◇2007年8月号◇

【近つ飛鳥、風土記の丘風景】

[見出し]
今月号の特集

「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

癒し系

たましい

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2007.8.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)

2006年11月、「賢治先生がやってきた」新風舎文庫から 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生』と『ざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で 上演されています。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 まだ舞台にかけられたことがありません。 (どなたか舞台にかけていただけないでしょうか。)
もっとも三本ともに、 読むだけでも楽しんでいただけると思うのですが。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。 文庫の書棚に並んでいる書店もあるかもしれませんが、 YahooとかAmazonとかのインターネット書店なら確実にはやく手に入ります。
追伸
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。


2007.8.1
癒し系

養護学校でも、生徒に「彼は癒し系だから」とかいう言い方をされるときがあります。
「「彼は癒し系だから」中学校では友だちといい関係でこれた」
「「彼は癒し系だから」職場実習にいっても、周りの人に分かってもらえる可能性がある」
といった文脈で使われています。
この言い方に問題はないのでしょうか。いつも考えてしまうのです。
そういった言い方をされる生徒には、たとえば自閉傾向のある生徒、 あるいはダウン症の生徒などがいます。もちろん、それだけではありませんが。
この「うずのしゅげ通信」6月号で触れた「ダウンズタウン計画」の試みなどは、 ダウン症の人たちのそういった性格を社会の中心に据えた運動のように思います。
しかし、たとえば先に挙げた 「「彼は癒し系だから」中学校では友だちといい関係でこれた」 というのは、本当に喜ぶべきことなのでしょうか。極端な言い方をすれば、 「ペット扱い」といった友だち関係ということではないのでしょうか。
あるいは、 「「彼は癒し系だから」職場実習にいっても、周りの人に分かったもらえる可能性がある」 というのも、「職場でかわいがられる(?)ように」といった関係を前提にした言葉ではないのでしょうか。
しかし、あながち否定的な意味合いだけとは、もちろん思ってはいません。
先月号の「うずのしゅげ通信」でも触れたように、 高等養護学校では対等な友だち関係が前提にあって、そのなかでの成長が期待されます。 そういった関係の中で育って、それからまた社会に出て行く、 対等の人間関係を築くためにも、癒し系の性格はよい作用を及ぼすにちがいないのです。 また、社会にでていったときも、 どんな形であれ、癒し系ということは、コミュニケーションがとれるということでもあるので、 役に立つことはまちがいありません。
そんなふうに考えていると、「癒し系」というのも、諸刃の剣で、 あながち否定しさるべきものではないかもしれませんが、 といって無神経に使うと差別に通じるような何だか危ういものなのかもしれませんね。
追伸
生徒たちに接していると、彼らはすばらしい人間だということを感じさせられます。 私など、とても及びません。しかし、そんな彼らをほめることばがあまりないように思います。 そんな中で「彼は癒し系だから」というのは、貴重なほめことばであるように思います。 堀田あけみさんの「発達障害だって大丈夫」(河出書房新社)には、 次男カイトさんのことを「愛されキャラ」と表現されています。これもいい言葉ですね。 「癒し系」よりも、差別につけ込まれる要素がすくなくて、 彼らを知るものにはよくわかる適切な表現だと思います。
他にこういった彼らのほめ言葉、ありますかね。教えてください。


癒し系

彼は癒し系だから
中学校では友だちといい関係でやってこれました
彼は癒し系だから
職場実習でも、周りの人にかわいがってもらっています
そんなことばをよく耳にする
これってほめことばなんだ
何だか差別と紙一重で危ういけれど
考えてみると彼らをほめることばってあまりない
私なんかよりよっぽど上等の人間なんだけれど
分かってもらえない、世間の人には
ことばがないってそういうことだ
だから、やっぱりほめことばがほしい
そこで、思いついた
賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩
「ミンナニデクノボートヨバレ」とある
このデクノボーというのはどうか
賢治の理想にしたデクノボーだから
でも、デクノボーということばは
危うい
差別だって言われそうだ
考えてみるとみんなもろ刃の剣
ということは、彼らは、そういう存在なんだってこと
差別の毒をふくんだことばを水中でゆすいで
思いきっていい意味だけを抽出してきたら
それが彼らのほめことばになるってことかもしれない


2007.8.1
たましい

生徒たちに死というものを考えてほしくて、「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という 奇妙な題の劇を書いたことがあります。
その劇では、一場で、花沢というお父さんを亡くた生徒が久しぶりに登校してきます。
彼はこんなふうにみんなに迎えられます。

生徒 先生、ひさしぶりに花沢君がきています。
賢治先生 ああ、花沢、大変だったな。お父さんが亡くなって……。
生徒 突然だったのか?
花沢 入院してました。
生徒 病気で。
花沢 病気で、ガンでした。お医者さんがておくれでした。 (すこし自閉的なもの言いになっている。)
賢治先生 泣いたか?
花沢 泣いたか?(オーム返し)
賢治先生 泣かなかったか?
花沢 泣いた。ちょっとだけ泣いた。
賢治先生 そうか、ちょっとだけか。泣ききれなかったのかな。 それで、また、自分ででこちんを壁に打ちつけたやろ。
 (紙を取り出して書き付ける。)「自傷のついに打ちつけし額の傷は白毫の位置」
生徒 「白毫」てなんですか?
賢治先生 三つめの目、仏像にある。花沢君もでこに目ができて仏さまみたいになってるぞ。
生徒 花沢君のお父さんはいなくなったんやな。
生徒 そら、そうや、死んでしもたんやから。
生徒 死んだときどんな顔してた?
花沢 仏さまみたいな顔してたで。
賢治先生 じゃあ、ほんとうに死んだんだ。
花沢 賢治先生、死んだらどうなるんですか? お父さんはどこいったんやろうか?
生徒 燃やされてしもたんやろう。骨と灰になってしもうて、それでおしまいや。
花沢 おしまいやあらへんよ。お父さんの顔も目に残っているし、 お父さんの声、聞こえることあるもん。たばこのにおいもするで。
生徒 そうかもしれんな。
賢治先生 お父さんはね、君のために死んでみせてくれたんだよ。
花沢 ぼく、見ていました。
生徒 こわなかったか?
花沢 ほんまに死んだときは、こわかった。お父さんが波みたいにきえていかはったから。
賢治先生 最後にいのちのひかりをしぼりだして、しぼりだして、 フーといのちの力がぬけてしまったんだ、蝉のぬけがらみたいに。

そこから、賢治先生は、花沢さんに、人間は死んだらおしまいではなく、永遠にその痕跡は 残ること、魂が銀河鉄道で夜空に昇っていくイメージなどを、 妹トシの死と旅立ちを舞台で演じることで 学んでもらおうというのです。
脚本には、私が両親を亡くして考えたことが踏まえられています。 授業でそのことに触れて話したこともあります。
しかし、死の意味を、遺族のつらさを舞台に載せるといっても、 せいぜいがお父さんが亡くなるという想定まででした。 生徒本人が亡くなってしまうなどは、思いもよらないことでした。

今春、学校を巣立った卒業生が病気で亡くなりました。
十八歳でした。 彼は、在学中に発病、それからずっと闘病生活を続けていました。
私は、彼が入学してきたとき副担任していたということもあって、昨年の夏休みにお見舞いに行きました。 そのときは、たまたま家族はおられなくて、彼と二人だけでしばらく話をすることができました。
彼はまじめすぎるほどまじめで、学校が大好きでした。1年生の最後のホームルームのとき、みんなで デコレーションケーキを作ったことがあります。飾り付け担当の彼は、 砂糖でできたいろんな飾り物を用意してきました。私と二人で、買ってきたスポンジケーキの上に 泡立てたホイップクリームを塗って、砂糖菓子やフルーツで飾りました。 彼は、仕上げにこだわって、ほんとうに熱心にやりとげました。そのときの光景がいまも鮮やかです。
病院の彼は頭にバンダナをしていました。顔は白かったけれど、笑顔も出ていました。 彼はベッドに腰掛けて、最近の学校の様子、友だちの近況など、私が話すのを聞いていました。 彼は自分からはそんなに積極的に話はしなかったのですが、 そんなに衰弱したふうもなく、笑顔も見られて、治療の先行きにはかなり希望が持てそうでした。
しかし、それが彼との最後の出会いになってしまいました。私が見舞ってから一年もたたない内に、彼は逝ってしまいました。

つい最近、送っていただいた供養の品に添えられていた手紙、そこに 「長男が亡くなり」という文面がありました。悲しい言葉でした。妻もその言葉にどきっとしたようです。
何故なら、私たち夫婦もまた、半年前におなじような文章を書いていたからです。
彼を見舞ったのが昨年8月のはじめ、9月に私の長男が亡くなりました。そして、今春の彼の死。 だから、まさに彼のご両親の 悲しみは、半年前の私たち夫婦の悲しみでもあったのです。
しかし、彼の面影はたしかにいまも私の中に残っています。この面影は、彼の分身のようなものであり、 彼の魂と呼ぶことも できるのではないかと思うのです。
これまでの教師生活で、同僚の教師や生徒を幾人か亡くしています。 それら故人の面影は、いまだに実に鮮明に私の中に保たれているのです。もう、三十年も 以前に亡くなった同僚の顔や仕草が色あせることなく残っているのです。 三十年もたてば顔も思い浮かばない同僚も多い中で、死者の面貌は鮮やかなのです。 死んでゆくものは、もしかすると生き残るものに魂を預けていくのではないかと思います。 そう考えるしかないほどの面影の鮮明さです。

息子を亡くしてから、魂のことをずっと考えてきました。
そして、最近、家族や周りの人の中に残っている思い出がすなわち魂であるとみなすのが 一番妥当ではないかと考えています。 それが死者の魂のありようではないでしょうか。

伊藤静雄の詩に魂という言葉を含む次の詩句があります。
詩集『わがひとに与ふる哀歌』の中の 『鶯(一老人の詩)』という詩の最初の一節です。

(私の魂)といふことは言へない
その證據を私は君に語らう


魂というのは、(私の魂)といった、そんなありようをしているのではない。 (私の)といった所有がなりたつようなものではなくて、そもそものありようがいつも周りの人と 共有されているといったありようでしかないもの。 そして、彼が亡くなると、周りの人に共有されていた魂が残ります。何人もの親族、友人、知人の 中に分有されて彼の魂は残り続けます。

伊藤静雄の同じ詩に次の一節もあります。

しかも(私の魂)は記憶する

分有された彼の魂は、記憶しています。二人の関わりを記憶し続けます。
そして、それらの人が亡くなるとき、共有されていた彼の魂が一つ消えていく。 彼を知る人がすべて亡くなったときが彼の魂の消えるとき。
それは比喩的に言えば、打ち上げ花火のようなものではないかと思うのです。 彼が亡くなると、花火玉が爆発し光が飛び散ります。それぞれの光芒が魂です。 その光芒は時とともに燃え尽きて消えていきます。
しかし、魂はそれですべてが消えてしまうとはいえないのかもしれません。 彼の魂を抱えていた知人が亡くなっても、その知人の魂はまた知人の知人に引き継がれていく。 そんなふうに魂は受け継がれていくと考えてもいいわけです。

「魂」などというものはありえない、死ねばそれで終わりだと言い切れる人は、 幸せな人だと思います。理性的な判断とは別に、なおどうしても魂という言葉で 何かを求めざるをえないほどの喪失を体験しなかったのだから……。

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