2011年1月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

坪内稔典「カバに会う」

ハレー彗星パニック

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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新年、あけましておめでとうございます。
お変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。
のように飛躍の年というわけにはいかないかもしれませんが、 しっかりと世の中に耳を立てて生きてゆきたいものです。

去年(こぞ)今年円居(まどい)華やぐ声もあり

梅が枝(え)に雨滴の中の花芽かな

梢わたる松の裏声冬深し


  本年もまた「うずのしゅげ通信」のご愛顧を、よろしくお願いいたします。

2011.1.1
坪内稔典「カバに会う」

坪内稔典さんの「カバに会う」(岩波書店)を読んでいます。
書名に添えて「日本全国河馬めぐり」とあります。
俳句で有名な坪内稔典先生が、カバに会うために 日本国中の動物園を訪ねる旅行記と言ってもいいかと思われます。
何しろおもしろいのです。文章はこなれていて読みやすく、こころがほんわかとあたためられます。 こんな本は、ちかごろ珍しいのではないでしょうか。
稔典先生は、還暦を期に、カバ行脚を思い立たれたようです。取り立てて目的があるわけはないのです。 カバを見て俳句を詠むなんてこともないようです。ただ、1時間ばかりカバを眺めながら過ごす。 それだけのために全国の動物園を訪問するのです。カバだけに、バカげている気もしますが、 稔典先生の意気込みにはそんな弱気の入る余地はないようです。ではなぜカバなのか、 たんに好きという以外のこれといった理由があるとも 思われません。そのためにかえって読むものを引きつけるのかもしれません。人生なんてしょせんそんなもの、 という稔典先生のメッセージが伝わってくるからでしょうか。
「はじめに」という文章につぎのようにカバへのこだわりが書かれています。
「小学生のころ、カバヤキャラメルの景品(おまけ)だったカバヤ文庫に親しんだ。カバヤではカバの 顔をした宣伝車を走らせたが、私はそのカバ車を追っかけた。以来、カバが大好きになっていた。」
カバヤキャラメル、なつかしいなぁ。そういえば、私もカバヤ世代でした。もっとも、カバヤキャラメルよりも、 グリコや森永ミルクキャラメルの方が好みだったけれど。
しかし、カバヤの関係でカバが好きになったといっても、それで還暦記念に全国カバ行脚を思い立つというところへは なかなか飛躍できないのではないでしょうか。かなりの隔たりがあるように思えます。
そこで、「あとがき」を先読みしてみると、ありました。つぎのような一節に出会いました。
「カバへの旅とは何だったのか。今にして思えば、それは自分を面白くする企て、であった。 私は各地のカバの前で、気分の根っこのようなものをわくわくさせていた。
気分が沈滞すると言葉も元気を失う。感性とか思考とかも鈍る。いつのころからか、そのように考えるようになった 私は、意図して自分の気分を刺激し、わくわく感を醸そうとした。」
そうでしたか。結局そのわくわく感が、稔典先生の俳句を養っていたのですね。私は、たいへんな教示を受けたような 気分になったのです。
そして、稔典先生のわくわく感は、読むものにも伝わってくるのです。私もまた、わくわくしてこの本の一節一節を 読んでいます。読み進むのが惜しいほどです。
しばらくは、楽しませてもらいます。
坪内稔典先生のその他の本も読ませていただきます。よろしくお願いします。
それにしてもこれほどまでして感性を研いで書きたいこととは何なのか、と思いを巡らしていて、もしかしたら、 稔典先生、俳句を詠んで詠んで詠み尽くしたために、 いまやどうしても詠みたいといったことがないのではないのかとふと気づいたのです。
そういえば、谷川俊太郎が「何ひとつ書く事はない」(「鳥羽」)と書いていたのを思い出しました。
それでも詩を書き続けなければならないのです。
そんなにしてまで俳句を作り続けなければならないのです。
つくづくプロというのはつらいものだと思います。
(これは貶めているのではなく、書くことがなくても書くのが、詠むことがなくても詠むのがプロだと 言っているのです。念のため。)
私には、しかし、書きたいことがあります。書かなければならないことがあります。ただ、惜しいことに技量が足りない。
一方彼らには、「書く事がない」が、技量はあふれるほどある。
そういうことなのかもしれません。
いつか自分の詠みたいことを詠むために、稔典先生の技量を学び、 また先生を見習って何とかわくわく感を醸して おかなければならないと思うのです。
【追補】
谷川俊太郎さんの詩に触発されてメモしておいた片言。

  片言

「何ひとつ書く事はない」(※1)
と、詩人は詩を書き、
「演じるべきものは何もない」(※2)
と、俳優は舞台で演じ、
「書く事はある、そこにこそ生きる意味がある」
と、私は日々を生きている

※1 (谷川俊太郎「鳥羽」より)
※2 (「ゴドーを待ちながら」(「待つ」ということ」より引用)


2011.1.1
ハレー彗星パニック

NHK「タイムスクープハンター」(2010.12.28)で、1910年(明治43年)の ハレー彗星騒ぎが取り上げられていました。 5月19日にハレー彗星が地球に大接近するというのです。その日が近づくにつれて、 新聞のデマ記事を発端に、いろんな噂が飛び交い、パニックに陥る人々が出てきました。 タイムスクープハンターがそういった一連の騒動に巻き込まれるといった筋のドラマでした。
その番組を観ながら、明治43年といえば、宮沢賢治が旧制中学に在学していたころじゃなかったかな、 という思いがふと脳裏を過ぎったのです。 年譜を調べてみるとたしかに中学2年で寄宿舎に入っています。 だとすると、おもしろいことになります。中学生の賢治にも、ハレー彗星騒ぎは伝わっていたはずです。 賢治は、この事件をどのように受け取ったのでしょうか、 私はそのことに興味をそそられたのです。
もしかしたら『銀河鉄道の夜』の最初の着想が、そのとき中学生賢治の脳裏を過ぎったのではないか、 というのが私が考えた仮説なのです。
そのころ賢治はすでに天文学に興味を持っていました。
天文学者である須川力の「宮沢賢治と天文学」につぎのような論述があります。
「宮沢賢治がすでに中学二年生頃から天文に興味を持ち、休みで帰って来た日の夜なども二階の屋根の棟にまたがって 星を眺めて喜び、書斎には紺色の大きな紙を張って、それにいろいろな星をはりつけて星座図をこしらえていたことが 佐藤隆房氏の『宮沢賢治』の『篤信、二三節、星』に記されている。」
「天文に興味を持」ったのが、ハレー彗星騒ぎをきっかけにしているのか、あるいは、 それ以前からはじまっていたのかはわかりませんが、ハレー彗星の接近が5月ですから、おそらく それがきっかけになって天文学にのめり込んでいったと考える方が自然のように思われます。
また、当時は、日本国中あちこちで鉄道敷設がはじまっていました。
花巻でも、1911年(明治44年)岩手軽便鉄道の計画が持ち上がっていました。賢治の母方の祖父も 計画に荷担しています。
私の住んでいる大阪南河内地方でも近鉄の前身である奈良軌道が、1910年に設立されています。
おそらく日本国中あちこちで鉄道フィーバーが蔓延しつつあったように推察されます。
このような世の中の潮流が、若い賢治に影響をあたえて、それが彼の想像力の中で凝縮されて、 『銀河鉄道の夜』が着想されていったように思うのです。
もし、賢治の晩年に着想されたのなら、鉄道ではなく、 砲弾とか、ロケットとかいう発想が主流になったのではないでしょうか。 着想が1910年ごろであったればこそ、 天に昇っていく鉄道という発想がもたらされたように思うのです。
勝手な思いこみでしょうか。
こんな仮説は、もうとっくに言い古されていることにちがいありません。 しかし、自分としては、それなりに興味深い思いつきだと思われるので、ここに記録しておくことにしました。


【追補】
ハレー彗星が地球に大接近する日を旧制中学2年の宮沢賢治はどのように過ごしたのか。
そういったことを考えている内に、中学2年の賢治が友だちと会話をはじめました。 そして、いつのまにか脚本の断片のようなものができたのです。
想像裏の会話を書きとめることは、そんなに困難ではなかったのです。 ただ一つ越えなければならないハードルがあります。
中学生の賢治は、友だちと花巻方言で話をしていたはずです。 ところが、あいにく私は、花巻地方の方言でしゃべれません。
それでは仕方がありません。標準語で書いた原稿を、 インターネットで見つけた津軽弁変換の「どんだんず君」を使って、津軽方言に変換することにしました。 その結果以下のような脚本(断片)ができあがったのです。(津軽弁に変換したのは、 花巻方言へ変換をするソフトを見つけられなかったためです。花巻に近い津軽を選んだのです)
使わせてもらって申し訳ないのですが、変換ソフトの微力ということもあって、 方言に不自然なところがあるということは承知しています。それでも興味があるので読んでみようという方は、 読んだ上でご批判いただけたらと思います。また、方言の変なところをご指摘いただけたら幸いです。

「ハレー彗星パニック」(断章)

岩手県立盛岡中学校
1910年5月19日 朝、授業がはじまる前の教室
(登場人物)
宮沢賢治(旧制中学2年)
同級生、藤波(警察官の息子)、琴平(神主の息子)、近藤(農家の息子)

藤波 (ポケットからゴム風船ば取りだして) 「これ、昨日、とっちゃが、やっと手に入ったって、寄宿舎まで届けてくれたんだ…… 日露戦争の戦勝祝いで使った風船が残っていたんだばて……」
琴平 「なして、そったら風船が手に入ったんだ?」(風船を取ろうと手を出すが、さっと引っ込められる) 「藤波の父さん、警官だべ。その関係?」
藤波 (琴平の問いかけを無視して、賢治に話しかける)「口ではふくらまない、やってみたけどムリ、 ふいごがないとふくらまないんだ。実験室にあったかな?、賢さん」
賢治 「実験用のがあった」
近藤 「風船ふくらませて何するの? もしたばってて、あれか? ハレー彗星?」
藤波 「そう、今日だばて。11時過ぎに、ハレー彗星が近づくんだべ」 (教室の窓から外を見ながら大きく深呼吸して)「5分間、空気が消えるって、とっちゃが、 そったら噂があるって……、まあ、大丈夫だべうけど、念のため持っておけって……」
琴平 「それで、どうするの?」(と、風船に注意を向けさせておいて、手を伸ばして風船を奪う)
藤波 「あっ、こらっ、返せよ。練習するんだばってら……」
琴平 「空気ば吸う練習か? それで、わだけ助かろうっていうの……、ジコチュウだなあ」
藤波 「5分間だけ、……5分間ガマンしたらいいんだばて……」
琴平 「その5分の間、空気はどこさへいくんだよ」(と、皮肉っぽく笑いながら、風船を伸ばしたりして弄ぶ)
藤波 「そったらこと知るもんか。……それに、とっちゃが言ってたけど、 あのながーい尾っぽのトコにシアンっていう毒ガスがあって、地球が飲み込まれるから、 人類が滅亡するかもしれねって……えらいことだ」
近藤 (真剣な表情で)「とっちゃが町で聞いてきたのか?」
藤波 「変な噂ばたてるやつがいたら捕まえるんだばて……、でも、探しだしてみたら、 新聞に載ってたって言いかえされるって……」
近藤 (賢治の方に向いて)「どうなの?」(と問いかける)「賢さんは、天文にも興味があって、家に帰ったときは、 星座表ば作ったり、屋根の上で空ば見たりしちゅうんだべう」
賢治 「ハレー彗星の尾っぽに入ってしまうってことは、それはたしかだけれど……」
(賢治は、思いをめぐらすように目をくりくりさせて、言いよどむ)
藤波 「んだべう、やっぱりそうなんだ」
賢治 「この前の授業で化け学の井波先生もおっしゃっていたけれど、 シアンがあっても、薄くって毒にはなんねと思う……」
近藤 「そうどんだんずね。井波のやつも断言してたことだし……」(自分に言い聞かすように) 「なるほど、たしかにそうだ。ガスがあってもうだで薄いんだよね。……じゃあ、賢さんは大丈夫説だ」
藤波 「それでも、町では、顔ば水に浸けて息ば詰める訓練ばしちゅうものがいたり、 自転車のチューブの空気ば吸って生き延びるって、チューブば買い占めてらものがいるんだばて……。 それで、チューブより風船がいいだべうって、家にあったのば探してもってきてくれたんだ」
琴平 「チューブとか風船とか頼りねなあ。それだんずやら 賢さんの家の蔵の方がいいな。あそこなら質草がいっぱいで目張りもしてあるから、一週間くらいは大丈夫だよ」
(賢治に向けて皮肉たっぷりな言い方をする。一瞬、賢治の表情がこわばるが、すぐに平静をとりもどす)
賢治 (力なく説明する)「もし地球の空気に毒ガスが混じってあいったんら、滅亡するしかないだべうし……」
近藤 「でも、そったらことはないよね。薄いから……ちゃんと科学的に考えないと……」
藤波 (琴平から風船ば取り返して、それば弄びながら) 「でも、もしたばってたら、何か予想もでぎねおそろしいことがおこる可能性はあるだべう」
賢治 「それはあるかもしれね。絶対ないとはいえないからね」
琴平 (賢治に向かって)「じゃあ、どせばいいんだ」
賢治 「考えてらんだばって……」
琴平 「今日のことだよ。いまだに考えてらんじゃあ間に合わないよ。……内の親父、神主だべう、 それでお払いしてくれって来るらしいんずや。ハレー彗星 のおかげで神さまも大繁盛だ」
賢治 「どせばいいか、……これはかちゃくちゃねよ。何かとんでもないことが起こるとして、 どうするか? 地球から脱出するしかかないかな……、でも、そうなったらどせばいいんだべう」
近藤 「えー、賢さん、そったらことば考えていたのか……すっげーなー、オレの頭とできがちがうよ」
賢治 「でも脱出する方法がわがね。大きい大砲のたまの中に入って打ち出してもらうか……」
近藤 「それは、ウダデ!ね。すっごく大きい砲台がいるね。実現すればおもへけれど……」
賢治 「列島横断に軽便鉄道がどうかってら話があるだべう」
琴平 「賢さんの親類がじぇんこば出すって話もあるんじゃないのか」
賢治 「軽便鉄道が空に向かって登っていって、そのまんま宇宙にのぼっていく、 そったら列車があったらどんだべうか」
近藤 「宇宙にのぼっていく軽便鉄道か……」(うっとりと天井を見あげながら) 「もしそったら汽車があったら、がっぱどの人間ば乗せて 宇宙に脱出することができるね」
藤波 「夢みたいなことばいうな。今日のいまの問題なんだ。なして生き延びるか考えてらんだばってら……」
賢治 「そう、ハレー彗星の大接近で、なも起こらねかもしれねし、何か起こるかも知れね。 もし、たいへんなことになって地球が滅亡するかもしれねことになって、ではどうするか?…… ノアの方舟みたいに、 人やら動物やら植物やらば乗せて宇宙に逃げ出すか、そったらことしか考えられね。では、その方法は? ……軽便鉄道、それしかないんずや。いまあちこちで鉄道が敷かれてらよね。鉄道ば 宇宙にむかって伸ばしていく……宇宙の軽便鉄道……銀河鉄道……」


2011.1.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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