2009年10月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
祝祭としての授業
出不精
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2009.10.1
祝祭としての授業
祝祭としての授業
振り返ってみると、竹内敏晴さんの著書には、たいへんな影響を受けてきました。
特に初期の著作である『ことばが劈(ひら)かれるとき』は、すでに教師であった私を揺るがし、
生徒への向き合い方、あるいは〈教える・学ぶ〉ということの意味など、
根本的に考え直さざるをえないところに追い込んだのです。
養護学校に勤めるようになると、竹内敏晴さんの影響は、さらに身近なものになりました。
ふだんの授業をどうするか、あるいは、障害児教育の中で
行事というものをどう位置づけるか、とくに文化祭のメインイベントである劇というものに
どういうふうに取り組めばいいのか、
そういったことを考えるときに、竹内さんならどうされるかといった問いかけに欠かせないものになっていました。
竹内さんのいくつかの著作から学んだことは、人間は、まるで精神が中心であるかのように思いなしていますが、
とんでもない誤解で、あくまでも体があっての人間である、というあたりまえの事実に目を開いてくれたことです。
教育の場で言えば、人を教えるということは、体まるごと教えるということであり、また、
人を動かす、感動させるということは、単に精神を震わせることではなく、体を動かすことなのだと、私は
そんなふうに了解したのです。体を動かすためには、知識であれ、感動であれ、それを与える教師の側もまた、
体を使って何かを発する必要がある、ということです。
竹内敏晴さんの考え方は、障害を持った子どもたちの教育にとっても大切な要素を多く含んでいます。
というより、ことばもままならない彼らを動かしていく方法のヒントがそこでは具体化されています。
障害児教育に携わる教師にもファンが多いというのも、そういったあたりに理由があるのだと思います。
そのためか、国立特別支援教育総合研究所(前の国立国立特殊教育総合研究所)の研修プログラムにも、
竹内敏晴さんのワークショップが組み込まれていると聞いたことがあります。ふだんは研修など敬遠していた私ですが、
そのワークショップの話だけは羨ましかったのを覚えています。
そんな竹内敏晴さんが亡くなられて、追悼文を見田宗助さんが
朝日新聞に書いておられます。
「祝祭としての生命探求」と題したその追悼文からの引用です。(2009.9.16 朝日新聞)
「竹内は演出家であり、生涯にわたって演劇の人だった。けれども竹内の名が広く知られているのは、
『ことばが劈(ひら)かれるとき』をはじめ、言語論、身体論、教育論、近代社会論などの領野を一気に
貫通する、独自の具体的な人間論においてであった。とりわけ教育の世界に竹内の愛読者は多い。
〈祝祭としての授業〉という竹内のキー・コンセプトは、多くの教育者たちに新鮮な視野を開いた。」
すこしおこがましい気がしますが、私もまた「新鮮な視野を開」かれた教育者の一人でした。
教師を退職した今でも、〈祝祭としての授業〉などと聞くと、何だかわくわくしてきます。
お祭りだから、その授業は、頭だけで参加するものではありません。体ごと参加して、心が高揚し、
体もまた酔ったように活性化する。ちょっとでもそんな授業ができたら、というのが教師としての私の理想でした。
高等養護学校では、その試みの場の一つが文化祭でした。
私は、文化祭の劇を、一つの〈祝祭としての授業〉と捉えていました。
生徒たちのためにいくつかの脚本を書きましたが、そのときの心構えは、次のようなものです。
このホームページの「前口上」から引用します。
前口上
劇をつくる
養護学校の生徒
一人ひとりの顔を思い浮かべて
文化祭の脚本を書く
皆が台詞をもって
舞台に立つ
ことばはいのちそのもの
観客の視線を浴びて
一言の台詞を放つ
それがやがて
どれだけの収穫をもたらすか
たとえ棒読みでも
ぎこちなくても
輝くのは生徒たち
教師は所詮座付作者
「すべての生徒にすくなくとも一つのセリフ」
それが脚本を書くときの、唯一のしばりでした。
ことばを発することが苦手な生徒もいますが、そんな場合もそれなりのセリフ、あるいは参加の方途を探ります。
脚本を手に、生徒たちは、一週間くらい練習に没頭します。
自分でない登場人物を演じるということは、彼らにとってふしぎな経験となるはずです。その人物の気持ちになり、
その人物のことばを自分のセリフとして覚えます。セリフとともに動作も身につけます。
そして、劇の流れの中で自分の順番がきたとき、息を吸い込み、できるだけ
遠くに届くように声を押し出す練習を繰り返します。
本番はもっと大変です。出番が近づく。緊張のためのドキドキをなんとかなだめすかし、
舞台に出てゆく。照明のまぶしさに耐えて、
観客の視線を押し返すようにして立つ。セリフの瞬間、体を前に押しだし、息を吸い、会場の後ろにまで
届くように天上の暗闇に向かって自分のセリフを放つ。その心と体が一体となって発せられたセリフが観客のところに
届いたとき、それは観客の体と心を動かすのです。それしか、お世辞にも上手とはいえない彼らの劇が、
観客を感動させる方法はないのです。
そんな経験が、彼らを成長させないわけがありません。これこそ〈祝祭としての授業〉と言えないでしょうか。
養護学校での劇の取り組みについての私のこのような考え方は、竹内敏晴さんに負うところが大きいのです。
しかし、今から振り返ると、とても十分なことはできなかったと切ない後悔が残ります。
後悔はありますが、また、生徒たちや同僚の先生方と劇を作り上げていった詳細は、何ごとにも代え難い
楽しい思い出として残っています。
竹内さんには、あらためて感謝を捧げるとともに、冥福をお祈りいたします。
追伸
百マス計算とやらに没頭していて大丈夫なのかなあ。そのために、全身全霊がゆさぶられるような経験の場
が削られていく、それでいいのでしょうか???
2009.10.1
出不精
出不精の私にはめずらしく九月は出かけています。
まずは、9月6日にフォーエンジェルズの定期演奏会。
フォーエンジェルズについては、以前にこの「うずのしゅげ通信」でも取り上げたことがありますが、
私が長く勤めていた高等養護学校の卒業生が集ったバンドです。在学中から活動をはじめ、
卒業してからも週に一度、仕事を終えてからの練習を続けているのです。そして、毎年一回のコンサートを積み重ねて、
今年で13回目。懐かしい卒業生にもあえて、楽しい一時でした。
彼らのバンドは技量からいえば、とても上手とはいえないのですが、音楽を生きる、音楽を楽しむという嗜好においていは、
かなりのものがあるように思います。
技量で計れるわけではない彼らのバンドの存在意義はどんなところにあるのでしょうか。
それは、たとえば養護学校の劇にも言えることだと思います。
一つのポイントは、観客を感動させる、というところにあります。彼らの演奏や劇を観たお客さんの心を
動かす力が彼らにはあるのです。
しかし、だからといって、彼らの劇や音楽がヘタであっていいわけがありません。
あまりうまくないけれども、それは一所懸命にやっているんだから大目に見てあげよう、では困るのです。
やはり、彼らなりの表現があること、彼らの生き方が表現されていること、それにつきるように思います。
音楽そのものに、彼らにしかできない個性が刻まれていることが、
大切なことなのではないでしょうか。
そういった観点から、フォーエンジェルズのテーマソング、『仕事に夢を運んで』を評価したいと思います。
その他にも、オリジナル曲がいくつかあり、興味深く聞きました。
さらにオリジナリティーがより彼らに即したものになり、それがもっともっと聴衆に訴えかける力をもったとき、
すばらしい感動をあたえることができるようになると
考えるのですが、どうでしょうか。
ここで言っていることは、上の〈祝祭としての授業〉で劇の与える感動について述べたのと同じことですね。
そのためにも、さらにこの定期演奏会、続けていってほしいものです。
9月26日、明日香村の飛鳥画廊で、シタールの演奏を聴く機会がありました。
奏者は、Veena Ayaka (ヴィーナ文香)さん。
もちろん私はシタールのライブははじめての経験です。
その日は、飛鳥画廊でそんな演奏が聞けるなどということは夢にも思わすに出かけたのですが、
幸運なことに、シタールの演奏が組み込まれていたのです。
ヴィーナ文香さんは、二十歳過ぎの女性で、司会者が彼女を紹介されている最中も、
淡々とおおぶりなシタールの調弦を続けておられました。
紹介によると、彼女は最初はネパールに留学して、シタールの巨匠に弟子入り、
さらにインドに移って大学の音楽部で技量を磨かれたそうです。
いくつかのコンテストでも入賞しておられます。一風変わった経歴の持ち主でした。
で、シタールについて、「カボチャをくり抜いた胴」というふうに司会者は紹介されていましたが、
あとで調べてみるとカボチャもあるが、ひょうたんやかんぴょうをくり抜いたものらしいです。
弦は主要弦は7本と共鳴弦が13本。
丸いフレットが並んだ棹は結構長くて、全長150センチくらいはありそうでした。
演奏はおもむろに始まり、それまでの調弦からいつ始まったのかわからないほどでした。
そう、あの音です。ビートルズの『ノルウェーの森』で使われている弦の響き。
もともと宮廷の宴の伴奏として延々演奏される音楽であるようで、たしかにそんなふうな旋律です。
何か瞑想に誘いこまれそうな乾いた響きです。瞑想しているうちに、眠りに落ち込んでしまいそうなところもあります。
日本の三味線の音などとはまったくちがって湿っぽさがまったくないところは、気持ちよさでもあります。
仏教もまたこのような音楽を伴奏にして発想されてきたのかと考えると、何か納得されるものがあったのです。
曲名もおっしゃったのですが、覚えていません。ただ、何とも魅力的な旋律であったことは確かです。
幻想的な小一時間でした。なによりの贅沢だったような気がします。
また機会があったら、聞いてみたいという思いが後をひきました。
後日、「ReBIRTH よみがえるビートルズ」というNHKの番組を録画で見ていたら、ビートルズがシタールを弾いている
場面が出てきました。
そう言えば、私は、ビートルズのジョージ・ハリスンがシタールを学んでいる、ということではじめて
シタールという楽器を知ったのではなかったでしょうか。
2009.10.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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