◇2005年7月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

定年

「八日目」の主演俳優

リービ英雄著「千々にくだけて」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2005.7.1
定年

定年まであと2年半ばかりになりました。あと2年勤めるかどうかはわかりませんが、 先が見えてきたことだけは確かなのです。
私は、1948年(昭和23年)生まれのばりばりの団塊世代なのです。 この「うずのしゅげ通信」を読んでいただくと、 確かに団塊世代の感性がそこはかとなく漂っている、とそんなふうに感じていただける方が おられるなら、これほど幸せなことはありません。
で、定年が秒読みに入ったことで何が変わったのでしょうか。
私は養護学校の教師なのですが、いまは養護学校が大変革の時代に入りつつあります。 もう4、5年もすると、一学年の生徒40〜50人といっしょに劇に取り組むなどといったことは、 まだまだゆとりのあったいい時代の語りぐさになってしまうかもしれません。 どういった改革かは、なかなか一言では説明しにくいのですが、 ともかく養護学校は存立そのものが問われるほどの疾風怒涛の過渡期を迎えているのです。 教育現場にもそれに関連した様々の情報がもたらされます。ところが、です。それらの情報が 私の脳裏でみごとに篩(ふるい)にかけられているようなのです。この変革が実現するのはいつなのか、 現場に影響が及ぶには何年くらいかかるのか、という問いがとっさに浮かびます。 そして、もしそれが3年を超えていると判断すると、その情報はとたんに頭を素通りしてしまいます。 それは、意識的なものではなく、ほとんど無意識に近い反応なのです。
ふしぎなものですね。自分ではそんなふうになるとは想像もしていなかったのですが、 事実は事実、認めざるをえません。
2007年問題ということで、団塊の世代が維持してきた技術を惜しむ声もありますが、 ただのしがない教師としてはそういったものの持ち合わせもありません。 ただ消えゆくのみということでしょうか。そこは利己的に定年後の生き方をそろそろ考えていく 時期にさしかかっているのかもしれないと、そんなふうにも思っているのです。
(この項、さらに続く)


2005.7.1
「八日目」の主演俳優

先日(6月20日)のNHK教育、福祉の時間に、 「ぼくは挑戦し続ける〜ダウン症の俳優 パスカル・デュケンヌ〜」が 放映されていました。以前この「うずのしゅげ通信」でも取り上げたことがある 映画「八日目」(フランス1996)にダウン症の青年ジョルジュ役で主演した パスカル・デュケンヌ(34)さん、彼は、その演技でカンヌ映画祭の主演男優賞に 輝いているのです。現在、彼は「知的障害者のための芸術学校で演技を学びながら、 ヨーロッパを中心に世界各地の舞台で公演を行っている」そうです。
パスカルさんは、ベルギーの首都ブリュッセルで暮らしています。現在市営の三階建ての アパートを借りて、劇団の友人三人と共同生活をしています。グループホームのようなものだと 思われます。家賃は4万円から6万円、国から支給される障害者手当と障害者団体からの 援助で賄っているそうです。
「自分の力で暮らしていくのは簡単じゃないけど、その中からいろんなことを学ぶんです。 学ぶことこそ人生なんです。」
アパートの1階には保護者が設立した障害者支援団体の事務所があって、 「牛の置物」をつくったり、といった作業をしています。彼らもその作業を一緒に したりしています。
彼らの話を聞いているとうらやましいくらい自由の息吹が感じとれます。 自分のやりたいことを主張するのは当然といった構えがあります。また周りのものにも、 みんなで彼らの生き方、自由を支えなければならないという雰囲気があります。 彼が通っていた「知的障害者のための学校 プラタンヌ」では、 「生活や仕事の訓練と並んで絵画や演劇など芸術の授業に力を入れている」のです。 彼らは「週3回、プロの演出家の指導を受けながら、稽古に励んでいます。」だから、 彼らが取り組んでいる劇は、学芸会のようなものではなくて、 かなり本格的で前衛的なもののようです。
演出インストラクターのアルメル・ジャンセンスさんのことば。
「何より大切なのは、一人一人が自分の力で表現できるようにすることです。 たしかにうまく表現できる人もいれば、できない人もいます。それでも演じる中で、 できるかぎり自分自身の中から表現がわき出てくるように導いていきます。(中略) みんなことばで表現することが、ちょっと苦手です。でも表情や体を使って、 何かを語ることはできます。みんなふだんの生活の中でむずかしい問題を抱えていたり、 言いたくてもことばにできないことがたくさんあります。演じることは彼らのとってとても 大切な表現の方法なのです。」
そして、母親のユゲット・デュケンヌさんのことば。
「わたしは親の集まりでいつも話すことがあります。いまあなたたちが生きている間に、 子供たちにチャンスを与えてくださいということです。(中略)私はいま、こう思っています。 親にとって怖いことでも子どもにはチャンスを与えるべきだと。」
そして、「パスカルさんの夢は?」と、聞かれて、彼は、
「そうですね。夢がなければ生きていけません。ぼくたち自身が学んでいくためには、 ぜったいに必要ですね。ぼくはいつかカップルで暮らしたい。いつか愛する人といっしょに 暮らしたいと思っています。それからこのアパートで新しいことをやってみたいんです。 いろいろ考えているんだけど、たとえば、このアパートの下の階にレストランとかカフェを 作りたいですね。いまはまだ無理だけど、いつかできたらすばらしいでしょう。 そうやって自分の力で生きていくこと、そのために学んでいくこと、 それが人生なんだと思っています。」
そして、最後のナレーションにもあったように、芸術に出会い、強い意思をもって 自分のやりたいことをやってきたパスカルさんとそれを支えた周りの人々、等々、 日本の現状と何が、どこが違うのだろうと考えさせられました。
それはともかく「八日目」はすばらしい映画でした。ぜひご覧いただけたらと思います。


2005.7.1
リービ英雄著「千々にくだけて」

しばらくぶりに小説を読みました。リービ英雄著「千々にくだけて」(講談社)。 BS2「ブックレビュー」で取り上げられていて、興味をそそられたのです。
日本に永く住み、日本文化にも造詣の深い主人公エドワードは、 母や妹に会うためにアメリカに帰国する途中、9・11の事件に遭遇します。 米国の国境がすべて閉鎖されたため、カナダのバンクーバーに足止めされてしまいます。 妹や母への電話もつながらないまま、無為に過ごさざるをえなくなったエドワードの数日の 想いが綴られていきます。その意識の流れに伏流しているのが、奇妙に思われるかもしれませんが、 芭蕉の句の英訳なのです。
事件が起こる前、飛行機からカナダの海岸線、暗緑色の小島を俯瞰していたエドワードの もの想いの中ではじめて芭蕉の句とその訳が紹介されています。それはエドワードが 飛行中永く禁煙を強いられてきたいらいらをまぎらわせるためでもあったのですが。
「ほら、松島とは反対側の夏の海も千々にくだけている、と自分の気分をまぎらわせる。 そんな日本語を想い浮かべた。島々や、千々にくだけて、夏の海、 と芭蕉の松島の句に集中しようとした。手がまた動き出そうとした。 エドワードはもう一度「島々や」の文字を必死に想像して、そして、
all those islands!
とさらに頭の中で響かせてみた。
エドワードが二十年前に、S大学の教授から聞いた、「島々や」の名訳だった。
All those islands!
Broken into thousands of pieces,
The summer sea.

エドワードは市内にホテルを取り、9・11後の数日を過ごすのですが、 ニューヨークの貿易センタービル崩壊の映像が流されるとき、彼の耳に響くのは、 このことばなのです。
(映像を)見ているエドワードの耳に音が響いた。
ちぢにくだけて
たやすく、ちぢにくだけて、broken,broken into thousands of  pieces

芭蕉の句の英訳が、エドワードの意識の内で変容しつつ鳴り響いているのです。 ふしぎなような気もしますが、またありえることのような気もするのです。 この小説の仕掛けはこのあたりにあるのです。大変おもしろいやりかただと思います。
おなじことば「broken into thousands of pieces」 がこのようにも違う文脈の中に現れるふしぎ、そして、芭蕉のイメージがビルの崩壊に重なり、 逆にビルの崩壊のイメージが芭蕉の句に重なる、 ことばで世界を捉えるということはそういったことなのかもしれないと、 ふしぎな感覚とともにたいへん感動させられたのでした。

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