◇2006年3月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

福岡高等学園で「ざしきぼっこ」

現代狂言「白毫(びゃくごう)」−自閉症って、何?−

劇団『座・ゆめ音』公演「いつか王子さまが」感想

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

ご意見、ご感想は 掲示板に、あるいは メールで。

2006.3.1
福岡高等学園で「ざしきぼっこ」

このホームページに載せている脚本「吉本風狂言『ぼくたちはざしきぼっこ』」が、 福岡県立福岡高等学園の昨年秋の文化祭で「ざしきぼっこ」と改題して 上演されました。セリフも博多弁に「翻訳」されていて、賢治先生も博多弁を しゃべっています。脚本もいただいて、読ませていただきました。もっとも、 指導された幸田浩之先生からの私信にもありましたが、「台本は、練習のスタート段階」のもので、 練習の過程で改変されたようです。

だから、奈良の高等養護で上演した内容とは幾分違っているのですが、もちろん大筋は変わって いませんから、同じところで拍手があったり、笑いが来たりしていて、当たり前のことながら、 私としては、そんなことも感動的でした。幸田先生は、気にしておられましたが、 台本の改稿については、本質的な部分が変わらない限り、異存はありません。
「一人に一セリフ」の方針でやっておられるようで、その点、私も同じ考えです。
練習風景を見ても、本当にいきいきとやっておられて、嬉しく思いました。本番では、 少しセリフが聞きづらいところもありましたが、例えば第4幕の練習場面では音がよく拾えていて、 吉本を演じる生徒たちの息づかいまでが伝わってきました。衣装が立派なのは、 被服学科で制作してもらっておられるのでしょうか。また、幸田先生は美術の先生のようで、 背景も大変立派で圧倒されました。
「総監督が我侭放題の注文を出しても、職業コースが工芸(木工)、機械(金属加工)、 窯業(陶芸)、クリーニング、被服(縫製)と揃って居るので、結構イメージ通りに 出来上がって来ます。何より、道具や衣装が1つ出来上がる毎に、生徒の演技がどんどん 良く成っていくので、(演出の仕事を)大変でしが、止められません。」
まったく同感です。また、劇に参加することで生徒が変わっていくのをつぶさに 見られるということもあります。幸田先生は、こんなふうに書いておられます。
「何より文化祭の劇を通じて、日常の指導ではなかなか力が付かなかったり、 発揮出来ずに居る生徒が、これを境にぐーんと伸びて成長し、自信を持って人前で 様々な事を表現できる様に成る瞬間に立ち会える事が幸せの極みです。」
これもまったく同感です。そんなときは教師をやっている幸せを感じてしまいます。
これまでも小学校での上演の話はたまにありましたが、わたしが勤務する学校とおなじ 高等養護というのははじめてで、これほど嬉しいことはありません。 贈っていただいたビデオを見ていると、生徒たちは、奈良県の高等養護学校とたいへん 似通っているという印象です。明るい校舎、生徒たちの表情がいきいきしているのも 好ましい感じを受けました。また、吉本新喜劇は、福岡でも放映されているのでしょうか、 チャーリー浜など、なかなか楽しく演じてくれているように見受けました。
幸田先生からの私信にもありましたが、「一人一セリフ」をモットーに、 すべての生徒に一言でもセリフがあるという原則に則って、みんなで劇を創って いけたらこれにまさる幸せはありません。

付記
障害者の生きる物語
「ぼくたちはざしきぼっこ」は、重度の生徒たちが演じるように書き換える こともできるのではないかと考えています。もともと養護学校の生徒たちは、社会の、 あるいは世界のざしきぼっこではないか、という考えが、この劇の底流には流れていて、 それは重度の生徒にも、というより重度の生徒にこそあてはまると思うからです。
今月号の3つ目のテーマ「劇団『座・ゆめ音』公演感想」にも関係するのですが、 重度の方々の出演される劇の筋はなかなかむずかしいようです。彼らは劇の中でその物語を 生きるのですから。『座・ゆめ音』の公演では、「白雪姫」のストーリーを基調にしていました。 しかし、彼らはどのように白雪姫のストーリーを生きていくのでしょうか。「私が主役」で、 いつか王子さまが現れるといった幻想を持つことによって、でしょうか。
重度の障害をもった彼らもまた物語を生きなければならないとすれば、 「ぼくたちはざしきぼっこ」という物語をその一つの候補に加えていただきたいのです。 もちろん、現在の脚本のままでは難しすぎて、とても重度の方たちの上演に使えません。 しかし、例えば、その中の様々の有象無象を削ぎに削いで、そこで残った 「ぼくたちはざしきぼっこ」の芯といったものは、養護学校の生徒が生きるにふさわしい 物語性を残しているはずです。なぜなら先にも書いたように、彼らは家の、社会の、 あるいは世界のざしきぼっこという考え方はこの物語の中心を貫く筋そのものだからです。 劇中においてだけではなく、彼らは現実生活においても、自らをざしきぼっこになぞらえて、 どうどうと生きていけばいいのです。
いまの脚本「ぼくたちはざしきぼっこ」を元にして、重度の方々の公演にも使えるストーリーを 私も考えみようと思っています。しかし、何より生徒たちを一番よく知っておられる 養護学校の先生にこそ努力してもらいたいのです。奮起を期待しています。是非ご検討を。
また、現在の脚本のままでも小学校で上演することができるはずです。小学生が物語を 生きなければならないとすれば、それが「ぼくたちはざしきぼっこ」の物語であっても おかしくないからです。子どもたちは、どこの家族にとってもざしきぼっこにちがいないのです。 そして、そういった物語を生きることで、子どもたちのこころのすさみが癒されるということも あるのではないでしょうか。登場人物も小学校の1クラス全員で取り組む人数が揃っています。 やりようによってはさらにオプションを付けることもできるはずです。 こちらの方もあらたな挑戦を期待しています。


2006.3.1
現代狂言「白毫(びゃくごう)」−自閉症って、何?

サン・テグジュペリ「星の王子さま」を覚えておられますか?
私は、養護学校で自閉傾向の生徒と接するようになって、星の王子さま自閉児は、 似ているところとまったく正反対のところがあると考えてきました。
たとえば、「星の王子さま」の中でもっとも大切なメッセージは、 星の王子さまと友だちになったキツネが別れ際に口にしたつぎのようなことばです。
「『さよなら』と、キツネがいいました。『さっきの秘密をいおうかね。 なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。 かんじんなことは、目に見えないんだよ』」
星の王子さまはこれを信条に生きていきます。
それにたいして、自閉児はどうでしょうか。彼らは、目に見えないことを心で 見るといったことをもっとも苦手としているのです。
だから、自閉児が、例のパイロットが描いた帽子の絵を見たらきっと、 「ヘビの絵だね」と見抜いてもおかしくないと思うのです。 彼は、帽子の絵にちょこんと打たれたヘビの目に気がついているからです。 しかし、ヘビのお腹の中の象については、説明しても理解が得られないと思うのです。
では、似ているところは、どうでしょうか。星の王子さまは、小さな星で一人で暮らしています。 孤独をなぐさめてくれるものといって、バラの花しかありません。バラは彼の話し相手であり、 恋人なのです。しかし、バラの種が飛来するまでは、彼は独りぽっちで生きてきたはずです。
この孤独は、自閉児の孤独と幾分似ているように思うのです。彼らは友だちをほしがりません。 いや、欲しがらないといえば、嘘になります。求め方がわれわれとは違うようにも思うのです。
そういった考えがあって、一つの脚本を書きました。
現代狂言「白毫(びゃくごう)」−自閉症って、何?−を、 脚本のラインナップに加えました。
自閉症を自閉児が演じるということを目指しました。
もちろん健常者が自閉児を演じるというやり方もできるでしょう。
しかし、自閉症を自閉児が演じることが可能かと考えたとき、その脚本の内容、 設定、セリフ等々の限界はどのあたりにあるのかを手探りしつつ書いてみたのですが、 一応書き上げたものの、この脚本が上演される可能性はまったくありません。 そもそもこの脚本がどのような意味をもつのかもわかりません。 しかし、自閉症というものを劇の中で表現したものがそんなにあるわけではないので、 あるいは、自閉症というものに興味をもっておられる方には何らかの参考になるかもしれないと 考えています。
また、ここで描かれている自閉症の細部は、私がこれまで経験したこと、 考えてきたことに基づいています。それがどれほどの信憑性を持ち得ているかは自信がありません。 自閉児を育てられた家族の方が読まれたら、違和感を持たれるかもしれません。 そういったことがありましたらご意見をお寄せください。 これからも改訂していきたいと思います。


2006.3.1
劇団『座・ゆめ音』公演「いつか王子さまが」感想

2月19日(日)富田林公会堂で行われた劇団『座・ゆめ音』公演 「いつか王子さまが」を観てきました。
劇団『座・ゆめ音』というのは、(大阪府立)金剛コロニーの寮生さんを主体に、 (身体障害者通所授産施設)拓共同作業所の方々が加わって構成されているようです。
すでに6回目の公演だという「いつか王子さまが」は、 筋はよく分からないところもありましたが、「白雪姫」を下敷きにしているようです。
まず、はじめに魔法使いのお婆さんが現れて「鏡よ、鏡、世界で一番美しいのはだれだ?」と 問いかけます。
鏡の精が現れて「白雪姫、白雪姫」と繰り返します。
それで、白雪姫は魔法使いに森に追いやられたらしく、何人もの白雪姫がどっと舞台に現れ、 また小人や動物も大挙して登場します。それからは、ほとんどの登場人物が出ずっぱりです。
スタッフや「いちびり」の人たちが要所要所で筋を導くことばを発することで、進んでいきます。
パンフレットにも触れてありましたが、「私が主役」がモットーのようで、 劇の中でもセリフを発せない人のために「あなたは誰ですか?」のコーナーがあって、 マイクが回されていったり、得意芸のコーナーでは、カラオケやピンクレディーの踊り、 ものまね等が繰り出されていました。
全体には、なかなか活気があって、楽しい舞台に出来上がっていたように思います。
自分も楽しませてもらったのと、また自分が劇を考えるときに参考にもなりました。
今後の活躍を期待しています。

「うずのしゅげ通信」にもどる

メニューにもどる