けたり行事に参加したりしているのですが、 やはり友だちはできにくいのでしょうか。
そんな彼らが高等養護に入学してくると、次の日からさっそく集団生活がはじまります。 クラスは7・8人、教室移動も、着替えも自分なりの判断が要求されます。体育や作業学習、あるいは行事などでは、学年4・50人の集団の一員になるわけです。 自分の判断が求められるということで、最初は緊張して恐る恐るまずは学校生活に慣れてゆき、 と同時におずおずと対等の友人関係に踏み込んでいきます。 そのうちに同級生同士で遊びに行こうという話も出てきます。友だちもできます。 好きな異性もできるかもしれません。 好きになられるという幸せな経験はできなくても、好きになることはできるし、 好きになられる可能性はなきにしもあらずなのです。そこがすばらしいところです。
しかし、こんな環境の中で幾分浮き足立った生徒が出てくるのはとどめようがありません。 そこで問題が生じます。何割かの生徒は、友情も恋愛も十分深まることなく、 次から次へと相手を変えていきます、移り気な関係しか持てないのです。 簡単に友だちの告げ口をしたり、裏切ったり、 好きな異性も月がわりです。もちろん一部の生徒の話ですが……。
そんなようすを目にして、対等な人間関係というのは、そこに自律する個性があって、 それを認めあってはじめて成り立つものだと思い知りました。 自律的な個性(おそらくは?)を持った生徒は、その移り気をまぬかれているのです。 大げさな言い方をすれば、 自律的であるということは人間としての威厳をもっているということでもあるようです。 好きなことは好きといい、嫌なことをされたら怒る、 自分というものを大切に思っていて、それなりに信念をもっている、 そんなあたりまえの自律した個性を育てること、それが無言の威厳になってくるような、 そんな生徒になってもらうこと。どうすればそんな個性を育てられるのか、 むずかしいですね。職員室の井戸端談義では、家庭の教育力によるのではないか、 あるいは何か達成感を持った経験によるのではないか、など様々な見方が出ましたが、 もちろん未だに暗中模索。
もっと考えてみないと、どんなふうに自律した個性が育ち、 そんな個性を尊重する人間関係がもてるのかわかりませんが、 ともかく対等な人間関係の中でそういった個性を育てることの 重要さをあらためて感じています。
ここまで書いてみて、やっと気がつきました。 これって今の高校生の問題でもあるんじゃないのか、と。

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