2010年1月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
「学ランの兵隊 −いじめからの脱走−」
ねじめ正一「ぼくらの言葉塾」
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
今年の年賀状です。
新年あけましておめでとうございます
おかわりなくお過ごしのこととお慶び申し上
げます。
さて、私は昨年より「古墳群」という句会に
参加させてもらい、散歩しながら俳句を作る楽
しみを知りました。もともと「古墳群」は、父
が属していた会でもあり、二代目が来たという
ことで、この一年厳しく鍛えていただきました。
以下、句会で採られた拙句二句を掲げて、新年
の寿ぎをさせていただきます。
近江なる観音みばや千鳥聞かばや
ねじもどす注連(しめ)一尺の身じろぐや
本年も「うずのしゅげ通信」をよろしくお願いいたします。
2010.1.1
2010.1.1
「学ランの兵隊 −いじめからの脱走−」
「賢治先生がやってきた」を開設してからちょうど十年がたちました。
このホームページもすこしは認知されてきたような気配がかすかに感じられます。
最近は、毎年、いくつかの脚本が
上演されるようになってきました。一昨年は4本、昨年は3本の脚本が上演されました。
現在、二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」に高校の演劇部が挑戦してくれていますし、
吉本風新狂言「ぼくたちはざしきぼっこ」が思いがけず中学校(1年)で、また、「賢治先生がやってきた」が
九州の高等養護学校で、昨秋上演されました。
ホームページの脚本が上演されることは、何よりも嬉しいものです。昨年はたった三本でしたが、それでも
観てくださる人がいると考えるだけで、これからも脚本を書き続けるためのエネルギーが湧いてきます。
それで調子に乗ってというわけでもないのですが、今回「学ランの兵隊」−いじめからの脱走−を
ラインナップに加えました。演じる方も観る方も、高校生(あるいは中学生)を想定しています。
いじめというのは、おそらく人間の本性に根ざしているものなのでしょう、
どこの社会にもあるように思います。
では、いじめはなくならないものなのでしょうか。まったくなくせないにしてもどうすれば、いじめを
少なくすることができるのか。
中高生にとっては、もしかすると小学生にとっても、
それはもっとも身につまされる問題であるかもしれません。
事実、いま現在もいじめを受けている人はたくさんいるはずです。
いじめというのは以前から書きたいテーマでした。しかし、むずかしい。
寓話にすれば、書けるかも知れないけれども、
訴える力が弱くなる。リアルな状況をどのように表現するか、
考えても考えてもなかなか名案が浮かんできません。
そこで、いじめについて考えるために、本をいくつか読んでみました。
もっとも的確な分析がなされているのが、内藤朝雄著
「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」(講談社現代新書)でした。内容については、一言では表現できないので
興味のある方はお読みください。
もう一つ、劇化の一歩を踏み出すのに背中を押したこと、
それは、岡山県作陽高校の『シャドー・ボクシング』
(石原哲也作、二司元能潤色)のDVDを見せてもらったことです。
2007年、第53回全国高等学校総合文化祭演劇部門で優良賞を受けた舞台です。
いじめられて閉じこもっている高校生が、ガンで余命半年と宣告されている
おばあちゃんからの励ましを受けて、落ち込みから反転していくストーリー。
石原哲也の脚本ですが、作陽高校演劇部による熱演で、たいへんすばらしい舞台に仕上がっていました。
この二つのことが切っ掛けになって、脚本が形を取りはじめたのです。
いじめをどう表現するかはなかなかむずかしいのですが、ただあまり陰湿にならないように、
むしろ所々はユーモラスでさえあるように心がけました。
そして、いじめという出口のない状況からどのように脱出するのか、という一点のみにテーマをしぼりました。
だから、劇では出口というものがクローズアップされています。
いじめには、いろんな状況が錯綜しています。人間の悪い本性に根ざしている側面もあるでしょう。
しかし、人間の本性は如何ともしがたいところがあり、とりあえずは触れないでおきます。
まずは、社会的な側面をとば口にして、考えを進めた方が得策なようです。
社会的側面というのは、
たとえば学校間格差、家族、貧困、差別等々であり、
それら様々な要因が複雑に絡みあっている複合体として、いじめはあるように思われます。
、
しかし、「学ランの兵隊」では、それらの問題はすべて回避されています。
それでは、ほんとうのところは描けないんじゃないか、と言われればそうだと言うしかありませんが、
いじめをトータルに取り上げることなど私の能力を遙かに超える課題です。
とりあえずは、いじめからの脱出の道筋を考えてみたということでしょうか。
お読みいただいて、何かご意見がありましたら、お聞かせいただけたらと思います。
2010.1.1
ねじめ正一「ぼくらの言葉塾」
ねじめ正一「ぼくらの言葉塾」(岩波新書)を読みました。
講義形式になっています。6時間目の「詩人的俳句 −一茶に惹かれて」に
ねじめさんの俳句の作法が披露されています。
ねじめさんは、八年ほど前から俳句をはじめられたそうですから、もうかなり年期が入っています。
ある時の句会の兼題(あらかじめ出された句題)が「春の虹」
「さんざん考えて」、まず次の句をものします。
春の虹 ジャンケンポンの 手が止まる
「誰かが虹が出ているのに気づいて、「あ、虹だ!」と指さしてジャンケンが止まってしまった、
という句」と説明しておられます。が、奥さんに聞くと「何それ?」と冷たい反応。
自身もきれいごとで捻りがない、「春」が生かされていない、ねじめ正一らしくない、
といった理由で、否定的気分に
なります。
そんな折、秩父の朗読会にでかけていきます。そこで、秩父困民党とことやら、
金子兜太の生まれ故郷であることなどを思い出します。
で、新しい句が発想されます。
春の虹 秩父の空に 貼りつきし
さらになぜか自分の好きな一茶の俳句を連想し、
彼の俳句が大上段に構えていないというところに思いを致したり、
金子兜太を引き合いに出したりして、悩んだあげく、
「一茶は洋服の汚れのシミみたいな人でした。句もシミみたいなものです。」
という境地に達して、上の句が次のように変貌します。
春の虹 そのうち滲み シミになる
これで「出来上がりだと思う」のですが、はやり、これではダメな気分が萌してきます。
そして、最初の句が、ふたたびせり上がってきます。
それがダメなのは、「手が止まる」というところ。
それで、次の句に転回します。
春の虹 ジャンケンポンの パーばかり
「春の虹をつかみたい、触ってみたいという手のカタチが〈パーばかり〉で見えてき」たというのです。
なるほど、ねじめ正一らしいといえば、ねじめ正一らしい句になったように思います。
この過程、自分が俳句を作るときも、けっこう参考にできると思うので、取り上げました。
興味のある方は「ぼくらの言葉塾」をぜひご一読を。詩のことばというものを考える参考になります。
で、つぎはいよいよ自分の俳句について考えてみます。
俎上に載せるのは、年賀状に引用したつぎの句です。
ねじもどす注連(しめ)一尺の身じろぐや
この句ができた経過はつぎのようです。
12月の席題(句会の場で出される題)の一つが「注連(しめ)をつくる」でした。
その日の午前に町の主催で注連縄作りの
講習があったらしいのです。
私も昔注連縄を手作りしていたことがあります。作り方は本家の祖父伝来です。
私が子どもの頃、年末押し詰まると、本家の納屋で祖父が藁打ちをはじめます。注連縄を作るのです。
祖父は「ごんぼ」と言っていました。ゴボウと形状が似ているので、
そんなふうに呼んでいたのでしょうか。太い立派なごんぼを、私にねじった藁のよりがもどらないように
持たせて、三つ編みしていくのです。寒い中での作業でしたが、
たちまち祖父は注連縄を何本かつくりあげました。その内の一本を私は自分の家の注連飾りとして
もらってくるのです。
祖父が亡くなってからは、自分で作るようになりました。
特に教えてもらったわけではないのですが、見よう見まねで作り方を覚えていました。
弟を助手にして、「ごんぼ」を作ったものです。祖父のようにうまくはできませんでしたが、
それでも、一応太く立派な注連飾りができて、満足していたものです。そう言えば、父が作っているのを
見たことがありません。おそらくできなかったのだと思います。伝統は、おそらく、
隠居した祖父から、暇をもてあましている孫に隔世で伝えられていくのですね。
句会の席題に「注連をつくる」が出たとき、昔「ごんぼ」を作っていた頃のことを思い浮かました。
藁をねじって、三つ編みして、先っぽを藁で括ってとめるのですが、できた「ごんぼ」が
ねじれを戻そうとゆっくりと動くのが目に浮かんだのです。
そこで、つぎのような句を作りました。
ねじもどす注連一尺の身のもだえ
「身のもだえ」というとちょっといやらしいような響きがあります。
それで、「みのあがき」にしてはどうか、と考えました。
ねじりもどす注連一尺の身のあがき
「身の」をはずして、もだえかな、あがきかなというのも試みました。
ねじりもどす注連一尺のもだえかな
ねじりもどす注連一尺のあがきかな
最初のところも、「ねじもどす」「ねじりもどす」も迷いました。
あるいは、「よじりもどす」という案もあります。
結局、投句したのは、「身のもだえ」という初期形に落ち着きました。
しかし、句会からの帰宅途中散歩しながら、「身のもだえ」が少しオーバーなような気がしてきました。
いやらしいようなイメージもあります。実際は、注連縄が動くとしてもわずかですから、ここは
リアルに「身じろぐ」にしようとなり、最終形になったのです。
ねじもどす注連一尺の身じろぐや
しかし、これでいいのか、まだすっきりしません。「身のもだえ」のおもしろさは削がれたかもしれません。
「身のもだえ」の方が、ねじめ正一さんがいう自分らしさがあるかもしれないとそんな反省もしています。
どうなのでしょうか。
比べる方がムリなのはわかっているのですが、ねじめさんの推敲されるなかで見られる、序破急の破、
起承転結の転にあたるものが欠けているように思います。それがあれば、もっとおもしろい
句ができるのかもしれません。
しかし、ほんとうのところ、何がいいのか、悪いのかがわからないのです。
まだまだ、これがいいと自分で判断する力はないようなのです。むずかしいものですね。
2010.1.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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