◇2008年8月号◇

【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
[見出し]
今月号の特集

文庫本「賢治先生がやってきた」

追悼論文集

六十三年の距離

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

ご意見、ご感想は 掲示板に、あるいは メールで。


2008.8.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。


2008.8.1
追悼論文集

  追悼論文集

恩師二人によって編まれた追悼論文集をいただく
ハードカバーのものが二冊
息子の嫁と私たち夫婦がそれぞれ一冊ずつ
布表紙の手触りを確かめて
遺影に供える
後日、ソフトカバーのものが届けられる
関係者に寄贈されたものの残部、十数冊

「死んだ人は、みんな言葉になる」
というのは寺山の妻の言葉だったか?
息子の言葉は、さしずめ論文
これも言葉にはちがいないが、むずかしい
私たち「遺族」の慰みのためにも、と編まれたのでもあるが
残念なことに、私に研究のことはわからない
家族のこれからを支える誇りとも
息子をしのぶ縁(よすが)ともなるべきものなのに。
私にできるのは、ただ遺影の前に座ること
そうして耳をすませているとおのずからのざわめき
これらの論文についやされた息子の人生のひととき、
すなわち命そのもの、の息吹か
その吹きかえしか
そうだ
その息吹もそえて
彼の友人たちにこの本を贈ろう


2008.8.1
六十三年の距離

先日(2008.7.27)NHKの日曜美術館で、「石内都が撮る広島の傷跡・一年半の記録」 が放映されていた。 石内都さんは、被爆遺品、とくに被爆者が着ていた衣服を撮影し続けているのです。
すでに六十三年をへたあの事実にこんなふうな近づき方があったのかと、衝撃を受けました。
熱線をあびて引き裂かれた衣服が、倉庫から持ち出され、 ライトボックスの上に広げられ、写真に写されていきます。
石内さんは、番組のはじめに原爆の遺品を撮る意味について、つぎのように述べておられます。
「過去じゃない、今、今の時間を撮っている。 だから62年間、ね、現実的には62年経っているその時間の長さだったり、重みだったり、 それが形として遺品という形をしているだけ、息をしている、生きている同じ時間として私は撮っているだけ ですよね。」
そんな石内さんのレンズの中で、 襤褸にもひとしい衣服が、あたらしい意味を帯びて存在を主張しはじめます。 ただ、古びた衣服ではなかったのです。
被爆した衣服が、六十三年の時間を越えて訴えてくるのです。

いま、六十三年をへたヒロシマに近づくことは並大抵のことではありません。
多田富雄さんは、新作能「原爆忌」で夢幻能といった形式の力を借りて、原爆の犠牲者をよみがえらせておられます。 また、井上ひさしさんが戯曲「父と暮せば」を書くに到るまでには、被爆者の書かれたものを読み抜いて、読み抜いて、 それを幽霊の父との会話の中で採用するといった方法で劇化を試みられました。
同列に論じるわけにはいきませんが、私もヒロシマの劇を書いています。
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』という奇妙な題をもった劇です。
私もまた、ヒロシマを劇化したかったのですが、そこに近づくすべがなかった。 苦しまぎれに、あるときふと思いついたのが、宮沢賢治のことです。それまでにも 宮沢賢治が賢治先生としてよみがえり、養護学校に赴任してくるといった設定の脚本をいくつか書いていました。 宮沢賢治なら、六十三年前のヒロシマを、今のこととして体験できる立場にいるということに気がついたのです。
宮沢賢治が、地球から六十三光年離れた銀河鉄道の駅にいたとします。そこで、望遠鏡で地球を覗いているとき、 ヒロシマの閃光を地球が発したかすかな光として目にするのです。 宮沢賢治は、ヒロシマの原爆の閃光を今、この瞬間見たのです。原爆の事実を今知ったのです。この今、というのが 劇化には大切なことに思えました。
こういった設定をすることで、原爆を今の問題として表現できるのではないかと考えたわけです。
それが可能なのは銀河鉄道の宮沢賢治という立場だけ、それを発見したことに、私は興奮していたと思います。 その興奮にまかせて、ほとんど一気にこの戯曲を書き上げたのです。
もう八年も前のことです。書き上げて限界もまた明らかになりました。 時間的には、まるで詐欺のようにヒロシマの今を現前させて、観客をヒロシマの今にひきつけたとしても、 場所的にはヒロシマと六十三光年離れているわけです。 六十三年の時間と距離を同時に埋めることは不可能なのです。たんに時間を距離に置き換えただけ。 何か無力さを感じずにはおれませんでした。
しかし、時間を距離に置き換えて、今の問題にしただけでも、いろいろと見えてくるものはありました。
すくなくとも安っぽい被爆再現の舞台になっていないことは事実です。 どんなふうに仕上がっているのかは、脚本を読んでいただくしかありません。
昭和天皇やアインシュタインも登場する二人劇で、歴史解釈の問題も含んでいて賛否両論あるところ、 感想を聞かせていただけたらありがたいです。
追補
考えるまでもなく、宇宙の今というのは過去が層をなして積み上げられたものということもできます。 過去の星からの光が今到着している。今はその重なりでしかないのです。
賢治も『銀河鉄道』の中でそのことに触れていますし、また『クラムボン』でも、ヒロシマの光が星の光と層をなして 埋まっていて、それを掘り出すという逸話の形で出てきます。
そもそも今というのは何なのかと、あらためて考えてしまいます。今というのは、あたりまえのようでいて、ふしぎなものですね。


綴じ込み付録

  悪性

人はもともと悪性のものをもっていて
どうにかするとそれがふき出てくる
この歳になってそんな単純なことがはじめてわかった

悪性といってもいったい何が悪性なのか
人がかってにおのれに都合の悪いものを悪と決めつけただけ
視点をかえれば、何が悪だか、何が善だか、わかりはしない

だから、それをたとえば無表情にA性と言ったって何の不都合もない
人の身がってを削いだぶん素直に受け容れられるというものだ

それにしても
人のA性はかぎりなく深いものだ
骨の髄までたっしている
それに比べるにB性はどうだろうか
B性は、その性(さが)がまずはっきりしない
正常そのものから生じた異物のうち命に別状がなければB性といえようか
が、ことはそう簡単ではない
B性であっても取り扱いによっては命取りになることだってあろう
峻別に意味がないわけではないが
ともかく、おのが本来のA性とB性の拮抗を生きて
精神の深みにかえうるかどうかだ

私が思うに、その拮抗をもっとも徹底して生きたのは親鸞
清濁併せのむところから生まれたればこそ、あの思想の深み
面構えがああでなくてはとてもとてもあの拮抗、持ちこたえられるものではない
私などは拮抗どころか
ちゃんと右手でB性を磨いてきたか
あるいは左目でA性を見据えてきたか
純粋なB性に囲まれて、おのれのB性を錯覚してきただけではないのか

しかし、それですむわけのものではなかった
私の内部に巣くっていたA性は、B性の仮面をやぶって突如としてふき出してきた
私の場合はそれが大腸だったわけだ
キノコの形にふき出てきたので根っこから切り取ってもらったが
ファイバースコープに写ったA性の面構えはそうとうのものだった
それは、私に、A性を確信させた
電熱線で焼き切られるときの充血した表情に気おされたわけではないが
切り取るのに手間取ったこともあって
私は、そのあと貧血を起こしてしまい
寝台車で7階に運ばれて、即入院
それにしても危ういところだった
「早く見つかってよかったですね」
後日、検査結果を聞きに行った時の医者の言葉がそれを証明している

命拾いしたようなものだが
A性もまた確実におのれの内にあるという実感
それが収穫といえば収穫
この歳になって情けない話だが
残余の人生、それでおもしろくなるかどうか

「うずのしゅげ通信」にもどる

メニューにもどる