◇2007年2月号◇

【近つ飛鳥風景】

[見出し]
今月号の特集

「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

対話

賢治ふたたび

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2007.2.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

「賢治先生がやってきた」新風舎文庫から自費出版しました。 文庫の書棚に並んでいる書店もあるかもしれませんが、 YahooとかAmazonとかのインターネット書店なら確実にはやく手に入ります。 脚本の他に短編小説も載せています。興味のある方はご購入ください。


2007.2.1
対話

長男を亡くしてから、2、3ヶ月はずっと長男のことが頭から離れませんでした。
最近漸く意識が少しは離れるようになりました。それでもどうしようもなくつらくなる ときがあります。そういった瞬間は何かせっぱ詰まった気持ちが 押さえようもなく嵩じてくるのです。 どうしても我慢できなくなってしまいます。
そんな不安定を抱え込んだ生活が続いています。 振り払っても振り払ってもどうしようもなく意識に迫ってくる長男のイメージや気配。
それらは、大変つらいものではあるのですが、 また私にとってとてはとても大事なものでもあるのです。 妻の言うように、そういったイメージや気配が失われるとすれば、 こんなさびしいことはありません。それこそ恐ろしいことです。 そのイメージや気配を、そのままに何とか自分の中で生かしていきたいと いう思いが萌してきたのです。
そこで、私は、最近は、そういったつらい思いが迫ってきたときは、 敢えて長男と会話をするようにしてみたのです。
「まだまだ、つらいな。このつらさはいつまでたっても和らぐことないな」
「お父さん、しょうがないやろ。そんなことばっかり言って、いつまで悲しんでるの……」
「そうやな、なさけないよな。……まあ、がんばるわ」
イメージや気配を感じて、つらいけれども、 つらさに耐えながら、こういった簡単な会話をするようにしたのです。 すると、余計につらくなることもありますが、また時には、 それでつらさが治まるときがあるということに気がついたのです。ふしぎなものです。 そんなときは、本当に長男と会話したような気持ちになって、慰められるのでしょうか。
これは、やはり時間がたって、少しは癒えてきたということなのでしょうか。
そこで、最近は、イメージや気配は色あせることなく保ったまま、 悲しさは悲しいままで、何とか耐えることができるのではないかと期待しているのです。
そしてその悲しみがどうなってほしいか。目標は見えているのです。 といっても、自分がどんな人間かは自得しています。 自分にはその境地がどれだけ遠いものかは分かっているのです。 しかし、苦しくてもその境地ににじり寄っていくしかないと考えています。
それは、息子を亡くした作家高史明氏が著書「深きいのちに目覚めて」の あとがきで触れられているつぎのような境地です。

「真の悲しみとは、『わたし』を包み、悲しみは悲しみのまま、生きとし生けるものへの、 慈しみへと昇華し、溢れるのである。もとより、いまの私にはそのような力は、 どこにもない。それは仏の慈しみである。私は、ただ仏を念ずる。 そして仏によって、悲しみが慈しみへと昇華していくのを感じる。 それは私にとって、懺悔の深まりであり、また見失われていた『いのち』との 出会いであったと言える。亡き子の慈悲が、しみじみと感じられるのである。」

遠い、遠い境地です。あまりの遠さに気持ちが萎えてしまいそうな思いもあります。


《長男とのこころの会話》
本作りに取りかかったのは、ちょうど1年前です。編集にけっこう時間がかかったのです。 そうしてやっと本ができあがってきたのは、 長男が逝った後でした。
一番読んでほしかった一人でした。悔やんでも悔やみきれない思いが残りました。 出来上がってきた本を遺影の前に置いて、4ヶ月が過ぎました。
上に書いたように、最近になってようやく その本のことで長男と会話することができるようになりました。

「どうやった……、感想は?」
「いいんとちゃう……」
それだけです。

生来、口数が少なくおっとりした性格でした。 そんな彼だからこちらの気持ちを汲んで無理してほめることもないし、また 無下に否定することもないだろうということで、まあ、感想としてはこんなものでは ないかと想像するのです。

「もうちょっとなんかあるやろ……」
私としては、もうすこし食い下がりたいところです。
「小説はまあまあやったけど、……」
「『まあ、まあ』って、どこが?」
「あの、『百年』という小説、おもしろかったわ。 ……で、あそこに出てくる『百年たったら、また会おう』っていう あの言葉の出どこはどこなん?」
「いまだによう分からん。ただ、後で気がついたんやけど、それらしい言葉が 寺山修司にあった。……でも、生徒が寺山修司なんか読んでるわけないしな。」
「ふーん」
と、しばらく考えている様子です。
「で、劇は?」
私は、遠慮がちに聞いてみました。
「脚本は、あんなもんやろうけど……」
脚本はあまり気に染まなかったようでした。
「ただ、あのクラムボンの劇は、発想がおもしろかったわ」
「そうやで、地球から55光年離れた銀河鉄道の駅にいる賢治先生だけが、 原爆のピカを今見ることができる、……この今っていうのが大事なんや、 原爆を今に引き寄せるこれが唯一の方法なんや」
私は思わず言い募ってしまいました。
「それは、おもしろかったけど……、いくつか引っ掛かったところもあるなあ」
理科系の息子としては、見逃せないところがあったのでしょうか。
「どんなところ?」
と、会話を続けようとしたのですが、それはすでにほとんど自問自答になっていて、 息子の言葉を聞くことはできませんでした。


追伸
脚本「地球でクラムボンが二度ひかったよ」は、本でも、またこのホームページで も読むことができます。
「賢治先生がやってきた」とともに、 著者としてはもっとも愛着のある脚本なのですが、 残念ながらまだ上演されたことがありません。
この機会に、読んでいただけたら幸いです。 宜しければ、メールで感想をお聞かせください。
(内容にすこし異同があります。テキストとしては、本の方がよくなっていると思います。)


2007.2.1
賢治ふたたび

池澤夏樹著「言葉の流星群」(角川書店)は、宮澤賢治の詩を論じて出色のおもしろさです。
その中に「ポラーノ広場に集う者」の一章があって、そこで賢治の性のついて触れています。
なぜ賢治は、小説ではなく、童話を書いたのか、という問いかけがまずなされています。

「大人のための文学は卑小な生活感の中でそれをしなければならないのに対して、 子供が読む文学はもっと大きくて根元的な問題を 奔放に語ることができる。それだけ筆遣いがちがう。
宮澤賢治が考えたのはどれも根元的な問題だった。」

というのです。
さらにもう一つの理由として性のことを取り上げています。

「子供の生活には性という要素がない。誰も振り返ればわかるとおり、 性と生殖にかかわる問題は成人した後のわれわれの人生の半分を占める。 ……(中略)……他の作家や詩人たちと比べてみれば、やはり宮澤賢治に おいて性というテーマは細く弱いのだ。」

しかし、童話ではそんなふうであったのかもしれませんが、 一方賢治はまた浮世絵春画の収集家でもあったのです。それを使って 性教育をしたという証言まであります。現代では考えられないことですね。

ホームページ「宮澤賢治とハヴロック・エリス」には、賢治の性教育についてつぎのような ことが書かれています。

「実際、教え子の簡悟は、『先生はイギリス人、フランス人、ドイツ人の性に関する 原書を読んでおられ、そのへんのありきたりの性問題を取り扱う人たちと違って深い 洞察をもっておられました。先生は私にその原書を取り出して中頃の頁をひらき翻訳 しながら読んでくれました。私は生徒の中でも一風変わった存在であったし、先生に 判断されるまでもなく、箸にも棒にもかからぬような性質をもっていたことも事実 ですから、私にしっかりした性についての知識を与えてくださるために、 赤裸々にああしたことをいってくださったものと思います。』 と証言しており、根子 吉盛も『私は二年生の夏休み、先生から性教育を受けました。先生は私に対して性の 問題について、しばしばその考えを述べられたり、秘戯画による指導をいただきました』 と述べている。」(生徒の証言は佐藤成『証言 宮澤賢治先生』平四 農文協より引用)

こういったことは最近知ったのですが、実は、私は、 かなり以前に賢治が性教育するという脚本を書いているのです。 人形劇「イーハトーブへ、ようこそ」が、それです。 この作品は、私の脚本の中でもユニークで、他にあまり類例のないものだと考えています。 なにしろ性教育をテーマにした劇なんですから。
池澤夏樹氏が言われるように、「子供の生活には性という要素がない」、それが童話を書いた 理由の一つかもしれません。しかし、童話と性が共存する世界もあるのです。 高等養護学校の 生徒は性の悩みを抱えています。賢治の童話まがいの筋で性教育の内容を 脚色したのには、必然性があるのです。
もうかなり前になりますが、「賢治先生がやってきた」を演じた学年の性教育の時間に、 あるグループの生徒たちとこの脚本の読み合わせをしたことがあります。 恥ずかしそうでしたが、配役を決めて読み上げてくれたのです。 楽しい思い出として残っています。
肩肘張らずに楽しんでいただけたらと思います。

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