◇2007年7月号◇

【近つ飛鳥、風土記の丘風景】

[見出し]
今月号の特集

「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

「受容」のむずかしさ

魂合い

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2007.7.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

2006年11月、「賢治先生がやってきた」新風舎文庫から 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生』と『ざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で 上演されています。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 まだ舞台にかけられたことがありません。 (どなたか舞台にかけていただけないでしょうか。)
もっとも三本ともに、 読むだけでも楽しんでいただけると思うのですが。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。 文庫の書棚に並んでいる書店もあるかもしれませんが、 YahooとかAmazonとかのインターネット書店なら確実にはやく手に入ります。
追伸
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。


2007.7.1
「受容」のむずかしさ

長く高等養護学校に勤めてきました。その間、生徒からもらった課題はたくさんあります。 高等養護学校に進学してくる生徒たちは、中学校の「障害児学級」(今は「特別支援学級」というのでしょうか) に在籍していたものが多く、また「普通学級」(これも変な言い方ですが)出身者、養護学校中学部を出たものが 幾人かいるといったところです。
「障害児学級」から来た生徒たちの中には、何らかのいじめを経験してきたものや不登校傾向をもつものも います。性格にもよりますが、「障害児学級」という限られた世界から、高等養護学校に 来て、急に人間関係が広がります。もちろん中学校にも「原学級」という彼らが本来属している学級はあるの ですが、そこでの人間関係は、ほとんどの場合、対等とは言えないように思います。 そんな彼らが、高等養護学校にくると、対等な人間関係の中に放り込まれます。 そんな環境が彼らを成長させる原動力になっているように思います。
彼らは、「障害児学級」にいるころから、敏感に差別を感じ取ってきました。高等養護に進学するにあたっても 状況は変わっていません。親身な思いをもって聞いていけば、彼らが感じ取ってきた差別への憤懣を漏らしてくれます。 彼らはちょっとした差別の気配でさえ敏感に感じとっているのです。 そして、それは被害妄想でもなんでもなくて、確かな事実なのです。電車の中で、隣近所の人から、あるいは家族からさえ 差別の視線を感じ取っています。この差別をいかにするか、といったこともなかなか難しい問題です。
「普通学級」出身の生徒は、また違った問題を抱えています。
あえて言えば彼らは、中学校では、「障害児学級」の生徒たちを 「差別する側」にいたのです。そして、いざ進学となったとき、 「高等養護学校」しか選択肢がないと宣告されたとします。「障害児学級」の生徒たちがゆく学校です。 そのとき、彼らはすんなりとその選択を受け容れてきたのでしょうか。 問題はそんなに簡単なものではないはずです。 そこで彼らは「受容」といった問題と向き合うことになります。
「高等養護学校」に進学するということは、障害を「受容」することになる、 そのことは彼らも敏感に感じ取っているはずです。 「受容」が充分でないままに進学してきた生徒たちは、まま不適応をおこします。
高等養護の生徒にとって「受容」というのは、大変な問題だと感じてきました。
十五歳の中学生、あるいは十七、八の高等養護の生徒にとっては、手に余る問題です。
子どもだけではなく、親にとっても、「障害受容」というのは、大変な問題です。 親が「受容」できていなくて、子どもが荒れる場合も多いのです。
これが、高等養護学校の大問題の一つ。そして、さらにもう一つが「恋愛」という問題です。
高等養護学校に進学してきて、対等な人間関係の中に放り込まれる、といいましたが、そこで 必然的に生じるのが、好きになったり、なられたりといった問題です。 単につきあい程度であれば年齢相応で何の問題もないのですが、行きすぎると 「不純異性交遊」(あまりいい表現ではないですが)となり、大問題化します。
もちろん、これは広く思春期を迎えた彼らの性の問題でもあります。
知的障害者の「恋愛」はいかにあるべきか。どのように性生活を充実させるべきか、ということです。
どれ一つをとっても軽い問題ではありません。

これらの問題については、これまで何度も「うずのしゅげ通信」で論じてきました。
とりわけ「受容」という問題は、高等養護学の生徒にとっては切実です。
上記『賢治先生がやってきた』に収めた『受容』という小説は、そのあたりの機微を扱ったものです。
短編なので充分描ききれているとは思いませんが、 問題の切実さは分かって頂けると思います。
また、同書に収めた『綾の鼓』では、もう一つの「恋愛」という問題を扱っています。
ダウン症の生徒が教師を好きになる。これは普通校だってありえることだと思います。 しかし、この短編の中での「恋愛」は、謡曲『綾の鼓』に似た不可能性をおびています。 なぜなのでしょうか。能『綾の鼓』は、「庭掃きの老人が女御を思慕してなぶられ、 綾で作った鼓を打たされて鳴らぬので自殺し、怨霊となって女御を恨む」(広辞苑) といった筋書きですが、身分もまた年齢もかけ離れているゆえに「なぶられる」老人と、 年齢と障害ゆえに相手にされないダウン症生徒は、どうちがうのでしょうか。 なぜ、その思慕がどちらも不可能性を帯びるのでしょうか。これは、障害とは何かといった問題にもつながる 本質的なものを含んでいると思います。しかし、これについてはまた触れたいと思います。
今回書きたかったのは先ほど触れた「受容」の難しさということについてです。
生徒本人にとっても、自分の障害を受容する、特に知的障害を「受容」することは、 なかなかに難しいことは想像できます。
そういった悩みを持つ生徒から、心の断片が漏らされることがよくあります。
「オレたちは障害をもっているんやろ」
「私は、高等養護には本当は来たくなかった」
そういった思いを吐露する生徒は多いのです。
生徒ばかりではなく、保護者についても「障害受容ができていない」と言われることもあります。
私もまた、「受容」のむずかしさは分かっているつもりでいたのですが、やはり 生徒について、安易に「受容ができていない」 といったことばを使ってきたのではないかと反省しています。保護者についても同じです。共感が足らなかったのではないか、 認識が甘かった、という忸怩たる思いがあります。
「受容」というのは、自分の運命を受け容れることでもあると思います。
自分の障害を運命として「諦める」ということかもしれません。 子どもの障害を運命として受け容れる。
しかし、その運命の受け容れということがいかに難しいかということを思い知ったのです。
昨年、長男を亡くしたのですが、そのことをいまだに「受容」することができないのです。
「長男の死」を自分の運命として受け容れることが、九ヶ月たったいまだに充分にはできません。
そこで、あらためて障害の受容と家族の死の受容との同質性について考えてみます。
障害の「受容」というのは、自分の存在のあり方のどうしようもなさを受け容れるということだと 思われます。
家族の死の「受容」は、自分の存在に降りかかった運命のどうしようもなさを受け容れるということで、 二つの間に本質的な違いはないように思われます。
つまり、障害の「受容」というのは、結局は生の「受容」、受け身的に与えられた生の条件の「受容」ということなのです。 それに対して息子の死を「受容」するということは、人間の力ではどうすることもできない死、 受け身的に与えられる死の「受容」ということになります。
つまり、どちらの場合も、受け身の生死のどうしようもなさの「受容」ということで、 共通する意味合いを持っています。
生のはじまりの括弧である誕生と生の完結である死の括弧は、どちらもどうしようもなく受け身的なものですが、 二つながら生のかけがえのなさを両端から支えている鼎の足のようなものではないでしょうか。 誕生と死が両端にあって、生のかけがえのなさが担保されている、 それをあるがままに引き受けるのが「受容」ということなのではないでしょうか。
そして、そこから積極性に目を転じていく、それが受容の本当の意味合いではないかと思うのです。 そういったことを考えて、「受容」ということの難しさをあらためて認識させられたのです。

あらためて生死にかかわる「受容」、あるいは生のかけがいのなさに関する「受容」といったものは、 難しいものだとつくづく考えさせられます。

追伸
上に書いた二つの「受容」の同質性、本当にそうなのでしょうか。充分に考えたつもりですが、 何か見落としがあるかもしれません。同じ「受容」という言葉に幻惑されていて、内実は違うのではないか、 といった考え方もありうると思います。
そういった違った見方、考え方など、ご教示いただければありがたいです。


2007.7.1
魂合い

息子が亡くなってしばらくは、同じような経験をした人の手記などを探して読んでいました。
それは、先月号の「うずのしゅげ通信」にも書いた通りです。
つい、先頃も「心の時代を生きる−日本人と宗教−」(文藝春秋季刊夏号)に、 保阪正康氏の「二十二歳で逝った息子へ」という文章を見つけました。
その中で保阪氏は、つぎのような告白をされています。
「私は私だけの信仰をもっているということであり、それは私のなかに生きている息子の もとに私が肉体を滅してもそこに行って、会うことができるという確信だけだった。」
つまり、保阪氏は、「息子に会うことができると確信」しておられると言うのです。それが氏の信仰だと。
それを読んで私も考えさせられました。
私は、この九ヶ月を、息子の死をどのように受け容れればいいのかを模索しながら過ごしてきました。 「会いたい」、「もう何ヶ月も会っていない」とむなしい思いで訴えることはあっても、 息子にまた会えると思ったことはありませんでした。 しかし、保阪氏の告白を読んで、 私もまたいつか息子に会うことができるというふうに信じてみようという気持ちが萌してきたのです。 いくらかは、こころに余裕が出てきたのかもしれません。 でも、問題はあります。「会うことができると信じる」といっても、 どのようにして会えるというのでしょうか。
宗教を心底信じていれば話は分かりやすい。クリスチャンであれば、審判の時ということになるのかもしれないし、 また、浄土真宗の門徒であれば浄土で会えると信じるべきかもしれません。
しかし、その考えは私を充分に納得させるものではありません。
最期の審判も浄土もイメージすることができないのです。
しかし、息子のたましいと私のたましいが、いつかどこかで再会する、ということに関係するイメージは、 おぼろげならがあることはあるのです。そのイメージについて書いてみたいと思います。
「魂が合う」(万葉集に「魂合う」ということばがあります)というイメージはどんなものなのでしょうか。 私が考えているのはつぎのようなイメージです。しかし、あらかじめことわっておきますが、 リアルにことば通りのイメージで考えているというのではなく、 たとえば、詩的なイメージを借りて表現すればこんなふうなものになる、 ということです。だから、以下のことは詩的な比喩と考えてもらってもいいと思います。
もともとは「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という脚本で具体化したイメージを発展させたものです。
これは生徒たちと死のことを考えようとした脚本なのですが、もちろんまだ上演されたことはありません。
この劇の中で、花沢という父を亡くした生徒に、お父さんは消えたわけではないと、 賢治先生はつぎのようなイメージを語ります。

花沢 賢治先生、死んだらどうなるんですか? お父さんはどこいったんやろうか?
生徒 燃やされてしもたんやろう。骨と灰になってしもうて、それでおしまいや。
花沢 おしまいやあらへんよ。お父さんの顔も目に残っているし、 お父さんの声、聞こえることあるもん。たばこのにおいもするで。
生徒 そうかもしれんな。
賢治先生 お父さんはね、君のために死んでみせてくれたんだよ。
花沢 ぼく、見ていました。
生徒 こわなかったか?
花沢 ほんまに死んだときは、こわかった。お父さんが波みたいにきえていかはったから。
賢治先生 最後にいのちのひかりをしぼりだして、しぼりだして、 フーといのちの力がぬけてしまったんだ、蝉のぬけがらみたいに。
生徒 大往生や。
生徒 よくわかりません。
生徒 「いのちのひかり」ってなんですか?
賢治先生 これはなかなかむずかしいんだが、まあ説明してみよう。 月夜のでんしんばしら、出てきなさい
月夜のでんしんばしら1 (頭に稲妻をつけながら出てくる。)あれ、 おれたちの出番はつぎの場面じゃなかったんですか
(下手に模造紙に描いた地球の絵を持つ人、上手に望遠鏡を覗いている宇宙人が登場)
賢治先生 いいやないか。たのむ。
月夜のでんしんばしら1 まあ、いいですよ。
賢治先生 じゃあ、そこにある花沢君のお父さんの写真をもって。いいかい、 これがいのちのひかりだ。花沢君のおとうさんが死んだ。すると、 宇宙のみんなにそのことを知らせなければならない。 それで、でんしんばしらのひかり君が「花沢君のお父さんが死んだよ」 って宇宙中にふれてまわる。
月夜のでんしんばしら1 おれははやいんだぞ。世界でいっとうはやい。
賢治先生 はやいことははやいが、星までは遠いから、 そこの星から望遠鏡で地球を見ている宇宙人にその知らせが届くまでに時間がかかる。 何年も、何万年もかかる。
地球の絵をもつ人 ひかりはたもち、その電燈は失われ。(と叫ぶ。それを合図に、 月夜のでんしんばしら1が、花沢君のおとうさんの黒枠の写真をもって 地球から宇宙人のほうにゆっくり歩いていく。)
賢治先生 その知らせがまだつかないから、この宇宙人は花沢君のおとうさんはまだ生きてると おもっているよ。
宇宙人 (望遠鏡を覗きながら)生きている生きてる。花沢君のおとうさんは元気だよ。
賢治先生 そんなふうにして、花沢君のおとうさんは最後のひかりをしぼりだして 死んでいかれたんだ。
生徒 そんなに何万年もかかるんですか。
賢治先生 かかるよ。だから、宇宙にはまだ、花沢君のおとうさんが生まれたという 知らせもとどいていない星もある。君達が生まれたという知らせも飛び交ってるよ。
(月夜のでんしんばしら2〜6、裸の赤ちゃんの写真をもって「赤ちゃんがうまれたぞ」 と叫びながら走り回って消える。)
生徒 それからどうなるんですか。
賢治先生 どうなるんやろう、ぼくにもわからん。ぼくも、死にかけたこともあるし、 妹のために、そのことをひっしで考えてるんだが……。
(舞台がだんだん暗くなっていく。)

たとえば、つぎのように考えてみます。 私たちの地球から一光年離れた星から望遠鏡で地球を覗いている人物がいたとします。
彼の見ている地球は一年前の地球です。九ヶ月前に亡くなった息子は、望遠鏡の光景の中ではまだ生きていて、 私たちの家に帰省したときの団らんが見えているかもしれません。
つまり、その風景を写した光が、その星に到着するまでに一年かかるから、まだ死の知らせは届いていないわけです。
同じように、息子が誕生した風景もまた地球から二十九光年離れた宇宙空間を飛んでいるわけです。 そこから、息子がなくなった時点までのすべての風景は宇宙に広がってゆく光の中に刻み込まれていて、 見ることだってできるのです。そんなふうに生きた証は光に刻み込まれて宇宙に広がっていると私は考えるのです。 これは現代の科学的な考えとも矛盾しないと思います。
光は遠く大きく広がってゆくにつれて微弱になりますが、たとえ光子一粒になっても、 そのなかにすべての像が込められているはずなのです。
これが、生きた証のイメージです。地球から宇宙にむけて飛翔してゆく光にすべての生きとし生けるものの 像が刻み込まれています。だから、すべて失われるものはないのです。 たとえ本人は死んでも、生きた証は光にのって永遠に飛び続けるのです。宇宙に拡散してゆく光としてあらゆる存在は その痕跡を残しているのです。それが生きとし生けるものに意味があると考える私の基本的なイメージです。
そして、現在まだ生き続けている私の映像もまた時々刻々宇宙に向けて飛び立っています。
息子の像を刻んだ光はすでに先行して宇宙を飛んでいます。
そして、いつか、息子の映像を刻んだ光と、私の光がどこかで交わることがあるかもしれない。
それは、たとえば、息子の光が重力が強い星の近くを通って光跡を曲げられ、回り道をしていたために、 私の光と交わることになったのか、あるいは、何かに反射されたために折れ曲がって、私の光跡と出会うことになったのかも 知れません。光線は四方八方に飛び出してゆきますから、 それらがどこかで曲げられた結果いつか交わることだってあるはずなのです。
光線が交わったとき、もしもそこで望遠鏡で覗いている人がいたとすれば、彼は同時に二つの像を見ることができるわけです。 もちろんその出会いは、光線同士の出会いですから、涙がこぼれたり、懐かしさがあふれ出るといった 人間的な感情を伴うものだとは思えないし、親子といった関係性も超越したものかもしれません。 そもそも出会いと言えるものなのかどうかも分かりません。
しかし、それはやはりたましいの出会い、魂合いといってもいいものではないでしょうか。
そのような出会いをせめて私は信じたいと思うのです。
そして、信仰によっては、その出会いに立ち会っている人を神だという人もいるかもしれないと思います。 しかし、私は、神ということばを使いません。ただ、そういった出会いだってあっていいのではないかと考えるだけです。
分かってもらえるでしょうか。
ここまで書いてきて、虚しさに襲われています。話が抽象的すぎて、自分の今のつらさにそぐわないような気がしています。 しかし、こういった比喩でしか 表すことができないようなたましいの出会いといったものがあるかもしれないと、私はそう信じてみようと決めたのです。
保阪さんの言われるように、それを信仰というならば、そういってもいいかもしれないとも思います。
どんな形でかは想像できないけれど、いつかどこかできっと息子に会えるということを信じたいのです。

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