◇2005年11月号◇
【吉野・金峯山寺蔵王堂】
[見出し]
今月号の特集
タイムマシーン
ジョン・レノン「Imagine」
三野博司「『星の王子さま』の謎」(論創社)
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
一人語り「芭蕉翁桃青〜その内なる枯野から」
上演のお知らせが掲示板にあります。ご覧ください。
2005.11.1
タイムマシーン
むかしに旅するといった内容の劇を先日の文化祭でやりました。
私の勤務する養護学校が創立30周年なので、時間旅行で学校ができた当時に行ってみる
という内容です。
夏休みに脚本を書いたのですが、最初からタイムマシーンをテーマにしたものに
しようという腹案があったのです。
一昨年読んだ大江健三郎の「二百年の子供」では、シイの木のうろが
タイムマシーンになっていて、そのうろで眠っているうちに過去や未来に行ける
という設定でした。
私が読んだもっとも古い本でいうと、きっと中学時代に熱中していた
ジュール・ベルヌにもタイムマシーンがあったような気がするのですが、
まったく記憶がありません。
ドラエモンにもタイムマシーンが出てきます。机の抽斗がタイムマシーンの
入口になったいるようです。
また、もう30年くらいも前に放映されていたアメリカのテレビ映画
「タイムトンネル」も、毎回、タイムマシーンのような、
トンネルような奇妙な穴に入っていって時間を旅する物語でした。
しかし、どれをとってもも一つリアリティーがないというか、
なっとくさせるものがないように思うのです。論理的になっとくさせるというのではなく、
たとえば宮沢賢治の銀河鉄道が荒唐無稽の空想でありながら、
奇妙にリアリティーをもって読者に迫ってくる、そういったものが欠けているように思うのです。
やはり時間を旅するという設定がそれだけむずかしいということなのかもしれません。
そこで、私がむかしを旅する仕掛けとして採用したのはタイムトンネルです。
第一にタイムトンネルは、現代の入口から入って出てきたら過去ということで
生徒にとって分かりやすいだろうということです。生徒に劇の希望を聞いたときに
蛇踊りをしたいという要望があったので、タイムトンネルを移動していく乗り物として
「蛇バス」というものを考えました。「隣りのトトロ」に出てくる
猫バスのイメージがありました。
タイムトンネルの入口をみつけるのがむずかしいのですが、
それを過去からカメが送られてくるという設定にしました。
カメが時間のツアーコンダクターというのは、
去年やった「モモ」の影響があるのかもしれません。
そのタイムトンネルが生徒に分かりやすく、現実味があるかどうか、
それはまた後日脚本をお読みいただいて判断していただくしかありません。
とりあえずは、文化祭がぶじおわってほっとしながら、この文章を書いています。
2005.11.1
ジョン・レノン「Imagine」
上の文章でも触れた今年の文化祭の劇の最後に生徒たちが歌ったのが
ジョン・レノンの「Imagine」、劇の内容にもぴったりということで、
採用したのですが、そのために、「Imagine」の訳詞、歌える訳を考えざるをえなくなり、
四苦八苦しました。結果できあがったのが、下の試訳です。(実際に歌ったものからは、
さらにすこし改訂してあります。)
Imagine
想いみてごらん
いくさもなく
国のために
死ぬこともない
誰もがいきいきと今を生きてる
夢ではなく
ぼくらの道に
あなたが寄り添うなら
世界がひとつに
想いみてごらん
いじめもなく
したいことを
あきらめないで
誰もがいきいきと今を生きてる
夢ではなく
ぼくらの道に
あなたが寄り添うなら
世界がひとつに
単に意味の翻訳ではなく、歌える歌詞になっているかどうかが問題でした。
もっとも悩んだのは、
夢ではなく
ぼくらの道に
あなたが寄り添うなら
世界がひとつに
のところです。
ここの箇所、元の歌詞はつぎのようになっています。
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be one.
「You may」は「夢」に通じていているので、「夢ではなく」としました。
つぎの行は、「われら」とするか「ぼくら」とするかで迷いました。
どちらにしろ複数形で、「not the only one」(ひとりじゃない)の意味を
込めています。「われら」は、口語にはなじまなような気がするのですが、原文には近い。
結局、決め手は、「But」の発音が「Boku」と響きあうというこじつけで、
「ぼくら」に落ち着きました。
そんなふうに歌詞の訳をあれこれ考えている過程で、
あらためてジョン・レノンの歌の持つメッセージのすばらしさを痛感させられたのです。
歌える歌詞ということなので、口ずさんでいただけたらこれほど幸せなことはありません。
追伸
実はもう一曲、「たこやきのうた」というのを作ったのです。ただ、時間の関係で歌う場面が
カットされてしまったので、使われることなく終わったのです。ちょっと残念なので、
ここに収録しておきます。
曲は、ジョン・レノンの「Power to the people」のリフレインに
乗せて歌います。
「たこやきのうた」
たこやきピープー
たこやきパーティー
たこやき 一つ
たこやき 二つ
たこやき 三つ
たこやき 四つ
たこやき 五つ
たこやき 六つ
さんびゃくえん
ありーがとう
(この歌詞を延々繰り返します。)
もし、おもしろいと思って歌っていただけるならありがたいことです。
2005.11.1
三野博司「『星の王子さま』の謎」(論創社)
われわれは人生でたくさんの人たちに会います。そして、その中から友だちができ、
恋人ができて、ある何でもない場所が特別な場所になり、一年の何でもないある日が
特別な記念日になる。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
俵万智さんの歌ですね。
たくさんの男性の一人が友だちになり、そして恋人になっていく。
何の変哲もないある日が「サラダ記念日」になり、一様に均質な日々が節々をつくり、
何でもない知らない街並みが特別な意味あいを帯びてくる、そういったことがあるからこそ
人生に彩りが加わり、豊かになっていく、そういったことがなければ人の一生はまったく
変化のない穏やかな日々のみで、たちまち過ぎ去ってしまいそうな気がするのです。
だから、こういったことにこそ人生の機微があるのかもしれません。
そんな機微を童話から教えられるということがあります。
「星の王子さま」の版権が自由化されたといったこともあって、
最近いろんな訳が出版されていますが、三野博司さんも訳されていて、
また「『星の王子さま』の謎」(論創社)という評論も書いておられるのです。
そこから関連する内容を引用してみます。
最初は、王子さまとキツネの会話です。「絆をつくる」というのが特別なものにする
といった意味でのキーワードです。
「(王子さま)「友だちを探しているんだ。どういう意味なの、〈手なずける〉って?」
「いまではすっかりわすれられていることだけどね」とキツネが答えた。
「それは〈絆をつくる……〉って意味さ」
「君は、おれにとって、まだ十万人もの少年とまるで変わりのない少年にすぎない。
おれは君が必要じゃないし、君もまたおれが必要じゃない。おれは、君にとって、
十万匹ものキツネと変わりのないキツネにすぎないのさ。
だがね、もし君がおれを手なずけてくれたら、おれたちはお互いが必要になるんだよ。
君は、おれにとって、この世でただ一人の少年になるだろう。おれも、君にとって、
この世でただ一匹のキツネになるだろう……(中略)だけど、
もし君がおれを手なずけてくれたら、おれの生活は陽に照らされたようになるだろう。
おれは、ほかの誰とも違う一つの足音を聞き分けるようになる。ほかの足音を聞くと、
おれはすぐ穴に身を隠す。でも君の足音は、おれを巣穴から外へと誘いだすんだ、
まるで音楽みたいに。」
ここで、語られているのは大切なことです。王子さまとキツネが絆を結んで特別な関係になる、
それが目に見えない大切な人生の機微に触れることだというのです。
「おれは、ほかの誰とも違う一つの足音を聞き分けるようになる。」というのは、
友だちというものの意味を考えさせられます。
星の王子さまとバラとの「恋愛」もおなじようなものです。
バラは、好意を持つことによって特別なバラとなるのです。
特別なバラだから好意を持つともいえますが、その内実は、好意をもったという事実によって
特別なバラとなったのです。
星もまた、特別な星になるのです。
「きみは夜、空を眺めるだろう。だって、星の一つにぼくが住んでいて、
星の一つでぼくが笑っているからね。その時きみにとっては、星という星がみんな
笑っているように見えるだろう。きみはね、笑うことのできる星をもつことになるんだよ!」
これが星の王子さまのいう人生の秘密、目に見えないという大切なことです。
星だけではなくて、なんら変わることのない日々もまた、そのように特別な記念日になるのです。
人も場所もすべて同様です。特別なものをたくさん持つこと、
これが人生を豊かにするコツのようにも思われてきました。
これが、人生の機微だと、星の王子さまはキツネに教えられるのです。
ほんとうに深い内容だとあらためて考えさせられたのです。
「うずのしゅげ通信」にもどる
メニューにもどる