◇2006年9月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

「ぼくたちはざしこぼっこダッシュ」

吉田拓郎「夏休み」

村瀬学著「自閉症」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2006.9.1
「ぼくたちはざしこぼっこダッシュ」

これまで高等養護学校の生徒たちが演じるための脚本を主に書いてきました。
しかし、以前、この「うずのしゅげ通信」で触れたこともありますが、半年ほど前に、 劇団『座・ゆめ音』公演「いつか王子さまが」を観て、障害がより「重い」 生徒たちのための脚本を書きたいという思いが募ってきたのです。
高等養護学校の生徒のための脚本と、養護学校高等部の生徒たちを想定した脚本とは、 やはりおのずと違ってくると思います。以前から障害がより「重い」生徒たちのための 脚本を書きたいという思いはあったのですが、やはり実際にその現場にいないために 一歩を踏み出せないでいたのです。それが「いつか王子さまが」を観てふっきれたというか、 積年の思いが再燃しはじめたようなのです。
あらすじは「ぼくたちはざしきぼっこ」と決めていました。ざしきぼっこというのは、 ざしきわらしのことです。吉本風新狂言「ぼくたちはざしきぼっこ」は、 数年前に私が勤務する奈良の 高等養護で上演したことがあり、生徒の反応や動きなどそのときの 具体的なイメージが残っています。 演出の押さえどころがわかっていると言えばいいでしょうか。 これは、はじめての挑戦をするにあたって心強い要素です。 また昨年福岡の高等養護で上演していただいたのですが、その練習風景や本番の ビデオを見せてもらって、この「ざしきぼっこ」をもっといろんな人に委ねてみたいと思うように なったということもあります。それだけの普遍性があるのではないかと自信を強めたのです。 また劇そのものに即して言えば、筋立てが単純で演じる 生徒たちにもわかりやすいこと、また養護学校の生徒たちをそれぞれの家庭のざしきぼっこに なぞらえるという考え方は、障害の重い軽いにかかわらずあてはまるのではないか、 といった理由があげられます。読めばお分かりいただけると思いますが、 彼らが自分の家のざしきぼっこであるとともに、また大きく言えば地球のざしきぼっこでもある、 劇にはそんなメッセージも込められています。そして、それは観ていただく観客にもそんなに 違和感なく受け止めてもらえるのではないかと思います。また、この劇を演じた生徒たちが、 自分たちのことをざしきぼっこになぞらえる劇を演じることで、 その後の人生を少しでも肯定的に生きてくれるように なればというひそかな願いも隠されています。
つまり、生徒たちが「ざしきぼっこ」を演じることには必然性があるということです。 「桃太郎」をやっても、「赤頭巾ちゃん」を演じても、そこに生徒が演じる必然性はありません。 しかし、ざしきぼっこになぞらえるということで、 生徒たちが「ぼくたちはざしきぼっこ」を演じる必然性がいくぶんなりともあるのではないか と思うのです。(「賢治先生がやってきた」も同様です。)この必然性というのはとても 大切なことだと考えています。
いろいろ理由はありますが、そういったことであたらしい挑戦は「ざしきぼっこ」に決定。 題は「ぼくたちはざしきぼっこダッシュ」ということにして、 まずは脚本を書く方針を立てました。セリフが少々わからなくてもびくともしないくらいに大枠、 大筋は単純でわかりやすくすっきりしていること、セリフで意味を伝えるということに あまり過大な期待を持たないこと、だからセリフは、あくまでも詳細に書き込むのではなく、 生徒の個性や特技を表現できる余地を残す、等々です。 養護学校の生徒たちは個性的です。 その個性を充分発揮できる土俵のような劇、 生徒の個性を入れる器としての劇、 そんな劇を書いてみたいのです。 しかし、いざ取りかかってみると、 ついついしっかりと書き込んでしまったり、また賢治先生が狂言回しをする大筋もちょっと 難しくなってしまったり、また劇の器が窮屈になってしまったりと、 なかなか思惑通りにはいかないものです。
で結果、あらすじはどうなったかというと……。
養護学校の生徒、太郎の誕生日の祝いに友だちが集まってざしきでカラオケパーティー、 ところがそのざしきには、ふだんは姿を見せませんが、なんとざしきぼっこ兄妹が住んでいるのです。 あまりのやかましさに姿をあらわしたざしきぼっこたち、もうがまんできないと家を 出ていく決心をします。しかし、まわりをみまわすとうるさいのは何も太郎の家だけではなく、 そこら中騒音だらけ、ゴミだらけです。いったい地球のどこに静かな住みよいところが あるのでしょうか。こうなったらいっそのこと地球を出ていくしかありません。 ざしきぼっこは、パーティーにやってきた賢治先生にたのんで、銀河鉄道に便乗して 地球から脱出しようとたくらみます。でも、ざしきぼっこに地球から出ていかれてはたいへん、 地球がビンボーになってしまいます。生徒たちは、手当たりしだい愉快な仲間に応援をたのんで、 ざしきぼっこの地球脱出を押しとどめようとします。太郎の家のざしきは大騒動。 さてどうなることやら、あとは見てのお楽しみ……、ということにしておきます。
こんなストーリーですが、もしほんとうに上演してみようと思われる奇特な先生や生徒さんが おられたら、だいたいこういったセリフで、たいだいこういった筋で、とかなりいいかげんな 演出でもいいのではないかと思います。配役には特に配慮が必要だと思います。 ナレーターと賢治先生役は先生かボランティアに頼むとしても、ざしきぼっこのセリフは まだまだ生徒には負担になるかもしれません。セリフを覚えるのが得意な生徒に役をふるか、 教師が黒子で付くか、あるいはボランティアのざしきぼっこを一人加えてセリフを軽減するか、 そういった工夫がいるかもしれません。
「いつか王子さまが」の公演で劇団『座・ゆめ音』がやっておられたように、 生徒とボランティアがペアになって形に影が寄り添うように一つの役を演じたり セリフを言ったりする、 といったやり方も考えられます。
最初のざしきでカラオケの場面、あるいは最後のざしきぼっことのお笑い勝負の場面など、 生徒たちもたのしみながら演じてくれたらと願います。吉本新喜劇や水戸黄門は好きな生徒も多く、 やりようによってはもりあがるはずです。 まだまだ、むずかしいセリフが残っていて、もっともっと不必要なところをこそぎ落とす 必要があります。もし、どこかで上演されることがありましたら、 そういったところも含めて感想をおきかせください。

【補注】
やはり賢治先生が登場するという設定にしました。宮沢賢治といっても生徒たちには 分かってもらえないと思いますが、養護学校の先生でいいのではないかと思います。 ふしぎな先生で、生徒たちが大好きな車掌さんの帽子を被っています。福祉施設などを 訪問したとき、「養護学校の先生への思いがなぜこんなに強いのでしょうか」と 羨ましがられたりすることがあります。ありがたい話しですが、養護学校の生徒にとって 先生というのは独特のイメージがあるのかもしれません。それにのっかるようで気が引けますが、 賢治先生は何の説明もなく養護学校の先生ということにします。宮沢賢治についてもあえて 説明する必要はないと考えています。賢治先生はふしぎな先生で、なぜか車掌の格好をしていて 銀河鉄道の車掌さんです。では、銀河鉄道はというと、イメージとしては、はじめは遊園地のお猿の 電車みたいにゴトンゴトンと発車して、つぎにジェットコースターみたいにだんだん速くなって、 ゴー、クルクルと回って、空に向かって突き出している線路からドドーンと飛び出して、 その勢いで夜空をぐんぐんのぼっていきます、そういった夢の電車のような そんな説明でいいのではないかと考えています。
すべてをわかってもらうのは不可能だと思います。夢物語のようなところが あってもいいのではないでしょうか。


2006.9.1
吉田拓郎「夏休み」

われわれ団塊世代もいよいよ定年、社会の第一線から退いてゆく季節となりました。
で、感傷的な文章一編。
わたしにとっては夏休みは後一回。
それにしても、 小学校の頃から夏休みは常に過ぎ去ってゆく切なさのようなものをともなっていたように思います。
「もう半分、過ぎてしまった。」
「夏休みもあと一日で終わり。」
思い出しても胸が痛くなるような感傷がよみがえってきます。 夏休みに象徴される楽しい時間が過ぎ去っていく。 子どもの頃、夏休みは長くなにもかもがいっぱい詰まっていました。 それでもあんなにいっぱいあると思われた夏休みが過ぎ去っていく、 その切なさがありました。 そんな感慨とともにいつも思い出すのはあの歌。 そう、吉田拓郎の「夏休み」です。彼の方が年代は若いから、実際に夏休みにその歌を 歌ったというわけではないのですが、しかし、今になって夏休みというとあの歌が浮かんでくるのは どうしてなのでしょうか。

「夏休み」(吉田拓郎 作詞/作曲)

麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み

姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み

絵日記つけてた 夏休み
花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み

畑のとんぼは どこ行った
あの時逃がして あげたのに
ひとりで待ってる 夏休み

すいかを食べてた 夏休み
水まきしたっけ 夏休み
ひまわり 夕立 せみの声

いまこの歌詞を書き写していて、意味のわからないふしぎな歌だということにはじめて 気がつきました。
まず、最初のフレーズからしてわかりません。

麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み

「麦わら帽子は もう消えた」というのですが、なぜ消えたのでしょうか?  消えたことにどんな意味があるのでしょうか?
つぎのフレーズ、「たんぼの蛙は もう消えた」のは、なぜなのでしょうか?  また、その意味は? 7月になって、田んぼを干したので、蛙が消えたということでしょうか。
「麦わら帽子」や「蛙」が消えても、「それでも待ってる 夏休み」というのは、理屈が通っている のでしょうか? 「責任者出てこい!!!」昔、そんな漫才がありましたね。 そんなふうにどなりたくなってしまいますね。
2番の歌詞も奇妙です。「きれいな先生が もういない」のに「夏休みを待っている」のは、 なぜなのでしょうか。きれいな先生がいるのなら、学校があったほうがいいとも言えるわけだし、 いないのに、待っているというのは、どういう理屈なのでしょうか。
3、4、5番は、まだしも許せるような気がします。
意味不明ですが、それでもやはり歌っているとなつかしさがわいてきます。 どうしてなのでしょうか。
そこで、意味を取り違えていることに気がついたのです。1番の歌詞

麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み

は、夏休みが過ぎた時点で歌っていると考えるのです。夏休みが過ぎ去って、 「麦わら帽子は もう消えた」「たんぼの蛙は もう消えた」けれど、 それでもまだ夏休みを指より待っている気分が自分の中にあると言っているのです。 季節は秋なのです。
4番の季節も秋です。

畑のとんぼは どこ行った
あの時逃がして あげたのに
ひとりで待ってる 夏休み

秋になって、「とんぼを 逃がして」やったのに、夏休みを待っているのは自分一人。
そもそも子どもに過ぎ去った時間を振り返るなんてことができるのでしょうか。 過ぎ去った夏休みを振り返ることは、子どもにとっては次の夏休みを 指折り数えて待つことでしかないのではないでしょうか。また、そういった対象として 夏休みがある、ということのよう思うのです。 つまり、吉田拓郎は、夏休みは指より数えて待つものであり、 また過ぎ去った後もまたはるかかなたの夏休みを待つものだと、 また子どもはそういったありようをしているといっているのです。 夏休みの渦中には夏休みはないのです。子どもにとっての、夏休みのありようは、 夏休み前も後も待ちこがれるものとしてしかないということです。
さらに、付け加えるなら、夏休みは、夏休みに凝縮された子どもたちの時間が 過ぎ去っていくのを惜しむ、 といったありようでしか存在していなかった、ということにもなるでしょうか。
わけのわからない結論になりましたが、そうとでも考えないと、 このふしぎな歌詞の意味はわからないような気がするのです。
団塊世代、そしてもう一つ下の世代くらいまでが、こういった夏休みのありようを 切ないまでに感じ取れる最後の世代であるように 思うのですが、どうなのでしょうか。


2006.9.1
村瀬学著「自閉症」

村瀬学著「自閉症」(ちくま新書)を読みました。
前にもこの「うずのしゅげ通信」で書いたことがありますが、 村瀬学氏の本はこれまでにも比較的丹念に読んできたつもりです。 氏は、若い頃、養護施設に勤務されていたことがあり、そのころから障害ということについて 考え続けている、ということがあります。
それにしてもこの「自閉症」は、いかにも村瀬氏らしい風変わりな自閉症論でした。
村瀬氏には、そもそもの最初から「おくれる」ということはどういうことなのかという 問いかけがありました。この「自閉症」も、その問いをめぐる著作の一つということになります。
本の帯にこうあります。

「自閉症児の特徴は、「変化への抵抗」「同一性の保持」という点にみられる。 数、暦、地図の発見は人類が作り出した三大叡智であるが、 「順序」や「配列」が損なわれるとき、人は誰でもある程度のパニック状態になる。 自閉症児の「おくれ」の根には、こうしたメカニズムが働いていることがみて取れる。 彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。 これまでの自閉症=特殊論に異議を唱え、この生のあり方が誰にも共感でき、 理解できるものであることを主張する。」

自閉症児とわれわれが「同じ地平に立っている」というのです。 これはなかなか大胆な考え方だと思います。日頃、接しているわれわれからみれば、 自閉傾向を持った生徒はほんのすこし接するとすぐに感じ取れるような独特な雰囲気を持っています。 どこかちがう雰囲気があるわけです。
しかし、村瀬氏は、そんな自閉症児を、われわれと「同じ地平に立っている」と主張されるのです。 それは、たとえばわれわれがあたりまえとして生きている「数、歴、地図」の秩序が損なわれるとき、 「人は誰でもある程度のパニック状態に」陥り、 それは健常者となんら変わるところがないというのです。 言われてみれば確かに思い当たることもあります。
私は、以前車通勤でした。それが、諸般の事情によって、車をやめて電車通勤に変えたのです。 そして、しばらくたって、私は自分が、なんだかわけのわからない混乱状態に陥っていることに 気がついたのです。仕事が手に付かなくなっていたのです。後で考えると、 軽いパニックを起こしていたのです。それまでは、道路地図が私の頭の中にあって、 生徒が職場で実習している会社へ行くとなると、その地図を辿っていたのです。 しかし、電車で行くとなると、その地図は破棄せざるをえないことになり、 新たに電車の路線を地図の上に書き込んで、道路地図と比べて、会社のデータなどを 移さなければならないはめになったのです。大半はうまくいったのですが、 一部混乱しているところもあって、それが私のパニックの原因ではないかということに 思い当たりました。そして、実際、わたしの混乱はしばらくして治まったのでした。
地図的な混乱がパニックをもたらしていたのです。自分におこった混乱は、 村瀬氏のいうように自閉症児のパニックに通じているのでしょうか。

自閉症というものに対して、私は自分なりに時間感覚の脆弱性が関係しているのではないかと 考えていて、 その点では村瀬氏とはちょっと捉え方が違っていることろもあります。 村瀬氏のいう「順序」や「配列」のもう一つ下に時間の配列があるようにも思うのです。 さらにもう一つ承伏しかねる点があります。それは、 はじめにも触れましたが、自閉症の子供たちが醸し出す特別な雰囲気です。 これは、会ってすこし話をしただけで感じ取ることができるものです。 「同じ地平に立っている」として、そのことをどういうふうに説明されるのでしょうか。
以上承伏しかねるところはあるものの、今回この本を読んでたいへん 啓発されるところがあったのもたしかです。 しかし、あいかわらず自閉症というのはわからないところがある、 とあらためて考えてしまいました。

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