2009年12月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
田辺聖子「道頓堀の雨に別れて以来なり」
ショートSF「救世主」
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
はやいもので、今年も暮れようとしています。
「思いおこせば旧年中は恥ずかしきことの数々」
まだ、旧年ではなく、「本年もまた」というべきでしょうが、「恥ずかしきことの数々」という
寅さんの嘆きは、そのまま私の嘆きでもあります。
「うずのしゅげ通信」もまた、「恥ずかしきことの数々」のうちの一つであります。
書いて満足ということはほとんどありません。
それにもかかわらず、今年もまた、多くの方々にご来訪いただき、感謝あるのみです。
最近、めずらしくショートSFを二篇、書き上げました。
テーマは以前から温めていたものです。
今年は、脚本、小説のラインナップにいくつか新作を加えることができました。それが収穫といえば収穫といえるでしょうか。
来年はどうなりますか。一編なりとも新しい作品を載せられればと願っています。
寒さもつのります。よいお年をお迎えください。
2009.12.1
田辺聖子「道頓堀の雨に別れて以来なり」
退職二年目もはや暮れようとしています。
散歩、読書、野菜作り、買い物、そしてこの「うずのしゅげ通信」の執筆、句会等々でこの一年も過ぎました。
退職日死を待つ余生にせぬ覚悟
退職間もない頃、これからの自由な生活に期待しつつも、あらためてこんな「覚悟」をしなければならないような
思いが脳裏をよぎったことも確かです。
上記の句は、川柳なのでしょうか。月並み川柳といったところですかね。
というのは、最近、田辺聖子著「道頓堀の雨に別れて以来なり」−川柳作家・岸本水府とその時代−(中央公論社)を
読み続けているのです。
上下二巻の分厚い本ではあるのですが、読み出してからもうどのくらいたったでしょうか。
何年か前に読み始めて、そのとき一気に上巻を読み上げ、下巻にはいってから途中で中断、
今年の夏に再開して、
いまにいたるも読了できていません。
むずかしいからというのではないし、おもしろくないのでもありません。気が向いたときに、
少しずつ楽しみながら、
読んでいるといった方がいいようです。
川柳作家の岸本水府と『番傘』という大阪の川柳同人誌を中心に、川柳の歴史とでもいったものを綴った小説ですから、
当然ですが、いろんな同人誌にどういう川柳作家がいて、どういう個性をもっていて、どんな作品を残したのかが、
時代を追って詳述されています。引用されている川柳の一句一句が、作者の慧眼によって選ばれたものであり、
実に味わい深いものです。
川柳を通してみた大正から昭和にかけての時代が浮かび上がってきます。
この小説、まちがいなく田辺聖子の作品としてはもっともすぐれたものであり、
彼女が超一流の作家であることを証しています。
川柳といえば、新聞で毎日眼にしていますが、この本に紹介されている川柳は、少し味わいが違うように思います。
何といえばいいか、時がたっても色あせない川柳、とでも言うか、時事詠で、
しばらくすると意味やニュアンスが通じなくなる、
といった川柳ではなく、もっと生活に根ざした普遍的な喜怒哀楽を詠んだものとでも言えばいいでしょうか。
たとえば本の題名にもなっている、
〈道頓堀の雨に別れて以来なり〉(岸本水府)
この川柳、なかなか味わい深いものだと思いませんか。いろいろ想像を逞しくさせる機微があります。
さらに、現在読み進めているあたりからいくつか紹介します。
〈生きんには病と金に疲れたり〉(蚊象)
〈春の夜をわさびを抜いた鮓(すし)を提げ〉(愛日〉
〈人間の歯をむきあつて金のこと〉(萬楽)
〈娘もうほんまのおいどして歩き〉(五葉)
〈内証の百円札がよごれて来〉(南北)
〈大阪の葱がおいしい旅戻り〉(波濤)
……………
〈引用しても引用しても尽きぬ佳句〉(洋)
最後尾は私の戯れ句ですが、ほんとうにいくらでも引用したいいい句が満載です。読んでみてください。
この本には、あまたの川柳作家が登場しますが、際だって異彩をはなっているのが鶴彬(つるあきら)です。
東京の『川柳人』という同人誌に寄った鶴彬の活動が手に取るようにわかります。
鶴彬という川柳作家について、通り一遍の知識はありました。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」といったプロレタリア川柳を発表して、
小林多喜二とおなじように、獄死にちかい死に方をしています。
その鶴彬と彼を支えた柳人群像が過不足なく描かれています。
この章だけでも読む価値があると思います。
〈暁を抱いて闇にゐる蕾〉(鶴彬)
プロレタリア柳人として未来に望みをかけた鶴の面目躍如たる句ではないでしょうか。
鶴が属していた「川柳人」を剣花坊亡き後も発行し続けた妻信子の一句も付け加えておきます。
〈国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ〉(信子)
彼女自身が、国境を越えた意識をもった人間だったことを想像させます。
読了までにはまだ少しかかりそうですが、できるだけゆっくりと読もうと考えています。
読み進めるにつれて、ますます川柳が身近なものになってきつつあります。
田辺聖子には、川柳のアンソロジー『川柳でんでん太鼓』という作品もあります。これも読もうとすでに買ってあります。
いまのところ、芋づる式につぎからつぎへと読みたい本が現れて、楽しみは尽きません。
しかし、というか、だからというか、本が読めなくなったらどうしようという恐怖があります。もしそんなことになったら、
どんな生活になるのでしょうか。杞憂ではありません。読めなくなるというのは、例えば、眼が悪くなって読めなくなる、
ということもあるし、また活字というものに興味をなくするということもあるでしょう。
そうなると、私は余生をどのようにして過ごせばいいのか。
何も書けなくなって、毎月この「うずのしゅげ通信」を出すことも困難になったら、
私は何をすればいいのか。
ついそんなことを考えてしまいます。
まさに、「死を待つ余生」になってしまうわけです。
この「うずのしゅげ通信」を訪れてくださる方の中にも、私と同様の退職者もおられると思います。毎日をどのように考えて、
何をしながら過ごしておられるのでしょうか。
2009.12.1
ショートSF「救世主」
ショートSF「救世主」
−健人くんと賢治先生の時間を駆ける二人旅−
賢治先生が、私のクラスの中田健人(けんと)くんにいっしょに来てほしいというのです。
「未来のことだけど、地球の危機なんです。ぜひともご両親の了解も取ってもらわないと……」
しかし、何をしてもらうかは言えないというのです。
昼食時間、健人くんに聞いてみることにしました。
「健人くん、賢治先生が頼みがあるんやて……」
「何ですか?」
健人くんが口をもぐもぐさせながら、教卓のところにきました。
「賢治先生が、ちょっといっしょに行ってほしいって……」
「どこに行くんですか?」
「未来の世界やて、……地球を救えるのは健人くんしかいてないて、賢治先生が言うたはるねんけどな……」
私は、賢治先生の頼みを冗談めかして伝えました。
健人くんは、ダウン症児の特徴として、極端に夢想的なところがあるのです。
地球を救うヒーローになって怪獣と戦う、そういった類の夢想は彼の何よりの好みなのです。
彼は、人なつこくて、上機嫌でいつも笑顔を絶やしません。いろんな笑いをします。たいていはアハアハと笑いますが、
ちょっとエッチなことを考えたりしているときはイヒヒと笑うこともあり、
またウッと噴き出したり、ニタニタ笑っていたり、笑いがじつに自然に身に付いているのです。
もちろん攻撃的なところもなくはないのでしょうが、強くなりたいと言って入った
拳法部の練習や、自分がヒーローになれる夢想の中で、あとかたもなく昇華されてしまっているのかもしれません。
普段の生活では、健人くんが怒るのをほとんど見たことがありません。
ちょっと頑固なところがあって無理強いすると固まることもあるけれども、
ほとんどは愛想がよくて優しいのです。
あまりいい表現ではないのですが、先生方の中では「癒し系」で通っています。
「健人、かっこええやん、行ってきたら」
森下さんが口を挟んできました。
「先生、健人くんが、この前、歌を作ってきたでしょう。あの歌のとおりやん」
「そういえば、地球を救うとかいう歌やったな」
森下さんは、先日、教室でやった健人くんのランチ・リサイタルのことを言っているのです。
そのとき、ピアノの録音テープを伴奏に彼が歌った歌の中に、そんな歌詞があったことを思い出しました。
ピアノ教師をしている母親が、彼の書いた歌詞に曲を付けたらしいのです。もっとも、歌のできばえはたいしたものでは
なかったのですが、それでも集まった生徒たちは大喜びでした。自分の夢想の産物であるヒーローの歌が
認められたということで、彼もまたたいへん自信をつけたようでした。
「未来の世界に行くのは怖くない?」
私は脅かすように聞いてみました。彼はちょっと不意を突かれた感じで、
探るように私を見返しました。
「賢治先生といっしょやったら、いいです」
健人くんは賢治先生が好きなのです。もちろん未来の世界に行くということをほんとうには信じていないのでしょうが、
どこへ行くにしても賢治先生といっしょならかまわないということなのだと思います。
賢治先生に、健人くんが了承したことを伝えると大喜びでした。
「ご両親にも、話しておいてほしいんだけど……、ただ未来の地球とかいっても、
信じてもらえないだろうから、一泊で岩手県まで出かけるということにでもしといてくれないかな」
「何をしに行くっていうんですか?」
「私が書いた『虔十公園林』という童話があるんですが、今度、それが出版されるので、
写真を撮りに行くということでどうでしょうか。モデルになってほしいということで……、
顔はもろに出ないようにするからって……」
私は、しぶしぶでしたが健人くんの家を訪ねて、
モデルの依頼をしたのです。ご両親は、最初腑に落ちないふうでしたが、
賢治先生のたってのお願いということで、やっと認めてもらえたのです。
その日、賢治先生と私は、授業が終わると、他の同僚には実験器具の整理をするのでと言い訳して、
早々と南館三階の理科室に籠もりました。
「今日は、けっして実験室をのぞかないでくださいよ」
賢治先生は厳しい顔で告げました。
「それから、もう一つ、お願いがあります。
生徒たちを絶対に理科室に入れないように見張っていてください。
先生にだけは、後で、すべて話しますから……」
私は、賢治先生が健人くんといっしょに未来の地球から帰還するまでは、
理科の準備室から離れないと約束しました。
部活動の時間になると、練習を休んだ健人くんが、帰り支度をして理科室にやってきました。
「健人くん、大丈夫か……、やめるんやったら今やで」
私は、緊張した健人くんを和ませるように声をかけました。
「大丈夫です。賢治先生とがんばってきます」
健人くんは、賢治先生を見あげて、嬉しそうに笑いました。
しかし、三人で実験室に入って、奥の暗室の前に立ったときは、さすがに、それまで浮かんでいた自然な笑いがすこし
少しこわばりました。彼は、賢治先生に促されて、暗室に入りました。そして、賢治先生が、内側から扉を閉める瞬間、
彼の顔が翳ったとき、私には彼が一瞬青ざめたように見えました。
本当のところを理解しないまま連れて行かれる彼がかわいそうでした。
扉の向こうでカチッという音がして、
現像中の赤いランプがともりました。
しばらくすると実験室からゴトゴトという振動が伝わり、キーンという高いふしぎな音が洩れてきました。
私は、あわててその場を離れましたが、振動はすぐに収まりました。
静かな中で、赤いランプだけが灯り続けていました。
二人を見送ってから、私は、準備室で本を読んで過ごしました。
南館は、本館とは渡り廊下でつながっているだけなので、来訪者もなく静かです。
グランドから生徒たちが部活動でサッカーをしている歓声が聞こえくるだけです。
部活動の終了時間になっても南館三階の理科室にはだれも上がってきませんでした。
生徒たちが帰って、静かな時間が過ぎていきました。賢治先生からは何の音沙汰もありません。
チラッと覗くと、暗室の赤いランプは灯ったまま輝きを増しています。窓の外はすでに暗くなっています。
八時を過ぎた頃、教頭から電話がかかってきました。職員はみんな帰ったので、校舎のセットを頼むということでした。
校内に誰もいないとなると、少し心細くなってきましたが、賢治先生との約束もあり、帰るわけにはいきません。
深夜、十二時を過ぎても電灯の灯った暗室は静かなままです。何の物音もしません。私は眠くなってきました。
七月なので、寒くはありません。目を閉じて二人の行方を想像しているうちに、ふと気がつくと机に突っ伏して眠り込んでいました。
時計を見ると午前三時です。二人の時間旅行がこんなに時間がかかるとは想像していませんでした。
簡単に使命を果たして帰還してくるだろうと甘く考えていたのです。
私はお腹が空いていることに気がつきました。といって、食べるものの準備もしていません。
冷蔵庫に、アイスキャンディを作る実験に使った残りのジュースがあることを思い出して飲みましたが、
お腹は充たされません。
空腹のために目が冴えて眠れません。そのうちに午前五時を過ぎて、窓の外が白んできた頃、
準備室がかすかに振動しました。最初は、気のせいかと思い、次に震度1くらいの地震かなと耳を澄ませていると、
だんだん揺れが烈しくなってきたのです。揺れは、扉がガタガタ音をたて、ガラスがビンビン振動するほどにまで高まって、
不意にピタッと静かになりました。
理科室に入ってゆくと、ちょうど暗室の赤いランプが消えました。そして扉がゆっくりと開いて、
賢治先生と健人くんが現れました。健人くんは、
行くときと違って、ニコニコしています。気のせいか誇らかな様子さえ見てとれます。
「腹減ったやろ?」
私は、分かり切ったことを訊きながら、食事の準備をしていなかったことを悔いていました。
「めっちゃ、腹減ってます。もう何時間も食べてませんから……」
「そうやなぁ」と、賢治先生はくすぐったそうに笑いました。
「二人とも、何時間どころか、何日食べてないのかもわからねぇ」
思わず洩れた賢治先生の方言に私も思わず笑ってしまいました。
それで話を聞くのは後回しにして、二人を理科室に待たせて、近くのコンビニに走りました。
手当たりしだいにパンを五人分くらいと牛乳を買い込みました。
そして、実験室で三人だけの凱旋パーティを開いたのです。戸棚から電熱器を出してきて、それでパンを焼き、
牛乳を沸かして飲みました。お腹がすいているので、三人で五人分のパンをペロリと平らげてしまいました。
食べているときも、
賢治先生と健人くんはほとんどしゃべりませんでした。
「健人くんはよくやってくれた」
賢治先生は、そう言っただけでした。私も、それ以上追及しませんでした。
詳しくは、後で、賢治先生が話してくれるはずだからです。
ただ、私は健人くんを『勇者』のようにもてなしました。
といっても、ただ、焼けたパンを彼に最初にたべてもらったというだけでしたが。それでも慰労の思いは伝わったと信じています。
そうしているうちに、生徒たちが登校してきので、健人くんを教室に行かせました。
賢治先生は、何も口止めしませんでした。
「話をしても、信じてもらえないだろうから……」
また彼の夢想癖が出たと思われるだけだから、というのです。
健人くんを見送りながら、ただ「ごくろうさん」とだけ呟いたのを私は聞きました。
それから、賢治先生は、私に、未来の地球で二人がどんな経験をしたか、話してくれました。
それは、つぎのような出来事です。あなたはこの話を信じられるでしょうか。
賢治先生は、おそらく、亡くなられた妹のトシさんを天上に送りとどけるために、
銀河鉄道を創造されました。宇宙を光速に近い速度、あるいは、もしかすると(相対性理論に反して)
光速を超えたとてつもない速度で、銀河に添って、宇宙空間を駆けぬけてゆく列車です。
しかし、光速を超えるとなると相対性理論に矛盾しますから、そこは科学的に、
ほとんど光速に近い速度で疾駆するものと仮定するとして、それでも、銀河鉄道の存在は、
タイムトンネルの可能性を開くものなのです。
賢治先生は、早い段階で、そのことに気づきました。
タイムトンネルの創造には、しかし、ワームホールというものも不可欠なのです。ワームホールというのは、
入口と出口のある空間の虫食い穴のようなものです。微少なものは、常時、現実の世界にも存在しているようなのですが、
あまりに小さくて、使いものにはならないのです。
もちろん、賢治先生にとってワームホールの理論など思いもよらないものでした。
しかし、賢治先生は、知らず知らずのうちに、それと意識しないで銀河鉄道とともにワームホールも操っておられたのです。
『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニがはじめて銀河鉄道に乗り込む場面を覚えておられるでしょうか。
彼は、原っぱにいて、不意に列車に瞬間移動します。あのとき、ワームホールを潜っているのです。
それ以外に、瞬間移動はありえないことです。
その渦中、『蛍のやうに、ぺかぺか』ひかるひかりが見えたり、ダイヤモンドを、
『ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなっ』たりします。
あれは、ワームホールを通り抜ける途中に見えるひかりです。
ワームホールによる瞬間移動は、そのあとの銀河鉄道の旅でも何度か見られます。
私の推理にまちがいはないはずです。賢治先生は、銀河鉄道という光速に近い乗り物とワームホールを
自由に操る能力を持っておられたのです。
この二つが揃えば、タイムマシン、あるいはタイムトンネルを造るのは簡単です。
研究熱心な賢治先生は、そのことに気がつきました。そして、タイムマシンを試作されたようです。
銀河鉄道は、とてつもなく速いスピードで宇宙空間を飛んでいきます。相対性理論によると、地球から見ていると、
銀河鉄道の中の時計は遅れるのです。つまり、地球の時計の方が進むのです。
いま暗室の壁に入口が開いているワームホールのもう一方の出口は、
銀河鉄道に装着してあるはず。そのままの状態で南十字(サウザンクロス)まで往復してくるとそれだけで、
ワームホールの二つの入口に時間差を生じます。
一方の入口から入り、トンネルを潜って他方の出口から出てくると、
時間が違っているのです。それは、もうすでにタイムトンネル、もっとも簡単なタイムマシンです。
賢治先生は、以前、この暗室が銀河鉄道の地球ステーションだとおっしゃっていました。
でも、暗室の奥にプラットホフォームがあるわけじゃない。だから、この暗室は、ワームホールの入口、
そこから瞬間移動して、列車に乗り込んでいくわけです。
賢治先生は、私の推理を認められました。必要なときには、ここの暗室の壁に漏斗状のワームホールの入口が開くのだそうです。
それが、タイムトンネルの入口らしいのです。
昨日、賢治先生と健人くんは、暗室に入ると、赤いランプを点灯しました。すると暗室の壁に、
赤い光に照らされて漏斗状の入口
が浮かび上がってきました。
「ここから潜り込んでいくんだ」
賢治先生は、薄明かりの中で大きく目を見開いている健人くんを励ますように呟いて、手を取りました。
「1、2、3で、手をつないだままで頭からくぐっていくからね……」
と、つないだ手で穴を示して、健人くんを促すように少し前に引っ張りました。
二人は赤い光が集中していく暗い穴の中心に目を凝らしたまま、思い切って前屈みで頭を入口に差し入れました。
その瞬間、身体がふわっと浮いたような感じになり、すっと吸い込まれました。
一瞬バランスが崩れたのですが、グラッとしただけで倒れることはありませんでした。
暗いトンネルの中では一瞬蛍のような光がぺかぺかしましたが、すぐに明るくなり、降り立ちました。
感じとしては、暗室からのれんを一枚隔てたようなところが、もう未来の地球でした。
この未来の地球に、詐欺まがい誘い方で健人くんを連れ出したのには、実はつぎのようなわけがあったのです。
宇宙のどこかに地球に比べて格段に科学の発達した星がありました。
それだけ科学が発達しているにもかかわらず、滅びずに存続し続けているというのは希有なことです。
自滅するに足る破壊兵器をもった文明というものは、
遅かれ早かれそれを使わずにはすまないからです。
しかし、その星の住人は何より理性を重んじる賢さをもっていました。
自滅するためだけのバカげた戦争を避けるために、
すでに国家といったものをなくして、かつての国の連合体である一つの機関のもとに、
その惑星の政治のすべてを委託してきました。
軍事力もまたその連合体で集中管理されていました。地球の核攻撃力など
比較にならないくらいの圧倒的な威力のあるものでしたが、
その管理がうまくなされていて、大過なく来られたのです。
その星から地球探査のために、先遣隊が地球に向かったというのです。
どうしてその情報がもたらされたのかは不明ですが、
世界中がすでにその宇宙人の話題で持ちきりでした。
「もし彼らの気に入らなければ、われわれ人類は一瞬のうちに彼らに滅ぼされてしまうかもしれない」
というおそろしい噂が、人々をパニックに駆り立てていました。
しかし、彼らが到着するまでの短い期間では、どうすることもできません。
混乱のさなかのある午後、先遣隊のUFOらしきものが、突然東京上空に飛来し、
しばらく浮遊した後、富士山の裾野に着陸しました。
「マズ誰カ、イチニン、地球人ヲ、早急ニ、UFOノ前ニ、連レテキナサイ」
UFOからの光信号を試しに音声電流に変換してみると、
突然、威圧的な命令が流れ出ました。電子音声を鸚鵡(オウム)がまねたような抑揚のないしゃべり方です。
それがまぎれもなく日本語であるということは驚きでした。
すでに万能翻訳機を通して発せられていたのです。
一箇所誤訳はあるものの、今さらながら彼我の科学力の差を痛感させられました。
時間の迫る中、政府の危機管理室で、誰をイケニエとして差し出すか、侃侃諤諤の議論がなされました。
何の結論も得られないまま、賢治先生に相談してみようということになりました。
突然の話に賢治先生もうろたえました。
−−虔十(けんじゅう)のような人がいいのだけれど……。
なぜだか、ふとそんな思いが脳裏を過ぎったのです。なぜ虔十なのかはわかりません。
ただ、彼が一番の適任だと直観したのです。
しかし、虔十は、童話の主人公であって実在の人物ではありません。タイムマシンでも連れてくることはできないのです。
今の世界のどこを探しても虔十を見つけることはできないでしょう。
さあ困ったと、さらに考えをめぐらしていると、健人くんの顔が浮かんできました。
タイムマシンで過去に戻り、そこの養護学校でいま副担任をしているクラスの生徒でした。
他を探している時間がありません。賢治先生は、そのことを危機管理室に提案しました。
しかし、管理室のメンバーも検討のしようがありません。健人くんがどうこう人物なのか分からないからです。
しかし、彼らはみんな賢治先生を信頼していました。この際、賢治先生に地球の運命を託するしかないという思いが共通してあり、
UFOに差し出すイケニエ候補として健人くんを推薦することになったのです。
危機管理室の結論を認めた政府の人たちの思惑がどうであったのかは判りませんが、
賢治先生への信頼が、伏流としてあったことは確かなように思われます。
政府は秘密裏に健人くんの派遣を決定しました。
そして、今日中にも賢治先生と中田健人を派遣するので援助されたし、という連絡が現地の危機対策本部に伝えられました。
健人くんの感じでは、頭でのれんをよけてくぐり抜けたところが、もう未来の地球の真昼の舗道でした。
舗道への二人の現れ方がどんなふうであったのかは
わかりませんが、
そんなに不自然ではなかったのでしょう。まわりを歩いている人たちが彼らの出現に驚いたふうはありませんでした。
健人くんには知らされませんでしたが、そこは未来の東京、永田町でした。
二人はさっそく政府の危機対策室に案内されました。
健人くんは、賢治先生や政府の人から彼の使命について説明を受けました。
しかし、彼は緊張半分、愛想をふりまくこと半分、それで精一杯で、
説明を受けた地球の危機的な状況や彼が呼び出されたわけを十分に理解したとはいえません。
賢治先生に頼まれたことではあるし、また宇宙人に会えるというので彼は喜んで自分に託された使命を受けたのです。
健人くんと賢治先生は、静かなヘリコプターのような乗り物で富士山をめざして飛びたちました。
富士山に近づくと、裾野の皺のような小高い丘に丸いUFOが着陸しています。ヘリコプターは、それ以上近づくことは避けて、
UFOからかなり離れた草原に張られたテントの前に降り立ちました。そこはにわか仕立ての現地の危機対策本部でした。
たくさんの大人が彼らを待っていました。健人くんは、まずそこで持ち物検査を受けました。ポケットの中身は
お預かりとなりました。未知の相手に誤解を与えてはいけないという理由でした。
また、UFOに近づくのに、マイクなどいっさい着けないという方針を彼は了解しました。
背後からの助けは一切ないということです。
さらにいくつかの注意を聞きました。
「離れてはいるが、われわれが護っているということを忘れないで、急に叫んだり、逃げたりしないこと」など、
健人くんにも分かるような説明がなされました。
注意を聞き終わると、さっそく彼は促されて出発することになりました。時間がなかったからです。
そのときばかりは後ろ姿が少し頼りなげに見えたと賢治先生は述懐しておられます。
健人くんはだらだら坂の峠道を一人で歩いて行きました。もはや頼るものはありません。
遠くから対策本部の人や賢治先生が望遠鏡で見守っていてくれるだけです。
健人くんがUFOの前に立つと、
クネクネと触手のようなものが何本も伸びてきて彼にからみつきました。
「くすぐったいぞ。やめてけろ」
健人くんは、はじめは体をよじって『はあはあ息だけで笑ひました』が、
なぜか口をついて出た「けろ」の響きがおかしくて、
「ウップ」と噴き出してしまいました。
「動カナイデ……、スグオワルカラ、辛抱シナサイ」
触手の先から無機質な声が聞こえました。やがて何本もの触手は健人くんの頭にたどり着き、
髪の毛をまさぐり、
肌に吸い付きました。健人くんはちょっと驚きましたが、蛭にすわれるほども、
ちっとも痛くなどありませんでした。
しばらくすると触手は、するすると彼から離れていきました。
「ドウモ、アリガトウ」
最後に残った触手の尖端から抑揚のない鸚鵡の声が洩れました。
そのとき、尖端の膨らみがかすかにペコンと下がったような気がしました。
健人くんは、思わぬところでお礼を言われて、
さっきの否応なくくすぐられた不快もたちまち吹っ飛んでしまい、
もう少しではあはあと笑いそうになりました。
しかし、触手が全部UFOに収容されると、どこからか「モウ、帰リナサイ」と、
ふたたび命令口調の声が聞こえてきたのです。
せっかくUFOの真ん前まで来ながら肝心の宇宙人に会えないのかと、
健人くんはたいへんがっかりもしたのですが、
どうしようもなく、命ぜられるままに、長い影を引きながらとぼとぼと戻ってきました。
「ワレワレハ判ッタ、地球人ハ、決シテ、ワレワレニ危害ヲクワエルヨウナコトハシナイヨウダ。
ムシロ彼ラハ、ワレワレノ
楽シイ隣人ニナルダロウ。ソコニイルダケデ、励マサレルヨウナ、イイコトガシタクナルヨウナ、
ソンナ隣人。ダカラ、
ワレワレハキットココニ帰ッテクルダロウ。
点点点、点点点、(意味不明ノ絵文字)」
しばらくして、UFOは、そんなメッセージを幾人かの携帯に残して、
富士の裾野から飛びたっていきました。
【完】
【注】『 』は、『銀河鉄道の夜』と『虔十公園林』からの引用。
【補注】タイムマシン、ワームホールについては、二間瀬敏史『時間旅行は可能か?』
(ちくまプリマー新書)を参考にしました。
2009.12.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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