◇2007年9月号◇
【近つ飛鳥、風土記の丘風景】
[見出し]
今月号の特集
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
堀田あけみ「発達障害だって大丈夫」
原民喜「かけがいのないもの」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2007.9.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を新風舎文庫から
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生』と『ざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
まだ舞台にかけられたことがありません。
(どなたか舞台にかけていただけないでしょうか。)
もっとも三本ともに、
読むだけでも楽しんでいただけると思うのですが。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
文庫の書棚に並んでいる書店もあるかもしれませんが、
YahooとかAmazonとかのインターネット書店なら確実にはやく手に入ります。
追伸
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
2007.9.1
堀田あけみ「発達障害だって大丈夫」
堀田あけみ「発達障害だって大丈夫」−自閉症の子を育てる幸せ−(河出書房新社)を読みました。
たいへん興味深かったので紹介したいと思います。
そもそもは、教育テレビの「キラッと生きる」に堀田あけみさんが出演されていて、
そこでこの本のことを知ったのです。
堀田あけみさんと言えば、「1980 アイコ十六歳」で文藝賞を最年少で受けた小説家です。
当時ニュースになったから、顔に見覚えがあります。現在は、小説家の他に、
また発達心理学の研究者でもあります。
彼女の二男カイト(海斗)さんが、知的障害をともなう発達障害なのです。現在小学生で、養護学級に入っています。
カイトさんの生まれてから現在にいたる成長の記録、また障害ゆえのあれこれを母の目、小説家の目でもって、ときには詳細に、
ときにはユーモラスに、また怒り心頭といった体験も正直に描いておられます。
それらのいくつかを紹介したいと思います。
まずは、障害の発見について
「その年、私は乳幼児の言語発達に関する講義をしていて、自分の言ったことに、はっとしました。
「発達の個人差は、大変大きなものです。遅れている分には、あまり心配は要りません。ただ、順序が
正しくないときには、脳の機能の障害という可能性が出てきます。発達障害は、単語で言うとdevelopmental disorder、
順序(order)が違う(dis)ということ……」
カイトは話さなくなりました。けれど、彼は読めているのではないか? カイトは、五十音の積み木を、正しく
並べることができます。アルファベットも同じ。あれは、読めているのでは。
聴覚に基づく、聞く・話すは一次的言語、聴覚に基づく、読む・書くは二次的言語と言われます。(中略)
二次的言語が一時的言語に先行するとはどういうことか。(中略)
カイトは、大丈夫じゃないかもしれない。教壇の上で、私は思いました。」
堀田さんは、その時、どんな気持だったのでしょうか。
つぎに、障害の受容の問題
児童福祉センターで発達検査を受診したあと、医者の説明を聞きます。
その後の感想
「面接の中に、私やカイトに対して、否定的な言葉は一つもありませんでした。むしろ、一杯一杯誉めてもらえました。
でも、福祉センターを出たとき、私が感じたのは、これでカイちゃんも一人前の障害児だなーってことです。
もう決定だね、逃げ場無いな。
私は、一生障害児の親で、そうじゃなくなることは無いんだな。」
障害の受容の第一歩です。受容はここからはじまり、延々と続くことになります。
友だちとの関係
「彼は、「愛されキャラ」なので、比較的友だち関係はいいようですが、それでもぎくしゃくすることは
たくさんあります。」
障害者の「愛されキャラ」「癒し系」問題については、先月号の「うずのしゅげ通信」に書きました。
ハンディのある子どもをかかえた夫婦の関係
これは、まあ読んでもらうしかありません。
社会との関係
「先日、病院に行くために、カイトと二人で地下鉄に乗っていたときのことです。「劇団ひとり」モードに
入っていた彼は、彼のファンタジーに熱中する余り、隣のお嬢さん、典型的なギャルメイクの十代の女の子に、
手に持っていたフィギュアをぶつけてしまいました。
「うぜっ! チショーかよっ!」
何でも省略する彼女達の言語において、「知的障害者」は「チショー」です。
「そうなんですよ。ごめんなさいね」
それで済むと、思っていました。
隣から、消え入るような、細い声が聞こえるまでは。
「ごめんなさい。知らなかったから」
へっ?
知らなかったって?
今、はっきり「チショー」って言ったのに。
しばらくは、わけがわかりませんでした。でも俯いている彼女に説明を求めるのも可哀想。
(中略)健常者に向かって、「障害者かよ!」って言うのは、悪口として、あり。
なんだけど、障害者を障害者と言うのは、人間として、良くないこと。
すごく、基準が捻れてるんだけど。
涙目になるくらいなら、最初から「チショー」なんて言うなよってことなんだけど。
彼女の「ごめんなさい」は、きちんと受け止めなきゃいけないと思います。
あの「ごめんなさい」には、とてもたくさんの勇気がひつようだったはずだから。」
寛容、いや、理性的と言うべきでしょうか。我が息子カイトに「チショー」ということばまで浴びせられて、
母親が寛容でいられるはずはないからです。
「しばらくは、わけがわかりませんでした。」というのは、やはり怒り心頭といったところでしょうか。
でも、彼女を可哀想と見る余裕があります。そこがすばらしいところ。
それに、(引用はしませんが)この場面に続く彼女との遣り取りの描写は、実に公平、的確で、ユーモアさえ漂っています。
「さすがアイコさん」と声を掛けたいくらいです。
その場面、引用したいのですが、断片の引用では分かりにくいところがあります。やはり全編を読んでもらうしかありません。
カイトさんの振る舞い、周りの友だちの様子、また親たちとの付き合いの描写など、母親の目とともに、
小説家としての、あるいは研究者として培われた目が随所に生かされていて、とてもリアルです。
ここもまでリアルな記録はそんなにないのではないでしょうか。
人生哲学が前向きで、
そのこともあって
読後感は、とてもさわやかです。
2007.9.1
原民喜「かけがえのないもの」
最近、おもしろい小説を読んだ覚えがありません。新人の目も覚めるような小説が読みたいと願っているのですが、この願い、
なかなか適いません。
この夏休みに読んでおもしろかったのは、
例えば、林京子の「長い時間をかけた人間の経験」。出版は2000年で、林京子さんはもうかなりの
ベテランですね。
おもしろい小説の書き手、新人が現れない。どうしてなのでしょうか。小説はもう終わってしまったのでしょうか。
そんな思いもあって、川西政明著「小説の終焉」(岩波新書)を読み返してみました。
中身は、小説のテーマとしての「私の終焉」「家の終焉」「性の終焉」「神の終焉」、作家として「大江健三郎の終焉」
「村上春樹の終焉」、さらに「戦争の終焉」「革命の終焉」「歴史の終焉」と続き、まさに「小説の終焉」が、
これでもかこれでもかといったふうに念押しされていく。
これでは、もう小説のテーマは残されていないなと説得されてしまいそうになりますね。
未開拓のテーマとして何があるだろうか、と途方に暮れてしまいます。
でも、小説はすべてを描いてきたわけではありません。たとえば、ハンディをもった人たちは、充分に描かれてきたのでしょうか。
そんなふうに考えると、まだまだ未開拓の分野は残されているようにも思われます。
しかし、ここで問題にしたかったのは、その中の一章「原爆の終焉−−原民喜から林京子」の中で、
原民喜のつぎのような印象深い小品が紹介されているのを見つけたのです。赤線は引いてあるのですが、ほとんど記憶に残っていないということは、
以前読んだときは読み過ごしていたのですね。
原民喜は、昭和十九年九月二十八日に妻を亡くしています。
「妻が死んだら一年間だけ生き残って悲しい美しい
一冊の詩集を書き残して自分も死のうと決意して彼は広島へ帰って」きます。
その広島で被爆したのですが、とりあえず今回は敗戦の前年、妻を亡くした時のことです。(引用は、同書より)
「妻が亡くなった直後、原は不思議な体験をした。彼はそれを小品に書いた。
《かけがえのないもの、そのさけび、木の枝にある空、空のあなたに消えたいのち。
はてしないもの、そのなげき、木の枝にかえってくるいのち、かすかにうずく星》(『かけがえのないもの』)」
不思議な小品ですね。意味の捉えにくさがあるとはいえ、何か惹きつけられてしまいます。
川西政明氏は、つぎのように説明しておられます。
「ここで「かけがえのないもの」とは妻のことであり、その「かけがえのないもの」の「さけび」は「木の枝」に
届いたあと、「空のあなた」に「いのち」となって「消え」ていくが、また「はてしないもの」の「なげき」は「いのち」となって
「木の枝」に帰ってくるというのだ。「はてしないもの」もまた妻のことである。」
川西氏のこの解釈、前半はいいとして、後半はそうだろうかと、考え込んでしまいました。「「はてしないもの」もまた妻のことである」
とされていますが、それはそうだとしても、もう少し考えようがあるのではないでしょうか。
「はてしないもの」というのは、どこかたましいのようなものを連想してしまいます。
人の存在は、「かけがえのないもの」が上部構造としてあって、その下に「はてしないもの」がある、そんなものとも考えられるようにも
思うのです。「かけがえのないもの」は、「空のあたなに消え」てしまいますが、「はてしのないもの」は、
死者の「なげき」と生者の「なげき」が引き合うようにして
帰ってくる、「なげき」はそんなふうに「いのち」を迎える働きだと、
そんなふうに解釈できないでしょうか。そして、その「はてしないもの」は、星の光をも意味あるものにすると。
私は、そんなふうに考えたのです。
もちろん、理由はあります。原民喜の短編小説に「鎮魂歌」というのがあります。
その中につぎのようなフレーズが繰り返し出てくるのです。
「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ、僕は自分に繰返し繰返し云いきかせた。
それは僕の息づかいや涙と同じようになっていた。」
「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ、僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。お前たちは星だった。」
「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。ぼくを生かして僕を感動させるものがあるなら、
それはみなお前たちの嘆きのせいだ。」
死んだ人たちというのは、原爆の犠牲者であり、また妻でもあるのでしょう。死者を嘆くことによって、
そのいのちが「木の枝にかえってくる」というのです。嘆くことが死者のいのちをよみがえさせると。
考えてみると、たしかに嘆くことによって、死者をこころに蘇らせる、その嘆きのために生きる、
という考えは私を納得させるところもあるのです。
また、「あ、あれは死んだ人たちの嘆きと僕たちの嘆きがひびきあうからだろうか」といった表現もあって、
「嘆き」は、死者と生者をつなぐものだという考えもあったように思われます。
彼は、「はてしないもの」を引き寄せる「嘆き」を重視していたということでしょうか。
もっとも、当の原民喜自身、「死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ」といいながら、
被爆から六年たった昭和二十六年に自殺したのですから、
結局「嘆きのためにだけ」ということでは、生きることができなかったということなのでしょうか。
これほど痛ましいことはありません。
この「うずのしゅげ通信」8月号で紹介した、伊藤静雄の詩に次の詩句がありました。
詩集『わがひとに与ふる哀歌』の中の
『鶯(一老人の詩)』という詩の最初の一節です。
(私の魂)といふことは言へない
その證據を私は君に語らう
二つの詩を合わせて考えるとどうなるでしょうか。
魂については、(私の魂)というようなありかたをしていない、というのですが、人間の存在が「かけがえのないもの」と
「はてしないもの」を綯い交ぜにしたようなありようをしているとすれば、
(私の魂)の(私の)という限定は、「かけがえのないもの」の部分を
表していることになります。すると、本当の魂は、もう一つの「はてしないもの」の部分をそう呼んでいると考えられるわけです。
たんなる思考の遊びのようですが、夏休みのつれづれにそんなことを考えていました。
それにしても、原民喜の小品、たったの二行ですが、意味深くて、いろんな解釈ができそうですね。楽しい小品を一つ知ることができて、幸せな気分になりました。
原民喜というのは、すばらしい詩人であり、小説家であるとあらためて感じさせられたことです。
追伸
嘆きの壁
北の庭に面した
三畳ばかりの、本で埋まった狭い部屋で
あのことがあって復活したタバコを吸う
朝食後の一服を
換気扇をつけてはいても
煙がこもると
胸苦しさがこみ上げてくる
私はすでに嘆き疲れた
嘆きはいまだに生々しいが
また、すでに半分くらいは虚しい
あるかないかわからないものを
あるとして踏ん張ることができない
それでも、暗い部屋の窓から覗くと
前栽のトサミズキの葉群れが
日の光を受けてまぶしく
黄色い輝きを放っているのがあざやかだ
近つ飛鳥の風土記の丘は
私の休日の散策コース
王陵の谷につらなる丘陵に点在する
古墳群を縫う道すがら
鶯の鳴き声に誘われて
嘆きはつぎつぎに姿をあらわす
はじめは哀惜の想いがわきたつ
やがて想念は浄化されて
不在そのものの嘆きとなり
歩くリズムにまぎれて消える
歩くことは座ることに似ていると思う
しかし、このこころの平穏は、惜しいことに長続きしない
そしていつのまにか私の中にそそり立つ嘆きの壁
これまでの日々を
この壁を積み上げることで
たえてきたとつくづく思う
世界の意味がこんなに一点に集中したことはなかった
すでに焦点に彼はいないにもかかわらず
いや、いないがゆえに
嘆きの種は世界そのものとなり
私はその度ごとに一つ一ついびつな煉瓦を積み上げてきた
そしていまや、心の中に峨峨たる壁が建つ
くずおれた神殿の遺跡ではなく
いましも積み上げられた廃墟
壁の地肌に掌を当てると
ひやりとした冷たさが
壁を這う蔦の棘のように胸を刺す
乾燥した煉瓦の稜角から水がしたたり
叫びをふくんだ風に帽子を吹き飛ばされて
私は、思わず周りを見まわす
壁はすでに翳り
深い闇が訪れようとしている
煉瓦の隙間に蛍の光が仄見える
「本当に蛍なの? 蛇ではないの?」
ここはどこなのだろう
嘆きはもはや悲しみを吹き払い
乾いた虚無感さえ漂わせる
しかし、この嘆きの壁は
私の人生の残余を
時の風化にたえねばならない
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