◇2008年1月号◇
【近つ飛鳥、風土記の丘風景】
[見出し]
今月号の特集
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
2007年の3冊、1本
二上山の石
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
新年、明けましておめでとうございます。
はろばろと夢もちきたり 春の雪
年賀状に添えた句です。
今年もまたこの「うずのしゅげ通信」、ご愛顧をよろしくお願いします。
2008.1.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を新風舎文庫から
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生』と『ざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
まだ舞台にかけられたことがありません。
(どなたか舞台にかけていただけないでしょうか。)
もっとも三本ともに、
読むだけでも楽しんでいただけると思うのですが。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。このホームページを見られて、
どうしても手に入れたいという奇特な方がもしおられたら、メールをいただければ、ご購入していただけます。
そういった事情で、本の宣伝はここでしかできませんので、いましばらくこの欄は残しておきます。
目障りかもしれませんがご容赦ください。
2008.1.1
2007年の3冊、1本
昨年(2007年)、私が読んだ本のベスト3を選んでみました。(2007年に出版された本に限定していませんが、
比較的新しい本を選びました。)
1、まずは、何と言っても多田富雄さんの「寡黙なる巨人」(集英社)につきます。これはすばらしい本でした。
多田富雄さんは、有名な免疫学者ですが、数年前に脳梗塞で倒れられて、現在、ことばも歩行も不自由、ガンさえも抱え込んだ身で、
なお能を書いたり、介護制度の改訂反対運動などに活躍されています。以前にもこの「うずのしゅげ通信」で本の紹介をしたことが
ありますが、能楽にも造詣が深くて、新作能の台本も書いておられます。それも、原爆や従軍慰安婦、脳死、相対性理論と
多岐なテーマは余人の追随を許さないものです。
脳梗塞によって障害者となっても、
なお運命に立ち向かっていくという著者の積極的な姿勢がとても感動的です。
以前NHKで多田さんの日常生活が放映されていて、自身の不自由さを
ここまでさらすというのはどれほどの覚悟なのかと驚いたことがあります。
(NHK2005年12月4日「脳梗塞(こうそく)からの“再生” 〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」)
この本は、脳梗塞に倒れた自分の中から立ち上がってきた新しい人を、「寡黙なる巨人」と呼び、
自分の不自由さをも突き放して見る意志の強さに支えられていて、それには脱帽させられます。
われわれ団塊世代もこれからいろんな困難に出会うことも
あるかもしれない。そんなときどのような心構えをすればいいのか、そのことを考えるための参考にもなります。
一読をお勧めします。
同じく多田富雄さんの「能の見える風景」(藤原書店)も興味深く読みました。
こちらの方は、主に能についてのエッセーを集めたものです。
2、つぎに井上ひさしさんの「夢の痂(かさぶた)」(集英社)。
これは脚本。天皇制の問題を言葉とからめておもしろおかしく劇化されていて、
読んでも充分楽しめました。
3、そして、茨木のり子さんの「倚りかからず」(ちくま文庫)。
ひさしぶりに引き締まった詩を、襟を正して読ませてもらいました。以来、茨木のり子にはまっています。
番外として、堀田あけみさんの「発達障害だって大丈夫」(河出書房新社)。
「発達障害」と診断された次男のことを書かれたものです。
これは職業柄読んでおこうと考えた本なのですが、
さすがに小説家だけあって観察が細やかで、また親の立場から書かれていて、そういった意味でも参考になりました。
もう一冊、斎藤孝さんの「教育力」(岩波新書)。いまさら遅きに失しているのですが、
教師の資質ということについてあらためて考えさせられました。
ついでに映画のベスト3
といっても、昨年はほとんど映画を見ませんでした。それで、ベスト1だけ。
韓国映画(2005年制作)の「マラソン」(監督:チョン・ユンチョル)。
走るのが好きな自閉症の青年が、フルマラソンの大会に
出場して、3時間を切るタイムで完走する。実話にもとづいた映画だそうですが、
障害の子供をもった家庭の問題、母親のがんばり、期待、生きがい、夫婦関係の難しさ、
兄弟の疎外感などをからめて、何よりいいのは、ユーモアを失わないで描ききっていることです。
母親でありながら、子どもの心を理解できない。はじめは理解していたつもりが、いろんな出来事があって、
信念が揺らいでくる。キム・ミスクが演じる母親の、そのあたりの葛藤がリアルです。
また、自分が子どもを支えてきたつもりが、逆に子どもに支えられていたことを思い知る、そういった視点も
ちゃんとあります。これは、障害のある人に接するときに、踏まえておかなければならない大切なことだと
思います。
それを、なぜか、「星の王子さま」に登場するキツネの口調をまねて言わせてもらえば、
「人間関係というのはお互いさまなんだよ。よく見えないこともあるけれど、お互いに支えあって生きているんだ。
それは障害をもった人との関係においてもそうなんだよ。」
この映画、韓国映画でいえば、(以前この「うずのしゅげ通信」でも触れたことがありますが)ホ・ジノ監督の「8月のクリスマス」
に迫る出来だと思います。
2008.1.1
二上山の石
二上山の石
百年近く前、私の父が
二上山から持ち帰ったという石が我が家にある
一抱えもあるほぼ四角な石で
その石を巻いてふしぎな刻みが見られる
線刻されたほぼまっすぐな線が幾本も走っている
その線と線の間には不規則な刻みが文字のように並ぶ
その模様から原始宗教のにおいがたちのぼる
専門家に見てもらったが
自然の風化でできたものか
人為的に刻まれたものかさえわからなかった
私は息子が亡くなってしばらくして
その石を一人で外に放り出してしまった
発作的なその行為にどんな意味があったのか
この一年あまりをふり返ると
つらさに追いつめられることはあっても
絶望したことはなかった
〈絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい〉※
時にはそんなことばが脳裏をかすめた
〈絶望〉は、しかし、私にとって〈虚妄〉ではなかった
ある瞬間には、手が届くところに厳然とあった
しかし、結局私は絶望に溺れることはなかった
どこかに息子の視線を感じていて
それが、かろうじて絶望から私を遠ざけた
哀しみと苦しみのせめぎあいにたえきれず
ひそかに呻くことはあっても
それを地獄の苦しみとは思わなかった
息子のことを憶うのは苦しい
なのに何もかもをむりやり彼に関連づけてしまう
世界の意味がすべて彼という一点に収斂していた
無限の苦しみを生みだすこのしくみは地獄そのもの
しかし、私はそれを地獄と貶めたくなかった
いつの日か、このしくみが
苦しみを、ではなく
懐かしさをもたらしてくれるたしかな予感がある
自分の置かれたさだめを
厳しいものだと身をすくめてはいたが
不幸だと思ったことはなかった
不幸と思いなすと
息子の生の証すべてを否定してしまうような気がして
苦しみや
哀しみは
いっぱいあったが
絶望もせず
地獄だとも
不幸だとも
思わなかった
外に向けられた怒りは
ただたまらなくなって
一抱えもある重い石を
発作的に外に放り出した
それだけ
今は、取り戻しつつある日常と
聞こえないほどの通奏低音をひびかせる軽い鬱
そして、出会いがしらの哀しみ
の日々
(※ハンガリーの詩人ペテーフィ・シャンドル「希望」より魯迅が引用、竹内好訳)
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