◇2006年2月号◇
【吉野・金峯山寺蔵王堂】
[見出し]
今月号の特集
pdf形式
団塊世代へのメッセージ
現在にも通じる「慢」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2006.2.1
pdf形式
脚本のいくつかをpdf形式で読めるようにしました。htmlはやはり読みにくいので、
pdf形式を導入したのです。
大西赤人さんのホームページを訪問したとき、
小説をpdf形式で発表しておられるのを見て、
やはりこの方が読みやすいと感じたからです。
アクロバットリーダーというソフトが必要なようですが、
ほとんどのパソコンにインストールされていて、印刷に近い画面でページを繰って
読むこともできて、まさにデジタル本といった感覚で扱えます。
自分自身、年々目が悪くなっていくということもあって、
どうしても読みたいものはプリントアウトして読むようにしているのですが、
pdf形式なら短いものならそう負担を感じずに読めます。
脚本一冊を全部読むことは苦痛でも、はじめの3分の1くらいならそのまま読めるので、
ホームページを訪問していただいた方にもおおよその内容を理解してもらいやすく
なったのではないかと思います。
今後ともご愛顧のほどをお願いします。
追伸
「大西赤人/小説と評論」は、なかなか読みがいのあるホームページです。
とりわけエッセーには触発されることが多々あります。ちょっと長めのものばかりですが、
内容が内容だけに、論調を鮮明にさせるにはある程度の長さになるのは
やむを得ないのかもしれません。ただ行間をもう少し大きく設定してもらえないかと、
つい考えてしまいます。そうすれば、幾分かは読みやすくなるはずです。立ち位置もゆらぎなく、
現代を見る視点として信じるに足るものをもっていると思います。厳格な論理構成は、
父(大西巨人)譲りの素質を感じてしまいます。一度、覗いてみてください。
2006.2.1
団塊世代へのメッセージ
私は昭和23年生まれだから、まさに団塊世代のまっただ中ということになります。
60歳まで勤めるとして、退職まであと2年。どうなるか分かりませんが、
定年後の身の振り方も考えなければならない歳になったわけです。
しかし、まだ2年もあると思うと、定年後と言われても、まだまだそんなに身に
迫ってはこないのです。一方で、職場の問題でも、在職期間に影響を及ぼさないようなことは、
とくに意識しているわけではないのですが、私の外を通り抜けていくようになりつつあります。
障害児教育の世界はいま大変な変動期を迎えようとしています。特別支援教育という枠組みで
障害児学級や養護学校を再編成しようとしています。しかし、その枠組みが現実化していくのには、
まだしばらくかかりそうです。そうなると、もう私の意識は再編の詳細を
受け付けようとしないのです。未来のことに対するリアリティーの感受性も
鈍ってきているように思います。
もちろん努力すればそれなりの理解を得ることはできるのですが、
ついつい通りすぎるに
まかせておこうといった傾向はまぎれもないのです。
定年が近づくとそんなものかなという一種の淋しさというか、感慨があります。
昨年の暮れ、クリスマスの頃、小田和正のコンサートを見ました。
スマップの中井くんが出て、デュエットしたりという趣向もありました。
彼も現在57歳ということで、見かけはかなり違いますが、私と同じ歳なのです。
それにしても、コンサート会場を軽快に走り回る姿を見ていると励まされます。
(われわれの年齢になって、この励まされるということがいかに大切なことか。)
その後、NHKの人間ドキュメントでも小田和正を特集していました。
大学で彼と同期だった友人達の現在が紹介されていて、
同年齢の私としては感慨ひとしおでした。小田和正が今後われわれ団塊世代へどのような
メッセージを贈ってくれるのか楽しみです。
2006.2.1
現在にも通じる「慢」
「私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、
「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんの
からだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、
いまにどこかからかじぶんを所謂(いわゆる)社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、
空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、
幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、
たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。」
(宮沢賢治書簡[488]昭和八年九月十一日柳原昌悦あて)
時に賢治を声を出して読むことがあります。こころが洗われるようなすがすがしさがあります。
それには、山根道公、山根知子編著「イーハトーヴからのいのちの言葉
−宮沢賢治の名言集−」(角川書店)が適っています。上記書簡もそこからの引用です。
賢治おそるべし、彼の人間性をして、なおもこのような反省ができる、
そのことが彼の謙虚さを如実に示しています。そんな風に言われてみると、
私もまた「慢」という病をわずらっていると考えざるをえません。
そして、社会を見回すと「慢」の病は蔓延しているようにも思うのです。
ベンチャー企業の六本木族とか、耐震擬装の建設業者とか、
衷心というものを忘れた政治家とか、
例をあげればきりがありません。
しかし、そんな中で、私としては「じぶんの仕事を卑しみ、
同輩を嘲けり」といったふうな点は幾分かはまぬかれているようにも思うのです。
その理由の一つは、あきらかです。養護学校で日々生徒と接していたから、
ということに尽きます。生徒のすばらしさを感じるくらいの謙虚さは私にもあったのです。
同輩の中には、懸命にその生徒のためを思い努力しておられる方がいて、
そんな姿を見かけるにつけて、「同輩を嘲け」ることはできません。今から思えば、
養護学校に赴任して、そこで賢治先生を発見したこと、それは何にも代えがたい幸せでした。
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