2010年12月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
腹話術
父の戦場
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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今年も残り少なくなりました。
この一年、「うずのしゅげ通信」をご愛顧いただきありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
2010.12.1
腹話術
腹話術をやってみたいと以前から考えていました。最近買い物にいったとき、
腹話術の人形を見かけたのです。手にとりましたが、買いはしませんでした。
ものになるまで続けられるか、自信がもてなかったからです。しかし、人形を手にしたのをきっかけに、
ふたたび腹話術への思いが再燃してきたのです。その結果、
つぎのような台本を書いてしまいました。人形に親しむ前に、まず台本からはじめるあたり、
自分らしいな、とあきれ気味です。
そんないきさつで、即興に書き上げた台本(脚本)、いじめをテーマにした短篇です。興味のある方はご一読いただけたら幸いです。
星にならなかったよだかと賢治先生(20分公演)
−いじめ防止キャンペーン用腹話術台本−
【言わでもの言い訳】
初級編ということで、人形のセリフには、発音のむずかしいマ行、バ行、パ行の音をまったく遣わないようにしました。
そのために、少々不自然な言い回しになったところもあるかもしれません。
腹話術入門台本(脚本)ということで、ご了承ください。
【では、はじまり、はじまり】
(賢治先生が、よだかを抱えて登場。椅子に腰かける。
賢治先生は、山高帽子にコートといった写真にあるような出で立ち。
よだかの人形は、市販されている40〜50センチくらいの大きさで、後ろから手を入れて、
口をパクパクさせる仕組みの人形に、よだかの顔に似せた手作りのかぶり物をかぶらせ、背中に羽をつけたもの)
賢治先生 「みなさん、こんにちは……、わたすは宮沢賢治です。
まんず、自己紹介させてもらいます。みなさんは宮沢賢治って知っていますか」(生徒の反応を探る)
「そうですね。『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ』っていう詩とか、『銀河鉄道の夜』っていう
童話などを書いた詩人です。先生をしていたことがあるので、生徒さんは賢治先生と呼んでくれます。……
ところで、みなさん、私は『雨ニモ負ケズ』元気なんですが、きみたちは元気ですかー」(と、大きな声で叫ぶ)
(「元気です」、と返事が返ってくる)「はい、けっこです、元気でなによりです。
みなさんは、元気だけど、ここにいるよだかさんは、あんまり元気じゃないみたいなんです」
(と、ぐたっとしているよだかを眺める)
「さあ、よだかくん、みなさんに挨拶しなさい」
よだか 「ハーイ、こんちは……」(小さい声で)
賢治先生 「何だか元気のない挨拶だなあ、みなさん、よだかくんです。よろしくね。
(「よろしくお願いします」の声)、さあ、みんなは元気がいいぞ、よだかさんも、もう一度挨拶のやりなおししたら……」
よだか 「こんちは、オレよだか、よろしくお、お願い……いたし……」
(最初は力んで大きい声を出すが、だんだん力がなくなって小さい声になり、語尾は聞こえない)
賢治先生 「どうしたの? 何だか元気がないんじゃないの」
よだか 「オレ、きょうは賢治先生に聞いてほしいことがあるんです」
賢治先生 「はい、何でもいいよ、賢治先生は何でも聞きますから……」
よだか 「オレ、……あの、オレさぁ……」
賢治先生 「どうしたの? さあ、しっかりして言ってごらん」
よだか 「オレ、いじわるされてるんです……」
賢治先生 「ふーん、いじわるって、いじめ?(よだか、うなずく)……、それでだれがいじめているの?」
よだか 「タカくんです。……タカくんが、オレにいじわるするんです」
賢治先生 「タカくんか、タカくんがいじめるのか……、わかった、じゃあ、もっとくわしく聞かせてくれる、……
でも、その前に、みんなによだかくんのクラスのことを説明しておくかな。鳥の生徒は何羽いるの?」
よだか 「十二羽です」
賢治先生 「ふーん、少ないね。その中でタカくんは、ガキ大将みたいなものかな」
よだか 「そうです、ガキ大将」
賢治先生 「体も大きいからね」
よだか 「オレなんか、顔は納豆食ったあとのようだし、口はひらたくてかっこうわるいし、こんなんだから
いじわるされるのかな」
賢治先生 「そんなふうに考えて、自分のことをつまらない鳥だって考えるのは、
一番よくないよ。……それで、そのタカくんが、どんなことをするのかな」
よだか 「よだかとタカと似ていてややこしいから、いっそのこと、よだかという名を変えたらどうや、
というんです」
賢治先生 「たしかに名前がにているけどね」(と、タカとよだかの実物大の写真か絵が
貼り付けてある白板を見せる。それぞれの
写真の下に名前が書いてある)「タカさんがこれ、タカって書いてあるね。こんなに大きくて強そうだな。
これがよだかくんだ。よだかって書いてあるね。似ているね。タカのところがおんなじだからね」
よだか 「タカくんは、イチゾウに変えろっていうんです」
賢治先生 「そんなことを言うのか……それは、ひどいはなしだね。
名前というのは、生まれたとき、お父さんやお母さんが
願いを込めて付けてくれたものだからね。赤ちゃんのときから、何回も何十回もその名前を呼ばれて育ってきたんだよ。
よだか、よだかって何万回も、何百万回も呼ばれて来たんだ。それだけ大切なものだってことだよ。
そまつにしたり、バカにしてはいけない。まして、名前を変えろっていうのはひどい話だよね」
よだか 「それから、近づいたら汚いキンがうつるって……。オレのこと、鳥インフルエンザっていうんです」
賢治先生 「それは、ひどい……、差別だなあ。汚いものあつかいか、何にもうつるはずがないのにね。
むかし、差別されている人からもらったお金を汚いと言って、水で洗ったのとおんなじような差別だね。
でも、そんなこと無視すればいいんだよ。いちいちかまってたら相手をおもしろがらせるだけだからね」
よだか 「それから、クラス中にオレをシカトしろ、口をきくなって、言いつけたんです」
賢治先生 「ふーん、そんなことを言ってる、ひどいなぁ。(客席に)みんな『シカト』って、分かるかな。
無視することだけど、……みんなにシカトされたら悲しいよね。文句いわれるよりつらいだろう。
教室にいるのにいないみたいだからね。いなくなれって言われてるのとおんなじことだから、
これはいちばんひどいことかもしれないね」
よだか 「以前は、タカくんにああしろこうしろと使われていたんです。そのころは、
シカトされてなかったんですけど……」
賢治先生 「パシリをさされていたのか。そうか、……(客席に)パシリっていうのは、
ガキ大将の命令で使い走りをさせられる人。
使いぱしりからパシリ……」
よだか 「他の子が使い走(はし)りになったら、オレがシカトされるようになったんです。……
このごろは、何か隠されたりするし、……賢治先生、どうしたらいいですか。オレ、わからないんです」
賢治先生 「どうしたらいいか、どうしたら解決できるか、これから二人で考えてみようよ。……でも、
君は、何にもわからないっていうけれど、私にそのことを話してくれたから、もう解決に一歩近づいたんだよ」
よだか 「そうかなぁ、オレ、相談するのこわかったんです。チクったってタカくんに知られたら、
どんなしうちを受けるか分からないから……」
賢治先生 「それは、心配することないよ。チクリが悪いっていうのは、いじめっこの言うことだ。
いじめられっこはチクってもいいんだよ。それに、もしかしたら、それは
タカくんのためでもあるんだよ」
よだか 「本当ですか?」
賢治先生 「本当だよ。よだかくんは、これまで、一人でくらーい部屋の中に閉じこめられているような気持で
過ごしていただろう。でも、賢治先生に話して少しは明るくなったんじゃないか……」
よだか 「そう言やぁ、ちょっと明るくなったような……」(と見まわす)
賢治先生 「窓が開いたんだよ」
よだか 「カーテンが開いたのか……社会のカーテンか……」
賢治先生 「そう、カーテンというか、社会の窓が開いたんだ。気分が少しは明るくなった?……
あれっ、よだかくん、今気がついた、こちらの社会の窓も開いてるぞ」
(と、よだかのズボンのチャックを閉める素振り)
よだか 「恥ずかしい」(と、俯いて顔を隠す)
賢治先生 「社会の窓を開けっ放しは困るけれど、自分の部屋の窓は開けないと……窓を開けるように、
いじめの悩みをだれかに打ち明けるんだ。部屋を明るくする。風も吹き抜けて気持ちがいいよ。
それは、自分のためだし、いじめっこのためでもあるんだよ」
よだか 「それって、どういうことですか?」
賢治先生 「この前新聞に出ていたけれど、大人にいじめ調査をしたらしいんだ。するとね、
いじめられたうらみはずーと残るって結果が出てるんだって。
いじめられっこは一生いじめっこをうらむ、ということは、いじめっこはうらまれっぱなしで一生を送るんだよ。
同級生同士がうらみあってすごす、これっておかしくないかな」
よだか 「そうですね。そうならないようにしてほしいです」
賢治先生 「私に話してくれたからには、もうひどい目に合わされることはないし、
うらみが一生残るようなことのないように考えてみようよ。……それから、約束してくれないかな。
私が書いた童話『よだかの星』では、よだかくんは、天に昇ってよだからの星になってしまうんだけど、
あの筋はまちがいだった。……絶対に星になるっていうのはダメなんだ」
よだか 「賢治先生、大大エラーやな」
賢治先生 「そう、大エラー。……だからね、童話のよだかの星になったよだかさんみたいに、
あんなふうに一人で思い詰めないこと、いいかい、約束だよ」
よだか 「はい、わかったよ。約束する」
賢治先生 「じゃあ、約束の指切りげんまんだ」
よだか 「それって、オレなら、羽切りかな」
賢治先生 「ああ、ごめんごめん、羽切りげんまんだな。じゃあ(と、よだかの羽を持つ)
羽切りげんまん、嘘ついたら、針千本飲ーます。羽切った」(と、賢治先生主導で羽切りげんまんをする)
よだか 「賢治先生、オレをよだかの星にしないように、どうしたらいいか考えてや」
賢治先生 「よだかくんもえらい元気が出てきました。……はい、みなさん、よだかさんは、
いじめられていましたが、黙ってないで、賢治先生にこんなふうにいじめられていますって話してくれました。
これが大切な一歩です。先生に話をすることが解決へ近づく一歩です。先生に話しにくかったら、
だれでもかまいません、話をしてみてください」
よだか 「だれだっていいのか?」
賢治先生 「ああ、だれでもいいよ。君が打ち明けてもいいと思う人ならね」
よだか 「じゃあ、保健室の先生だっていいのか?」
賢治先生 「ああ、いいよ」
よだか 「じゃあ、校長先生だっていいのか?」
賢治先生 「ああ、いいよ。一番いいくらいだ」
よだか 「じゃあ、お父さんやお母さんだっていいか?」
賢治先生 「ああ、もちろん、いいよ。家族だからね」
よだか 「じゃあ、倉敷のおじいちゃんだっていいのか?」
賢治先生 「まあ、それでもいいかな」
よだか 「じゃあ、塾の先生だっていいのか?」
賢治先生 「ああ、それも一つの方法だね」
よだか 「じゃあ、ガールスカウトの先生だっていいか?」
賢治先生 「オマエは女か(と、突っ込んで)、はい、それでおしまい……とにかく、だれでもいいから、
まず話すことが大切……。そうしたら、みんな心をこめて話を聞いてくれると思うよ」
よだか 「『よだかの星』の北のお星さんのように、『氷の浮かんだグラスに頭(ヘッド)を突っ込んで、少し
冷やしなさい』とか、言わない?」
賢治先生 「そんなことは、だれも言わないよ」
よだか 「『いじわるされるんはワケがあるからや、
あんたにだってちょっとは悪いところがあったんちがうか』
なんて言わない?」
賢治先生 「そんなことけっして言わないよ。……今日はよだかくんが賢治先生に
いじめの話を打ち明けてくれてたいへんうれしかったです。
わたしもむかしは半分くらいはいじめられっこだったから、
よだかくんの気持がわかります」
よだか 「先生、いじわるされていたんですか?」
賢治先生 「そうだよ。だから、これからどうすればいいか、いっしょに考えていきたいと思います。
よだかくん、そうしようね」
よだか 「はい、わかった。オレはOKです。……あんたらだって一人でこらえていないで、オレとおんなじように、
だれかにSOSを出してね」
賢治先生 「みなさん、約束できますか。自分がいじめられている、と思ったらだれかに相談してくださいね。
では、きょうはこれでおしまいです。また、会いましょう」
よだか 「そんじゃあ、さよなら、シーユーアゲインな」
(二人、舞台から退場)
2010.12.1
父の戦場
朝日新聞夕刊で『語り継ぐ戦場』という連載特集をしています。
それを読んで、私もまた、
なぜ父に戦争経験の一部始終を聞いておかなかったのか、と悔やむ思いでいます。
父は通算で八年軍務に就いていました。
中支、いまの中国の中部を、上海当たりから入って、内陸部に向かって進軍していったようです。
南京占領のころ、その近くにいたといった話の断片も記憶に残っています。
父から婚家で暮らす母に宛てた手紙、葉書の類が
たくさん残っています。一部を「うずのしゅげ通信」に掲載したこともあります。
手紙に添えて送られてきたらしい写真もあります。
今回は、その写真を幾葉か紹介したいと考えています。
当時母の勤務していた女学校での「南京占領を祝う」カボチャ御輿の写真を9月号に載せました。
今回の写真は、そのころ、父から送られてきたもののようです。
先日、NHKで「わらわし隊」の特集番組が放映されましたが、当時中支に進駐していた父も、
もしかしたら、「わらわし隊」の演芸を見たかも知れない、という想像をかき立てられています。
証拠はなにもありませんが、そんなふうであったら面白いのに、という思いがあります。
そういった目で、写真や手紙を探してみましたが、それらしいものは発見できませんでした。
そして、せっかく写真を取りだしてきたのだから、その一部を紹介しようと思い立ったわけです。
まず最初の一枚は、戦場の平穏な一日を記録したものです。
日中戦争(支那事変)のはじめ、昭和12、3年頃の写真だと思われます。
和平凧をあげているのですが、どのような状況なのでしょうか。
凧を囲んでいるのは、地元の商店主や子供のようにみえるのですが、どうなのでしょうか。
軍人さんが休暇をもらって出かけてきて、凧あげ行事に出くわして写真に収めた。そんな構図ですね。
凧揚げの浮き立つような気分はありません。「和平」の二文字に自分たちの思いを込めて
日本兵の前で揚げる、そのことへの気負いはまったくなく、何か無力感のようなものが見て取れます。
遠巻きに眺めているだろう軍人さんは、(そのなかに父もいたかもしれませんが、)
どんな思いで凧に書かれた「和平」の二文字を見ていたのでしょうか。
二枚目の写真では、兵隊さん達が、電車の中でしょうか、ベンチに並んで座っています。
どういう状況なのか判断できませんが、兵隊さん達、みんな疲れているような様子が見られます。
精彩がありません。これからどこへ運ばれていったのでしょうか。
ちなみに、中央に写っているのが、父のようです。胸元のあたりかなり痩せていて、軍務のつらさを想像させます。
俯きかげんですが、眠れる状況ではないはずです。
何を待ちながら、何を考えていたのか、想像もできません。
三枚目は、厩舎で馬の前に父(右)と戦友が立っている、それだけの写真です。どこか頼りなげで、
とても強い兵隊のようには見えませんね。
父は砲兵部隊だったので、馬に大砲を引かせるために、常に馬を同道していたようで、
乗馬は得意だったと聞かされた覚えがあります。
わらわし隊の講演を思わせる写真は、つぎの一枚です。
何かビールを飲んで、歓談の一時を楽しんでいるようです。食事は出ていないように見えます。
戦場でもこのような催しがあったのですね。
想像をたくましくすれば、わらわし隊の漫才を観た後とも考えられなくはない、といったところでしょうか。
父は、脚に貫通銃創を受けたものの、ともかく生きて帰還できたわけですから、幸運と言わなければならないでしょう。
そのおかげで、私が生まれきたわけです。
砲兵の軍務においてあまり苛酷な経験をしなかったせいなのか、父は戦争の話をするのをしぶりませんでした。
孫を相手に武勇伝を語ったりもしていました。ところが、息子である私は、聞くことにそんなに積極的では
ありませんでした。せっかくの生き証人とともに暮らしながら、わらわし隊のことや、南京占領についての話など、
もっと真剣に聞いておけばよかったと、今になって悔やんでいますが、もはや聞くことはできません。
2010.12.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、
アメリカの日本人学校等で
上演されてきました。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、
一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。
手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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