2009年6月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

カリール・ギブランの詩

河瀬直美「萌の朱雀」

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2009.6.1
カリール・ギブランの詩

星野道夫の本を一節ずつ読んで楽しんでいます。
「長い旅の途上」(文春文庫)の冒頭「はじめての冬」にカリール・ギブランの詩が引用されています。

あなたの子供は、あなたの子供ではない。
彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。
彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。
彼らはあなたとともにいるが、あなたに屈しない。
あなたは彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。
何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねてみることもできない、 夢の中で訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ……。

この詩に胸を突かれて、カリール・ギブランについて調べてみました。
星野道夫はカリール・ギブランと英語読みですが (カーリル・ギブラン、あるいはカリール・ジブランと表記される場合もあります)、 アラビア語ではハリール・ジブラーンとなるようです。 英語表示では、KAHLIL GIBRAN
インターネットで調べてみると、1883年、レバノンに生まれ、12歳で移民としてアメリカに移住したが、 15歳のとき、アラビア語を学ぶためにレバノンに帰郷する。15歳で『THE PROPHET(預言者)』の草稿を アラビア語で執筆。その後、ヨーロッパの遺跡をまわり、29歳からアメリカに永住。アメリカとヨーロッパを行き来して、 詩を書いたり、絵を描いたりの活動を続けていたが、1931年、48歳で死去。

星野道夫が引用しているのは、この『THE PROPHET(預言者)』の中の「子供について」という詩のようなのですが、 その中の「彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。」という一節の意味がわかりにくくて、 考えあぐねていると、他の訳が見つかりました。神谷美恵子さんの訳です。
そこでは、こんなふうに訳されています。全文を掲載します。

「ハリール・ジブラーンの詩」(角川文庫)からの引用です。

  子どもについて

赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をして下さい。
それで彼は言った。
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。
あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。
射る者の手によって
身をしなわせられることをよろこびなさい。
射る者は行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。

星野道夫が、一歳にもならない息子に感じた「一人の人間として生きてゆく力」に関連して、この詩を引用しているのです。 彼の引用では(おそらくは自分訳)、二連目は、「人生そのものの息子であり、娘である。」とありますが、 上に引用した神谷訳では、「生命そのものの/あこがれの息子や娘である」となっています。 要するに「いのちというもの、そのものから生まれてきた」ということなのでしょうか。
ただ、神谷訳では、「あこがれの」ということばが入っていますから、
「いのちというもの、そのものが生みだそうとあこがれて、そのあこがれから生まれてきた」
ということになりますね。
もう一つ、佐久間彪さんの訳を見つけました (カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年))。
そこでは、この箇所はつぎのように訳されています。
「自らを保つこと、それが生命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。」
これらを考え合わせると、いのちというものは、自らを生き続ける願いをもっていて、その願い、あこがれから 子どもというのは生まれてきたのだ、一行の意味はそんなふうな含みをもったものになります。
ちなみにGoogleのブック検索で調べると、「The Prophet 著者: Kahlil Gibran」の中の この箇所は、つぎのようになっています。
「They are the sons and daughters of Life's longing for itself.」

まあ、そんなところでおよその意味はわかったような気がします。
どちらにしろ、ここがポイントなのですが、なかなか一筋縄ではいきませんね。

神谷美恵子訳「ハリール・ジブラーン」(角川文庫)の中に、もう一つ「結婚について」という詩をみつけました。
なかなか考えさせられる詩ですので引用させてもらいます。

  結婚について

結婚についてお話をどうぞ、とアルミトラが言うと彼は答えて言った。
あなたがたは共に生まれ、永久に共にある。
死の白い翼が二人の日々を散らすときも
その時もなお共にある。
そう、神の沈黙の記憶の中で共にあるのだ。
でも共にありながら、互いに隙間をおき、
二人の間に天の風を踊らせておきなさい。

愛し合いなさい、
しかし愛をもって縛る絆とせず、
ふたりの魂の岸辺の間に
ゆれ動く海としなさい。
杯を満たし合いなさい、
しかし一つの杯から飲まないように。
ともに歌い踊りよろこびなさい。
しかしそれぞれひとりであるように。
リュートの弦が同じ音楽でふるえても
それぞれ別のものであるにも似て。
自分の心を(相手に)与えなさい。
しかし互いにそれを自分のものにしてはいけない。
なぜなら心をつつみこめるのは生命の手だけだから。
互いにあまり近く立たないように。
なぜなら寺院の柱は離れて立っており
樫や糸杉は互いの影にあっては育たないから。

これもまたすっと腑に落ちるといった詩ではありませんね。しかし、含蓄はなかなかに深いように思います。 「共にありながら、互いに隙間をおき、」というのは夫婦のどういうあり方を指しているのでしょうか。 そして、その隙間に「天の風を踊らせておきなさい。」というのはどういう比喩なのでしょうか。
神谷さんは、詩に添えた言葉の中に「聖なるものを中心にしての結婚観です」としたためておられますが、 「すべて象徴的である」ゆえにいろんな解釈ができる広さ、深さを秘めている詩です。
ふしぎな詩ですね。じっくり考えてみたいと思います。

追伸
神谷美恵子著『生きがいについて』
書棚にあったこの本を探しだしてきて、しばらく前に読み返してみました。自分がかなりくるしい立場にいて、 そんなに意図的であったわけではないのですが、そこから立ち直る方法を模索していたのかもしれません、 生きがいを呼び戻す指南書、ハウツー本として読んでみようと考えたのです。
その狙いはあたっていました。私は神谷さんの著作からたいへんな励ましを得ることができたからです。 それは個人的なことでもあり、詳細について書くことはないでしょうが、 『生きがいについて』の神谷さんが、星野道夫の本でたまたま目にしたカリール・ギブランの詩を訳しておられると知って なぜか嬉しかったということもあり、今回二つの詩を引用させていただきました。


2009.6.1
河瀬直美「萌の朱雀」

河瀬直美監督の映画「萌の朱雀」を観ました。
神話的な筋立ての詩的な作品だと思いました。詩的というのは、散文的ではないということであり、 つまりは言葉による説明を極端に排しているということです。 ということは、必然的に人間関係や筋を分かりにくいものにしています。 言葉も聞き取りにくいところが多く、画面に集中していないと肝心な一言を聞き逃してしまうことになります。
家族の物語である、ということは一見してわかります。國村隼演じる父親の田原孝三、 妻の幸子(和泉幸子)、娘のみちる(尾野真千子)、祖母の泰代(神村泰代)、そして みちるが「にいちゃん」と呼ぶ栄介(柴田浩太郎)、彼ら一家が吉野の山の上の家で暮らしています。
栄介が、この一家とどういう関係なのかはわかりにくいのですが、 みちるがまだ2、3歳の頃、一家でピクニックに出かけていく場面があります。
そのときの会話。

みちると栄介が、離れたところで遊んでいるのを見ながら……。
栄三(みちるの父)「姉さん、どうしよるんで?」
泰代(祖母)「しらん」
幸子(母)「お茶、いる?……大阪のアパートに住んだはるんやろ?」
栄三「おやじの三回忌にも来んかったしの……」
泰代「どうしてんやろな」
栄三「自分のことしか考えとらんのや、あいつは」
幸子「事情もあるんやで」
泰代「おまえらも小さいときはよう遊びよった。さえもあの頃はよう笑う子で、 おまえはさえのすることなーんでもまねして走りまわして、 ほんでしまいにはじいちゃんにおこられよった。…… あのころは戦争で苦労して苦労していまやっと幸せにさしてもろうとるんえ、 ほんまにじいちゃんも生きとったらな」

栄介は、ここで話題にされている栄三の姉さえの子どもらしいのです。「自分のことしか考えとらん」 と非難されているように、栄介を母親の泰代に預けっぱなしで、父親の三回忌にも帰ってこなかったというのです。

しかし、栄介が成人した現在、事情があってこの一家の家計を支えているのは、彼のようなのです。
戸主である孝三は、奈良県の五条から大塔村阪本間を結ぶ鉄道のトンネルに かかわる仕事をしていたのですが、その工事が中断したことから失業し働く意欲を失くしています。なぜか、8ミリ フィルムで村人や村の行事を撮影したり音楽を聴いたりで日々を過ごしているのです。
栄介の収入に頼らざるをえない妻の幸子は旅館に働きに出ます。 しかし、そんなに丈夫でない幸子は、慣れない仕事に疲れがたまって倒れてしまいます。 妻が家で養生している中、孝三は8ミリの機材を持って家を出ます。かつて仕事でかかわったトンネルを訪れて、 そこでみずからの命を絶ってしまいます。後には8ミリの撮影機とフィルムが残されます。
孝三がいなくなることで、幸子とみちるは、幸子の実家に帰ることになり、一家は離散していきます。

村の命綱と考えられていた鉄道の敷設が中止になって、働く意欲を失っている栄三が、 やがて自ら死を選んで家を出て行くまでの経緯を縦軸に、 それに交叉するようにして、みちるの栄介にたいするほのかな恋心と、一方栄介の幸子への思慕が 横軸を織りなしています。みちるは、栄介の心が幸子に傾いていることを知っています。知ってはいるが、 自分の心をどうすることもできないようなのです。 そのあたりの機微はかなり念入りに描かれています。
幸子が、栄介が勤めている旅館に働きに出ることが決まったとき二人の寝床で交わされる会話の中に、栄三が幸子の職場について 「あいつおったら安心や」というセリフがあります。
「栄介がいる旅館なので働くのも安心だ」という意味ではあるのですが、どこか言外に、 これからの人生でも「あいつがおったら安心や」と幸子に言い含めているような響きも聞き取れるのです。
彼は、栄介が幸子を慕っているのをひそかに許していたのではないかと邪推までしてしまいそうです。
考えすぎでしょうか。栄介が母親代わりに幸子を思慕しているのを、栄三は許していたのではないでしょうか。 彼が、みずから死を選ぶ背景にそのことが影響をおよぼしているのかもしれない、という推察も捨て切れません。
泰代もまたそのことに気づいていたのではないのでしょうか。
栄三が亡くなってしばらくして、幸子がでかける後を栄介がつけていく場面があります。雨が降ってきて神社で雨宿りします。 そこで、おそらく何かがあったのかのかもしれません。いや、おそらく栄介は拒まれたのです。 それらしい危うさを表す描写もあります。 (そう言えば、あのとき、栄介は幸子のことを「ねえちゃん」と呼びかけています。)

そのとき、栄介がつけてゆくのを、みちるは屋根の上から眺めています。栄介の気持ちは、みちるにも理解できたはずです。
また、泰代は泰代で、雨がふってきそうな天気なのに、いつのまにか家に誰もいなくなったことを気にしています。 泰代は、しばらくして雨に濡れて帰ってきた二人の様子から何かを感じ取ったのです。 だからそれからしばらくして、 彼女は、幸子に「しばらく実家へ帰るけ? ここはつらいやろうし……」と家を離れることを 勧めたのではないでしょうか。
みちるは、栄介の気持ちを知りつつも自分の心を抑えることがでいません。 彼女は、幸子の実家にいっしょに帰る決心をした夜、栄介の部屋をおとずれて告白するのです。
「栄ちゃん、……あんな、すきやねん、でも、行くわ、お母ちゃんと……」
この三角関係は神話的ともいえる普遍のテーマです。「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを 獲得したのもそのあたりに理由がありそうだと推察されます。
鉄道の敷設中止で働く意欲をなくして、みずから死を選び取っていくといった 縦の筋は分かりにくいものですが、一方、みちると栄介、栄介と幸子の三角関係は、 神話の原型をなぞっていて普遍性を持ったテーマであり、世界の人には理解しやすいとも言えそうです。

もう一つ、登場する俳優の表情が、感情の表出をほとんど抑えています。 幸子を演じた和泉幸子など、つねに能面のような顔で演じ続けます。泰代役の神村泰代も表情を崩すことはありません。 ほとんど内面の起伏をうかがうことはできません。
能のようなゆっくりとした時間の中を、能面をつけたような登場人物の演じる悲劇が、詩的に 最初から最後まで一貫して展開していきます。 それだけにわかりにくいところが多々あります。それもしかたないことなのでしょうか。
孝三が死におもむくときも、彼はほとんど無表情で通します。こんなふうに無表情に死ねるものなのでしょうか。 また、幸子や泰代のように能面のような無表情で、 身近なものの死に耐えることができるのでしょうか。
私たちは、むかしからそんなふうにして、能面のような顔をして生きてきたのかもしれない、 いまもまたそんなふうに生きていくしかないのかもしれない、ふとそんなふうな思いに誘われてしまいます。
そう、私たちも、こんなふうな能面のような顔をして生きるしかない、それ以外にどうしようがあるのか、 能面でなくてどうして耐えることができようか。
そんな感慨とともに、この詩的でわかりにくい映画を見終わったとき、理解しにくい映像から解き放たれた解放感とともに、 何とも言えない悲しみに充たされている自分に気がついたのでした。この映画の力はまぎれもないもののようです。

一つの疑問が残りました。「萌の朱雀」というのはどういう意味なのでしょうか。ご教示下さい。

追伸
以上のとおり書き上げてインターネットで検索していると、(「碧水ホール・インタビュー1997」というホームページに ) 河瀬監督のインタビューがあって、そこで「萌の朱雀」に ついてご自身がつぎのような説明をされているのを発見しました。

「萌はですねぇ。萌え黄色の萌で、淡いグリーンの感じで、 若葉が芽生えるときの感じを現わしてるんですけど。うーん、 すごい生命力あるじゃないですか。その色がすごい好きなんですよ、わたし。 ほんで、そういったね、まだ小さいんだけど、これから息づいていく命っていうものの強さを、 ちょっとそのへんで表現してまして。わかりやすいのは朱雀のほうなんですが、 南の山を司る神さんなんですね。朱雀神(すざくしん)っていう。 中国の四神に乗っ取ってるんですけど。吉野山脈が奈良県のなかでは南の山脈で、 朱雀の神さんがおるということとして、 朱雀の神さんの目線で彼らをとらえているというようなことなんです。」

うーん、しかしこの説明分かったような分からないような……。


2009.6.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、 宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で 上演されています。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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