◇2005年5月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

母語としての手話

詩歌への信頼

アインシュタインのトリビア

「うずのしゅげ通信」バックナンバー



2005.5.1
母語としての手話

2005.4.16付けの朝日新聞に
「手話で授業保障を
日弁連意見書 ろう教育改善を求める」

と題した記事が掲載されていました。
「国は手話を法的に言語と認め、手話による授業をろう学校の生徒が受けられるよう、 選択の自由を保障すべきだ−−。日本弁護士連合会は手話教育に関してこんな意見書をまとめ、 文科省に送った。」
ろう学校では、いまでも「聴覚口話法」が一般的で、以前にもろう児の親たちが 「母語である手話で教育を受ける権利が侵されている」と日弁連に人権救済を 申し立てていたのだそうです。
そして、フィンランドのように、「法的に手話を言語と認めるように提言」し、 「ろう者を教員として積極的に採用する」といったことも求めています。
「また、文科省が検討している盲・ろう・養護学校の統合には「手話の伝承には 手話を使う集団が不可欠」と配慮を求めた」のだそうです。

以前からこの「うずのしゅげ通信」に書いてきた考えと同じような方向で大賛成です。 手話を法的にも認知されることが、いろんな場面で活きていくように思われます。 そうなれば裁判や教育の場でも、手話が重んじられるようになるはずだからです。
ただ、一つ「手話の伝承には手話を使う集団が不可欠」というのは、 少々ひっかかってしまいます。「手話の伝承」のためではなく、 ろう児の教育のためには、ろう児が手話を使う学校という場が、必要不可欠だと思うのです。
母語が保障されない教育の場などありえないからです。
どうも最近は、たとえば障害児学校についての議論においても、 教師がどう教えるかとか生徒の成長を年を追ってどう保障していくかとか、 そういったものが多いようで、肝心の学校という教育の場をどうしていくか、 学校という同年代の生徒たちの集団を通じた教育力をどうするか、 といった場の考え方が希薄なような気がするのですが、どうでしょうか。

追伸
4月は、新入生の季節です。わたしの勤務する養護学校にも新入生が入学してきました。
入学式から三日目に対面式が行われました。2、3年生とはじめての顔合わせです。 そこでお互いに自己紹介をするのです。そのとき、3年生の生徒がつぎのような 発言をしたのです。
「中学校で自分の居場所がなかった人も、この学校で自分の居場所を見つけてください。」
これを、わたしは生徒本人が本質を見極めたことばとして、貴重なものと受けとめました。 この学校の存在意義はそこにあると 思わざるを得ませんでした。
保護・被保護の関係ではなくて、対等の集団の中で、自分の居場所を見つける、 それこそが高等養護学校という集団の意味、ハンディをもった生徒たちが社会性を培う 基なのではないでしょうか。


2005.5.1
詩歌への信頼

春の暮われに家路といふは無し 桂信子

2005.4.16「折々のうた」に取り上げられていた句です。
大岡信の解説によると、作者は日野草城門下の俳人で平成十六年、九十歳で逝去されたそうです。
「右は最晩年の句だが、「われに家路といふは無し」は、孤独に徹した覚悟の句である。」 と結んでおられます。
奇をてらった発想ではなく、たった五七五でこれだけのことが言えるのかと、 詩歌というものへの信頼をあらためて抱かせられるような句だと思います。
最近の詩歌を読んでも、個性のないありふれたもの、自分の感性の奇をてらったものなど、 箸にも棒にもかからないものが多く、 一読襟をただされるといった作品に出会うことはめったにありません。
また、ちかごろの散文の弛み様は目を覆うばかりです。
そんな中でこういう句に接すると、 また俳句や短歌を詠んでみたいという誘惑に駆られてしまいます。 もちろん、志ばかりが先走って、どうせろくなものができないことはわかっているのですが……。


2005.5.1
アインシュタインのトリビア

司会者「では、つぎのトリビアです。」
アナウンサー「あの偉大な科学者アインシュタインが主役で登場して、 相対性理論について論じる能がある。」
「へー、へー、へー……」
司会者「では、科学史がご専門の賢治先生に聞いてみましょう。」
賢治先生「はい、たしかに、アインシュタインが主役で登場して、 相対性理論について論じる能があります。
今年はアインシュタインが特殊相対性理論を発表してから百年にあたるということで、 「国際物理年」とされるなどさまざまな催しも計画されているようです。
だからというわけではないのですが、私と同時代人であるアインシュタインが登場して、自ら 相対性原理を謡いにのせて説明する能があるのです。 「一石仙人」という能です。作者は多田富雄
まだ、上演されてはいないようですが、 一度見てみたいものです。」

もともとが理科系人間であるわたしは、どうしてかアインシュタインには妙に 惹きつけられるところがあるのです。どんなところが魅力なのか 突き詰めて考えたことはないのですが、アインシュタインに関係した本となると 見逃すわけにはいかないのです。原子爆弾の可能性は彼の特殊相対性理論が開いたものですし、 また、彼はナチスに追われてアメリカに亡命した後、ナチスが先に原爆を開発することを恐れて、 アメリカ大統領に研究を勧める手紙を書いたのです。後にそのことを悔やむことになるのですが、 アメリカの核開発がそれによって一歩を踏み出したことは確かです。 そういったことも彼に興味をもつ原因かも知れません。
だから、アインシュタインと相対性理論を主題にした能があるのを知ってびっくりしてしまいました。 そんなのはあるわけないと目を疑ったのです。相対性理論と能というのは、もっとも異質なもの、 およそ融合不可能なほどに隔たった二つの概念だからです。
だれしもそう考えるでしょう。しかし、そんな能があるのです。
多田富雄さんが書かれた「一石仙人」という能です。
多田富雄さんといえば、高名な免疫学者で、わたしもこれまでに「免疫の意味論」 「生命の意味論」などの著作を読んだことがあります。多田さんは能に造詣が深くて、 自ら三本の脚本を書かれたようです。
実は先日本屋さんで偶然みつけた「脳の中の能舞台」(新潮社)という本に台本が載っています。
「一石」というのは、アインシュタインのドイツ語の意味、 アイン−シュタインから採られたということです。

能「一石仙人」はつぎのようにはじまります。

ワキ、ワキツレ(次第)
時世の外の旅なれや 時世の外の旅なれや
真理(まこと)の法(のり)を求めむ
ワキ(詞)
これにまします御事は、都に隠れもなき女大学にて候。(中略)さて海山万里の彼方、 欧亜の涯に、一石仙人と申して尊き知識のましまして候。 相対の摂理と申して宇宙万物の生成流転の理(ことわり)ことごとく解き明かしたると聞き及び、 時空の源をも訊ねむため、はるかなる旅に出でて候。

「相対の摂理」というのが相対性原理のことです。
劇的展開はそんなにあるわけではないのですが、この能の台本を発見して、 わたしは大変感激したのです。相対性理論を能に仕立て上げるという、 そのとんでもない勇気に揺さぶられたのです。そう思いませんか。
能の台本は三本掲載されていて、脳死を扱った「無明の井」、 韓国の従軍慰安婦が登場する「望恨歌」などに比べると見劣りはするものの、 また違った意味で、その勇気に感嘆させられたのです。
アインシュタインは特殊相対性理論で、質量(重さ)とエネルギーを結びつけました。 まったく異質のものをエネルギー=質量×(光速の2乗)という式で関係づけたのです。 それと同じくらい異質のもの、相対性理論と能が結びつけられたということで、 とても驚くと同時に、何だか嬉しくなってしまったのです。

追伸
じつはこの賢治先生の劇にも相対性理論の片鱗が出てくるのです。
「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」という脚本です。 その脚本は、死がテーマになっていて、 人が死んで身体はなくなっても、生きていた頃の様子は光となって宇宙に遍満しているという 信念が語られます。赤ちゃんが生まれたとき、地球から発せられた「赤ちゃんが生まれたよ」という 光が、宇宙に広がっていくというイメージが、月夜のでんしんばしらが赤ちゃんの写真をもって 走り回るという演技で表現されています。月夜のでんしんばしらは光速を表しています。 そして、光より速いものはないといった考え方は、 もともと相対性理論によっています。
興味のある方は一度読んでみてください。
また、二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」では、賢治先生が、地球から 60光年離れた銀河鉄道の駅で望遠鏡を覗いていて、 つい今しがた日本のあたりで原爆のピカが光るのを目にするというところから物語がはじまります。 つまり、60年かかってやっと賢治先生の望遠鏡まで閃光がたどり着いたわけです。 現代に生きるわれわれは、それほどにも原爆から遠ざかってしまった、 という考えが基本になっています。
これら二つの脚本は演出がむずかしく、 上演は「諦め模様」ということもあって、とりあえずは読んで、 おのおの自分なりの舞台を想像していただくしかありません。

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