2010年11月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
21世紀高野山医療フォーラム
億
文庫本「賢治先生がやってきた」
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2010.11.1
21世紀高野山医療フォーラム
先日(2010.10.11)「21世紀高野山医療フォーラム」に行ってきました。
場所は新大阪駅近くのメルパルクホール大阪で、今年は7回目で、テーマは「私の死、愛する人の死と
どう向き合うか」。朝から夕方まで7時間に渡って、公演、シンポジウムが続きます。
私は、午後からの参加で、哲学者鷲田清一さんの講演「死なれるという経験」、
続いてグリーフケアの経験豊かな高木慶子さんの講演
「悲しみは真の人生のはじまり」、その後、シンポジウム「私の死の迎え方」、司会が
柳田邦男、シンポジストは、井形昭弘、井村裕夫、南裕子、山折哲雄、
吉田修、という知る人ぞ知る
豪華な顔ぶれでした。(といって、私の知っていたのは、司会の柳田邦男さんんと山折哲雄さんだけでしたが)
鷲田清一さんの話の中では、死んだ人は死者として甦るという話が印象に残っています。
確かに、親しい人が亡くなると死者として蘇り、残された人に現世のものではない視線を送り続けてくれているように
思います。この話は私の実感とも一致して、興味深く聞くことができました。
高木慶子さんは、看取りの中で、看取る人も看取られる人も、どのような死後観を持っているかということが、
大変重要であると述べられ、参加者につぎのような選択肢で挙手を求められました。
1、死んだら無になる。
2、死んだら生まれ変わってくる。
3、死後何かは残るが、どうなるかは分からない。
4、天国、あるいは極楽があって、そこに逝く。
私は、3に挙手をしました。目を閉じて挙手をしたので、参加者には、全体の動向はわかりませんでしたが、
高木さんは、3がもっとも多かったと言っておられてので、私は多数派の一人であったわけです。
シンポジウムでもその話題が出て、お医者さんでも、1の人も、3の人もおられておもしろく感じました。
山折さんは、選択肢にもう一つ、自然に還るというのを付け加えてもらえれば、私はそれだとおっしゃっていました。
それも一理ある考え方だと思います。
私がもっとも聞きたかったのは高木さんの講演でした。高木さんはグリーフケアに永くかかわってこられました。
その高木さんから、死後観の問題を提起されたのは、たいへん面白かったのです。
たしかにその人の死後観は看取りやグリーフケアの方向を決める重要な要素であるように思われます。
私は、このフォーラムに参加する以前から、ブッダ、お釈迦さまの本を、幾冊か読んでいました。
お釈迦さまが、どのようにグリーフケアをしておられたのか興味があったからです。
中村元訳「ブッダのことば −スッタニバータ−」(岩波文庫)につぎのような詩句があります。
ブッダが、親しい人を亡くした人に施された詩句です。
「矢」という章。
589 たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、
この世の生命を捨てるに至る。
590 だから〈尊敬さるべき人〉(=ブッダ)の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもう
わたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。
593 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
これらの前に、「悲しみに捕らわれて」はいけないという戒めの詩句もあって、
その対処として、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとる、そして、
(煩悩の矢を抜き去って)悲しみを去れ、というのです。
しかし、もちろん、話はそう簡単ではありません。お釈迦さまの口にされた布施のことばに浸りつつも、
どこからか違う音調のことばが響いてくるのを聞いていたのです。
一章を読み下した余韻の中に、ためらいがちに浮上してくるつぶやき、「ぼんのうの深かけん」……
そのことばが、どのあたりから聞こえてきたのか、最初はわからなかったのですが、あるときふと気づいたのです。
書棚を漁って探し当てました。
予想どおり、石牟礼道子の『苦界浄土』に見つけました。「第三章 ゆき女きき書」の最後にあります。
(興味のある方は、お読みください。すばらしい作品です。)
ゆき女がかき口説くことばはこんなふうでした。
「うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる。」
そして、いまわたしの口にのぼってきたつぶやきは、実はもうかなり以前にそれを読んだとき心に刻まれた響きがが、
遙かな時をへだてて甦ってきたもののようなのです。
「うちゃぼんのうの深かけん」というあのつぶやき……。
先月号の「うずのしゅげ通信」の駄句も、そのつぶやきを芯にして形をなしたものとも言えます。
供華二輪 四周忌過ぎて 秋思なほ
ぼんのうの深かけん、お釈迦さんのおっしゃることではありますが、
(煩悩の)矢(やぁ)を抜くのはなかなかむずかしいなぁ……
そういった思いがこの一句には籠められているのです。
追補
最後に、最近本を読んでいて、光明をかんじたもの。
「茨木のり子集 言の葉 2」(ちくま文庫)より
「笑って」という詩の断片です。
……………………
不意によみがえる古い古い寓話
むかし西域に美しい娘がいたという
晋の王が遠征の途次
有無を言わせず馬上にりょう掠奪
娘は嗚咽ととまらず襟もとしとど
どうされるのやら不安で
何処へ行くのやら皆目わからず
胡地忘じがたく しおたれて
泣く泣く曳かれ 都に到れば
山海の珍味 着たい放題
王の夫人となって寵を得るや
「あら こんなことなら 泣くんじゃなかったわ」
秋波 婉然 なまめいた
その名は驪姫(りき)
「おそらく 死もこういうものであるだろう」
かつて
どんな宗教書よりも慰められたことのある
荘子の視線
まさしくこちらこそ地獄なのでは
でなけりゃどうしてこんなにも
はらはらおたおたしなくちゃならぬ
……………………
『荘子』に直に当たったわけではないので、茨木さんからの引用となりますが、
「あら こんなことなら 泣くんじゃなかったわ」
と言うほどに、向こうの世界が楽土である可能性
だって、まったくなきにしもあらずなのではないでしょうか。
2010.11.1
億
億
時々一億人というのはどういうものか、ということを考えることがあります。
たとえば、私は、いま中野孝次著「金子光晴」を読んでいます。三十年くらい前に出た本なのですが、
買ったまま読まないで放ってあったのを、取りだしてきて読んでいるのです。
さて、一億人というのは、現在どこかにこの同じ本を読んでいる人がいるというくらいの数字なのでしょうか。
そう、一億人というのは、何でもあるということか、それともたとえ一億人といえども、一人は一人なのか?
よくそんなふうに想像をめぐらしてみるのです。
一億年というのも、どんなものだろうかと考えることがあります。
地球の歴史を振り返ってみると、一億年前は恐竜の全盛期です。ほ乳類はネズミみたいなのがちょろちょろして
いたかもしれません。そこから、進化して現在の人類になったのですから、一億年というのはたいしたものです。
擬態というのを知っていますか。保護色というのもあります。蝶の仲間に、落ち葉を擬した羽根を持っている種が
あります。それも、精巧にできた虫に食われた落ち葉そのものというやつもあります。一億年の進化はこんなことまで
やってしまうわけです。
そう、一億年というのは、こんなことまでできる年数なんですね。
弥勒菩薩が現れるのが56億年後だから、気が遠くなるほどの未来ですね。
もし、人類が存続しているとしたら、もはや「えっ、これが人類」っていうほどの変身を遂げているかもしれませんね。
何でもありですから、業も煩悩も克服して、みんなが菩薩のようになっている、そんな未来かも。
まあ、そんなことを想像しながらも、現在の日々を一喜一憂しながら生きていくしかないんでしょうね。
その一億年先を想像しながら、というところがいかにも人間らしいということかな。
2010.11.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに何度か小学校や高等養護学校で
上演されています。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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