◇2005年10月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

実際にあった「おそろしや」

「笑いは遺伝子を活性化する」らしい。

「いきなりはじめる浄土真宗」「はじめたばかりの浄土真宗」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2005.10.1
実際にあった「おそろしや」

畳の部屋で寝ています。ある夜、眠っていると突然、頭がきりきりと痛くって 目が覚めてしまったのです。私ももうかなりの歳ですから、 「これはたいへんなことかもしれない、もしかしたら脳の血管が切れたのか……。」 という恐れがまず浮かびました。もし、血管が切れたのなら、 知り合いがくも膜下出血で亡くなったときのように、首のあたりが膨れてくるかもしれない。 半分寝ぼけながら、そんなふうに考えていたのです。私は痛むあたりの頭を撫でて、 また首のあたりも撫でてみたのですが、膨れてくる気配はないようです。 それで安心したのか、そのままうとうとしたのですから、痛みもそんなに強くなかったのでしょう。 でも、またまた刺すような痛みが襲ってきたのです。いよいよ脳の血管が切れたのか、 またそんなふうに思ったのです。そして、頭を撫でるのですが、 どこが痛いのかはっきりしないのです。首のうしろのあたりが膨れてくる気配もありません。 血管が切れたのならどうしようもないと、あきらめの境地で眠たいままにふたたび そのまま眠ってしまいました。
朝目覚めて、脳の血管が切れてなくてよかったと、まずそんな感想が浮かんだのです。 そのまま半日くらいたってから、ふと気がついたのです。
あの痛みは、ムカデではなかったのか。刺されたときも、無意識にそんなことも考えてか、 起きあがって布団のまわりを見回していたのです。
もしかして、と手で頭を丁寧に調べてみると、何やら膨らみがあるのです。 家内に見てもらうと、たしかにムカデに刺されたようなそれらしい赤い膨らみが 二つみつかったのです。私の家は回りに葎(むぐら)が多く、 湿っぽいのでムカデの繁殖にはうってつけの環境なのでしょうか、 ムカデが多くて、毎年1、2回は刺されているのです。 冷蔵庫に保存してある抗ヒスタミン軟膏を塗りながら、家内曰く。
「こんなに髪の毛が薄いから、ムカデにもぐりこまれたのね。 きっと小さい一寸ムカデでしょう。私みたいに髪が多いと、 いくら小さいムカデでも入ってこれないものね。」
だんながムカデに刺されて、まだ痛がっているのに、大笑いしながら、 こんなことを言うのです。それが妻たるもののいうことばか、とむかっぱらが立ったのですが、 具体的に指摘されると返すことばもありません。たしかに、私の髪の毛は、 白髪で最近はとみに細く、上のあたりは薄くなっていて、 かき分けるまでもなくムカデに侵入される隙間は十分あるのです。
さらに追い打ちをかけるように、私が頭をムカデに噛まれたことを、 電話で息子の嫁の母親にしゃべったらしいのです。
「いくら何でも、脳の血管が切れたのか、ムカデに噛まれたのかわかりそうなもんですよね。 ムカデも髪の毛が薄いので、頭に潜り込んできたんだと思いますわ。」
「まあ、そんな、お母さん、ひどいことを……。でも、内の主人の頭だったら、 ムカデも足場がなくて、のぼってこれませんわ。」
彼女の夫、つまり息子の義父の頭はいわずもがな……。


2005.10.1
「笑いは遺伝子を活性化する」らしい。

先日(9/26)のクローズアップ現代「笑いで病気を治せるか」で、 笑いの効用について取り上げられていました。笑うことで、 体内のいろんな遺伝子が活性化されて、病気の治療にも効果があるというのです。 将来は、病気で医者にいくと、薬だけではなくて、落語や漫才のビデオテープまでもが 処方される時代がくるかもしれないという話まで。
老人介護施設の職員なども、笑いの必要性を痛感しておられるのでしょう、 競ってお笑い芸を身につけようと日夜練習に励んでおられるようです。 そして、見ていると、お笑い修行も、苦痛どころか、彼らにとっては、 時代の追い風を受けて、むしろ楽しそうでもあるのです。
いまは、空前のお笑いブームだそうで、テレビには漫才師からピン芸人に 到るまでわんさとあふれかえっています。
人間の遺伝子の活性度が低下してきたために、体内のどこからか 遺伝子を活性化するためにお笑いの欲求が湧いてきて、 それが現代のお笑いブームの背景にあるのかもしれないと、 そんなことも考えさせられてしまいます。
そういう私も、ここんところ吉本新喜劇に凝っているのです。 むかしなつかしの昭和30年代、あのふんわかしたメロディーに乗せて はじまる新喜劇を毎日曜日に見ていたことを思い出します。
藤山寛美の松竹新喜劇もおもしろかったけれど、なんといっても 吉本新喜劇はばからしくておもしろかった。少しは訳がわかるような年頃になると、 やっぱり寛美の方が、筋があっておもしろいし、それだけ高級な感じもしていましたが、 いまになって思うと、吉本新喜劇も捨てたものではないというのがわかるのです。 なぜといって、あのむかし聞いたギャグ、いまでも古びていないからです。
岡八郎の「くっさー」とか、チャーリー浜の「ごめんくさい」等々、 何回聞いても笑ってしまうのです。たいしたもんだとあらためて感じ入ってしまいます。
だから、将来、私が、たとえば糖尿病になって医者に行くと、
「あなたは、尿酸値かなり高いですよ。薬を出しますから、毎食後飲んでください。 それにチャーリー浜の出ている吉本新喜劇のビデオ三本、お貸ししますから、 毎晩寝る前に見るように……。」
ということになるかもしれませんね。もちろんそうなると、がめつい吉本興業のこと、 医者廻りを担当するビデオ薬剤部もできているかも。
桂枝雀もいいけれど、藤山寛美もいいけれど、ばからしゅーて、たわいのーて、 ワンパターンの吉本がけっこう効能が高いんとちゃいますか。


2005.10.1
「いきなりはじめる浄土真宗」「はじめたばかりの浄土真宗」

奈良市内に出張した帰りに立ち寄った本屋で見つけました、 内田樹、釈徹宗著「いきなりはじめる浄土真宗−インターネット持仏堂1−」、 「はじめたばかりの浄土真宗−インターネット持仏堂2−」(本願寺出版社)。
以前、朝日新聞の読書欄に取り上げられていて探していたのです。表題にもあるように、 インターネットの内田氏のホームページ「内田樹(たつる)の研究室」で交わされた 往復書簡が基になっているようです。内田先生は「浄土真宗について何も知らない人間」と 謙遜されますが、そこはレヴィナスの研究者、宗教というものを論じる蘊蓄には ただならぬものがあります。釈徹宗氏も、私は知らなかったのですが、 なかなかユニークなお坊さんのようです。そんな二人の往復書簡ですから、 一筋縄ではいかないのです。一応「いきなりはじめる」「はじめたばかり」と銘打っていますので、 参考資料は間狂言として挿入されていますが、内容は実に難解でした。
ほんの一部を紹介します。
その7 内田から釈先生へ「『死ぬこと』は苦しみか?」
「『死ぬこと』の切迫に対する苦痛の大きさには、あきらかに経年変化が認められる」
「そんな『死ぬこと恐怖症』は、しかし加齢と同時に薄皮を剥ぐようにしだいに 消失してゆきました。/思い出される限り最大の転換点は子どもを持ったときです。」
「『生きろ』という命令と『死ね』という命令がいわば同時に到来した、 というのが私にとって『子どもを持ったこと』のいちばん重要な経験だったように思います。」
「そして、ある日私たちを幽明境の『あちら側』へと拉致し去る死病や事件が私たちの ドアをノックするときに、『あ、お迎えがきましたか……』とふらりと立ち上がる というのがことの順序だと私は思っています。」
また、釈徹宗氏もじつに大胆なのです。
「真宗や追善供養や慰霊や祈祷をしない、ということになっております。」
「真宗は、日柄・方角などの習俗・俗信、占いやまじないに迷わないことを モットーとしております。大安や友引といった六曜を無視し、 死はケガレじゃないから『忌中』の札は貼らず、お清めの塩は使わない。」
また〈門徒もの知らず〉というのは、「真宗の連中は、一般的なしきたりを知らないから、 『もの事を知らない』という軽蔑の意と、ケガレに関する作法を行わないから、 『物忌み知らず』という意が合わさってできた表現だと言われています。」
読んでなるほどと思う個所を引用させていただきました。
「般若心経」を唱えているだけの自称仏教徒、詳しく言うと浄土真宗門徒の私としては、 啓発されるところが多々あったのです。

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