2010年2月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
脚本「教室の壁は回し蹴りで」−銀河鉄道いじめ物語−
俳句的原風景
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2010.2.1
脚本「教室の壁は回し蹴りで」−銀河鉄道いじめ物語−
いじめをテーマにした脚本「教室の壁は回し蹴りで」 −銀河鉄道いじめ物語−を
ラインナップに加えました。
「学ランの兵隊」 −いじめからの脱走−を書いた余勢を駆ってできたような作品です。
「学ランの兵隊」は高校生を想定していますが、「教室の壁」は中学生(あるいは小6)向けに書いたものです。
出演者も20〜30人で、クラスとして取り組める構成です。
「学ランの兵隊」と同様、出口のないいじめの世界からの脱出の方法を、劇でもって模索したものです。
ただ対象が中学生ということで、そんなに深刻にならないように、
できるだけ笑えるように心がけました。
発想のもとになっているのは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です。
『銀河鉄道の夜』はいじめの物語という側面も持っています。
主人公のジョバンニは、ザネリたちにいじめられています。
ザネリがジョバンニにあびせる言葉が「お父さんからラッコの上着が来るよ」というものです。
この言葉の意味は、もともとはっきりしないのですが、冷水を浴びせるような響きはいまでも感じ取れます。
そこで、いじめの言葉としてそのまま使うことにしました。
劇の主人公である星野慎司たちのクラスでは、学習発表会で『銀河鉄道の夜』を上演することになります。
慎司はジョバンニ役を押しつけられます。教室で練習がはじまります。
劇中劇は、賢治先生の授業の場面。ジョバンニは授業中の態度についてザネリにいじめられます。
「お父さんかららっこの上着が来るよ」というからかいに切れたジョバンニは、
ザネリに挑みかかっていきます。揉み合う内に劇中劇の理科室の壁を倒してしまいます。
暗いいじめがみんなの目に曝されます。
倒れた壁のまわりには、慎司(ジョバンニ)へのいじめを見ていた同級生もいます。
先生は、ジョバンニへのいじめにこと寄せて、慎司に対するいじめもみんなの前に浮上させようと
します。
二つのいじめの構図が重なってきます。そして……。
後は読んでもらうしかありません。
いじめに万能的な解決法などありません。いろんないじめが考えられますし、また個々のいじめの状況も様々です。
しかし、いじめを受けている身にとって、何といっても苦しいのは、
自分の置かれている状況が出口なしに思えることではないでしょうか。
「学ランの兵隊」と同様、
出口がないかに見えるその「いじめ空間」からいかにして脱出するかというのが、
この劇のテーマになっています。ほんとうに脱出の方法はないのでしょうか。
足枷の一つは、そこから逃げ出すことがあたかも卑怯なことであるかのような風潮が彼らの中にあることです。
せめて、その状況から脱出することが、決して卑怯なことではないという
励ましを劇の中に盛り込むことはできないでしょうか。
そういった思いで創りあげた短い脚本です。
また、どこかの学校で取り上げていただければありがたいです。
2010.2.1
俳句的原風景
梢渡る松の裏声冬深し
今年最初の「古墳群」の句会(兼、新年会)の兼題の一つが「冬深し」。
そこに出したのが上の句です。
この句、採ってくれる人もおられたのですが、
私としては不満の残る句なのです。あまりに思い入れが強すぎるのかもしれません。
思いだけが先走って、そこに表現が伴っていないような
「いまいち」感が残りました。
この句にある「松の裏声」は、半世紀をへて今も鮮やかに聞くことができます。
私がまだ幼いころのある冬の日、父に伴われて里山に出かけることがありました。先祖伝来の松山で、父は休日に、山の手入れと、
風呂の焚き付けにする松の落ち葉
(「さでしば」(?)と言っていました)を集めるために山に入っていたのだろうと思います。
最初は、私も「さでしば」集めを手伝っているのですが、それに飽きると笹の中に踏み込んで、
そこに仰向けに身を横たえてさぼったりしたものです。笹生の中にすっぽり埋まってしまうと、
外からは見えないので、父から隠れようといういたずら気分もあったのかもしれません。
深々と笹の中に寝ころんで見あげると、冬空を背景に松の梢がうっそうと重なり合って、木枯らしにゆさゆさと揺れて、
まさに風が舞っているといった様子。
「ヒュー、ヒュー」と松葉が風を切る音が降りそそいできます。
背中になめらなか笹竹の冷たさを感じながら、私は、ふと知らない松林の中に忘れ去られたような
不安を感じていました。
かすれたような松の叫びが勢いを増してさらに不安を煽り、
とんでもない恐怖のようなものが萌してきそうでした。
しかし、一方で、その不安にはまた、どこか懐かしさもあったのです。
私は、その懐かしさに身を委ねるように笹に寝ころんだまま目を閉じました。
するとたちまち梢で鳴る松の声が遠のいたような気がしました。
身を横たえた笹の窪みの中は、いつのまにか静けさが支配していました。
頭上の松の梢を、「ヒュー」とかすれた松の裏声だけが遠く渡っていきました。
いまでも、その松声とともに、あのときの身をよじるような不安をつい
昨日のことのように思い浮かべることができます。
最初の俳句のもとになったこれが原風景です。
現在、その松山は、近つ飛鳥の古墳公園になっています。まだ、山として残っているのですが、
一部周回道路がついていたりして、かつての持ち山をここと断定することはできません。
句を案じながら、幼かったころのそんな出来事をふと思い出していました。
この句が、そのときの思いの一部なりと表現できているか、
というとやはり心もとない気がします。どうしても不満が残ってしまうのです。
松の裏声と「冬深し」が響きあっていない、といった技巧の稚拙さもあるのでしょうが、
もう一つ言えば、俳句に求めすぎているのかもしれません。
やはり俳句というのは断念の詩形なのかもしれないと考えたりしてしまいます。
俳句を作り出して一年、歳時記を見ない、俳論を読まない、という原則でやってきました。
とりあえず自分の発想だけでいろんなことを試みる、ということです。
今年もその方針を踏襲して楽しくやってみるかと、まあ思っている次第でして、……。
2010.2.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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