◇2008年7月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
[見出し]
今月号の特集

文庫本「賢治先生がやってきた」

順を生きる

三木卓編・解説「詩の玉手箱」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2008.7.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。


2008.7.1
順を生きる

 順を生きる

自閉症のT君を詠んだ拙作

心閉ざす自傷の終(つい)に打ちつけし額の傷よ百毫(びゃくごう)の位置

彼らは、視線が合わなかったり
反響言語があったり
誤解されることも多いが
深く本質を生きているということが
今にして分かる
時間割が変更されるだけでパニックをおこすのも
百年分のカレンダーを脳裏に抱えて瞬時にめくれるのも
ことばをくりかえすのも
すべて順へのこだわりの深さゆえ
順を生きるのは
それが本質を生きることだから

生きてゆくには
順がすべて
それこそが唯一、生の真実
今にして分かる
生き死に、にもそれはある
それが狂えば
パニックにもなろう
息子をなくしたとき
私は
順が守られなかったことにパニックを起こして
見えない壁に額を打ちつけた
T君のように額の傷はないけれど……

守られてこそ意味があるもの
そこから時間を刻みだし
DNAをなぞって生命を生みだすもの
世界を統(す)べているものといえば

これをおいてほかに何があろうか

それこそは守られねばならないもの
だれにおいても
私においても

   (注:「百毫」というのは、仏の額の白毛)


 いのちの穂先で

「だれでもよかった」と言って人を刺殺する事件が増えている
人はいのちをみちづれに生きているので
いのちをみちづれに生きられなかったから
いのちをみちづれに死んでゆきたいのか

人はいのちをみちづれに生きているので
死ぬときは一人でゆけるのではないか
いのちのみちづれに、死んでみせようがために

あるいは
人はいのちをみちづれに生きているので
残されたものの想いが深ければ
死は、いのちをみちづれにしないともかぎらない
だから、もう手を放せばいいのだ
さよなら、と
そして、お星さまになったんだと
子どものように、口ずさんでみる
(この言いぐさ、なめんじゃねぇぞ)
死ぬってことは……
いまわのきわに
細りゆくいのちの穂先で
おのが天球に穴を穿つこと
そんな気がしないか?


2008.7.1
三木卓編・解説「詩の玉手箱」

最近読んでおもしろかった本、二冊。
まず、三木卓編・解説「詩の玉手箱」(イソップ社)。
三年ばかり前に、読売新聞に連載されていた「三木卓さんと詩を読もう」をまとめたものだそうです。 取り上げられている詩はすべて心に残るいい詩ばかりですが、中でも気に入ったものをひとつ 引用させてもらいます。

  微風
           伊藤桂一

 掌にうける
 早春の
 陽ざしほどの生甲斐でも
 ひとは生きられる

 素朴な
 微風のように
 私は生きたいと願う
 あなたを失う日がきたとしても
 誰をうらみもすまい

 微風となって渡ってゆける樹木の岸を
 さよなら
 さよなら
 と こっそり泣いて行くだけだ

伊藤桂一といえば、私などは、直木賞を受けた「螢の河」の作家として記憶しているのですが、 詩人でもあられたのです。
それにしても、この詩は、やさしい詩ですね。

 陽ざしほどの生甲斐でも
 ひとは生きられる

しかし、ほんとうなのでしょうか?
ここで問題になっている生甲斐は、親しいものを亡くしたとき、浮上してくる問いそのものだと思います。 何もかもが価値のないものに思えて、生きる意欲をなくしたとき、「陽ざしほどの生甲斐でも」生きていけるのでしょうか。 そうであってほしい。そうでありたい。

 あなたを失う日がきたとしても
 誰をうらみもすまい

これもなかなか難しいことです。うらみは哀しみを濁らせます。そして、たとえうらみをまぬかれても、 悔いからのがれることができるでしょうか。 人間のどうしようもない性のようなものを感じてしまいますね。

そして三聯。 「さよなら/さよなら」という表現が、何でもないようでいて、作者の技量を感じさせます。 「さようなら/さようなら」では、様にならないのですね。
上記の詩(のようなもの)でも、「さよなら」を使ってみました。
昨今はやった「千の風になって」では、死者が風となるのですが、この詩では生者が微風なのです。
心に残る、とてもいい詩ですね。
こんな詩がいっぱい詰まっていて、柚木沙弥郎さんの挿絵もとてもやさしい、すばらしい詩集です。 本屋さんで一度、手にとって見てください。

もう一冊は、内山節著「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(講談社現代新書)。
久しぶりに内山節さんの本を手にしました。 かなり前、養護学校に転勤したころ、いまの社会は障害者にどんな仕事を用意できるのか、 といったことを考えていて、 内山さんの本を読んだことがあります。
あれから、もう二十数年たったのです。夢のような気がします。
それはともかく、今回紹介する著書、発端はこうです。
「かつては、日本のキツネが暮らしている地域では、人がキツネにだまされたという話は日常の ごくありふれたもののひとつだった。……ところが一九六五年頃を境にして、日本の社会からキツネにだまされた という話が発生しなくなってしまうのである。一体どうして。」
内山さんは、群馬県の上野村に住んでおられるのですが、釣りが好きであちこちに出かけては「なぜこの地域では、 一九六五年頃から人がキツネにだまされなくなったのか」と聞いてまわります。
本を読みながら、私も自分の村のことを考えていました。何しろ私の家は、いつともしれないご先祖さまから もう何代にもわたっていまの村に住んでいるのです。だから、私としては 村のことならお任せ、と言いたいところですが、あらためて考えてみると、村の生活やら習慣など、 ほとんど何もわかっていないということに気がつきます。
大学生になった頃に、一度村を捨てたのです。実際に村を捨てて出て行ったということではなくて、 精神的に村を疎んじて離れたのです。
そんな村人(?)の私ですが、それでも幼いころ(小学生のときか)、 「誰それさんがこしょれのあたりでキツネにだまされたそうや」 という話を聞いた覚えがあります。知らないうちに田んぼの中を歩いていたというのです。 村はずれの辻に「上ノ太子まで一里半」の道標が建っています。 そこから北に上ノ太子に向かう狭い旧道が延びています。 山裾をなぞるようにしてしばらく歩くと「こしょれ」に出ます。山が出っ張っているあたりに 「腰折れ地蔵尊」がまつられています。 地蔵堂は、旧道から三歩ばかり登った場所に山肌を穿ってはめ込まれてあります。 だから、お詣りしようとすると、あまりに狭いために 腰を屈めなければなりません。そんなところから、腰折れ地蔵尊という名が付けられたようです。 またその呼び名にちなんで、 そこらあたりを「こしょれ」と言い慣わしてきたのでしょう。地蔵堂のあたりは、樹木がうっそうと迫り、 灌漑用の大きなため池もあって、 いかにもキツネが出てきてもおかしくないさみしい場所です。そういえば、「こしょれ」でキツネにだまされた、 という話は何度も聞いた覚えがあるので、伝統的にだまされやすい場所であったのかもしれません。 あるいは、「こしょれ」には古株のキツネでも住み着いていたのか。
中学生になって、クラブ活動などで、たまたま夜遅く自転車で帰るとき、車道から遠く 「こしょれ」のあたりに灯火がチラチラしていると、キツネの灯かもしれないと、 おそろしい気がしたものです。
その後、「こしょれ」の近くの山を造成して、大阪芸術大学が移ってきてからは、 ぱったりとそういった話を 聞かなくなりました。それは、著者も指摘するように1965年頃ですが、 私の村の場合は、芸大の造成といった事情もあるので、他の地域とはすこしちがっています。ただ、それ以前には、 キツネにだまされたという噂が流布していたことは確かです。
ということで、村に住み続けてきた私としては、自分史と重ねて、自分の村の歴史として読みました。
私の誕生から、小中、そして高校と、表面的にはほとんど変わることなく、 百年一日のごとく続いてきた村の生活、それが、キツネにだまされなくなった1965年頃に、 変わったのではないかという内山さんの仮説は、 自分の村のことをふり返るきっかけを与えてくれるものでした。
そういえば、乞食さんを見なくなったのもそのころではないかと、いろんな事例が浮かびます。 村社会が変貌するとともに、乞食さんを村で養うというそれまでの伝統が廃れていったのかもしれません。
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という興味深い問いかけにたいして、 どういった答えが準備されているのか、これはもう読んでもらうしかありません。
途中、読みづらいところもありますが、そこはガマンして読み通せば、 最後には、なるほどと納得半分、なお考え込んでしまうような微妙な結論が待ち受けています。
ぜひご一読を。

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