◇2005年12月号◇

【吉野・金峯山寺蔵王堂】

[見出し]
今月号の特集

「ぼくたちに赤紙が来た」上演

上野市民劇場、福北わかつ氏の一人語り「芭蕉翁桃青」

ジョン・レノン「イマジン」(続)

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2005.12.1
「ぼくたちに赤紙が来た」上演

今年の文化祭で上演した「ぼくたちに赤紙が来た」をホームページに載せました。
私が勤務する学校が創立30周年をむかえたということもあって、 その時代に行って先輩に自分が抱えている悩みについて意見を聞くという筋を考えたのです。 生徒たちから「菊次郎とさき」とか、蛇踊りをやりたいという希望があったのでそれも 採用することにしました。
しかし、先月号の「うずのしゅげ通信」にも書きましたが、 まずは、時間を遡るということのリアリティーをどういうふうに確保するか というむずかしさがあります。小説やドラマ、劇などでタイムマシーンを登場させたものは、 だいたいにおいてリアリティーに欠けているように思うのです。
上演するときのわかりやすさということもあります。むずかしい理屈では、 観客を納得させることはできません。
それで、タイムトンネルを採用することにしました。タイムマシーンよりも タイムトンネルの方が単純なだけわかりやすいはずです。 しかし、タイムトンネルの存在は、むかしばなしの例にならってあるものはあると 強行に仮定するとして、 では、どうしてタイムトンネルの現在の入口を発見するか、 そこで、昔にいるざしきジィジィから送られてくるカメが出てくる出口、それが タイムトンネルの入口であるという 仕掛けを考えました。
そこで、生徒から希望が出ていた蛇踊りの案が浮かび上がってきました。 どういう脈絡かは分からないのですが、蛇踊りをしたいという希望もあったのです。そうなると 生徒たちを乗せて時間のトンネルと通っていく乗り物として、 猫バスならぬ蛇バスというものを考えざるをえなくなってきます。そして、つてをたよって、 蛇踊りの胴体も、どこかの神社から払い下げられた練習用のものを借りることができて、 迫力を添えることができたのです(一緒に借りてきた頭は養護学校で作ったものらしいです)。
昔に行くからには、戦争の時代に戻りたいものです。しかし、生徒たちはもちろん、 生徒の親もまた戦争をしらない世代です。いまや、戦争を演じることの困難は 言うまでもありません。それで、戦争の時代は、あっさりと通り過ぎることにしました。
ということで、劇のテーマとしては、戦争の時代に触れて平和の意味を考えるということと、 もう一つ、時間を遡るというそもそもの発想をもたらした生徒の悩み、 その悩みに関連した障害の受容ということに落ち着きました。 しかし、この受容というのは養護学校で勤めてきた経験から言っても、 なかなか一筋縄ではいかないむずかしいテーマなのです。
二場の教室の場面でタイムマシーンの話題が出て、そこでたけしがつぎのように自分の悩みを 賢治先生に打ち明けます。

たけし ぼくは、むかしの生徒に聞いてみたいことがあります。
賢治先生 どんなことを聞きたいのかな。
たけし ぼくはよくわからないんです。この学校に入学してもう一年もたつのに、 まだそれでよかったのかどうか決められないんです。
賢治先生 まだ、悩んでいるのかい。
たけし 自分でもよくわからないんです。 ……だから、30年前の先輩に聞いてみたいんです。「この学校に入学してよかったですか?」、 「そんなことで悩んだことはないですか?」って、タイムマシーンで行って聞いてみたいんです。

そんな悩みを抱えたたけしは学校が創設された頃の生徒たちに会って、自分の悩みをぶつけてみます。
最後にたけしは、現代にもどってきて、つぎのような確信にいたります。

たけし この学校に入ってよかったかどうかはわからないけれど、友だちもできたし、 楽しい思い出もあるし、卒業してから後悔しないようにがんばっていこうと思ってるんだ。

そんな結論でいいのかどうかは、私にもわかりません。生徒たちは自分自身で悩んだり考えて、 克服していくしかない問題だと思います。

劇の反省会で生徒たちと、このテーマについて話し合いをしました。
やはり養護学校に入学するに当たっては、生徒たちも悩んだようです。四十人ばかりの内、 二十七、八人もが悩んだと挙手して、私を驚かせました。もちろん悩みの内実はいろいろあるに ちがいありません。中学生がどこの高校に進学しようかと悩む、 それと似通った進路の悩みもあったでしょうが、 また、個々によっては障害受容といったむずかしい問題を孕んだ、単なる進学の悩みとは違った、 深い悩みや苦しみもあったにちがいないのです。それは子どもだけではなく当然のことに親もまた 悩んでいて、生徒たちからはそういった家族の内輪話も出ていました。 対応によっては持て余すほど危ない発言も当然のように飛び出してきたのです。
しかし今回は、そういったことにはあまり拘らないで、 受け流すようにして話し合いを進めたのでした。
また、残念なことは、入学してもう一年半もたっているのに、 入学したことを後悔しているという生徒が数人もいたことです。 しかし、それは、入学するにあたっての悩み迷いがいまだに持続していると 受け止めたいと思います。
障害受容ということに関しては、私のスタンスとしては、突き放すようですが、 本人が、苦しくても、なんとかしてちょっとずつでも受け入れていくしかないと思っています。 本人が納得するしかない問題だからです。周りのものができることは、 彼の歩みをねばり強く見守り、場合によっては何らかの援助をするといった ことくらいしかないのではないでしょうか。


2005.12.1
上野市民劇場、福北わかつ氏の一人語り「芭蕉翁桃青」

11月20日(土)芭蕉の劇の公演が吉野山でありました。この季節にしては、 とびっきりあたたかい日で、紅葉狩りに吉野山を訪れた人たちでにぎわっていました。
公演の場所は蔵王堂からさらに少し登った東南院でした。受付を済ませて入っていくと、 宿坊の部屋二つを開け放った会場にはすでにかなりの人が開演を待っておられました。 まず、最初に地元の郷土史家、桐井雅行氏が「吉野山を訪れた文人たち」と 題した話をされました。むかしから歌枕としての吉野がどれほどの文人を招き寄せてきたかを、 ユーモアをまじえて話され、40分という時間がたちまち過ぎていったほどです。
引き続いて、福北わかつ氏の一人語り「芭蕉翁桃青」がはじまりました。 いくぶんか頬骨が出て、痩躯の福北氏、それらしい衣装を身につけてまさに 芭蕉もきっとこのようであったかと思わせるような出で立ちで現れたのです。 そして、芭蕉の晩年から、おのが一生を回想してくのです。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る

そこで語られていくエピソードは、かなり創作が入っているように思われるのですが、 幻想的なものに仕上げられていました。たとえば蝶々が彼の周りを舞う場面など、死者の魂を 象徴的に表していたように思います。
ところどころに挿入される俳句が実に効果的に使われていて、 幻想的な印象を強めていました。あらためて芭蕉俳句の幻想性を強く印象づけられました。 ここでいう幻想性というのは、たんにリアリズムだけではなく、 こういった幻想的な舞台で使われるに耐えるものをもっているということです。
芭蕉俳諧のすごさを認識させられました。
こういった企画を実行された方々に、あらためて敬意を表したいと思います。


2005.12.1
ジョン・レノン「イマジン」(続)

先月号の「うずのしゅげ通信」に、文化祭の劇の最後に歌った「イマジン」の私訳を載せました。 しかし、あれは上演した劇「ぼくたちに赤紙が来た」の筋に添ったもので、 かつ実際に歌える歌詞ということで あんなふうな訳になったのです。それで今回、原詩にできるだけ忠実に、 もう一度訳し直してみました。もちろん実際に歌える歌詞ということで考えたつもりです。

Imagine

想いみてごらん
祈るものは
空にはなく
足もとにも
誰もがいきいきと今を生きてる

想いみてごらん
国などなく
殺すことも
死ぬこ(と)もない
誰もがいきいきと今を生きてる
夢ではなく
ぼくらの道に
あなたが寄り添うなら
世界がひとつに


追伸
天野祐吉氏が朝日新聞に連載されている「CM天気図」の11月3日分に 「イマジン」が取り上げられていました。
「「イマジン」がきこえる」という記事です。
「テレビから、ジョン・レノンの「イマジン」が流れてきた。 見ると、「写真は愛」「写真はメッセージ」「写真は平和」……と語るオノ・ヨーコの 声とともに、ジョンとヨーコの昔の写真が次々に映し出されていく(富士フィルム)。(中略) 「想像してみよう、国境なんてない世界を。 国のために殺したり死んだりすることのない世界を……」と彼は呼びかけ、 「ぼくを夢想家と言うかもしれないが、こう思うのはぼくだけじゃないはずだ」と、 静かに歌っていく。戦争なんかない世界をつくり出すのにいちばん強い力を持っているのは、 演説でも議論でもなく、こういう想像力豊かな表現なんじゃないだろうか。」
そこから話は憲法の改定案に及び、ここが天野さんらしいところなのですが、 憲法改定の「議論の場のバックミュージックに、ジョン・レノンの「イマジン」を 流してほしいものだ。」と結んでいます。
ジョン・レノンのメッセージというものをあらためて見直してみようと思います。 1年くらいかけて、ジョン・レノンを読んでみます。楽しみを一つ見つけました。

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