◇2008年3月号◇
【近つ飛鳥、風土記の丘風景】
[見出し]
今月号の特集
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
定年退職
マルセ太郎作「花咲く家の物語」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2008.3.1
「賢治先生がやってきた」(新風舎文庫)
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を新風舎文庫から
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生』と『ざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
まだ舞台にかけられたことがありません。
(どなたか舞台にかけていただけないでしょうか。)
もっとも三本ともに、
読むだけでも楽しんでいただけると思うのですが。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。このホームページを見られて、
どうしても手に入れたいという奇特な方がもしおられたら、メールをいただければ、ご購入していただけます。
そういった事情で、本の宣伝はここでしかできませんので、いましばらくこの欄は残しておきます。
目障りかもしれませんがご容赦ください。
2008.3.1
定年退職
いよいよ定年退職です。とくにこれといって感慨もありませんが、
これからどうしていくのか、一抹の不安があります。
ふり返って
教師というのは、やはり独特な職業だと思います。教師というのは立場に関係する職業です。
この立場というのは、それこそ生徒の言いぐさをまねれば「びみょう」なものです。
どのような立場で生徒と向かい合うのか。
この十年ばかりは、私の中に迷いがありました。それはやはり立場の迷いであったのです。
ふり返ってみると、教師としてその迷いが生じたのは、自分の年令が、生徒の保護者の年令を越えたときです。
勤めた当初は、高校生からすれば兄貴の年令の教師という立場で生徒に接することができました。
40台は、親と同じような年令の教師という立場。それが、五十歳をすぎると、
もはや親の年令を越えています。
そうなると教師という立場だけでやっていかなければならない。何ものでもないただの教師。
それでいいではないかと思いつつ、どこかに違和感があって、
その違和感は、ここ十年吹っ切れなかったのです。養護学校だからでしょうか。自分でもはっきりはわかりません。
ただ、明らかなことは、教師は生徒の年齢に近ければ近いほど有利であるということ、これは残酷な事実でした。
技量や情熱以前に、年令の近しさが、生徒を惹きつけるということを思い知らされることが多かったのです。
そういった背景があって五十歳を越えたときの、戸惑いというものもあったように思います。
教師という立場だけではやっていけない中途半端さがあったということでもあると、反省しています。
現場を離れるってことは?
現場を離れるわけですから、「うずのしゅげ通信」の内容も変わっていくだろうと思います。
現場から離れるというのは致命的なことです。この現場の感覚はとても大切なものだからです。
定年が近づくにつれて、いろんな出来事が
私の側を素通りしていくような感じがありました。それが、いよいよ定年となると、自分自身が
その現場から離れるわけですから、教えるといったことの感度が鈍るのは当たり前です。
そうなると、このホームページの存続についても考えなければなりません。
いましばらくは、
脚本のホームページということで続けますが、
近い将来、新しい話題に向けて舵をきっていかなければならないと思います。
「うずのしゅげ通信」は?
実数はわかりませんが、「うずのしゅげ通信」を定期的に読んでいただいている方は、そんなに多くはないはずです。
それでも、文章を推敲して少しでも発見のある内容にしたいと心がけてきました。一応は……。
その心がけということに関連した味わい深い文章を見つけました。詩人の荒川洋治さんが、
詩の読者について書かれたものです。(「詩とことば」(岩波書店))
「詩は、読まれることをほんとうには求めていない。人に読まれないからこそ、詩は活きることができる。(中略)
読まれないことは、わかっている。そのうえで、考える。もし読まれたら、どうするのか。
突然、誰かが路地裏の店に入ってきて「見せてください」といわれたとき、腐った林檎を出すわけにはいかない。
そのときのために、少数の人のために、きびしい目をもつ人のために、はずかしいものは書けない。用意だけは、
しておかなくてはならない。詩は個人のことばとはいえ、その個人のことばであることに甘えない、
しっかりしたものを書いておかねくてはならない。そのために、ものを考える。ことばを吟味し、新鮮な、意味の
あるものにしておく。それが心得であると思う。」
りっぱないい文章だと思います。とてもこんなふうにはいきませんが、こういった覚悟に
少しでも近づけたらと考えています。
そのために、
私はこの文章を次のように読み替えて信念にしたいと思います。
「ホームページは読まれることを求めてはいる。少数であっても読まれるからこそ活きることができる。」
「突然、誰かがホームページに入ってきて、
「見せてください」といわれたとき、腐った内容を見せるわけにはいかない。
そのときのために、少数の訪問者のために、きびしい目をもつ人のために、はずかしいものは書けない。
用意だけはしておかなくてはならない。」
そんなふうに出来るかどうかはわかりません。ただ、そう心がけたいとは思うのです。
で、退職後どうするの?
これから、どうしようか、悩む毎日です。
先日(2月17日)の朝日新聞「ひと」欄にINAX名誉会長の
伊奈輝三さん(70)のことが紹介されていました。
伊奈さんは、会長を退いた後、中部国際空港で集回案内ボランティアをしておられるそうです。
「世の中の役に立ち、自分も成長する」という信念のもと、
ビジネスで身につけた英語で、夜7時から10時まで、外国からの旅行客を案内されているのです。
さらに、中国語も勉強しておられます。
リタイアしたのを機に、あごからもみあげにひげを蓄えはじめたそうで、
写真を見ると、なかなか似合っておられます。
どう思われますか、すごい人ですね。
社長、会長と言われた人でも、こんなボランティアができるのですから、
まして私などは、意志しだいで、いくらでもボランティアはころがっていそうです。
ちかごろめずらしく明るい話でした。
2008.3.1
マルセ太郎作「花咲く家の物語」
マルセ太郎作の喜劇「花咲く家の物語」を観てきました。
建国記念日の2月11日、場所は阪急京都線崇禅寺駅前の飛鳥人権文化センター。
石川県金沢市にほんとうにあった知的障害者の
グループホーム「若人の家」をモデルにした群像喜劇と言えるかと思います。
劇では「若草の家」となっていますが、その家の杉田夫妻と共同生活している若者たちの物語。
軽度の知的障害をもつ彼らの日常、職場の問題などを横糸に物語は広がり、「おかあちゃん」と呼ばれる
杉田陽子が乳ガンにおかされていて、やがて亡くなっていくという時間を縦軸に、劇が進行していきます。
6人の若者(勝、博、健、耕治、春男、隆志)は、障害からくる個性を越えて、なおそれぞれ充分に個性的です。
それぞれがまさに私が勤務する学校の卒業生。
放浪癖のある勝の家出、マドンナの登場、博の暴力などで日常生活が過ぎ去る中、「おかあちゃん」の乳ガンが悪化して、
グループホームは解散せざるを得なくなります。
最期を悟った彼女は自分の生き方を若者や家族に見せつつ亡くなっていきます。
一周忌に集まった家族や若者たちを迎えて桜の花が咲き誇っています。彼女の思いが若者たちによって
花開いたかのように。そこに「花咲く家の物語」と題された理由もあるようです。
以上簡単に紹介した劇の筋は、「若人の家」の実話にもとづいています。
二点、私を驚かせたことがあります。
一つはマルセ太郎が、最初と最後に登場すること。もちろん、マルセ太郎は亡くなっていますから、
松元ヒロ演じるところのマルセ太郎です。生前は、本人が演じていたようです。
劇のとっかかりの紹介に松元ヒロが登場し、そのまま彼は劇中のマルセ太郎になり、「若草の家」を訪ねくるといった設定です。
そこで、披露される
マルセ太郎の芸が最初のつかみとしての役割を充分果たしています。
最後は、一周忌の場面で登場して、「おかあちゃん」の思い出を語ります。
つまり、彼は、はじめとおわりの場面に登場して劇をひとつのまとまりとして締めくくります。
自分の個性、存在感を充分計算し尽くしたおもしろい構成だと感心してしまいました。
マルセ太郎を演じる役者も、それだけの芸と存在感を求められるわけで、
そんじょそこらの役者ではできないと思います。松元ヒロさんの演技は、
そういった要求をみごとに演じきったすばらしいものでした。
もう一点、それは障害者の描き方に関わっています。
朝日新聞(2008.2.10)「障害者のありのまま知って−マルセ太郎の喜劇「花咲く家の物語」−」にこんな
エピソードが紹介されています。
「寅さんが好きな健を演じる浅地直樹さんは、「知的障害者の形態をまねして、悪ふざけに見えてしまったらどうしよう」
と考えた。でもマルセに「一つの個性としてやってみればいい。外見より内面をしっかりとらえて」と助言され、
ふっきれた、という。」
「障害を個性として演じる」、それがマルセ太郎の考え方だったようです。
「障害を個性とみる」ということは、よく言われることですが、これがなかなかむずかしい。
しかし、この劇ではそれがみごとに成功しています。「障害を個性として演じ」られているのです。
だから、一番物知りの吉村君(?)はあまり個性的ではなく影がうすいように思います。
障害を個性として演じるために、マルセ太郎は「若人の家」を訪ねたときに、ホームの若者たちを一人一人を
障害者としてではなく、個性的な一人の人間としてじっくり観察していたのではないでしょうか。
パントマイムを演じるためには、まずはその人の本質を見抜いて、そこから発してくる形態をまねる、
彼が職業にしたパントマイムによって培われた観察眼が、そこでは活かされていると思います。
その結果、知的障害者と言われる若者を6人も登場させて、それぞれの個性とともに、障害をもまた個性として描き分けている、
それがまぎれもなくこの劇の収穫だと思います。
私も、生徒のために劇を書いていて、一番むずかしいのが登場人物を描き分けることです。
おそらく成功した例はほとんどないのではないかと思います。
しかし、マルセ太郎はその造形に成功しています。
障害を個性として描くという考え方、またパントマイムで磨かれた観察眼、
これらが相まってこの劇の成功をもたらしたと言えそうです。
劇としての完成度という観点から見れば、いくつかの瑕瑾はあるようにも思うのですが、
上記の一点において、それらの欠点を補ってあまりある劇になっていると考えます。
若者たち6人の演技もたいへんよかった。私が勤務する高等養護学校の卒業生を髣髴とさせました。
「いるいる、そんなやつがいたなあ」とか、「あの甘ったれたしゃべり方は彼にそっくりだ」とか、
そんなことをつぶやきながら観ていました。あまり不自然さを感じるところがなかった。
そういったすべてのことが相まって、私にとってはすばらしい収穫でした。
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