◇2005年6月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

やっと3万アクセス

完結しない劇

総合学習で賢治劇を

「うずのしゅげ通信」バックナンバー



2005.6.1
やっと3万アクセス

ホームページを開設したのが2000年の1月ですから、5年半で3万アクセス、 最初の半年は実にスローペースでしたから、それ以後は1年に6千アクセス程度。
3万アクセスの意味というものを考えてしまいます。3万アクセスの内、 何人が脚本を一編なりと読んでくれたか? 100アクセスに一人とすれば、 300人に読んでいただいたことになります。1000アクセスに一人であれば、 30人に読んでいただいたことになります。実際のところは、 これらの中間あたりではないでしょうか。しかし、何にしろありがたいことです。 ほんの断片をかじったり、拾い読みということになるともう少し数は増えるかもしれません。
わたしとしては、読者は10人でもいいと考えています。ほんとうの読者が10人もいれば、 これほど心づいよことはないからです。
脚本探しだけではなく、月刊「うずのしゅげ通信」を読みに来ていただく リピーターも20〜30人ぐらいはおられるように思います。こちらもありがたいことです。 感謝、感謝……。


2005.6.1
完結しない劇

「うずのしゅげ通信」の先月号でも触れましたが、最近、 多田富雄著「脳の中の能舞台」(新潮社)という本にのめり込んでいます。
一章一章をじっくり味わいながら読んでいるのです。 読み終わるのがもったいないような気持ちです。
その中に「能の終わり方」と題した章がありました。
まずは、イランの映画監督アッバス・キアロスタミの作品 「友だちのうちはどこ?」がいかにすばらしい映画かを語られます。 さらにアッバス氏が来日したとき、映画の終わり方について 話されたというつぎのようなことばが紹介されています。
「映画はすべてを語りつくして終わらなくてもいい。結末は決定的でなくてよい。 映画館では完結しなくても、見終わって家路についたあと、ベッドに入ってからも続いている映画。 そういう映画を作りたい。『映画館では、終わった後もみんな拍手をしないでしょう』と 監督は言った。」
そんな紹介をした後、その終わり方についての考えを能にも敷衍していかれます。
「まず、近ごろの能の会では、すべてを語りつくして終わる能が多すぎるように思う。 能楽師はあらゆる技巧を駆使して、これでもかこれでもかと表現しつくす。 技術的にもレベルが高く、ストーリーとして完結するように演出される。 終わると間髪を入れずに拍手が起こる。役者は何もかもやりつくしたという 満足感で汗をぬぐうだろうし、観客も満腹になって帰路につく。でもそういう能は、 一時的なカタルシスになったとしても、二度とそれを思い出すことはあるまい。 あとになってゆっくり、さっきの能の続きを頭の中で反芻するというようなことは 少なくなった。」

劇も同じかな、という反省がふつふつと湧いてきます。 しかし、これはなかなかむずかしいと思うのです。賢治先生ものの脚本でも、 「すべてを語りつくして終わる」形になっていないかと思わずふりかえってしまいます。 筋が単純であるだけに、どうしても陰翳を陰翳のままに残すというのがむずかしくなります。 「賢治先生がやってきた」はわかりませんが、やはり少しは難解な部分を抱え持った劇、 二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」とか、 一人芝居「水仙の咲かない水仙月の四日」など、 少々なりとも完結しないものを残しているように思うのですが、 いかがでしょうか。


2005.6.1
総合学習で賢治劇を

賢治先生の劇を利用していただけることもたまにはあるようです。
わたしとしては、小学校の5、6年ぐらいで、総合学習の時間に賢治についての 学習とからめて劇を上演するというやりかたがいいのではないかという考えがあって、 以前この「うずのしゅげ通信」にもそのことを書いたことがあります。
岩手県のある小学校の「賢治先生がやってきた」の取り組みです。
「6年生は国語で宮沢賢治の生き方や賢治が追い求めた理想について学び、 その賢治が先生となって小学校にやって来たらどんなことを教えてもらえるかを演じました。 歌や群読も交えて賢治の世界を楽しく表現しました。」
きっと楽しい劇になったと信じています。
たとえば他にもつぎのようなやり方が考えられます。
環境問題についての学習を進めながら、「ぼくたちはざしきぼっこ」の劇を 完成していくといった試み。あるいは原爆の学習の一環として、 二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」の朗読を取り入れる等々、 様々な総合学習に絡めた取り組みが考えられます。
すべて学習に結びつけるということではなく、利用できる脚本は利用することで、 やりようによっては、学習内容をより楽しく深めることができるように思うからです。

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